アンチドール再登場

「アンチ……ドール……?」


 突然目の前に現れたのは、そこにいるはずのない怪人の姿。

 僕のもう一つの姿。

 黒っぽいカラーリングのクラフトドール。

 ヒーローの偽物。


 アンチドールが、何故こんなところにいるんだ?

 しまっておいたはずのスーツが、何故ここにあって、しかも自立して動き回っているのか。

 スーツだけで歩き回るような機能を搭載した覚えはないのだが。


 とすると、誰かが中に入っているはずだ。

 とすると、入っている人物は誰なのか。

 心当たりは、一人しかいないが……。


 だが、それはあり得ない。

 だって、そんなことをする理由がない。

 筋が通らない。


 驚きと疲労のために、僕はふうふう言っているだけで何も行動を起こせない。

 頭の奥が痺れたようになったまま、ただアンチドールの姿を見つめる。

 しばらくの沈黙、硬直。緊張感。


 そのままアンチドールを見つめていると、はたとあることに気が付いた。

 何か持っている。

 なんだ、何か、機械の様な。


「ヘッドセット……?」


 ヘッドホンからマイクの付いた腕が伸びた、それなりに見慣れた機械。

 クラフトドールに指示を出す時にも使っていた。

 ……というか、あの時に使っていたヘッドセットその物じゃないか?


 一層訳が分からずに押し黙っていると、アンチドールがゆっくりとヘッドセットを口元に近づけた。


『お兄ちゃん』


 クラフトドールのヘルメットに付けられたスピーカーが、割れた小さな声を響かせる。

 音質が悪く、何と言ったのかを聞き取ることも困難なくらいだったが。

 この声は。


 こんな、この世で最も美しい声を。

 どんな音質であろうと輝きを放つその音を。

 聞き間違えるはずがない。


 そして僕のことを「お兄ちゃん」なんて呼ぶのは。

 間違いない、ただ一人。

 僕の愛おしい妹。

 カミナしかいない。


「カミナ、なんで……?」


 かろうじて絞り出した声で尋ねる。

 アンチドールはヘッドセットの耳に当てる部分に、左の頬を近づける。

 ヘルメットの集音マイクは、両頬に着いているからだ。

 その構造を理解しているのもやはり。


 アンチドールに搭載していた通信機能は、二度目に使用する前に外してしまった。

 だから僕がクラフトドールに使っていたヘッドセットを持ってきたのか。


 だがアンチドールは外部向けのマイクでしゃべるしかないから、他に聞こえないようにぼそぼそ声。

 スピーカーとマイクを何度も通せば音質も落ちる。


『助けに来たんじゃないよ。だけど、ここでお兄ちゃんが負けたら、私の守りたいものが危ないから』


 だがそんな音でも、意志はハッキリと明瞭で。

 その声が聞けたことが、泣いてしまうほどに嬉しい。

 耳が癒される。


「そうか、ありがとう」

『あれが元凶でしょ。あの人を、どうにかしないと』


 アンチドールはパル・パトの姿を見つめている。

 この前僕がカミナに言ったこと。

 そして、この前の僕の演説とパル・パトの反応、今回の怪人出現の知らせで、全てを理解しているのだろう。


「ああ、そうだ。あいつを倒すんだ。カミナの友達も、母さんも、守らないとな」


 そう答えながら立ち上がる。

 アンチドールの横に並ぶ。

 本物のヒーローと、偽物の怪人が並び立つ。


『まあ、それだけじゃないけど』

「え?」


 クラフトドールがヘッドセットを地面に放り投げる。

 まあ、話すためにずっと片手を塞いでおくわけにもいかないからな。

 それに、ここから先は言葉はいらないだろう。


 柴犬怪人はこちらを警戒するように睨みつけて、低く唸っている。

 パル・パトは……まずいな。

 状況の悪さを理解して、半身を翻して逃げ出すタイミングを窺っている。


 さて、この場合取るべき行動は一つだろう。

 アンチドールの方をチラリと見やると、アンチドールもこちらを見ていた。

 何も言わずに、頷きあう。


 と、同時に柴犬怪人がこちらに向かって突進してきた。

 僕は横に身をかわし、アンチドールが前に出る。

 とんでもないスピードで懐にもぐりこみ、腹部に拳を叩きつける。


 目の前にしてみると、なんと速く、力強いのか。

 スーツの性能は同じはずなんだがな。

 いや、同じ性能だからこそ中身の差が如実に出ているのか。


 おっと、美しい所作ではあるが、そちらに気を取られている場合ではない。

 僕のターゲットはパル・パトだ。


 思ったとおり、柴犬怪人が動き出すと同時に逃げ出している。

 一々安直なんだよ、行動が。


 マントを翻す背中が、どたどたと走り去っていく。

 が、後ろから襲い掛かられるリスクがない今なら、ただ真っ直ぐに走って追いかけることが出来る。


 脚力にはスーツのアシストがかかる。

 一方、パル・パトはただそれっぽい衣装を身に着けているだけのはずだ。

 少なくとも、僕の代わりに怪人の親玉を名乗っていた頃はそうだった。


 パル・パトの中身、森本に運動が出来たイメージはなし。

 つまり、凡人相手ならば。

 後ろから走って追いつくなどというのは造作もないことだ。


 アーケード街の、広く真っ直ぐな道をただ前へ前へと走っている。

 せめて脇道に逸れればいいものを、追い詰められて冷静さを失っているらしい。

 一心に足を動かせば、バサバサとはためくマントがどんどんと近づいて来る。


 あと、少し。


 スピーカーを外部向けに切り替える。


「よう、パル・パト。久しぶりだな」

「ひいっ!?」


 悲鳴が聞こえてくる。

 さっきまでの余裕はどこへやら、だ。


「さっきはどうも。挨拶がまだだったと思ってね」


 パル・パトの胸元に腕を差し出し、二人そろって足を止めた。

 さあ、いよいよご対面だ。

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