Episode 15「妖精」

「痛い……」


 どうやら、私の頬は彼女の額にぶつかってしまったらしい。

 小さな、それはもう小さな額に両手を当てて痛がっている。


 そんな彼女をまじまじと見て、私は確信する。


 白い肌。整った顔立ち。

 ジトッとした目つきに、エメラルドグリーンの透き通った瞳。

 瞳と同じ色の髪。 


 緑色を貴重としたドレス。

 彼女の周囲を飛ぶキラキラとした無数の光の粒子。

 尖った耳。

 背中に生えている透明な羽。


 何より、その小さな体が物語っている。


 間違いなかった。

 彼女は、世間一般的に、妖精、精霊、あるいはフェアリーと呼ばれる存在。

 


「……何?」


 ふと声をかけられて我に戻る。

 ずっと見つめてしまっていたらしい。


「あ、いえ、えっと……可愛いなぁって」


 無愛想な物言いだから、焦ってつい本音を漏らしてしまった。

 流石に気持ち悪かったかも――


「っ! ……そう。……可愛い」


――なんて心配したけれど、無用だったかもしれない。

 妖精さんは、どうやら照れてしまっているらしかった。

 赤く染まった頬を隠すように、そっぽを向いている。

 でも、耳も隠すべきだった。真っ赤なのが見えてしまっている。


 そっけない態度の裏腹に、案外初々ういういしい一面もあるようで。

 その可憐な姿も相まって、更に愛々しい。

 一生愛でていたいと思える可愛いさだ。







「というか見えるんだ。私のこと」


 目の前の妖精に見惚れていた私は、そんなことを唐突に言われた。


「え、普通は見えないんですか?」

「私達妖精は、普段、人に見られることがないの」

「へぇ……じゃあ、私が見れる理由ってなんなんですか?」

「さぁ、なんだろう」


 さっぱりだ、とでも言わんばかりに首を振る。


「でも、たまにいる。あなたみたいな、変な人間」

「変……」


 





「ところで……えっと」

「リーファって呼んで、凛」

「あ、じゃあ、リーファさん」


 名前聞けた、やったね!

 内心じゃあそう浮かれつつも、平然を装う。


「リーファさんは、なんでここに?」

「探し物」

「何を探しているんです?」

「植木鉢」


 淡々と答える彼女に苦笑しつつ、私は質問を続ける。


「どうして植木鉢を?」

「……あれは私にとって、とても大切なものだから」

「そう、なんですね」


 リーファさんは俯いてしまう。

 垣間見えるのは暗い表情だけ。

 彼女にとってその鉢とは、それだけ特別な何かだったということなのだろう。


 あまり聞くべきことではなかったろうか。

 反省しつつ、しかし――


 小さな妖精が探しているという鉢。

 私も見てみたい。そんな欲がふと頭を覗かせた。

 栽培家として、私にも疼く何かがあるということだ。


 もしかしたら、これが俗に言うイベントと言うやつなのかも知れない。

 であれば一人の栽培家として、一人のプレイヤーとして、この機を逃すわけには行かない。


「リーファさん!」

「……何?」


 思い切って提案してみる。

 

「その探し物、良ければ私にも手伝わさせてください!」


 リーファさんの、驚いた表情。

 無表情が常な彼女の、あまり見れない顔。

 それが見れただけでも、言い出してみて正解だったと思える。

 それほどまでに可愛らしい彼女は、小さな唇を震わせて、何かを言おうとする。


 その時、まさかだった。彼女は、頬を上げて笑った。

 てっきり断られてしまうと思っていた私を、彼女が魅了するには充分過ぎる一瞬。



「ありがとう」



 飛び交う光の粒が、彼女の笑みを引き立たせる。


 見惚れる私を置いて、彼女は宙に浮いて私の肩から飛び去った。

 粒子を撒きながら、ジョウロに近寄り、取っ手部分に触れる。

 所作一つする度に、私は目を奪われる。


「それじゃあ――これからよろしく、凛」



「は、はい。よろしく、お願いします」

 リーファさんに見惚れてしまっていた私は、ぎくしゃくとそう返すのが精一杯だった。




◆ ◆ ◆




「すみません凛さん、私事で遅れてしまい――」

「木霊さん! あのジョウロを私に売ってくれませんか!?」

「は、はい?!」


 間もなくして帰ってきた手を取り、カウンターテーブルに置かれたままのキャラメル色の小さなジョウロを指差した。

 

「えと……ああ、そのジョウロ。凛さん、気に入ったんですか」

「はい、それはもうすごく」

「そうですか。それなら良かったです」


 「良かったです」その一言に疑問する。

 そんな私を置いて、木霊さんがカウンターに近付くと、ジョウロを手に取った。

 とても可愛らしい、小さなジョウロを。


 そして私に手渡した。


「お代は結構です。店を預かってくださるそのお礼です」


 今度は私が驚かされた番だった。


「えっ、良いんですか? 貰ってしまって……」

「はい。元から、凛さんに渡すつもりでしたので。店を預かってくださるそのお礼です、遠慮なく受け取ってください」

「でも、お給料は貰えると……」

「それとこれとは別です。給料は対価、そのジョウロはお礼です。ですが、もっと他のものにしようかとも悩んだのですが……」

「あ、いえ! これ、貰います! 貰わさせてください!」

「はい、そうして頂けると私としてもありがたいです」



 まさかの展開に、頭が若干ついて行けていないが。

 なんだかんだ、ラッキーだということだろうか。

 ともかく、今日は間違いなく良い日だった。



「ところで、そんなに気に入ったんですね、そのジョウロ」


 彼女にはジョウロを撫でているように見えたのだろう。

 実のところ、リーファさんの頭をさすさすしているだけ。

 

 まんざらでもなさそうに目を細める彼女は、まるで猫のよう。

 

 そして、こんな可愛らしい妖精を前にしても、ジョウロの話しかしないのだから、リーファさんの姿は本当に私以外には見えていないのだろう。

 それは、なんだか哀しいな。

 

「どうかしましたか?」

「あ、いえ。……そうですね、気に入りました」

「大切にしてくださいね」

「もちろんです!」


 言われて、ハッとする。木霊さんにはその気はないのだろうけれど。


 そうだ、私が大切にすれば良いんだよね。

 私しか見えていないのなら、私だけはリーファさんと――


「……?」


 と言っても当の彼女は疑問の表情を浮かべているだけ。

 もしかしたら、本人はあまり気にしていないのかもしれない。

 

 まあ、気にする気にしないではなく。

 純粋に、私が彼女と一緒に居たいだけなのだけなのだから、私なんかが気にしたところで意味はないのかも知れない。




「凛さん……?」

「え、あ、はい!」

「本当に、どうしたのですか? ぼーっとしてばかりですが……」

「すみません、大丈夫です。見惚れてただけなので」

「そんなに気に入ってくださったのなら嬉しいですけど……そろそろ開店の時間なので、そのくらいで」

「すみません……」


 そうか、もうそんな時間だったか。

 リーファさんとの出会いとか、ジョウロのこととか、嬉しいことが色々とありすぎて忘れてしまっていた。

 そうだった。今日からバイトが始まるんだった。

 無論それだって、嬉しいのことの一つだ。


 新しいことが始められるし、何より、お給料が貰える! 




「木霊さん。改めて、よろしくお願いします」

「はい。こちらこそよろしくお願いします」



 私は元気良く挨拶をした。

 これから始まる数々の新しい出来事に胸を踊らせながら。

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