捨て猫の里親になったらネコが来たタチの話

SEN

本編

 私の名前は坂田さかた璃音りお。父親が元プロテニス選手であり、よく一緒に練習している。その甲斐あってか高二にして自他ともに認めるテニス部のエースである。そんな私だが、昔からペットを飼いたいと思っている。


 しかしそれは未だ叶っていない。我が家の財政状況的には問題ないのだが、親父が「手に入れたいものは自分で掴み取れ!」と言うのだ。高校生にしては多めのお小遣いを貰っている私だが、犬や猫を買えるほどのお金は貯められないのだ。


 そんな私に突然転機が訪れた。後輩の一人が捨て猫の里親を探しているらしい。そんなわけで普段からペットを飼いたいとぼやいていた私に白羽の矢が立ったのだ。もちろん私は二つ返事で了承。今度の土曜日、つまりは今日の昼に猫を連れてきてくれるということになった。


 現在時刻は午後1時。もうそろそろだろうとそわそわしながら玄関で待ち伏せをしていた。そして遂に玄関のチャイムが鳴った。私はすぐさま玄関の扉を開けて勢いよく顔を出した。


「ようこそ我が家へ!」


 外に出ると日本特有のじめじめした熱い空気に包まれる。まだ夏本番ではないが、だれもがこの空気を嫌っているだろう。しかし長年の夢がかなうこの瞬間において、私はその暑さを無効化していた。


 しかし、高らかに叫んで外に出たはいいものの、私を出迎える後輩はいない。おかしいな、もしやどこかの悪ガキがピンポンダッシュでもしたのだろうか。なんだ興奮して損したと視線を下げた瞬間、そこにネコがいた。


「えっと……」

「かわいい」


 私のために連れてきた猫が入っている籠を抱えた少女に向かって、反射的にそんな言葉を贈っていた。いや本当に待ってほしい。私は普段から出会い頭に女の子を口説くような奴じゃないと弁解させてくれ。


 今回が特別なのだ。考えてもみて欲しい。もし突然目の前にめっちゃタイプな子が現れたら、かわいいと口から漏らしても仕方ないと思わないか? そしてこの少女は私の好みど真ん中なのだ。


 小柄で華奢な可愛らしい体つき、まだ幼さが残るお人形さんみたいな顔つき、クリっとした黒くて澄んだ瞳、鈴の音が鳴るような綺麗な声、どこか自信なさげな人見知りっぽい態度、そのすべてが私の好みにマッチしていた。


 ともあれ、大声で出迎えたかと思えば、ぼそりと見た目を誉めてきた変人を警戒した少女は、猫が入っている籠をかばうように横にそらしている。なんとか警戒を解かなければ。


「あっ、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだ。てっきり彼方が猫を連れてくるものだと思っててさ、いつも通りのテンションで出迎えちまった」

「そ、そうなんですね」


 丁寧に謝罪すると、彼女はまだ少しぎこちないが警戒を解いてくれた。ちなみに彼方はテニス部の後輩で、私の見立て通りなら次期テニス部のエースだ。まぁ今は関係ないのでこの話はここまでにしよう。


「えっと、この子のことよろしくお願いします」


 そう言って彼女は猫が入っている籠を手渡してきた。その籠を受け取ると確かな重みと同時に、ニャーという可愛らしい鳴き声が聞こえた。


「おう、任せとけ」

「それじゃあ私はこれで……」

「あぁ、ちょっと待って」


 猫を渡してすぐに帰ろうとした彼女を引き止める。こんな好みど真ん中の可愛い子を黙って帰すほど私は無欲な人間ではない。連絡先は必ず手に入れて、あわよくば友達になりたい。


「こんな暑い中来たんだからさ、ちょっと上がっていきなよ。この子の事も色々聞きたいしさ」

「えっと……それならお言葉に甘えて」


 彼女は少し考えた後、私の提案を受け入れた。私が入ってくるよう手招きすると、彼女は小動物みたいに体を縮こまらせて会釈をして家に入ってきた。


 こういう遠慮がちなところも可愛いなぁ。そんな邪な目を可愛いこの子に向けながら、私の部屋に案内した。別に自慢ではないが、私の部屋は広いので二人でもかなり余裕がある。


 そのせいかローテーブルの向かい側に座っている彼女とまぁまぁ距離がある気がする。よく知らない人の部屋で緊張して、挙動不審に周りをキョロキョロしているし、体を縮めて座っているから、なんだかこの子を誘拐してきたみたいで罪悪感が湧いてきた。


「別にそんな緊張しなくていいって。私は後輩とか先輩とか気にしないしさ」

「は、はぁ……」

「っと、自己紹介がまだだったね。私の名前は坂田璃音。テニス部で一応エースやらせてもらってるよ。君は?」

「えっと、潮目しおめなぎです。園芸部で花を育ててます」

「凪ちゃんか、可愛い名前だね」

「かわっ!? い、いえ、別にそんな……」


 んー! 超期待通りの反応! 顔を赤らめて照れながらもちゃんと嬉しそうな、そんな初々しくていじらいしい態度がたまらなく愛おしい。


 ちゃんと名前も知る事ができたし、第一段階は完了ってかんじかな。


「それじゃあ、閉じ込めたままなのも可哀想だし、籠から出してあげようか」


 凪ちゃんに夢中だったけど、私の本来の目的はこの猫ちゃんなのだ。凪ちゃんとの話の種にもなるだろうし、そろそろ解放してあげよう。


 籠を開けると中から白い子猫が飛び出してきて、私をガン無視して凪ちゃんの方に駆けて行った。そして白猫は凪ちゃんのそばに近寄ると、膝の上に乗って丸くなった。


「……懐かれてるねー」


 出会ったばかりとはいえこの差は少し嫉妬してしまう。凪ちゃんも猫をなでながら苦笑いをしている。


「この子は人懐っこいので、すぐに触れるようになると思いますよ」

「そうかなー、全然そんな気しないんだけど。凪ちゃんが動物に懐かれやすいだけなんじゃない?」

「そうですかね」

「小っちゃくてかわいい園芸部員って、そんな印象ない? 森の妖精さんみたいな」

「森の妖精さん……ふふっ、いいですねそれ」


 森の妖精というフレーズが気に入ったのか、彼女は今日初めて柔らかい笑顔を見せてくれた。その天使の笑顔に私は完全に心を射抜かれてしまった。


 この瞬間、凪ちゃんは私の好みど真ん中の女の子から、将来的にお付き合いした上で将来を誓い合いたい女の子になった。


 いや、我ながら思考回路がやばいな。もし凪ちゃんが読心術とかできたら速攻帰宅されていただろう。


「その子の名前ってなんていうの?」

「特に決めてないです。出会ってすぐに坂田先輩が飼うって決まりましたから」

「そうなんだ。じゃあさ、一緒に名前考えようよ」

「え? 坂田先輩が飼うんですから、先輩が決めた方がいいと思うんですけど」

「凪ちゃんにめっちゃ懐いてるし、凪ちゃんが居なかったら私とその子は出会えなかったわけじゃん。だから凪ちゃんにも名前を決める権利があると思うよ」

「そうですか……なら、頑張っていい名前考えます」

「よろしくねー」


 私にはネーミングセンスというものが無いのと、こうやって一緒に名前を考える事で交流を深める事ができる。まさに一石二鳥、いや、次の一手への布石にもなってるから一石三鳥か。


「シロ……だったら普通すぎるし、もっと可愛い名前がいいよね」


 凪ちゃんが名前を考えながら、猫に確認を取るように問いかけると、白猫はニャーと可愛らしい鳴き声で返事をした。


 動物と対話する儚げで優しい美少女は大層絵になって、それを私は特等席で眺めていた。森の湖に居たら本当に森の妖精だと勘違いしてしまうかもしれない。


「先輩はどんなのがいいと思いますか?」

「そうだねぇ……どちらかといえば人っぽい名前がいいかな」

「なるほど、そっちの方向で考えてみますね」


 単に私の好みなのだが、チョコとかマロンみたいな名前はペットを対等な家族と考えていないみたいな感じがするから嫌なのだ。まぁあくまで私がそう感じるだけで、そういう名前をつけてる人がみんなペットを対等な家族とみなしていないと思ってる訳ではない。


「フィオナ……うん、いいかも。先輩、フィオナってどうですか?」

「おぉ、いいかも」

「本で読んだんですけど、フィオナって白いとか明るいみたいな意味があるんですよ。見た目も白いですし、私はこの子に明るく楽しく生きて欲しいので、この名前が良いなって思ったんです」

「いいね。凪ちゃんがそこまで真剣に考えたんなら、その子も気にいると思うよ」


 こんな優しい子に見つけてもらって、フィオナは幸せ者だな。それに加えて私という素晴らしい飼い主にも恵まれたのだから、凪ちゃんの願いも簡単に叶うだろう。


「ねぇ凪ちゃん。せっかく名前も決めて、そんなに懐いてるのにここでお別れって寂しいと思わない?」

「まぁ、そうですね。寂しいです」

「だからさ、たまにうちに遊びに来なよ。いつでも歓迎するからさ」


 そう、これが私の第三手。自然な流れで彼女が私の家に通う理由を作るというものだ。高校生にもなると人の家に上がるハードルは高くなる。高校で出会った先輩の家に上がるというのは中々できない。


 しかし、猫のためという大義名分を与えればそのハードルは簡単に飛び越えられるほど低くなる。こうして凪ちゃんと二人きりというシチュエーションを作り続ければ、私と凪ちゃんとの距離は自然と近くなっていくというわけだ。


「えっ、いいんですか?」

「もちろん。フィオナも凪ちゃんに会えるのは嬉しいだろうしさ。なぁフィオナ?」


 返事は期待していないがフィオナに声をかけてみる。すると、フィオナは一度私の顔を見て、凪ちゃんに向かってニャーと鳴いた。


 なんて賢い子なんだ。こんなのを見せられたら優しい凪ちゃんは絶対に断れない。多分フィオナが凪ちゃんと離れたくないからだろうけど、結果的に私の恋路のサポートをしてくれた。後でご褒美にチュールをやろう。


「そうなんだ、うん、わかったよフィオナ」


 私の提案に同意を示すようなフィオナの行動を見て、凪ちゃんはフィオナに会うために私の家に通うということを決めた。


 そして私は好きな人を家に招き入れる大義名分を手に入れた。こうなればもうこっちのもの。必ずこの可愛いネコちゃんを私の恋人にしてみせると決意した。


 ○○○


 私と凪ちゃんが出会って三ヶ月。暑い夏は過ぎ去り、涼しい秋が到来した。この三ヶ月の間で私と凪ちゃんの関係はかなり変わった。


「クッションの上で丸くなってるフィオナ、可愛いですね……」

「そうだねぇ」


 私の部屋に置いた猫用クッションの上で、フィオナは丸くなって眠っている。この三ヶ月で私の家にも慣れて、かなりリラックスできるようになった。


 そして凪ちゃんは私と肩をくっつけてフィオナを眺めている。私と凪ちゃんはまだ付き合っていないが、これくらいの距離感が許せるほど親密度が上がったのだ。


 凪ちゃんは仲良くなった人とはかなり距離感が近くなるみたいで、初対面の時が嘘のように私にくっついてくる。


「あの……先輩……」

「んー、どうしたの?」

「その、今日のテストの勉強で徹夜しちゃって……」


 凪ちゃんは躊躇いがちに言葉を紡ぎながら、頬を紅潮させて私をチラチラと見ている。これは彼女の甘えたいというサインだ。


「うん、分かったよ。おいで」


 私がそう言って膝をポンポンと叩くと、凪ちゃんは寝転んで私の膝の上に頭を置いた。フィオナを眺めている間、何回かこくこくと眠りそうになっていたから眠気が限界だったのだろう。彼女はすぐに眠りの世界に落ちてしまった。


 彼女は安らかな顔でスースーと安定した寝息をたてている。それくらい私の膝の上でリラックスできているという事だ。


 こうやって私に甘えてくれるようになったきっかけは、凪ちゃんと出会って一ヶ月が過ぎた頃にあった出来事だ。あの日、凪ちゃんは家の用事や学校での課題が重なって相当疲れていた。


 フィオナに会いに来たのもその疲れを癒すためだ。しかし彼女は癒されすぎた。いつの間にか眠りに落ちてしまい、私の肩に寄りかかってきたのだ。私は彼女を気遣って、寝転ばせて膝枕をして安眠をサポートした。


 そして彼女が目を覚ましたのは夜の七時。長いお昼寝から目覚めた彼女は恥ずかしがって逃げようとしたが、寝起きなためすぐに捕まえることができた。そして甘えたい時は甘えていいと言ってあげた。


 とは言っても、あまり期待はしていなかった。だって仲良くなってきたとはいえ、恥ずかしがり屋な凪ちゃんが素直に甘えてくれるとは思えなかったからから。本当に淡い期待を込めての提案だったのだが、彼女は思いの外素直に甘えてくれるようになった。


 今日みたいに徹夜して疲れたとか、不安な事があって落ち込んだとか、そういう時に彼女は甘えてくれる。それはきっと、私を親しい間柄の人だと思ってくれているから。


 見知らぬ人間は警戒して、懐いた相手にはとことん甘えるところが猫みたいで愛らしい。


 今日はいつもと違って、凪ちゃんが私の家に泊まる。せっかく明日が休みなのだから泊まったらどうかと私が提案したのだ。安心しきった表情で眠る彼女を眺めながら、今日のお泊まりで何をしてあげようかと思案する。


「ふふっ、楽しみだなぁ」


 私はこの安らぎの空間で、これからの幸せな時間に思いを馳せていた。


 そして彼女が目を覚ましたのは午後7時。寝起きが弱い彼女が可愛らしく唸るのを相手しながらリビングに降りて、私の家族と一緒に夕食を食べた。


 凪ちゃんはお父さんに学校での私のことを聞かれたり、いつも仲良くしてくれてありがとうと大袈裟に言われたりして少し困っていたけど、そんな表情も可愛らしかった。その後、願望を言えば一緒に入りたかったお風呂だが、流石に別々に入った。


 先に私がお風呂に入ったので、凪ちゃんがお風呂から上がってくるのを自室で待っていた。せっかくのお泊まりだし何かゲームでもして夜更かししようかな。そんなプランを練っていたら、扉が開く音がした。凪ちゃんが帰ってきたのだろうと扉の方を向いた瞬間、ゲームをしようだなんて幼稚な考えは消え失せてしまった。


「お待たせしましたぁ……」


 扉から入ってきた彼女は眠たげな目をこすりながらフラフラと体を揺らしていた。ゆったりとした声は私の脳を刺激して、エサを目の前にした犬のように唾液を分泌させた。夕食を食べてお腹いっぱいになった後、お風呂で温まったから眠くなってしまったのだろう。彼女はすぐにでも眠ってしまいそうだ。


 今の彼女は例えるならば、下拵えが済んだご馳走だ。意識がほわほわとしている彼女はかなり甘えたがりになっているに違いない。様々な期待を胸に、あくまで平静を装って彼女に近づく。


「なんか眠そうだけど大丈夫?」

「んぬぅ……」


 心配した声で彼女に声をかけると、唸り声と共に私に寄りかかってきた。お風呂で温まった彼女の華奢な体はあまりにも蠱惑的だったが、襲ってしまいそうになるのをなんとか耐える。


「ごめんなさい……眠いです……せっかくのお泊まりなのに……」

「いいよいいよ。時間は明日たっぷりあるし、今日はもう寝ようか」

「はい……」


 ふらふらする彼女を支えて洗面所に行き、歯磨きをした後部屋に戻る。そして彼女をベッドに寝かせて自分用の布団を用意するために部屋を出て行こうとした時だった。


「せんぱい……どこいくんですか……?」

「私の布団取りに行くだけだよ」

「や……」

「え? なに?」

「いかないで……」


 彼女の震える声を聞いたら私の足は自動的に止まってしまった。何故そんなことを言うのか、もしかして凪ちゃんは眠くなると寂しがり屋になるのだろうか。


 振り返って彼女の顔を見る。ベッドの上に寝転がっている彼女は潤んだ瞳で私を見ており、キュッと結ばれた口元は彼女が抱く気持ちを理解させるのに十分すぎる役割を果たした。


 私はすぐに彼女に駆け寄り、寝転がる彼女の頭を撫でた。すると彼女の表情が和らいだ。これで一安心だが、私の寝床がないというのは変わらない。


「ごめんね。でも、私の寝る場所が無いから布団は取りに行かないと」

「いっしょで……いいじゃないですか……」

「えっ?」


 予想外の提案に私は間抜けな声を出してしまった。


「いや、それはさすがに……」

「ん」


 私の理性が保たないから断ろうとした。しかし、彼女が私を求めるように両手を広げたことで、奇襲された私の理性という城は簡単に落とされてしまった。


 彼女が求めているという大義名分を手に入れた私は、流れるような動作で彼女が寝転んでいるベッドに潜り込んだ。


「凪ちゃんは甘えん坊だね」

「あまえていいって言ったのはせんぱいです」

「ふふっ、そうだったね」


 やばい。今日の凪ちゃん可愛すぎる。甘えん坊で寂しがり屋な彼女が私を求めてくれている。そのシチュエーションは何度か妄想したけど、いざ現実になると冷静でいられない。


 というか、これは据え膳というやつでは? 凪ちゃんから誘っているのでは? なんて都合のいい方に妄想してしまう自分をなんとか抑える。


 そう、これは凪ちゃんが私を信頼してくれている証拠なのだ。私を信頼して甘えてくれているのだから、欲望のままに彼女を襲うという裏切り行為はできない。


「電気消すよ」

「ん……」


 添い寝の体勢になって電気を消す。そして優しく頭を撫でたら、すぐに彼女は眠ってしまった。すうすうと安らかに眠る彼女の寝顔の可愛さで、ドクドクと心臓が激しく鼓動する。


 愛しの彼女と添い寝をしているという夢のような状況。すぐに眠ってしまうなんて勿体無いと思い、しばらく彼女の寝顔を堪能した。


 しかし、ここで一人で夜更かししてしまったら明日凪ちゃんと遊べなくなってしまう。そろそろ寝ようかと思った瞬間だった。


「さかた……せん……ぱい……」


 彼女は寝言で私の名前を呼んだ。どんな夢を見てるのだろうか、もう少し起きて観察しようと彼女の言葉に耳を傾ける。


「すき」


 その言葉は、寝言のはずなのにひどく甘ったるかった。そして眠気が吹き飛んだ私は顔が熱くなって、目を大きく見開いて彼女を見ていた。


 待って、ちょっと待って。好きって、私が好きってこと? いやでもただの寝言だし、これを凪ちゃんは私のことが好きという証拠にするなんてできない。


 でも、今までの態度を考えれば凪ちゃんは私を好いているという可能性がないわけじゃないと思う。いやいや、都合のいい妄想はやめなさい。そもそも眠っている後輩に手を出すケダモノに身を堕とすつもりはない。私は正攻法で凪ちゃんを恋人にするのだ。


「せんぱい、だいすき……」


 私があれこれ考えていたら、凪ちゃんの口から二の矢が放たれた。それは見事に私の理性を射抜いた。


「……凪ちゃんが悪いんだよ」


 もし凪ちゃんが私のことが好きじゃないとしても、こんな思わせぶりなことをした凪ちゃんが悪い。何をされても凪ちゃんは文句を言う権利なんて無いんだから。


 私は眠っている彼女に近づいて、同意を得ずに彼女の唇を奪った。眠り姫へのキス。それがどんな事象を起こすか、幼少期に習ったことを私はすっかり忘れてしまっていた。


「せん……ぱい……?」

「あ」


 凪ちゃんは目を覚まして私と目が合った。しまったと体を引こうとしたが、彼女は私のギュッと腕を掴んだ。寝込みを襲った私を彼女は糾弾するだろうか。いや、そうなったとしても煽ったのは彼女だ。下手な事を言おうものならこのまま手篭めに、なんて思考になりかけた時だった。


「えへへ……せんぱいだぁ……」


 彼女のふわりとした甘い声が、私の危険な思考を取り去った。まだ寝ぼけているみたいで、彼女の動きは緩慢で、前が見えているか分からないくらい目を細めている。


 私の悪行が彼女にバレていないことに一先ず安心し、寝ぼけて可愛い動きをする彼女を観察することにした。


「可愛いなぁ」


 もぞもぞと体をうねらせる彼女に手を伸ばすと、凪ちゃんはその手を握って指を絡ませた。寝ぼけている彼女の大胆な行動に私は息を詰まらせる。


「て……おっきい……すき……」


 眠りの世界に半分浸かったままの彼女は、私がどう判断すればいいのか困ってしまう言葉をぶつけてくる。これは本音なのか、彼女がただ幼い子供のように甘えん坊なだけなのか。そもそも彼女の好きは私と同じなのか。


 すっかり毒気を抜かれた私はひたすらに迷っていた。そこで私は決意した。もう余計な事は考えず、この可愛い凪ちゃんをひたすらに可愛がろうと。そう、例えるなら飼い主が猫を愛でるように。


「おいで、凪ちゃん」

「んぅ」


 寝ぼけている彼女は従順で、私が両手を広げたらその中に飛び込んできた。そして私が彼女を抱きしめると、彼女も抱きしめ返してくれた。


 運動している私より遥かに細い彼女は、強く抱いたら折れてしまいそうだった。けれど確かな温かみがあって、このか弱くて小さな生き物に庇護欲が湧いてきた。


「いい子だね。……凪ちゃんは私が一生守ってあげるから、安心して眠っていいよ」


 自分でもこんな声が出せたんだと驚くほど甘い声を、愛しい彼女の耳元で囁く。すると、寝ぼけている彼女にも声が届いたのか、ゆっくりと彼女は眠りの世界に戻っていった。


 そして彼女の体温と花のような香りに包まれ、私は最高の気分でゆったりと眠りの世界に落ちていった。


 ○○○


 翌朝、目を覚ますと目の前に先輩がいた。それだけじゃなく、先輩は私を愛おしそうに眺めながら抱きしめていた。驚いて一気に目が覚めて、反射的に後ろに引いた。


 先輩はあっさり私を解放すると、ふふっと妖艶に笑ってベッドから出た。


「おはよう。甘えん坊な眠り姫」

「え? あっ……!」


 先輩の一言で昨日の記憶を一気に思い出した。眠くて意識が朦朧とする中、先輩にすっかり甘えきってしまった事。自分から添い寝を提案した事。そして、寝ぼけていたせいでずっと秘密にしていた恋心が漏れてしまったこと。


 大好きな先輩とのお泊まりが楽しみすぎて全く眠れなくて、結局眠気マックスで先輩の家に来た昨日。そんな理由で眠いだなんて言えないから、勉強で徹夜したからと誤魔化した。けれどそれからは全く頭が回らなくて、大好きな先輩を前に舞い上がっていた気持ちもあった私は、欲望のままに先輩に甘えて、微睡の中で秘密の恋心をバラしてしまうという大ポカをやらかしたのだ。


「あっ、えっと……」


 先輩になんて言えばいいのか分からなくて、あたふたとしたまま言葉にならない言葉をボソボソと呟く。すると先輩はまた妖艶に笑って、私の頭にポンと手を置いた。


「可愛かったよ、凪ちゃん」


 そう言って先輩が見せた微笑みがあまりにもイケメンで、私の頬がぶわっと熱くなる。


「それじゃ、朝ごはんできてるから食べに行こうか」

「え?」


 先輩はパッと私の頭から手を離して、ドアの方に歩いてゆく。昨日の夜に私の愛の言葉を受け取ったにしては軽すぎる反応に、私は困惑して疑問の声を上げてしまった。


「どうかしたの?」

「あ、いえ……なんでもないです」


 そうだ、人の寝言や寝ぼけて言った言葉なんて本気にするわけがない。その事に少し安心した反面、どこか残念に思ってしまっている私がいた。


 臆病な私は愛を伝える覚悟なんてない。先輩が昨日の私の言葉を本気にして、そして受け入れてくれてたらどれだけ良かったろうか。


 でも、それじゃあダメなんだ。好きっていう気持ちはちゃんと自分で伝えないと。きっと神様がその事を教えてるために昨日の出来事を起こしてくれたんだ。


「今日もよろしくお願いします」


 いつか自分の手で先輩に愛を伝える。そんな決意を固めて、階段を降りる先輩について行った。

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