喪失とその後の暮らし
「あー……」
ぼんやりと、意味の無い声が口から漏れることが多くなった。
何をする気力も起こらない。
大学にすら行かずに、一日中家の中で過ごしている。
カミナとは、家の中で顔を合わせても話すことすらしていない。
目が合うと逸らされる。
毎日一緒に食べていたご飯すら、別々の時間にそれぞれで食べるようになった。
同じ家にはいるものの、関係は断絶していた。
居心地が悪いとか、気まずいとか、そんな気持ちは微塵もなかった。
当然と言えば当然だ。依然として僕にとって妹は大切な存在なのだ。それは揺るがない。
家族の縁も、そう簡単には切れない。
だから何もやる気が起こらないのは喪失感で。
心にぽっかりと穴が空いているからだ。
もちろんカミナと出かけることもなくなった。
たまに一人でぶらつく街には、怪人の気配など一切ない。
過去の破壊の痕跡も、すっかり跡形もなく消えつつあった。
当然だ。全く怪人を作っていないのだから。
作る気が起こらない。というかそもそも作る理由がない。怪人は存在する理由を失った。
アンチドールが完全に倒された訳ではないことは、既に映像などから広まっていた。
にもかかわらず怪人が出現しなくなったことについて、世間では不審の声が上がっていた。
ニュースでもSNSでも、もう怪人が出現しなくなったというわけではないだろうという予想が立てられながらも、実際に怪人は出現しないまま一週間。
二週間。
そして、一ヶ月が経過していた。
その頃には再びの怪人の出現を危ぶむ声も、かなり小さくなっていた。
どうやら世間は、僕が思っていたよりも生活に直結しない危機を忘れるのは早いらしい。
あんな回りくどい演出など、最初からする必要がなかったかもしれない。そう思っても後悔先に立たず。
後悔するようなことをひとつひとつ思い出しては大袈裟に落ち込んでしまうから、僕は考えることをやめ、全ての気力を手放した。
僕は力なくリビングのソファにもたれかかり、いつの間にか横たわる。
思えば中学時代頃から僕は妹のために何かを開発したり、企画したりと、忙しく過ごしていた。その結果や忙しさがとてつもなく楽しく、幸せではあったのだが、同時にどこかで休まなければならないだろうと、頭の片隅で思っていないでもなかった。
いい機会なので、ここでたっぷり休んでおこうと思う。精神の方は全く休まっていないが。
そもそもずっと慌ただしく過ごしていたから、休み方がわからない、休むってなんだ。何もしないことか。
何もしないのも色々と思考が巡って落ち着かないな。気分が休まらない。
なんとなくテレビをつける。内容が頭に入ってこない。テレビを消す。
読まなければならないのに読んでいなかった本を読む。目が文字の上を滑るだけで、何が書いてあるか分からない。数ページめくったところで、読み始めた部分に戻って、またしおりを挟んで本を閉じる。
あ、まずい、なんだこれ。
生きた死体だ。
なんの生産性もないぞ。こんな退廃的な生活送ったことがない。
あー、なんだっけ。
やらなくちゃいけないことがあったような。
大学の課題とか、レポートとか。この本も、そのために読まないといけなかったのに。
何をしていいかわからんな。
動画?
普段何を見ていたっけ。そもそも日常的にそんなものを見ていたか?
テレビもまた然り。
しかし何もせずにいると自動的に動き出す思考が、悔恨の念を頭の中いっぱいに満たし始める。
あの時何がなんでも自爆しておくんだった。
死んでおけばよかったとは思わない。
何かしらの形で逃げられたらなぁと思っただけだ。
死にたいとも思わない。そんな元気もないし。
後のことを考えると、死ぬにも体力が必要だ。
しかし妹のためという、いわば生きる理由を失った僕は空っぽで宙ぶらりんだ。何をすることに対しても意義を見出せない。
……いや、違うな。
僕は生来抱えている空虚を、カミナのためという言葉で満たしていたのだ。
埋め合わせていた。
だからカミナの気持ちを考えずに自己満足に溺れ、結果として彼女を傷つけた。
それは、とても、愚かなことだ。
そのことに気付いた瞬間、激しい動悸と強烈な嘔吐感に襲われ、寝転がっていたソファを転がり落ちた。
とんでもなく大きな音が立ったが、痛みは感じない。そんな余裕はない。
走ってシンクに駆け寄る。
何かが胃から込み上げてくるが、吐き出せるものは何も無かった。
しばらく蹲ってから、ふらふらとテーブルの横の椅子に腰掛けた。背もたれに全てを預けて、意識して深呼吸を繰り返す。肺の奥が痛い。息を吸っている感覚がない。
心が暴れているのが分かるほど、内側から強烈な圧迫感がある。
心が収まる枠を突き破って、頭や足から飛び出して来そうなほど大きく、歪に変形している。
最近、階段を転がり落ちるように激しく価値観が転落している。僕が見下していた存在以下の存在であると自己評価がどんどんと改まる。
なんて視野の狭かったことか。
二重三重の気付きの中で、自己嫌悪が増大する。
カミナに合わせる顔がない。
僕はこの僕をなんとかしなければ、生きてはいけない。
ふと、誰かが殺してくれればいいと思った。
ああ、それがいい。
その時はカミナがいいな。
ああ、でも、背負わせるには重すぎる。怪人やアンチドールは訳が違うぞ。
せめて何か、喜ばれる死に方を。
ソファに帰ろうと歩いていると、自分の足に引っかかってマヌケにも転倒した。
さっきから何をしているんだ僕は。
億劫ながらも立ち上がると、光る画面が目に入った。
どうやらリモコンを落として、その拍子に電源ボタンが押されたらしい。
映し出されたニュースには、見た事のある街の一角。
ああ、そうだ。僕が住んでいるこの街だ。
そして、その画面の先にいたのは。
もう現れるはずのない存在。
それは、目を疑う光景だった。
常人とは全く異なる、装甲に包まれた異形の姿。
怪人が建物を破壊している様子が、そこに映されていた。
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