第6話 入社試験

 柊さんから言い渡された入社試験の内容、それは何とも難しく恐ろしいものだった。

 それを達成するには、この未だに全容の掴めない横浜という街を右往左往しなければならない。この街のことを知ってもらう狙いもあるだろうが、やっぱり知らない街を一人で歩き回るのは辛い。

 いや、厳密には僕一人ではない。黄昏さんというバディがついてくれたのだが、この人はどうも不愛想だ。何故か僕の事を嫌がっているようで、とてもやりにくい。

 それだけじゃない。今回のターゲットというのは、本当にどこにいるか分からないらしい。よく分からない街の隅から隅まで探すという、とんでもない試験だった。


『入社試験は…、ああそうだ。今ちょうど失踪した猫の捜索の依頼が来てたから、それをやってもらおうかな。探しながらこの街を回って、街を知るいい機会にもなるだろうし、ついでに仲間たちも見つけられたら一石二鳥だ!』


 柊さんが言っていたことを思い出し、僕は深いため息をついた。猫は島にもいたから、どんな生物なのかはわかっていた。だからこそ余計に絶望した。

 あの俊敏な生き物を捕まえろとは…。そもそも、この世界では猫が一般的に飼われているということ自体驚きだった。島では人の食べ物を盗っていく天敵だったのに。


「おい、そろそろ着くぞ」


 さっきまで黙りっぱなしだった黄昏さんがようやく口を開いた。どうやら、依頼人の家はもうすぐみたいだ。


「こんにちは。アマテラスの黄昏です」

「東雲レイメイですっ!」


 黄昏さんが名乗ったので僕も名前を言ったのだが、黄昏さんから強く睨まれた。声大きすぎたのかな。


「…こんにちは。あの…、ムギは見つかったんでしょうか…?」


 依頼人の篠崎さんは、年老いた女性だった。彼女は震えた声で猫の安否を聞いてきた。


「残念ですがまだ見つかっていません。今日もこれから私たちで探しに行きます」

「ムギが家を出て行って三日になりますが…、ムギは大丈夫なんでしょうか?」


 篠崎さんが不安そうな瞳を僕たちに向けてくる。僕は見ていられず、気付いた時には


「絶対無事ですよ!」


 と叫んでいた。


「…そうですよ。絶対ムギは見つかります。だから安心しててください」


 黄昏さんも慌てて僕に合わせてくれたが、また睨まれた。


「去年夫が亡くなって、子供もいなかったので、ムギだけが私の家族なんです…。どうか、どうかお願いします…」


 篠崎さんが泣きながらお願いしたところで、僕と黄昏さんは家を出た。


「お前な…、あんまり出しゃばってくんじゃねぇ!」


 家を出て早々、黄昏さんに怒鳴られた。


「だって…、篠崎さん、とても不安そうでした。だから少しでも安心してくれたらって…」

「だからって安直に『絶対』なんて言葉使うな! …この世界ではな、絶対なんて保障できねーんだよ」


 そう言うと黄昏さんは僕をおいてせっせと歩いて行ってしまった。僕も慌てて後を追いかける。

 やっぱり黄昏さんは不愛想だが、さっきの言葉には不思議な重みがあった。何か、辛い思い出や、悲惨な思いが込められているような気がして仕方ない。


「黄昏さん!」


 僕はそのことを聞こうとしたが、突然黄昏さんが足を止めた。


「…? どうしたんですか?」


 僕も黄昏さんが見ている方を見た。そこにいたのは…


「ムギ!」


 社で柊さんに見せてもらった写真と同じ猫が目の前にいた。ムギは、篠崎さんの家まで帰ってきているように見えた。


「ムギ! おいで、こっちだよ!」


 僕はムギを手招きした。ムギもこちらへ駆け寄ってくる。が…。


 バリンッ!


 突然、耳をつんざくような音が周囲に響いた。黄昏さんが警戒した目線を向ける。


「やめろ! 来るな! これが怖くないのか!?」


 黒い布を頭に被り、顔を隠した男が突然、横の建物から飛び出してきたのだ。その手には短い刃物を握っていた。


「チッ、コンビニ強盗か! こんな白昼堂々と!」


 黄昏さんはその男目掛けて駆け出したが、それよりも早く男は近くにいたムギの首を掴み、ナイフを突き立てた。


「おおおおいお前ら! これ以上近づいたら、この猫を殺すぞ!」


 そう男が叫び、僕と黄昏さんは何もできなくなってしまった。あれは篠崎さんの大切な猫だ。殺させる訳にはいかない。

 それでも構わず男を捕えようと何人かの人は動き出したが、


「ムギ! やめて! それは私の大事な家族なの!」


 騒ぎを聞きつけたのか、家から出てきた篠崎さんが叫んだ。

 それを聞いて、周囲の人々も男に全く近づけなくなってしまった。これを好機と見た男は、大急ぎでその場を去っていった。


「おい待て! 逃がさないぞ!」


 僕は黄昏さんと後を追おうとしたが、篠崎さんが突然倒れてしまった。それを近くにいた黄昏さんが慌てて受け止めた。


「ムギ…ムギ…!」


 篠崎さんはショックのあまりか、黄昏さんに支えられたままぐったりと気を失ってしまった。


「クッソ…、おい東雲! 俺は篠崎さんを介抱しないといけない! お前があの男を追うんだ!」


 黄昏さんが叫んだ。一人であの男を追うのは正直怖かったが、行くしかなかった。

 僕は地面を強く蹴り上げ、男を追いかけた。


だが、男はちょうどそこに停められていた黒い車に乗り込んで、物凄いスピードで去って行ってしまった。

 車のスピードはすさまじいもので、あっという間に物凄い差をつけられてしまった。

 ここで逃がすわけにはいかない。

 僕はあの時のことを思い出した。あの時スザンナに伸ばした手は、彼女に届くことは無く、彼女と離れ離れになってしまった。

 愛する人との別れは、いつだって突然で悲惨だ。父さんの時も、姉さんの時もそうだった。

 でも、今ならそれを止めることができる。自分のこの手で、誰かの愛する人を助けることができる。

 僕は地面を蹴る足により一層の力を込めた。地面が抉れ、僕の体は一気に前へ押し出された。

 徐々に車との距離が縮まっていく。相手もそれに気づいたようで、さらに速度を上げた。

 逃がさない。地面を蹴り上げ跳躍し、ビルの壁を思いっきり蹴って車へと飛びついた。

 車の窓越しに、さっきの男がナイフをムギに突き立てているのが見えた。

 僕は拳で窓を割って車内に侵入した。窓の破片が手に突き刺さり出血していたがそんなことは今どうでもいい。


「お、お前何者なんだ!?」

 男の一人が甲高い声を上げる。

 僕は真っ先にムギを捕まえている男の顔面を殴り、ムギを取り返した。そして、運転席に座っている男の首を手刀で叩き気絶させた。

 残り一人の男がいたが、そいつは短い刃物を持って僕に切りかかって来た。狭い中で避けづらかったが、何とか避けた後で腹に蹴りを入れて気絶させた。

 それで一安心した僕だったが、車の動きが止まらないことに気が付いた。車は暴走を続けて、目の前には沢山の人達がいた。


「止まれェェェ!」


 僕は車の底を足で突き破り、地面に足を突き刺して何とか車を止めようとした。

 足先が地面に当たり潰されるかのような痛みが走った。それでも僕は止めるわけにはいかなかった。

 僕は地獄のような痛みに耐え、踏ん張り続けた。そして、少しずつ車の速度は落ちていき、やがて完全に停止した。


「…と、止まったぁ…!」


 後からやって来た黄昏さんがたまげた様子でこちらを見た。


「お前…これ全部お前がやったのか!?」


 本当に信じられないといった様子で詰め寄って来たので、僕はわずかに残った体力でピースサインを作ってやり、そこで本当に限界を迎えて意識が途切れた。


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設定こぼれ話

アマテラスの創設は五年前。黄昏は入社三年目である。

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