Episode 4「壊れた鎖」

◇【王都・中央広場】◇

◇【生産者ギルド】◇



「これにて初クエスト完了です。おめでとうございます、凛様」


 ギルドに戻った私は、さっきぶりの受付嬢の少女に、さっそくクエスト完了の報告をした。


 少女は、礼儀正しく深々と頭を下げ、祝福の言葉をかけてくれた。

 私は、そんな少女のピンと伸びた背筋を見て、世界は違えど同じ接客業の従業員として見習わねばと心に留める。


 と、そんなことはどうでも良いんだ。


 色々あったけれど、とにかく、私の初クエストは幕を閉じた。







 【mysteryミステリー flowerフラワー】のお姉さんにお説教された後、私が【mysteryミステリー flowerフラワー】に訪れた本来の目的を話すと、お姉さんは私に種をプレゼントしてくれた。買ったのではなくて。


 お姉さんいわく、同業としてのサービスらしい。

 彼女は最後の最後まで女神だったと改めて実感する。



 それで、頂いた種はつ。


 まず、初心者でも簡単に育てることができるらしい、植物の種が3つ。


【赤のキャンディーフラワーの種】

【青のキャンディーフラワーの種】

【緑のキャンディーフラワーの種】


 【キャンディーフラワー】という名の通り、飴のなる花らしい。

 お姉さんによると「もちろん食べられるわよ」とのこと。



 それと、もう一つ。


百面色の薔薇カラフルローズの種】


 【百面色の薔薇カラフルローズ】とは、育て方次第で自分の好きな色へと変化させることができる花。

 お姉さんに見せてもらった写真に映っていた二色の薔薇も、実はこの【百面色の薔薇カラフルローズ】を変化させたものだったらしい。


 そして、変化した【百面色の薔薇カラフルローズ】は独自の名を持つ。

 そうしてお姉さんが育てた二色の薔薇に付けられた名前は【氷桜の薔薇アイスチェリーローズ】。


 私もお姉さんのように、自分だけの花を完成させる瞬間が訪れるのだろうか。

 そんなことを想像して、胸を踊らせる私であった。


 ま、「今のあなたが【百面色の薔薇カラフルローズ】を育てようとしても、すぐに枯らしてしまうだろうからやめなさいよ〜? これ結構レアなんだから、無駄にだけはしないでね〜」とド直球に言われてしまったのだけれど。

 

 なので当分はお預け。


 それでもいつか、この花に水をやれる日が来ることを願って、精進するのみだよね。







「――様。……凛様」


 遠くで、誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。

 いや、やっぱり近い気がする。

 近いというか、すぐ目の前……?


「凛様!」


 気が付けば、視界いっぱいに受付嬢の顔があった。こちらを心配している、そんな顔。


 驚いて、後退り、反射で返事をしてしまう。


「えっ、あっ、はい! 凛です!」


 どうやら私は考え事をしてしまっていたらしい。

 あーあ、そのせいですごく間抜けな返答をしてしまった。


 そんな私を見て、クスッとわらう受付嬢。

 あーもうほんと、恥ずかしいことこの上ない。

 周囲に私以外のプレイヤーがあまり居なかったことが唯一の救いかな。


 いや今、遠くの方で別カウンターの受付嬢の笑い声が微かに聞こえた。

 私の間抜けた返事を聞かれてしまった。

 はぁ、ついてない。


「凛様、どうかされたのですか? ぼーっとなさっておられましたよ?」

「いえ、ちょっと疲れてただけなので、もう大丈夫です」

「そうですか」


 「良かったです」そう一言呟いてニコッと微笑むその表情は、リアルでのバイト&ゲームでの初クエストが終わって疲弊した私の心に染み渡っていく。

 

「あの。私にできることがあれば、なんでもおっしゃってくださいね?」


 トドメにそんな優しさを向けられてしまったものだから、瞳の奥からじわりと込み上げてくる何かがあった。

 ダメだダメ。こんなところで泣いてしまうわけにはいかない。

 それこそ、ギルド中の受付嬢の間で、私が笑い者にされかねない。


 ぐっと涙を堪える私。




――そんな時、ふと、数十分前の出来事を思い出した。

 それは私が、初めてここにやって来た時のことを。


 まるで天啓でも授かったかのような。

 本当に、それほどまでに、唐突だった。



――初めてギルドに訪れた時、私はインモラルなおじさんに絡まれて困っていた彼女を助けた。そしたら彼女は安心して泣き出してしまったんだっけ。


 そしてその時、私は言った気がする。


「我慢しなくても良いんですよ」

「私も力になります」



 ついさっき受付嬢に言われた言葉を思い出す。


『私にできることがあれば、なんでもおっしゃってくださいね?』


 今の私の状況と似ている。もしかしたら受付嬢は、返そうとしてくれたのかも知れない。そんなことを考える。

 思い出したら小っ恥ずかしくなってきたけれど。


――そして、はっとした。


 そうか。私だって、知らず知らずであれ、誰かに何かを与えていたんだ。

 受付嬢が、私の一言で涙を溢した時のように。


 そう考えてしまうのは、おこがましいことだろうか。


 私の場合、独りよがりだ、って怒られてしまうかも知れないけれど。

 それでも、今、この瞬間だけでも、私は救われた気がした。彼女の優しさに。そして、私自身の優しさに。



――ああ、そうか。そうだったんだ。

 まるで、絡まった鎖の一部が欠けて壊れてくれたかのように、気分が楽になっていくのを体感する。

 私は今、初めて、錆びた鎖から抜け出そうとしているのかもしれない。

――私は救われても良いんだ。



「――……そうか、そうだったんだ」

「……? どうかされましたか? ……凛様?」


 受付嬢の心配した声すら届かない。

 それほどまでに、今の私は――嬉しいという感情でいっぱいいっぱいになっていた。




◆ ◆ ◆




 私はいつも考えていた。


 はた迷惑な性格をした母と、私と母を捨てた父。

 どんなにクズでどうしようもなくても、私の実の親なんだ。私の元を離れていった彼らに、恨むなり悲しむなり、多少なり何か思うところがあるのが普通の家族で、そしてそれが普通の子供なのだと思う。

 

 けれど私は、どうとも思わなかった。


 面倒な母に捕まってしまった父親を、心の底から可愛そうだと感じたことはない。反対に恨むことだってない。

 その面倒な母が帰らぬ人となり、それ思い出しても今ではもう泣くことすらできない。

 

 自分の親のことすら、どうとも思っていない。

 そんな私が一番――クズで最低な人間だ。

 そう、心のどこかで感じていた。



 クズな私は、笑ってはいけないんだ。

 最低な私は、楽しんではいけないんだ。

 


 けれど、自分ことだから分かる。

 私は逃げていただけなんだ。

 両親が去り、その辛さ、その苦しみから逃げるかのように、私は自分を攻めていた。


「最低な両親だった。だから、そんな両親を失ったことを哀しく思うことは許されない」

「私は最低だ。だから、辛く苦しい人生であればならない」


 そう自分を攻め、他人から逃げる。

 他人のことを考えずに生きる道を選ぼうとしていた。

 だって、そのほうが楽だったから。



――でも、私の優しさで救われる人だっていたんだ。

 ギルドの受付嬢のように。



 やっぱり、お前は独りよがりだって怒られてしまうかな。


 確かに、唐突だとは思う。

 急に何を言ってるんだ、って自分でも思うよ。

 

 それでも今この瞬間に、私は間違いなく救われた。

 このゲームに。フリーライフ・オンラインに。


 あぁ、私はこのゲームを楽しんで良いんだ。ってね。


 あーいや、やっぱり違う。そうじゃない。

 

 私はもう、このゲームを楽しいと感じている。これは嘘なんかじゃない。


 あれだ、麗華さんが言っていた。

 これはそう――



――神ゲーってやつだ。



 このゲームを楽しんしまっているのだから私はいい加減、クズで最低な私を許してやらないといけない。

 そうじゃなきゃ、私はこれから先、心の底からこのゲームを楽しめなくなってしまう。


 それだけは嫌。

 そう、思ってしまったのだから、仕方ないよね。


 遠くの昔、既に壊れて朽ち果てていただけの、ただの鎖の残骸。

 それを私はようやく、自分の力で脱ぎ捨てる。

 


――ああ、こんなに軽かったんだ。




◆ ◆ ◆




 受付嬢の顔を視界いっぱいに捉えながら、私は再び意識を戻す。


「――凛様、凛様! 大丈夫ですか!?」

「え、あ、はい! 大丈夫です!」

「本当なのですか? このくだり、もう二度目だと思うのですが」

「本当の本当に大丈夫です! ご心配おかけしてすみません!」

「そうですか? なら良いのですが」


 右頬に手を当てて深く考える様子の彼女は、優しくて、それでいて可愛らしい。

 二度も考え事で気を失いかけた私なんかとは大違いだね!


「あ、そうでした! まだ凛様には、クエスト達成の報酬をお渡しして――」


 私は、クエストの報酬と言いかけた彼女の言葉を制して、つい思ったことを口にする。


「あの、さっきから気になってたんですけど。『凛様』、じゃなくて『凛ちゃん』で良いですよ! あ、呼びづらかったら『凛さん』で! あるいは『凛』と呼び捨てでも――」

「えっ、あ、えっと……急ですね」

「そうですか!? 様付けは堅苦しいなぁって思ってたので!」

「あの……というか先程から、やけにテンションが高くないですか?」

「そんなことは…………いや、そうかも知れません! そんな気もします!」


 今まで気が付かなかったけれど、言われてみれば、そんな気もする。

 ま、色と々考え込んでしまったからね!

 結果、気分が軽くなったのだから、その反動とでも言うべきか。

 

 もしや、お酒を飲むってこういうことなのかな。


 そうか、ということは今の私は酔っている! なんてね!

 そもそも未成年なので飲めません! へっ!


「あの、凛様――」

「凛ちゃん!」

「凛ちゃ……………………凛さん……」

「はい、凛さんです!」


「やはり、どこか体調が優れないよう思えます」

「そんなことはないです!」

「なので、クエスト達成の手続きはまた後日ということで、今日はもうお休みになられてはいかがでしょうか」


 うーん。

 今日中に初クエストを達成するつもりでいたから、少し惜しい気もするけど。

 ま、クエストは逃げないしね!

 それにもう遅い。ゲーム内時間はまだ昼間だけど、リアル時間だと既に0時を越えている。これはまずい!


 いや、別に今日は夜更かししても問題は無いんだけど、健康的な睡眠時間に越したことはないよね!


「そうですか!」

「そうですね」

「じゃあもう寝ます!」

「いやですから……って、え!? あ、はい……意外にあっさりと……」


「何か言いました?」

「いえ、なんでもないです。それではお疲れ様でした」

「ご苦労様々です!」


 彼女の言う通り、今の私のテンションは確かにおかしい気がする。

 でも、それ以上に何も考えられない。

 本当に酔っているのかも……なんてね。


 まあ寝れば治るだろうと信じて、私は視界に浮かぶボタンを操作して、ゲームからログアウトした。







 ログアウトした私はと言えば、マシンを外すことすら忘れて、部屋の電気を付けたまま、まるで泥に沈むかのように。とても、とても深い眠りについてしまった。


 明日は何をしよう。

 そんな風に思いながら。

 思えば、明日が来るのが待ち遠しいと感じたことなんて、数年ぶりかもしれない。

 そんな風に考えながら。

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