Episode 5「初クエスト」
起床早々ではありますが、先に言っておきたいことがある。
昨晩、やけにテンションが高かったことは認める。
――けれど、断じて、酒類あるいは薬品などを摂取していたわけではないということを! 理解して! 頂きたい!
◆
「はぁぁぁ」
溜息を吐いて落ち着きを取り戻す。
誰も居ないはずの壁に向かって言い訳する朝。
にしては、気持ちの良い目覚め。
それは昨日、深く考える機会があったからかな。
ともかく、一歩前進できたと実感している。
そんな今日は良い一日になりそうだ。
あれ、そう言えば朝の割には小鳥の囀りが聞こえない。
というか、今は何時だろう。
違和感を覚え、ふと気になって、ベッド近くの目覚まし時計を手繰り寄せて見る。
そして、絶望する。
一つ言えることは、今日は「良い日」とは程遠い一日の始まりだったということ。
◆ ◆ ◆
◇花屋【
「ほんっっっとうに、すみませんでした!」
客足も緩やかになってきた夕過ぎ。
私は麗華さんに、昼過ぎから開始のバイトに遅れて出勤したことを謝罪する。
そんな私を見て、麗華さんは呆れたように不満を漏らす。
しかし、その不満とは、私がバイトに遅れてやって来たことに対するものではなかった。
「もう分かったって。んなのを一日中聞かされるこっちの身にもなれっての」
しっしっと手を振る麗華さん。
あっちに行けということだろうか。
このお店、お世辞にも広いとは言えない大きさだから、(というか足場がほとんど花で埋め尽くされているから)そもそも「あっち」と呼べる空間が存在しないのだけど。
「大体なぁ、数分遅れたくらいじゃ負担にもなんないっつーの」
「うへぇ」と鬱陶しそうにわざとらしく舌を出す。
かと思えば、今度はニヤッと口角を上げる。いたずらっ子のように。
「そんなことよりもさ、真面目な凛桜が遅刻するってよっぽどのことがあったんだろ? 私はそっちの話の方が聞きたいんだけど」
「うぅ……それは、なんと言いますか」
「なんてな。聞くまでも無かったわ。ま、大方ゲームにハマったんだろ? そうだろ? な?」
「ぐっ……まぁ、そうですけど」
この人の食い付きっぷりは理解できない。私がゲームに熱中することのいったい何がそんなに面白いのか。
「いやぁ、にしてもあの凛桜がなぁ……。趣味は読書とバイトと勉強です! みたいなやつがなぁ……感慨深いってのはこういうことを言うんだなぁ……」
す、すごい……。
私がゲームにハマったという、ただそれだけのことで、「娘が嫁に行ってしんみりする母親」みたいなことを言っている……。
この人は私のことをなんだと思っているんだろうね。
しかし、お恥ずかしながら、たった一日プレイしただけでFLOにがっつりハマってしまったのもまた事実。
麗華さんには申し訳ないけれど、早くバイト終わらないかなぁと退勤時間を心待ちにしている私がいる。
そんな私の心情を知ってか、麗華さんはとある提案を持ちかけてきた。
「凛桜さんよ。今日はもう上がりな」
ビシッと指を指され、「は?」と溢してしまう。
今までされたことのない発言に、驚きを隠せない。
「え……。それは、もう退勤しろってことですか?」
「そういうこと。――ゲームしたいんだろ? 今日の凛桜、そわそわしまくりだぞ。見ていて鬱陶しい」
「いや、でもまだ時間が……」
「安心しろ、バイト代はちゃんと全額出しとくから」
「いやいやいや、そういう問題じゃないと思うんですけど……」
「それに今日は早く閉店する日だしな」
「閉店後だってしなきゃいけないことありますよね?」
「んなの私一人でなんとかなる!」
「えぇ……」
身内ノリで話を進めようとしてくる麗華さん。
身内ノリとかそういうの、私はあまり好きじゃないのだけど。
でもこういう時の麗華さんは強情だ。
一度決めた意見を捻じ曲げることはしない。
そういう意味では、母とは案外似た者同士な気もする。
本人に言ったら怒るだろうけれど。
「あの……本当に良いんですか?」
「良いから良いから。私だって早く凛桜とゲームしたいんだもん。でもそのためには、凛桜がもうちょっと強くなってからのほうが何かと楽だから」
「はぁ……?」
ゲームのシステムはいまいち理解できていないけれど。
麗華さんに曰く、レベル差のあるプレイヤー同士の交流だと、色々と面倒な成約があるらしい。
例えば、経験値が入りづらくなるとか。
「そこまで言うなら、お言葉に甘えさせてもらいますけど……」
「それで良し。んじゃ、お疲れさん」
「……あ、はい。……お疲れ様です」
強制的に帰らされてしまった私だけれど、なんだかんだ言いつつ、麗華さんのああいう性格は好きだ。
だって、意見を捻じ曲げないという麗華さんの信念は、母とは違って意地によるものではないと理解しているから。
私は麗華さんの強情さで他人が傷付いたところを、一度たりとも見たことがない。
というか、昨日今日で、私は人の優しさに触れすぎている気がする。
ありがたいのだけど、返しきれる気がしない。
受け取ってばかりで、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
まあ気長にやるしかないのかな。
なんてことを考えながら、私は帰路についた。
◆ ◆ ◆
【GAME START】
◆ ◆ ◆
◇【王都・中央広場】◇
◇【生産者ギルド】◇
ギルドに入って早速、私は本日何度目かの謝罪をしていた。
「昨日はご迷惑をおかけしました……。お詫びに、私にできることがあれば、なんなりと仰ってください……。本当にすみませんでした……」
相手はもちろん、昨日のハイテンションになった私の対応をしてくれていた受付嬢さん。
微かに残った記憶を手繰り寄せてみても、私が彼女を困らせている状況しか思い出すことができない。
過去の愚行を思い出して悶える。
そんな私を見てどう思ったのか、受付嬢は優しく微笑む。
「私は、凛さんと長くお話ししたあの時間が、迷惑だなんて思っていませんよ。むしろ楽しかったですし」
相変わらずの天使ぶりを発揮する受付嬢さんに、私は心を打たれる。
ついには涙まで浮かべてしまう。急いで擦って消した。
「でも……」
「それでもと仰るのであれば、一つ、お願いがあります」
「……お願い、ですか?」
「はい」
両手を自身の胸に当て、身を乗り出すように、けれどもゆっくり、私に寄り添ってくる。
「私のことを、名前でお呼びください。」
意外な申し出だった。
「えっと……そんなことで良いんですか?」
「はい。こんなことで良いのです。私だけが凜さんとお呼びするのは変な感じがしますから」
「ちなみに、お名前は……?」
「あ、そうでした。肝心なところをお伝えしそびれていました」
初対面の時、彼女のことは「か弱い少女」のようだと思った。
けれど、今の彼女の凛とした表情に、か弱さは見られない。
それどころか、年上のお姉さんにすら見えてしまう。
――いや、それは言い過ぎか。
「私の名前はベルです。これからはベルとお呼びください」
「わかった。これからよろしくね、ベルさん」
「はい、よろしくお願いします、凛さん」
彼女もまた、昨日の私と同じように、何かが変わったのかも知れない。弱々しさが消えた彼女の面持ちを見て、そんなことを想像する。
その「何か」の中に、少しでも【凛】というプレイヤーの名前が刻まれていれば嬉しいな。
◆
「ところで、まだクエスト完了の手続きを終えてませんでしたね」
「そういえばそうでした……」
「ちゃっちゃと終わらせちゃいましょう」
「ですね」
昨日は色々あって、そのせいでベルさんに気を使わせてしまった。
クエストも、本当なら昨日の内に達成するつもりだったんだけどね。
まあ、クエスト完了のための条件ならもう揃っているんだしそれほど時間はかからないだろうから、大した問題でもないのだけど。
「では、こちらが今回達成されたクエストの報酬になります」
ベルさんが奥の棚から何かを取り出して、カウンターの上に丁寧に置く。
赤い紙でラッピングされた、頭サイズくらいの箱。
持つと、ずっしりとした重さが両手に伝わる。
視線をそれに合わせると、【栽培家用初心者アイテムセット】という表示が出現する。
私は箱を手にとって、もう一つ表示された【収納】という文字に触れる。
する途端に、箱がシュンと音を発しながらインベントリ(プレイヤーに内蔵された収納機能。一度に十種類のアイテムを収納可能)の枠内に移動する。
これで報酬の受け取りは完了。
……かと思いきや。
「もう一つ、お渡ししなければならないものがあります」
どこに隠していたのだろうか。一枚のカードを取り出す。
「カード……?」
「これは【ギルドカード】と言って、正式にギルドに加入したことを証明するためのものです。――つまり身分証となります」
「なるほど、身分証ですか」
「次回以降御用の際は、職員にギルドカードをご提示ください」
「分かりました」
「では、お受け取りください」
「どうも」
ベルが丁寧に両手で渡すものだから、私もついきちんと両手で受け取ってしまう。
「お間違いが無いかご確認ください」
「あ、はい」
言われた通りにする。
――【ギルドカード】――
名前:凛
LV:2
ジョブ:栽培家
ジョブランク:F
所属ギルド:生産
所属クラン:なし
称号:なし
――――――――
名前の欄。私のプレイヤーネームと相違がないことを確認してから、ベルに問題がないことを伝える。
「では、改めまして。――これにて初クエスト完了です。お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
ようやくだ。
本当に色々あったなぁ。
街唯一の花屋の店主との出会い。
彼女からは種を貰ってしまったっけ。
ひょんなことから自分の心を縛り付けていた鎖も解けて、そのおかげか、ベルとも名前で呼び合う関係になれた。
これはもう友達と呼べる間柄なのでは……!
そして、GランクからFランクへの昇格。
あとついでにプレイヤー自身のレベルも上がっていた。1から2に。
ギルドカードを見るまで気が付かなかったんだけどね。
とまあ感慨にふけってしまったけれど、むしろようやく始まったばかりなんだ。
栽培家としての第二の人生が、ね。
「よーし、これからはもっと頑張ります!」
「ふふ、頑張るのは良いことですが、昨日のようにはならないでくださいね」
「き、気を付けます……」
また迷惑をかけてしまわないためにも、それだけは気を付けなければ……。
「では早速、次のクエストの受注などいかがでしょうか?」
昨日のことを思い出して再び落ち込む私を励ましてくれるベルの声。
そんな優しいベルさんは、やはり天使に違いない。
天使天使って。何度思ったかすら覚えていない。
「受注方法は覚えていますか?」
「はい。それはもうしっかりと」
「でしたら、急ぎましょう! 他の方に先を越されてしまうかも知れませんから」
「はいっ! 早速ギルドボード見てきます!」
「ふふ、良いお返事です」
というか、何度目かなんて、覚えている必要はないのかもしれない。
受注方法とかも。忘れたらまたベルに訊けばいい。
忘れていなくても、ギルドにやって来るたびに、世間話でもすればいい。
クエストの受注をするたびに、話し掛ければいい。
やりたいように、好き勝手やってみればいいんだよね。
もちろん、迷惑をかけない範囲でね。
そうして私は、気になった依頼書をクエストボードから剥ぎ取って、再びベルのカウンターへと歩を進めるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます