誘拐少女と探偵 - 12

 時計の針が午後八時を指す。隣の部屋からはテレビの音が漏れ聞こえてきていた。


「毎日八時になったら、そこに座って一日の出来事を思い浮かべるようにすること。あたしが真雪くんの思考を読んで、君たちの状況を確認するから。座る場所がずれたり、動かれると読めなくなるから、じっとしててね」


 五日前、僕が月乃ちゃんとここに残ることを決めたとき、紅坂さんはそう言い残していった。僕は紅坂さんに言葉に従い、指定の場所で今日の出来事を思い出す。


 今朝、腕のしびれを感じて僕は目を覚ました。一つしかない枕を月乃ちゃんに譲ったため、僕は自分の腕を枕代わりにしていた。身体を起こし肩を回すと、止まっていた血が全身に流れていくのが伝わってきた。


 一日中締め切られているカーテンの隙間からは、日光がこぼれていた。時刻は六時を少し回ったところだった。目覚まし時計をかけているわけではないのに、最近は六時前後に目が覚める。人間というのは、やることがないと返って規則正しい生活になるのかもしれない。


 傍らで気持ちよさそうに寝息をたてる月乃ちゃんに申し訳なさを感じつつ、僕は小さな肩をできるだけ優しく揺する。外が見えないこの部屋では体内時計が狂いやすい。一日のリズムを乱すことは体調不良に直結すると紅坂さんより教えられていた。僕らが置かれている状況で、体調を崩すのは絶対に避けなければならない。


 寝ぼけ眼の月乃ちゃんの頭を手櫛で整える。ぼーっとしたまま、されるがままに身をゆだねる月乃ちゃんだったが、目が覚めてくると、今度は僕の髪をセットする真似事をしてきた。短髪で寝ぐせもない僕の頭を整える必要性は感じなかったが、黙って付き合ってあげることにした。


 しばらく二人でじゃれていると、男が現れ無言で朝食を渡された。それまで楽しそうにしていた月乃ちゃんだったが、男の姿を見ると決まって僕の背後に隠れるため、僕は彼女の分の食事をまとめて受け取った。渡されたのは昨日と同じくコンビニのおにぎりだ。いつも同じ店で購入しているようだ。


 男が部屋からいなくなるのを待ってから、僕ら食事についた。いたずら好きな月乃ちゃんは、ことあるごとに僕にちょっかいをかけてくるのだが、食事のときだけ行儀よく静かに食べる。ハムスターのように口いっぱいにおにぎりを詰め込む様子は可愛らしく、気が付かれないように何度も彼女を盗み見てしまった。


 食事を終えると僕は月乃ちゃんに文字を教えた。これもここ数日のお決まりになっていた。動物の絵を描き、その上にひらがなで名前を書くという簡単な勉強方法だ。


 もっとも一朝一夕で文字を使えるようになれるなんて思ってない。これは月乃ちゃんと意思疎通を図るためではなく、単純に彼女の今後のためのつもりだった。


 月乃ちゃんは勉強を楽しんでくれているようで、僕の書いた文字を何度も見返しては、たどたどしく書き方をマネする。間違えた箇所の隣に僕が正しい文字を書いてあげたり、ペンの持ち方を指摘してあげると、何がおかしいのか彼女は屈託のない笑顔を見せる。


 どんな環境であってもこうして笑えるのは子供が持つ能力なのだろうか。そんな彼女の様子を見ていると、自分も自然に笑みがこぼれた。

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