BL短篇集

イマドキの人魚姫～念願の薬を手に入れた人魚（♂）、王子様に遭遇する

「おばば！　今日こそ足が生える薬くれよ！」

「何言ってんだい、この子は」

「いいじゃん、いっぱいあるんだからさ！」

「そういう問題じゃないよ」

　おばばはいっつもこうだ。

「おばばのケチ！」

「そういう問題でもないだろ。そもそも、薬を飲んだら足の代わりに……」

「あー、そういうのいいから。“声が出なくなる”なんて、イマドキの若い奴ら誰も信じてないからな？」

「まったく、口ばっかり達者になりおって」

　おばばが「はぁぁ」とため息をついたけど、そんなわざとらしいことをしても無駄だ。これまで何度頼み込んでも断られてきた俺も、ついに十九歳になった。人魚で十九歳と言えば立派な大人、これなら薬を渡せないなんて言えないはず。

「まったく、十年前からおまえさんは足のことばかりだね」

「だって俺、ずーっと陸に行きたかったんだ。何年もかけて行きたい場所を選んできたし、食べたいものも大体決めてある。あと足さえあれば俺の夢が叶うんだよ」

　ついでに“夏の恋”ってのもしてみたいと思っている。でも、それはさすがに恥ずかしくて言えなかった。

「やれやれ。陸の本なんかに感化されおって」

「いいじゃん。それに陸の本、めちゃくちゃおもしろいんだって」

　十年前、岩場の影で陸の本を拾った。本には“今年の夏、押さえておきたいプチリゾート！”だとか“この夏オススメ！　見た目も味も最高のランチ＆ディナー”だとか、めちゃくちゃ楽しそうなことが書かれていた。

　それを見た俺は、すぐに陸に行きたいと思った。それなのにおばばが薬をくれないせいで、まだ一度も陸に行けないでいる。

（それに“夏の恋は蕩けるように熱く”とか、めちゃくちゃ憧れるよなぁ）

　想像しただけでワクワクした。きっとあの本を手にしたのは運命だったんだ。それ以来、目を皿のようにして陸の本を読んできた。おかげで行きたい場所も食べたい料理の名前もしっかり覚えている。

　あとは足が生える薬だけだ。今日こそ絶対に薬をもらうぞと気合いを入れたところで、おばばが「しょうのない奴だ」と腰を上げた。そのまま真っ黒なヒレをひらひら動かしながら棚のずっと上のほうに泳いでいく。

「ほら、これが薬だ」

　下りてきたおばばが、そう言って手を差し出した。手のひらには濃紺色の小さな瓶が載っている。それを取ろうと手を伸ばしたら「わかっているな？」と最後まで口うるさいことを言い出した。

「わかってるって。一日に一度は海の水に浸からないと駄目なんだろ？　大丈夫、忘れたりしないから」

「絶対に忘れるんじゃないよ。そうしないと呼吸ができなくなる。そうしたら海で生きる我ら人魚は死ぬしかない。陸とはそういうことろだ。絶対に忘れるんじゃないよ」

「わかってるってば」

　そう言っておばばの手から小瓶を奪うように掴んだ。そのまま陸に近い岩場まで泳いで行き、陸から見えない岩の窪みから布きれを引っ張り出す。

（服の代わりにと思って置いといた布だけど、ま、これでもいいよな）

　人魚は服を着ない。でも陸の奴らは服を着ている。足が生えたら服を着ないと駄目なんだってことはわかっていたけど、人が着ているようなものを手に入れることはできなかった。そんなわけで取りあえずの布きれだ。

「ま、何とかなるっしょ」

　陸でも売れそうな珊瑚だとか真珠だとかを持って来たから、まずはそれを売って服を買おう。お楽しみはそれからだ。

　朝焼けがキラキラ反射する海から両手を突きだし、ヒレをばしゃんと動かして岩に座る。布きれを傍らに置いて瓶の中身を一気にあおった。

（椰子のジュースっぽい味だなぁ。んー……なんかヒレがじわじわしてきた）

　むず痒いようなくすぐったいような変な感じがする。腰の辺りから広がったそれがどんどん下りていき、尻尾の先がビリビリ痺れたような気がした。

　思わずブルッとヒレを振ろうとして、うまく動かないことに気がついた。変だなと思ってヒレを見ると、見慣れた青いヒレがない。代わりに二本の足が生えていた。

「おぉ、足だ」

　思わず口に出してしまった。

（足が生えるときは激痛だなんて言ってたけど、やっぱり嘘だったんだな）

　小さい頃、足が生える薬を飲むと激痛に襲われると教えられた。そのとき一緒に聞かされるのが「足と引き替えに声が出なくなる」という定番の内容だ。

　でも、実際はそんなことはない。あれは子どもが薬を飲まないようにするためのおとぎ話だ。ずっと昔はそうだったのかもしれないけど、いろんな物事が進歩したいまは薬もよくなっている。いま飲んだ薬だって苦くなかったし痛みもなかった。

（ま、そういう薬じゃないと大人だって陸に行くのは大変だろうし）

　大人になった人魚は、足が生える薬を飲んで陸に上がる。そうして仕事やら何やらをやって陸のものを持って帰ってくる。一番上の兄貴もそうやって何回も陸に行っているし、そのたびに陸の本を買ってきてくれた。

「いい時代になったよなぁ」

　じいさんやばあさんの時代は陸で働くなんておとぎ話だったと言っていた。ところがいまじゃ陸に別荘を持つ人魚もいるくらいだ。全部、改良された薬のおかげだ。

「この時代に生まれてほんとよかった」なんて思いながら足を動かしてみる。ちょっと変な感じはするけど問題なく動いた。五本の指もしっかり動くし、何なら浮かんでいる海草を掴むこともできる。

（おぉ、海って冷たいんだな）

　泳いでいるときには感じなかった不思議な感覚だ。岩に足の裏をくっつけてみるとゴツゴツして驚く。

（へぇ、足ってこんなふうなんだ）

　岩にくっつけた足を何度か動かして感覚を確かめた。足で歩くのは初めてだけど、これなら平気そうだ。力を入れて岩を踏みつけると「足が手に入った」と実感できるからか興奮してきた。

「よーし、まずはこの辺りを探検してみるか」

　岩場を足の裏で押すように立ち上がる。一瞬よろけたけど問題なく立ち上がることができた。初めてなのにこんなに動かせるのも薬が改良されたおかげに違いない。

「おぉ、よく見える」とキョロキョロ見渡していたら、少し離れた砂浜に人がいるのが見えた。

（なんであんなところで寝てるんだ？）

　たまに砂浜や岩場でうたた寝する人魚はいるけど、人もそういうことをするんだろうか。興味が湧いた俺は寝転んでいる人に近づいてみることにした。

（おぉ）

　足に当たる砂浜の感触がおもしろい。ちょっとくすぐったいからか腰とへそのあたりがゾワゾワする。そんな初めての感触を楽しみながら寝転がっている人のそばに立った。

（へぇ、陸にも金髪っているんだ）

　ちょっと遠い海には金髪の人魚がたくさんいるけど俺の周りにはいない。俺は青っぽい髪の毛だし、初めて見る陸の金髪が気になってもっと近くで見たくなった。

（おー……なるほど、こうやってしゃがむのか）

　やっぱりヒレとは感覚が違うなぁと思いながらしゃがみ込む。足の指を指先で撫でながら金髪を観察してみた。

（こういうキラキラしたウミウシもいたっけ）

　海の中じゃ、ここまでキラキラした金色を見ることはない。これも陸だからかぁと感動しながら、足を触っていた指で金髪を触ってみた。「おぉ、すべすべじゃん」とあちこち撫でていると「お姫様？」という声が聞こえてきた。

「お、目ぇ覚めたんだ」

　顔を見たら目が開いている。おっと、こっちは空みたいな青色だ。

（ということは、俺とは反対の色ってことか）

　俺は髪が青っぽくて目が太陽の色に近い。俺とは反対の色がおもしろくて、寝転がっている人の顔を覗き込む。

「やっぱりお姫様だ」

「は？」

「それにしては、声が男っぽく聞こえるのはどうしてだろう」

「だって俺、男だし」

　ぼんやり開いていた目がびっくりしたように大きくなった。俺の顔をじーっと見て、それから視線がどんどん下りていく。そしてしゃがみ込んでいる足の間を見て「男だ」とつぶやいた。

「でも、その青い髪と黄金の目は物語のお姫様そのものだ」

「物語？」

「我が国に伝わる人魚姫の伝説だよ。昔、僕のご先祖様が海で溺れたときに人魚のお姫様に助けてもらったんだ。そのお姫様は青い髪に黄金の目をしていた。僕は小さい頃からその話が大好きで、青い髪に黄金の目をした人魚のお姫様に会いたくて仕方がなかったんだ」

　青い目がうっとりと微笑んでいる。「人魚のお姫様ねぇ」と思いながら、それより気になっていることを尋ねた。

「あのさ、なんで砂浜で寝転がってんの？」

「あー……ちょっと溺れかけて」

「溺れる？」

　もしかして陸だと砂浜で溺れることがあるんだろうか。

「今日こそは人魚のお姫様を探すぞと思って、日の出前に城を抜け出して来たんだ。気合いを入れて海に入ったのはいいんだけど、よく考えたら僕、泳げなかったんだよね」

「へ？」

「泳げないのを忘れて海に入ったら溺れかけて、気がついたらこの砂浜にいたんだ」

「……あんたさ、うっかり者だって言われないか？」

「そんなことはないけど、人魚のことになると我を忘れることはあるかな。それより、きみもうっかり者じゃない？」

「俺が？」

「いくら海だからって、全裸ってのはどうかと思うよ？」

「あぁ、これはさっき足が生えたばっかだからだよ。布きれ巻いときゃいいかって思ってたんだけど……あれ？　布きれどこいった？」

　岩のほうを見ると置いたはずの布きれがない。もしかして波に持っていかれたんだろうか。「早く探さないと」と立ち上がろうとしたら、寝転がっている男に手首を掴まれて尻もちをついてしまった。振り返ると男が上半身を起こして目をまん丸にしている。

「おい、何すんだよ」

「ねぇ、いま足が生えたって言った？」

「うん。十九になってやっとおばばが薬くれたんだ。なぁ、すごいだろ？　これ俺の足なんだぜ？」

　そういって生えたばかりの素足をずいっと男の目の前に伸ばした。「いい形してるだろ？」と自慢すると、男が食い入るように足を見つめている。

「足が生えたってことは、元々足がなかったってことだよね？」

「そう。元々は青いヒレだったんだけど、薬飲んだおかげでこんなかっこいい足が生えたんだ」

「青いヒレって……まさか、人魚だったってこと？」

「だったっていうか、いまも人魚だけどな。陸に行きたくて足が生える薬を飲んだだけだ。用事が済んだら海に帰るし」

　手首を掴んでいる力が少しだけ強くなった。相変わらず青い目は俺の足をジーッと見ている。

「その用事って、どんなこと？」

　今度は俺の顔をジーッと見てきた。あまりに強い眼差しに若干引きながら「ええと」と口を開く。

「いくつか行きたいところがあるから、まずそこに行こうと思ってる。あと食べたい物もあるし、それに本も買いたい。それ見て気になったところも全部回ろうかと思ってんだけど」

「行きたいところと食べたい物か」

　男の視線が外れて何かウンウン考え始めた。相変わらず手首は握られたままで離してくれそうにない。仕方がないから考え込む男を観察することにした。

「男だけど人魚だし」だとか「この際性別は関係ないか」だとか、よくわからないことをブツブツつぶやいている。

「それに見た目は完全にドストライクだ。うん、いける」

　何かつぶやいた男が、また俺をじっと見た。

「それ、僕が叶えてあげるよ」

「は？」

「行きたいところに連れて行ってあげるし、食べたい物も全部用意してあげる。それに僕はきみが知らない食べ物も知ってるから、そういうの全部用意してあげられる」

「知らない食べ物……」

「たとえば、暑いこの時期なら虹色のかき氷なんてどう？　冷凍レモンのはちみつソーダ割りもおいしいし、旨辛ソースのガーリックシュリンプとか、パパイヤやマンゴーに彩られたヨーグルトパンケーキもおいしいよ？」

　頭の中に虹がかかるかき氷が浮かんだ。本で生ソースのかき氷っていうのは見たけど虹色は見たことがない。冷凍レモンってのも気になるし、ガーリックシュリンプは何を隠そう俺の好物だ。パンケーキは食べたい物の一つで、それらが全部食べられるなんて最高じゃないか。

（陸の男には気をつけろって兄貴が言ってたけど……）

　百年くらい前、とある人魚が陸の男に騙されて泣かされたそうだ。お返しに人魚総出で男の船を滅茶苦茶にしてやったという話は、いまも年寄りたちの間で武勇伝として語り継がれている。

（その後は人魚が悪い陸の男を泣かせてるって話だけど）

　目の前の男をジーッと見る。悪いことを考えているようには見えない。それに、よく見たら結構いい顔をしている。陸の本に“国宝級イケメン”と書いてあった男の写真より、目の前の男のほうがかっこいいんじゃないだろうか。

（こういう奴となら“夏の恋”ってのも楽しそうだよな）

　せっかくなら顔がいい奴のほうがいい。兄貴たちからは「おまえのイケメン好きは身を滅ぼすぞ」なんて言われてきたけど、綺麗な顔のほうが一緒にいて楽しいに決まっている。

（それに泳げないのに海に入るくらいのうっかり者みたいだし）

　うん、この男ならきっと大丈夫。

　俺は「よし」と決意した。この男が俺の夢を叶えてくれるっていうなら話に乗らない手はない。不慣れな陸で一人右往左往するよりも確実にいろんなものが手に入る。

「本当に叶えてくれるんだろうな？」

「もちろん。必要なものがあれば何でも用意するよ？」

「それじゃあ、この海の水を用意してほしい」

「海の水？」

「できれば全身浸かりたいから、浴槽いっぱいの量で。あ、毎日水は交換してくれよな」

「お安いご用だ。必要なら遠出のときも用意しよう」

　それはありがたい。それなら心置きなくいろんなところを見て回ることもできる。

「ね、僕の部屋に滞在すれば海の水も用意するしホテルを探す手間だっていらない。それにホテル代もかからなくて済むよ」

　最後のひと言が決め手になった。俺はニコニコ笑っている金髪男の申し出を受け、城ってところに行くことにした。