兄妹ゲンカの終わり方
迫りくる黒い巨体をどう捌くべきかと、思考を働かせるよりも先に体が動き始める。
アンチドールが左腕を上げ、構えるのが分かる。
疲労のせいか動きは少々鈍重だが、それでも力強さを感じさせる。
繰り出された拳は、今までに比べればそこまで速くはない。
動かすのが困難になってきた体を何とか動かし、半身で避けて反撃の構え……としたいところだが。
あー、クソ、しくじった。
左拳への警戒を終え、切り替わった意識がもう一つの拳を捉える。
つまり、先に出てきた方は囮だったわけで。
動きの鈍重さもそのためだったわけで。
本命たる右の拳が、速く鋭く僕の腹部を打ち据える。
迫りくるであろう衝撃に全身が強張り、目をつぶり、敗北を覚悟する。
……が、それ以上の動きが発生することはなかった。
アンチドールは腕を伸ばしきった姿勢のままで、大きく肩を上下させている。
その鉄拳は僕の腹部装甲にあたって軽く音を立てたが、それ以上に何かが起こることもなく、その場には寸暇のような静寂が流れていた。
完全に勝負は着いたはずだった。
このまま全力で拳を振り切ってしまえば、僕の体は吹き飛び、再起不能になっていた。
なのに、どうしてこんなところで拳を止めている?
スーツ越しにも顔も上げられないような疲労は伝わる。
だが、一度繰り出した拳をこんなところで止めるとは。
しかし、ここに来てわざと負けようとするとも思えない。
あらゆる仮説が頭の中を駆け巡っている最中に、視界の隅にある赤い光が一瞬だけ瞬いた。
あー、そうか。
「充電、切れ……?」
ふっと浮かんだ可能性に、思わずぽつりと声が漏れる。
それはマイクが拾ったかどうかも怪しいような小さな声だったが、言い終わった瞬間、アンチドールは伏せていた顔を数ミリばかり深く沈めた。
こんな、こんな事態になるとは、と思いながら。
それでも勝ちは勝ちだよな、と。
またしても自分に言い聞かせながら、アンチドールのマスクにアッパーを食らわせる。
放物線を描き、再びコンクリートに両肩をついたアンチドールは、その後息を整えながら待ち続けても再び起き上がらなかった。
意識が揺れて膝をつき、四つん這いで深く呼吸する。
真っ暗な視界の中で、感慨にもなり切らない気持ちで一息つく。
ああ、長かった。
怪人撲滅完了宣言をカメラに残し、僅かばかりの体力と電力で、アンチドールの体を担いで家まで帰還した。
久しぶりに妹を抱っこしたな、と頭がよぎって悪くない気分になったのは、わずかながら僕に兄が戻ってきた証左だろう。
まあそんな呑気なことを考えている場合ではないけれど。
家に帰りついて、アンチドールのスーツを着たままのカミナをリビングのソファに寝かせる。
僕の方はさっさとクラフトドールのスーツを脱いでしまって、フローリングの床にどっかと座り込んだ。
全てが終わり、衆目やら各種のプレッシャーやらから解放された安堵感で緊張がゆるみ、疲労感がどっと押し寄せてきた。
「あー……」
低く唸りながら後ろ向きに床へと倒れ込み、固く冷たい感触を背中で感じながら目一杯伸びをする。
そうか、終わったのか。
なんと言うか、現実感がなくて頭の奥がぼんやりとしてしまう。
カミナも動けずにいるが、浅く乱れた呼吸音が聞こえてくるので、気を失っている訳ではないようだ。
怪人と人間が寝転がっていて、ヒーローのスーツがバラバラに転がっている絵面。
母さんが仕事で家にいなくて良かったと思いながら、深呼吸して息を整える。
「はぁー……」
しばらくぼんやりしていると、聞き慣れた、しかし随分と久しぶりに聞いたような気がする可愛らしい声が微かに届いた。
どうやらやっと動ける程度に体力が回復し、自分でマスクを脱いだらしい。
「勝ったぞー」
なんと話しかけるかしばらく迷ってから、とりあえずこんなことを言ってみる。
寝転んだまま、申し訳程度に右腕を突き上げてみたが、熱はこもらない。
見えているかも分からないし。
以前はもう少しうまく話せていた気がするんだが、何をどう切り出していいやらさっぱり分からない。
そもそもあれを勝利と呼んでいいのだろうか。
勝負を分けたのはアンチドールの充電切れだが、本来は電撃を使って激しく充電を消耗していたはずのクラフトドールの方が先に充電切れになるはずだった。
アンチドールの方が先にダウンしたのは、スーツに充電されていた量の違いによる。
つまり、前回僕が着用してから充電せずにしまっておいたスーツを、恐らくカミナが引っ張り出してきてそのまま着用したものだから、今日のアンチドールは最初からフル充電でない状態だったわけだ。
それに比べて僕は、パル・パトこと森本が宣戦布告をしてきた時からゆっくり準備をしていたのだし。
とても誇れるような勝利ではないけれど。
それでもまあ、カメラの前ではヒーローが悪の親玉を倒したわけだけれど。
それを彼女がどう捉えるかは読み切れないので、こうして返答を待つしかない。
カミナは黙ったままで、部屋中の空気が止まったように感じられる
窓から指す日も徐々に傾き、暗くなり出したリビングに、しばらく痛いような沈黙が続いた後。
「負けたねー……」
と、ぽつりと呟く声が聞こえた。
それはつまり、そういうことで。
ああ、これで本当にこれで全てが終わったのかと思った次の瞬間。
ふっと意識が途切れた。
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