紫陽花~綺麗な横顔の男は、ただ空を見上げていた

 男は空を見上げていた。朝方まで雨が降っていたからか、男の周囲で咲いている紫陽花がきらきらと眩しく光って見える。


「何か見えるんですか?」


 思わず声をかけていた。あまりに熱心に見ているのが気になったのもあるが、そうしている男の横顔が綺麗だったせいもあった。


「見ているというより、待っていると言うほうが正しいかもしれません」

「待っている?」


 男の言葉に空を見上げる。雨の時期とは思えないほど綺麗な青空が広がっていた。


「もしかして虹ですか?」


 先日、天気雨で二重どころか三重の虹が見えたと話題になっていた。男の手にカメラは見当たらないが、そういったものを待っているんだろうか。


「そうですね、ある意味虹のようなものかもしれません」


 そうつぶやいた男がこちらを見た。光の加減のせいか、短い黒髪が一瞬だけ青紫のように見えてドキッとする。


「わたしが待っているのは雨童女あめわらしです」

「雨……ええと、何ですかそれは?」

「彼女らは柄杓を持って天から降りて来るのです。そうして地上で目当ての男を見つけると、柄杓の水を飲ませ天へと連れて帰る」

「柄杓? 天に? ええと、それはどういう」

「柄杓の水を飲むと命を奪われるのです。そうすることで彼女らは目当てのものを確実に手に入れる。男のほうもそれを望んでしまう。彼女らは、そうなるくらい魅力があり蠱惑的なんだそうです」


 なんというか、ちょっとしたホラーだなと思った。そう思っていると、美しい男の顔がこちらを見た。


「彼女らが舞い降りてくるときは、どんな好天でも必ず雨が降るそうですよ」


 そう言ってにこりと微笑んだ男が再び天を見上げた。その視線につられるように天を見上げる。


(何の話だったんだろう)


「天から舞い降りる」ということは、天女の伝説か何かだろうか。そういった話は聞いたことがないが、このあたりに伝わる伝承なのかもしれない。残念ながら越してきたばかりの自分にはよくわからない話だ。


(しかし天女とは)


 しかも雨と一緒に降ってくるとは、なんとも雅なことだ。


「僕たちは見た目だけで種を残すことができません。結実する部分は少なくほとんどは装飾花でしかない。そういうふうに生きるしかありませんでした。そんな僕たちにとって、彼女たちだけが喜びを与えてくれる。あぁ、彼女らも果たして本当に彼女・・なのかはわかりませんが」

「え?」


 視線を戻すと、そこに綺麗な横顔の男はいなかった。ただ雨露をきらきら反射させる青紫の紫陽花たちが、まるで雨を望むように天を仰ぎ見るように咲いているだけだった。

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