第7話


「ラブホテルって行ったことがある?」


 みなとみらいでのデートの終わりごろ、藤沢さんにそう言われた。

 ここで「ああ、何回もあるよ」なんて答える高校生がいたら、俺とは間違いなく仲良くなれないだろう。


「行ってみようよ」

 藤沢さんは微笑んできて、それも手を重ねてきた。彼女の体温がやたら熱く感じたのは気のせいじゃない。

 ここで断る男子高校生がいたらそいつとも仲良くなれないかもしれない。


 みなとみらいの近くにある関内駅から歩いて十分程度のところにあるラブホテルに連れて行かれ、気づいたらフロントまで来ていた。フロントにはコンビニで置いてあるような券売機的機械が置いてあって、その液晶画面には部屋が表示されている。そのどれもがやたら煌びやかでゴージャスな部屋だった。

 心臓が爆音で跳ねだしたが、恥ずかしいので平静を装った。

「へえ、十字架の部屋ってのもあるんだ」

「面白そうだからそこにしようぜ」


 平静を装うつもりの台詞が部屋を決定することになってしまった。まったく面白そうじゃない。どういうことなんだ、あの大きな十字架。


 部屋の鍵なんてものはなく、パネルで選んだ部屋の鍵が自動的に解除されるなんて知らなかった。そういうシステムなのか。


「先払い式だね」


 先払い式とか後払い式なんて方式に分かれてるんだ……。妙に詳しそうな藤沢さんにある種の疑念を抱いたけど、ファーストキスだとかそういうことを言っていたような記憶があったので、深堀はしないようにしておく。

 べつに藤沢さんの処女性を気にするような心持にもならなかった。中学生の頃に憧れていた女の子でもないしさ。

 それに、一度している女の子だから、そんなことを気にする気分にならないってことなのかもしれない。

 自分でもよくわからないけど、感覚的に。

 藤沢さんに代金を支払ってもらって、部屋に入るまでの間、変な声がしてきたらどうしようかと思っていたが、そんな声はまったくしなかった。防音性抜群だ。

「すごいよ、真っ赤だね」

 ほんとうだった。部屋は赤色が基調で、イメージするならヴァンパイアの城だ。赤色のベッドに城壁をイメージした壁紙、そして謎の十字架。

 よく見ると十字架のそれぞれの先には何かを拘束するかのようなバンドが付いている。


「シャワー浴びるけど、一緒に来る?」

「ああ、うん」


 脱衣所で裸になって、藤沢さんのもツインテールを解き、今はストレートヘアだ。前髪が長いからか、片方の目だけ髪で隠れている。

 ついこの間まで女の子の裸なんて見たことがなかったけれど、化粧落としを鏡の前でしている藤沢さんの裸はもう何度見ただろうか。

 この妙に緊張している心臓の鼓動の由来は、恋というよりは性欲なんだろうな、と思うと自分自身に少しがっかりする。

 結局のところ、俺の父親が自分のことを人間だと思っていない様に、俺も他人のことを同じ人間だと思ってないのだろう。

 同じ穴の狢って奴だ。

 他人にされていやなことは他人にしないようにしましょう、なんて小学生の頃の教師の言葉を今更ながらに思い出した。


 そう言えば、藤沢さんは俺のことをどう感じているのだろうか。出会いからして藤沢さんの好意――のようなものが発端だったわけだが、中華街ダンジョンの一件で、ふと藤沢さんも俺と同じで誰でもいいんだろうな、と感じた。

 どうも俺が死んだことに対して絶望していないというか、普通、恋をした相手が死んだら平常でいられないのが普通――よくドラマや映画で見る行動と言えば、泣いたり発狂したり、そういうバッドコンディションになるモノなんじゃないだろうか。

 藤沢さんは、意識しかないときの停まった世界で、まるでケシゴムを落とした小学生のような瞳をしていた。

 楽しくはないけど、些末なことというか。

 そういう情感だ。


「まあ、いいか」


 つまんないことを考えていてもつまらないだけだし。

 今は藤沢さんの大きくもないけど、確かにふくらみのあるおっぱいでも見て癒されよう。

 一度死んだショックを和らげよう。

 不死身になった俺に万歳だ。

 あれから不死身になった実感はないけど、あのときのシンザンの言葉を信じる限り俺は死なない体になったらしい。

 らしい。あくまで不確定だ。

 藤沢さんと向かい合ってシャワーをかけあうという楽しいイベントの最中、俺はどうしても自分の能力を確かめたくなった。


 アメニティとして簡素なヒゲソリが置いてあったので、俺はそれのビニールを破いて手に取って、


「今からこのカミソリで自分の腕切ってもいい?」


 と藤沢さんに訊いた。藤沢さんは目を丸くしたけれど、


「リストカットするの? ヤバ」


 なんて冗談っぽく返した。そうか、リストカットか。人生初リストカットだ。

 このラブホテルという場所がそうさせるのか、妙にハイテンションになった俺はそのまま勢いをつけて手首当たりにカミソリを立て、引いた。

 瞬間、熱さと痛みが走る。

 でも、それ以降、俺の身体に痛みが続くことはなかった。血の代わりに水銀のような液体が身体から流れ、瞬時に俺の身体を元に戻す。

 いや、ドン引きだ。

 もう人間じゃないよ、これ。


「ターミネーターだ! 2のやつだよ!」


 そういう問題か、これ?

 いやでも確かにターミネーター2の敵がこんなやつだったよな。全身が液体金属でショットガン撃っても穴が開くだけですぐ再生して平気な奴。


「これからは俺をターミネーターとを呼ぶがいい」


 俺も興が乗って藤沢さんの会話にノッてみた。普通じゃなくなった自分の身体と、普通じゃない会話に俺はどこか心臓が高鳴った。

 これは性欲じゃない。


「精子も銀色なのかな?」


 藤沢さんが唐突に屈みこんで、俺のものを咥えた。初めての経験だった。生暖かくて、おそらく藤沢さんの舌だと思われるものが少しぎこちなく動いていた。


「うわっ、うえっ、なんだこれ」


 ちょっとこそばゆい。

 気持ちがいいのもあったけれど、腰が引ける感覚のが強い。

 すぐに果ててしまって、藤沢さんが口から銀色の液体を「んえ」と出して、


 俺と藤沢さんは顔を見合わせて、


 大笑いした。腹が痛い。


「あははははは!」


 やば、俺の精子銀色じゃん! おもしろすぎる。


「ピの精子が銀色だった件! あははは!」


 人生で初めて生きている気がした。いや、もう一度死んでるんだけどさ。

 まだ出会って一週間も経っていない女の子と、下ネタで、ふたりとも裸で、お風呂で笑った。

 それから俺と藤沢さんは何度かセックスをした。コンドームに入っている銀色の液体は科学実験を連想させて、一度藤沢さんが中学の頃の理科の先生の真似をしたものだから、笑い死にそうになった。


 妙なテンションのまま、俺と藤沢さんは夜の街に繰り出した。コンビニでチューハイを買って、飲みながら近くにある公園まで走った。

 千鳥足になって何度か転倒したけど、俺は不死身なので平気だった。藤沢さんは慣れているのか俺より随分と歩くのが早かった。


「うっしゃあ、じゃあ配信しよう!」


 配信中、もしかして酔ってる?なんてヤバ目のコメントがついていたけど関係なかった。

 俺と藤沢さんは公園に着くとなぜか側転をし合ったり、近くに落ちていた野球のボールを投げ合っていた。

 藤沢さんがボールを投げながら「わたしたちは超愛し合ってまーす」なんて口にしていた。

 そうだ。

 そうだったんだ。

 本当に好きだとか、本当に愛しているのだとか、処女だとか非処女なのか――なんて今の俺には関係なかった。

 アルコールで酔っぱらっているからとかじゃなくて、今この瞬間にそう思ったんだから、それは本当だと思った。

 藤沢さんのボールを受け取って投げ返すとき、近所迷惑になるかもしれないくらいの声で、俺も言った。


「藤沢さん、アイラブユー」

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