Episode 14「小さなジョウロ」

 日本での最低賃金の平均は約1,000円。

 ゲーム内時間は現実世界の八倍の速度で経過しているので、ゲームにおける時間的価値はその分低下する。


 1,000 ÷ 8 = 125


 よってゲーム内時間における1時間に、付与されるべき最低賃金額は約125ゴールドとなる。(1円=1ゴールドとした場合)


 

 という力説をしてみせたのだけれど、最後の最後まで「この人は何を言っているのでしょう」みたいな顔をされてしまった私は、大人しく十倍以上の時給1,300ゴールドで、正式に雇われることになった。

 


 そうだ、ことになったのだ。


 つまり、店を預けるというのは言葉の綾に近いところであり、正確にはバイトと言う。

 特別なことを強いて挙げるのなら、しばらくの間店長が不在だというだけ。

 それなら現実世界でのバイトにおいても似たような経験はあるわけで……。


 一人で店を回すゆえに責任重大なのは変わりないのだけれど、店を預けると言われてもそんなに重く受け止める必要もなかったということだった。

 これは木霊さんの明らかな説明不足。と言うよりも過大解釈?

 

 これは失礼を承知で言うべきだろうか。

 国語の辺りは特に勉強しておきましょう、と。

 






 そんなこんながあり、早速明日から勤務することとなった。

 明日というのは、ゲーム内時間での明日だ。

 それまであまり時間も無いし、改めて勤務内容の詳細を確認しておこうと思う。



 時給は1,300ゴールド。

 働き方は基本的に自由。いつ働こうが何時間働こうが、私の勝手で大丈夫だそう。

 この時点で既にゆるゆるなバイトだ。


 こんな内容の求人が現実世界にあった場合、物凄い倍率になりそうなものだけど。

 けれども、ゲームというのはあくまでも娯楽の一つであって、プレイヤー全員がゲームを中心に日程を組めるわけではない。

 よってこうなってしまうのも仕方がないのだろうね。


 ただし月々の目標が設定されており、それを越えられなかった場合は店の消滅を意味する。

 と言えば責任重大に聞こえるが、このハードル、実はそこまで高くはない。

 目安としては、月に50人も来れば十二分。

 最低でもその半数が来ればなんとかなるそう。


 その理由だけれど。

 なんでも、お得意様の中には、毎月の定期宅配を行う方も居るそうで、それだけで既にノルマの半分以上は占められるらしい。

 宅配も、専門の施設――言うなれば郵便局に持っていくだけで済むとのことで手間にもならないと。


 それだと幾分かは安心できそうだった。


 そして主な業務内容だけれど、聞かされていた通り楽そうなものだった。

 接客に加えて商品の補充および陳列。

 細かいところだと、店内ならびに店先の清掃。そして売上の記録。等々。


 忙しいかはさておき、花屋でのアルバイトで一通り経験している私にとっては難しい内容ではない。



 とまあ、こんなところかな。 


 正直、自分の時間が減ってしまわないかという心配がある。

 しかしそれ以上に、楽しみという気持ちを持っている自分も確かにいる。

 新しいことを始める瞬間はいつだってそうだ。このゲームを始めてプレイした日だって同じ気持ちだった。


 不安なんていうものは何に対しても付きまと纏ってくるのだから、今更考えたって仕方がない。

 第一、この世界はあくまでゲームなのだから。

 もっと気楽にやったっていいんだよね。




◆ ◆ ◆



◇【王都・中央広場】◇

◇【生産者ギルド】◇



 すっかり日も昇り、ギルドに戻った私は、新しく買った鉢に土を盛って【赤のキャンディーフラワーの種】を植え、今日分の水やりと音やりを行う。

 もちろん、他の三つも合わせて済ます。


 その後はギルドを出て、散策しながらまったり街を歩いた。

 目的地は【向日葵】という雑貨店だ。


 まあ「目的地」というよりも、「店に戻る」という表現のほうがしっくりくるけどね。

 数十分前にはそこに居たのだから仕方がない。






◇【王都・噴水公園前】◇

◇ガーデニング専門雑貨店【向日葵】◇



 店の扉を押し開き、店内に居るであろう木霊さんを探す。

 一目では見つけられず、奥の部屋に居るのかも知れないと憶測を立て、ベルの音が消えるのを待ってから声をかけた。


「木霊さん? 居ますか?」


 しかし、いくら待てど返事はない。

 この時間には店内に居るだろうと聞かされていたのだけれど……どうやら出掛けているらしい。

 

 念のために、バックヤードも確認しようか。

 そう思い、店内に一歩踏み出そうとしたところ、違和感を覚えた。

 

 入店した私をそのまま飲み込んでしまいそうな、妙な、それでいて優しげな気配。

 まるで妖精が住まう森のようとさえ錯覚してしまう。


 

 私の視線は、自然とそれに向かっていく。

 惹かれるように入店し、それの目前にまで行き着いた。

 会計時には誰もが通るであろうカウンター、その木質のテーブルの上に置かれたそれに、どうしても目がいった。



 ジョウロだった。



 木製の、キャラメル色の落ち着いた色をした、シンプルなデザインのジョウロ。

 丁寧に磨かれたのか、艶めく光沢感がジョウロが放つ神々しさを増している。

 

 パッと見ただけでも全体的にコンパクトに見えるそれは、私が持っているジョウロと比べてみてもやはり、かなり小さい。

 本当に小さくて、どれくらいかって言うと、コップくらい。

 ね、本当に小さい。


 つまりタンクの容量が少ないんだ。

 可愛いと言えばそうだけれど、これじゃ水やりの時に不便そう。

 一度に沢山の植物に水をやろうとしたら、何度も汲みなおさなきゃいけない。

 利便性は欠けている。


 けれど、も。


「……っ」


 なんでだろう。

 自分でも不思議なくらい、小さく可愛らしいだけのジョウロに、どうしようもなく惹かれている。


 ああ。



 欲しい。

 


 その一言が脳裏を過ぎる。

 そう言葉にしてしまったからか。刹那、私の中の「欲しい」という気持ちが膨れ上がる。倍に、倍に。


 ハッとする。

「まただ、これ……」


 いつだったか、【mysteryミステリー flowerフラワー】で同じような感情に陥ったんだっけ。

 蓮華さんに【氷桜の薔薇アイスチェリーローズ】の写真を見せてもらった時だ。


 【氷桜の薔薇アイスチェリーローズ】は植物だ。

 なら自分で育てるのが一番だという風で落ち着いたけれど。


 このちょこんとしたジョウロ、これは道具だ。私に道具は作れない。

 じゃあ、誰かに作ってもらうしかないのだろうか。

 あるいは、何かのクエストの報酬だったり。


 いや、この店にあるんだから、もしかしたら売り物なのかも知れない。

 だったら買いたいな。でも、高いんだろうなぁ。

 あれ、でも、売り物なら商品棚に置いておくはず。

 カウンターにあるってことは、やっぱり売り物じゃないのかな……。



 どうすれば、このジョウロが手に入るだろうか。

 考えだしたら止まらなかった。


 ぐるぐる考えて、考えて。すぐにはどうしようもないことを、ぐるぐる。

 私は思考に浸り込んでいた。

 下手をしたら、このまま数日はジョウロの前で棒立ちで居てしまいそうなくらいに。



 ふと、肩に感触が乗って、びくりと体を震わせる。

 自分の世界に入り込んでいた私は、瞬に世界に引き戻された。

 

「さっきから何してるの」


 かけられた声。

 木霊さんが戻ってきたんだ。


 あれ、でも、なんか高い声。

 それに、木霊さんらしくない。なんというか、無愛想な物言い。

 もっと丁寧だったのに……。

 もしや店に勝手に入ったことを怒っているのかも。


「すみません、勝手に入って――」


 咄嗟に振り向きざま謝罪する。

 頭を下げたまま。


 数秒経っても返事はなかった。

 不思議に思った私は、木霊さんの顔色を窺おうとして、顔を上げてみて。

 驚いた。

 

「えっ? あれ……?」


 誰も居なかった。

 私を除いて、人っ子一人も。


 幻聴だとでも?

 

「そんなまさかな……だって、確かに声が……」


 去った足音はなかったはずだ。そもそも来る足音も聞いていないけれど。

 しかし、店内を見渡しても、木霊さんらしき姿は見当たらない。

 まるで狐に包まれたように。


 そんなことを思いながら、再度振り向く。あるいは後ろ、カウンターの中に居るのかも、そんな淡い期待(期待なのかな……?)を抱えながらまさかとは思いつつも。

 

 ところが、右に振り向こうとして、右頬に何かがぶつかってしまう。



「「あだっ!」」



 二つの声が重なった。

 えっ、声?


 今確かに私以外の声がした。間違いなく。



 今日一驚いた状態ながら、ふとぶつかった頬辺りに視線をやる。

 すると、何かが居た。

 視界の端で、小さな何かが。


「痛い……」


 驚くことに、その小さな何かは、私の肩に乗っていた。

 そう、私の肩に乗れるくらいには小さいそれ。

 しかも、喋っている間違いなく。


 恐る恐る、首を全力で向ける。可動域の限界まで曲げた首。

 そして、ついに視界の中心に捉えたそれを見て、私はぽつり呟いた。


「……か、かわいい」


 私の肩には、私の掌よりも小さいだろう、生き物の姿があった。

 生き物の名称を、私はなんとなく知っている。


 妖精というやつだった。

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