アンチドール編

決別

「ただいま」


 玄関口で小さく響いたそのか細い声を、しかし僕は聞き逃さずに、バタバタと足音を廊下に響かせながらリビングを出た。


 思っていた通り、カミナがそこに立っている。

 この瞬間をどれだけ待ったことか。

 外はすっかり日が暮れるどころか、朝日が昇り始めている。


「何してたんだ?」

「心配した?」

「……寝てないのか?」

「お兄ちゃんも?」


 質問で質問に返し合う、会話にならない会話。


 カミナは、なんというかもう酷い顔をしていた。可愛い妹には違いないが、表情と目の下のクマがいつも通りではないことを語る。

 そしてそんな顔はお互い様だったのだろう。


 カミナの声にはいつものはつらつとした調子はなく、ボソボソと小さく弱々しい。

 目の周りは赤く腫れている。

 しかし口元には小さく自嘲的な笑みを浮かべているのが痛々しい。


「母さんに誤魔化すのが大変だったんだ。いつ帰って来るか分からないから、ちょっと遅くまで遊んでるだけって言うか、それとも友達の家に泊まるって言うか……」

「ごめん」

「ああ、いや、責めてないぞ。心配はしたけど、ショックだったんだろ?」


 俯いたまま答えがない。

 家に上がろうともせずに、開いたままの扉越しのうっすらと明るい街並みに溶けて、絵になってしまったかのように止まっている。


 綺麗好きでいつも身だしなみは整っているのに、服もヨレヨレ。

 靴は最初から履いておらず、靴下が片方脱げている。

 そして、右の拳は固まった血と擦り傷で痛々しい。


 想像以上に受けた衝撃が大きかったのか。

 しかしそういった絶望が、ヒーローをさらに成長させ……


「私、許せない」


 目の前で絵画が唐突に口を開いたように、軽く肩を跳ねさせてしまった。


 色々な妹を見てきたが、なんというか、その。

 こんなふうに恐ろしい何かがこもった話し方をする所を初めて見た気がする。


「今まで色んな人が襲われてきたけど。友達が傷つくところを見て、初めて分かった」

「まあ、そうだな。そういう悲しみってのは……」

「私、人が傷つくってことがどういうことか分かってなかった。まだどこかゲームの中みたいな気でいたんだ。怪人は許せないって思ってたけど、何がどう許せないのか分かってなかった」


 ん?

 なんだ、どういう話の流れなんだ?


「私、傷ついた人達のことなんか考えもせずに、人を助けた気になっていい気になってたんだ。私はヒーローなんかじゃない」


 気づけばカミナの肩は震え、それに連動するように徐々に声も震え出す。

 頬がわずかに濡れていた。


「私は、自分が許せない」


 走るように自分の部屋に逃げ込んでいくカミナ。

 いつもは丁寧に靴を揃えるほどマメなのに、あまりにも荒々しく駆け込むものだがら玄関に元々置いてあった靴を蹴り飛ばして散らかしてしまっている。

 乱暴に散らかされた靴を整えながら呆然とし、モヤがかかった思考ながらも思案する。


 カミナは、何を言っている?

 何に絶望している?

 何故自分を許せない?

 どうしてそんな結論になる?


 理解し難いながらも、開けられたままの玄関の扉に手をかける。

 身を乗り出すと、門から玄関扉の間に、バラバラに脱ぎ捨てられたクラフトドールのスーツが転がっていた。

 ああ、そういえば着たまま出ていったんだった。

 だから靴を履いていなかったんだな。


 一つずつ丁寧に拾い上げて、とりあえず部屋まで運んでいくことにした。

 右足のブーツの中に、丸まった白い靴下が収まっていた。


 パーツをかき集めて、持ち上げて。

 あー、重い。





 あれから数日。

 カミナの表情はずっと冴えないままで、クラフトドールの活動、ひいては怪人の制作も一旦ストップせざるを得ない状況だった。


 怪人が出れば無理にでも出撃するだろうが、今の彼女には辛いだろうし。


「あの、あの教授。あいつは制裁してやらないといけませんよ。じゃないと学生は延々苦しむことになるんだ!」


 大学内に構えた研究室では、森本さんが喚いている。

 僕の判断で怪人の制作を止めていることが不満で仕方がないらしい。

 いつもならば動き続けている怪人制作用の機械も今はすっかり稼働をやめ、人の気配もない部屋は一人の男の声が虚しく響く以外には静かなものだ。


 これからどうするかを思案しながらも、怪人を作り続ける訳にはいかないので、部屋の片付けくらいしかやることがない。

 そしてそれも大方終わってしまったので、椅子に座って足を投げ出しておくくらいしかすることがない。


 おかげでここしばらく散らかりっぱなしだった部屋は綺麗に整った。本は本棚に、工具は工具入れに。

 そういう基本的な秩序が戻っただけでもかなり良くなった。

 今後継続して行けるかは別として。


「そうだ、そうですよ。せっかく今は街に秩序があるんだ。その流れを止めてしまえば、また人間は愚かな方向に走りますよ」


 そうかもしれない。

 森本の言葉にも一理あると感じながら、机に頬杖を着く。

 だが妹の心を犠牲にしてまでその秩序を維持しようとは思えない。

 そもそも全てはカミナのために始めたのだから。


 ……いや、そうか?

 本当に、全てはカミナのためだったか?


 害になると判断した人間を制裁する。

 しかしその判断は僕と目の前のこと男のものだ。

 カミナじゃない。


 カミナのヒーローへの憧れの実現。

 しかしそれも結局、僕がカミナをヒーローに仕立てて楽しんでいただけではないか。


 その僕のエゴで、カミナを傷つけたのか?

 カミナはそのせいで涙を流したのか?


 思考が回る。

 無意識に顔が上を向く。


「う、うわああああああああ!!」

「え、どうしました!?」


 まずい、まずいぞ。

 それでは、僕がやってきたことは全て間違いだったということではないか。


 どう、どうする?

 どうすれば取り戻せる?

 もうこれ以上は無理だ、続けられない。

 終わらせなければ。終わらせて、それから。


「あの……?」

「森本さん」

「は、はい?」

「すみません、ここまでです」

「へ?」

「全て、終わりにします」


 その宣言と同時に、僕はカミナとの別れを決意した。

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