第15話


「家出をして、楽しかったか」


 父親は眉間を寄せて、少し疲れたような表情をしながら、俺に言った。

 その声は久しぶりに聞いたが、腹の底で響くような低い声だった。


「な……ん、で」


 途切れ途切れの言葉を紡いで、やっとのことでその一言だけ口にできた。俺の隣にいた藤沢さんは俺のほうを見て「お父さん?」と訊いてくる。


 本山ハルキ。俺の父親であり、上級国家探索員のひとり。母親と離婚してからはほとんど話さなくなった俺の、肉親。

 目の下には薄っすらと隈があって、それは俺が家出する前はなかったように記憶している。

 そりゃそうだ。実の息子が家出をしたうえでお尋ね者になったんだから。普通だったら心配もするし、寝不足もする――けれど。


 それでも俺の父親が俺のことを心配して目の下にクマを作っているとは思えなかった。なにせ、俺が高校が不登校になったとき、俺自身をにしたのだから。


 国家探索員は国家公務員であるということと同時に、ダンジョンの攻略を国家に任さられる武闘派の集団だ。

 それぞれがA級シーカー以上の力を持っていて、魔法遺物も特級シーカーと比肩しうるものを所持している。

 たかが一介の高校生の俺に抵抗できるわけもない。


 冷や汗が額をつたっているのがわかった。俺のこの世界で一番苦手な人間だと言っても過言じゃない奴が前にいるんだ。仕方のないことでもある。


 しかし、なぜこの隠しエリアに父さんが――


「魔法遺物の探知は基本だ。今まで泳がせていたのは、その力が本物かどうか――それを実際にこの目で知りたかったのだ。藤沢ファンシーさん」


 今気づいたことがある。

 父親は一度も俺を見ていない。

 藤沢さんを父さんはずっと見ていた。


「あの、ピのお父さん、ですよね? そうです、私の力は本物なんです。すごいですよね、わたしって」


 たどたどしくも、藤沢さんが父親に答えた。俺は手の中にたまる汗を握りしめて、


「別にどうでもいいよ、藤沢さん。こいつの話に答える必要なんて――」


 ――猛烈な吐き気がした。


 気づいたら、父親が目の前にいて、俺の腹の中に手を入れていた。それはまるで水の中に手を突っ込むみたいに、ごく自然的な行為に見えた。


 体液も出ず、痛みもなく、ただ吐き気だけが俺の脳内を支配している。


 父親が俺の腹から手を引っ込めると、その手には丸い鉄球のようなものが握られていた。

 ――魔法遺物だ。


「国家探索局に許可なく魔法遺物を使用する。法令違反だな」


 中華街のダンジョンで、シンザンが俺に使用した魔法遺物。不老不死の力、それがいとも簡単に抜き取られてしまった。


 激しく襲う吐き気と喪失感に、俺はその場で崩れ落ちてしまう。地に伏せて、えずきながら顔だけで父さんを睨む。


「ふざ、ふざけるな。俺はまだ、藤沢さんと、藤沢さんと推しダンジョン活動を、するんだ。まだ行ってない所とか、やりたいことが、たくさんあって……」


 よだれが流れ出て、うまく言葉を紡げない。


「早く家に帰って勉強でもしなさい。おまえの嫌疑はすでに晴れている。そこにいる藤沢ファンシーさんを連れて帰れば、それですべてが終わる」


 ……意識が飛びそうになる俺を、ある一言がこの場に繋ぎ止める。

 それは俺と一緒に、ここまで旅をしてきた、藤沢ファンシーの、激怒した声だった。


「ピをいじめるな! わたしにとってピは、同じダメ人間で、わたしを頼ってくれる、唯一の生き物なんだぞ!」


 物の言い方に笑ってしまいそうになる。苦しくて、無理だけど。

 そうだよな。

 俺たちはダメ人間だよな。

 でも藤沢さんが、同じ立場の人間だって認めてくれたことが、俺にとっては、救いになるような気がした。


「きみは殺人容疑が掛けられている。ただそれを超法規的措置で、私たちはなかったことに出来る。どうかね、悪い話ではないと思うが」


 父さんは藤沢さんの言葉も聞いていない。俺と同じだ。


「そんなことはどうでもいいんだ! わたしとピだけのこのエリアに、お前が入るな!」


 藤沢さんが魔法遺物の錠剤をのんだ音がする。ここからじゃ藤沢さんの顔は見れない。

 俺もただ寝ているだけなんてありえないよな。

 身体に力を入れる。別にこれで俺が死んだって良い。藤沢さんが怒っているのなら、俺も彼女に協力したい。それだけだ。


 立ち上がって、父さんを見据える。藤沢さんは錠剤の力で、超スピードで父さんを蹴りを入れたが、あっけなく足首を掴まれてしまう。


 宙ぶらりんになって、藤沢さんはもがいている。俺も父親を殴りかかるが、足をひっかけられてまた倒れこんでしまう。


 藤沢さんのスマートフォンが、地面に落ちて画面が割れた。すでに途切れた配信画面は真っ黒で、最後に残ったコメントは『すごいよ、こいつら』だった。


 そうだよな、よくやったよな、俺たち。


 諦めかけた時、藤沢さんが足首を無理にほどいて血が滴った。


 藤沢さんは錠剤の入れ物を取り出して、それをまるでラッパ飲みみたいに口に放り込んでいく。

 すべて、彼女は錠剤を飲んだように見えた。


 藤沢さんは今までで一番の大きな声を上げて、


「オーバードーズだ!」


 その先はすべて俺の目には追いきれなかった。

 辛うじて藤沢さんが父親との戦闘で拮抗していることだけはわかった。

 俺は立ち上がって、何か助けになれることがないか考えた。

 俺にできること。俺だけができること。


 そんなものは――なかった。


 魔法遺物も抜き取られて、今はただの高校生なんだぜ、俺。国家探索員の父親に俺ができる事なんて何もない。

 これまでの旅で俺が得られたこと。

 それがすべて否定されているようで悲しかった。


 ――藤沢さんが急に意識を失って倒れた時、駆け寄ることができただけでも、俺はよよくやったと思う。

 最後に父親の目の前で舌でも噛み切って自殺でもしてやろうかと思った。

 せめて、こいつに何らかのダメージでも与えられたらって。


「俺は、お前のことが嫌いだ」


 俺は父さんに言った。端的に、俺の感じていること、思っていることを伝えられるのがこの一言だった。


「そうか」


 と父親は簡素に答える。


 藤沢さんを持ち上げる。何の力もない俺でもできるくらい、藤沢さんは軽かった。いつかのまた、どこか遠くに行ったとき。

 藤沢さんが疲れて動けないとき。

 こうして持ち上げられたら格好いいかもな、なんて思いながら歩く。


 父親の足音が後ろからする。それでも俺は歩いた。赤い鳥居をいくつもくぐって、少しでも藤沢さんを父親から離せるように。


「いい加減大人になれ」


 ワープなのか瞬間移動なのか、父親が俺の前に現れる。


「お前みたいにはなりたくない」


 父親が手を伸ばす。しかし途中で父親の手が止まってしまう。なぜなら、その手をつかんだ奴がいたからだ。

 その手をつかんだ男は、丸眼鏡をもう片方の手でクイッと上げながら、


「いいじゃないですか、大人になんてならなくても」


 特級シーカー、シンザンが俺に不敵な笑みをしてそう言った。


「ここは僕に任せてください。青春の続き、見せてくださいよ?」



 ***



 藤沢さんの透過する魔法異物と力を共有する魔法異物を初めて使ったが、俺にしては奇跡的に上手く使うことができた。

 ダンジョンを透過して脱出し、俺は藤沢さんを抱えながら京都の街へ逃げる。汗が出て、息が切れる。


「……ごめんね。負けちゃったぜ」


 藤沢さんが目を覚まして、俺に言った。


「いいよ、そんなこと」


 京都の夜の商店街は、商店から光が漏れていて幻想的で、まるで夢の世界のように見えた。


「わたしね、ピに嘘をついてたんだ」


「嘘?」


「実は、本山くんのこと、男の子として好きじゃなかった」


 知ってた。


「顔は良いけど、わたしと同じで不登校だし。頼りないし。私が好きなのはホストの美玲君だから。もう会ってくれないけど」


「そっか」


「うん。でも顔が似てるから声をかけたよ」


「嬉しかった」


「良かった。私も楽しかったよ。だって、ピはわたしにできた初めての友達だったから」


 それから少しの間藤沢さんと話していた。旅の間で起こった面白いこととか、ラブホテルでの失敗談とか、最後の配信のこととかを。


 でも俺たちはすぐに警察に捕まった。

 そこでわかったことだけれど、藤沢さんは正当防衛としてキサラギを殺したようだった。

 いきなり俺を殺した奴だったから、助けに来た藤沢さんを殺しに来るくらいはするだろうし。

 じゃあ無罪だ。俺たちもこれでまた旅ができる――なんて思っていたけれど、それが叶うことはなかった。


 俺と藤沢さんはそれから集まることなく、連絡もしなかった。

 そして1年の時が過ぎて、藤沢さんと推しダンジョン活動をしていた、あの頃と同じ季節になっていた。

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