帰ってきたはいいものの
玄関の扉を、これほど重く感じたことはない。
やれやれ、妹が待っているというのにこんなにも気が進まないのは初めてだぞ。
今までも兄妹喧嘩をする機会がなかったわけではないが。
そんな時にはすぐにでも謝って何とか許してもらうために全力の努力を傾けていた。今回はもう許してもらうとか、そういう次元ではないので、気が重い。
いや、そもそもこういう考えを巡らしている時点で呑気が過ぎる。
しかしどうにも馬鹿らしい思考が回る。
これもある種の現実逃避だろうか。
「ただいま」
返事はない。
家はいつになく静かだ。
なんとなくいつもより綺麗に靴を揃えながら、玄関を抜ける。
「おーい、カミナ?」
やはり返事は無い。
返事をしてもらえるわけもないか。
仕方なく重い足取りで家中を探す。物音一つ聞こえない中をそろそろと歩く。
住み慣れた家なのに、まるで初めて足を踏み入れる廃墟のように、おっかなびっくりそろそろと足を進めていく。
独特の緊張感を保ちながらドアを一つ一つ開けていく。
……おかしい。
どこにもカミナがいない。
というか人の気配すらない。
カミナの部屋だけは怖くて見られていないが、どうにも恐ろしい気がして見てみる気が起こらなかった。しかし物音すら聞こえてこない。
どうしたことか。てっきり待ち構えているものかと思ったが。
とりあえずアンチドールの衣装を包んだ風呂敷を部屋に持って上がるか。
やれやれ、特撮番組の様に小さく収納して瞬間的に装着、なんてことが出来ればよかったのだが。
そこは技術の限界だな。
「おかえり」
「うおっ!?」
いきなり後ろから声がしたので、肩を跳ねさせてしまう。
普段ならそんなに驚くことなどないのに、やはりかなり心が身構えていたと言うかなんと言うか……。
振り返るとそこにカミナがいて、わずかに安堵する。声でわかってはいたが、何故かその姿を確かめるまで不安で仕方がなかった。
しかし一体、今までどこにいたのだろうか。
「遅かったね」
問いかけ、でもないか。
どう答えるかと思案しながら、どこにいたのかという疑問を飲み込む。
「いやー、あー。ちょっとな」
体が痛いのと、やっと見つけた人気のない場所で少し休んでいたからな。
言葉がしどろもどろになる。怖くて目を見て話すことも出来ない。
「それ、あの変な怪人の?」
数秒遅れて、手に持っている風呂敷包みのことについて聞かれているのだと気がついた。
おかしな話だが、手に持っているもののことなど意識の埒外だった。
もう役目が終わったからか、気にも留めなかった。
「あ、ああ。そうだ」
答えつつ、腕のパーツだけを取り出してみせる。
見慣れたクラフトドールの腕が、黒く塗られた見た目。
その機械の腕は、身に纏っていた時よりもずっと重く感じられる。
「クラフトドールみたいな」
「うん、アンチドールって付けたんだ」
名前については、特に興味を持たなかったようだった。
ふと顔を上げ、目を合わせる。
今までに見たことがないほど暗く、冷たい目をしていた。
そこに取り戻せない何かがあることを悟った。
「聞かせて。どうしてこんなものを作って、お兄ちゃんが怪人みたいなことをしていたのか」
「ああ、もちろんだ」
僕はカミナに全てを話す。
できるだけ要点をまとめながら一部始終を。
なぜクラフトドールを作ったのか。どう作ったのか。大学の教室を使っていたことまで全て。
僕が怪人を作り出していたこと。出現のタイミングまで全てコントロールしていたこと。怪人の被害者は、僕と森本の視点から有害と判断した人間だったことも。
その説明の中で自分を正当化することはなかったと、誓って言うことが出来る。
全て伝わりやすい言葉で、丁寧に伝えたつもりだったが、僕の動機の部分である「カミナのためを思って」「大切だから」といった部分だけは、全てがふわふわと宙に浮いていくようだった。
しかしそんな違和感も全て黙殺してただ口を動かし続けた。
カミナは終始黙ったまま、表情をほとんど変えることなく僕の話に耳を傾けていた。
たまに少し目を見開くなど小さな反応はあるが、基本的には静かな反応。
また、初めて見る顔をしている。こんな状況だというのに、その顔が美しいと感じた。
同時に、この顔は僕の好きだった彼女の顔ではないと思った。
全てを聴き終わったカミナは、
「そう」
と、一言だけ残して自分の部屋へと戻って行った。
そこには、決定的な決別を感じさせる何かがあった。
悩みの解決法なんかに、よく考え方を変えるというものがある。考え方というのはそれまでの人生の中で醸成されてきたものだ。考え方を変えろと言われたからといって、簡単に変えられるようなものではない。
考え方を根本から変えるには、大きな何かが必要になる。
カミナの涙を見てからの僕は、表面的に彼女の苦悩などを理解したつもりになっていた。
そうして考え方を改めたつもりで、自分の罪を償うために自分を裁こうとそう考えていた。
しかし、そんなものは安易な逃げだった。
カミナとの決別。
妹を失うことは、僕には、こんなにも辛い。
半身を奪われたような気分で、呆然と立ち尽くす。
僕は誰かを傷つけることがどういうことかを知らなかった。
妹を傷つけることで、その痛みを知った。
大切なものを奪われることがどういうことかを分かっていなかった。
妹を失うことでその喪失感を理解した。
その痛みと喪失感の中で、罪を償うということがどれだけ重いことかを知る。
自分勝手に、都合よく人に知られることなく、自分を裁いて自己満足を得ることではないのだ。
その日はリビングから一歩も出ることが出来なかった。
ソファに座り込んだまま、一睡もすることなく朝を迎えた。
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