第6話


 ビジネスホテルの一室だと思われる天井をぼんやりと眺めて、そう言えば俺は何をやっていたんだったかと思いを巡らせるも、調子が悪いのか靄がかかったように思い出せない。


「今日はピとデート予定だからね」


 と、横で藤沢さんがキャミソール姿でシャワー室から出てきた。

 下半身は黒い下着しか履いていなかった。


 とっさに目をそむけると「別にいいよ。そういう関係でもないよ」という妙に大人ぶった言い方をされ、自分の大仰な反応が恥ずかしくなった。


 誤魔化すようにスマホの画面を見ると、一件LINMERからメッセージが来ていた。誰だろうと思ってアプリを開くと、アパレルブランドの広告だった。


 まあ、友達なんていないしな。

 父親からの反応もない。


 窓の外からは同じようなビジネスホテルか雑居ビルの壁が見えるだけで、今日の天気さえわからなかった。


 顔を洗って服を着替えて、って俺の服こんなんだっけ。今まで着ていた服がどこにもなくて、新し目の黒のカッターシャツとチノパンが置いてあった。

 他に着るものもないので、それらに着替える。


「こんな服あったっけ」

 と俺が訊くと、藤沢さんは鏡の前で化粧水を肌に塗布しながら「わたしが買ったんだよ」と言った。前の服、何か汚れていたのだろうか。


 ビジネスホテルを出ると、ここがみなとみらいに近いビジネスホテルだということがわかった。藤沢さんに着いていくと、やがて観覧車に海に巨大な商業施設群が見えてきて、そこにはカップルが大勢歩いていた。


 藤沢さんの横顔を見ると、心なしか笑みが浮かんでいるように見える。

 みなとみらいの陽光に照らされて、闇属性から光属性に変化したのだろうか。

「藤沢さん、ちょっと質問があるんだけけど」


「今配信中だよ、ピ」


 手をつかまれ、引き寄せらて、スマホの画面が目に入った。

 いきなりすぎる。いつの間に始めたんだ。

 自撮り棒のようなものを向けて「みなとみらいに来てまーす。お前たちには一生縁がなさそうだけど」と藤沢さんは視聴者に当たりの強いことを言っていた。

 そんなことを言うと、また配信者数が減るだろう――と、俺の思考を違和感が止めた。


 視聴者数、1200人!?


 生放送中の視聴者の数が、見たこともない数字に変化していた。

 昨日まで、登録者数自体が数十人だったはずだ。


「ッ痛って」


 昨日のこと考えたら、こめかみに鋭い痛みが走った。

 どうも昨日の記憶が上手く思い出せない、確か、中華街のダンジョンに入ったあたりまでは思い出せるけれど、その先が絵画の中心が白く塗りつぶされたみたいに大部分がわからなかった。


 いきなり増えた藤沢さんの視聴者数や、抹消された昨日の記憶に疑問しか湧かない。

 どうなってんだ。


 相変わらず藤沢さんは妙に上機嫌だし、昨日を境に世界線が変わったのだろうか。


 急に増えた視聴者のコメントが滝のように流れていく様を、藤沢さんは喜びを持って迎えている。藤沢さんの何気ない言葉や些細な動きに対してまるで大事かのように反応がくるのは、彼女の自尊心を満たせるに余りあることなのかもしれない。


 俺も現状が把握できていなかったけど、なんとなく藤沢さんに合わせて言葉を返していたら、少し気になるコメントがあった。


『あ、昨日シンザンと酒飲んでて全裸になってた人だ』


 いや、少しどころじゃなかった。どういうことだよ。

 なんで俺があの伝説的シーカーと酒飲んで、しかも全裸になってんだ。


 意味不明だった。

 動揺しきりである。


『モトヤマさんいるじゃん。あのシンザンに勝った酒豪』


 未成年だから飲酒は通報されてヤバイとかいう問題でもない。いったい何がどうなってんだ。


 固まっている俺をしり目に「おつファンシー」と一旦配信を止めた藤沢さんに対して「ごめん、事態がわからない」と素直に心境を吐露すると、


「デートが終わったら教えてあげよー」


 藤沢さんはドヤ顔で言った。

 すぐに知りたかったが、藤沢さんが小走りで進んでいくので、俺は付いていくしかなかった。


 ***


 レンガ造りのレトロな建物――赤レンガ倉庫はみなとみらいで有名なスポットだ。

 赤レンガ倉庫の中にあるパンケーキ屋に入って、コーヒーと一緒にパンケーキを頼む。食欲はまったくないけどな。


「これ見て、かわいいね」


「かわいいね」


 スイーツに可愛いという感情を生まれてこの方一度も抱いたことのない俺は理解できなかったけど、藤沢さんに合わせてそう言った。

 美味しそうだけど可愛くはない。


「ピも何かポーズして、写真撮ってSNSに載せるから」


「い、いえーい」


 どういうポーズをとればいいんだ。悩んでも仕方ないのでニヘラと笑ってフォークとナイフを小さく掲げてみせる。


「はいイケメン。もう載せました」


 気疲れとはまさにこのことだな。

 藤沢さんのSNSを自分のスマホで見てみると、確かに俺の写真が載っていた。人間の肉を食べることを強要されている哀れな高校生みたいな表情をしていた。


 ネットに載せてまだ三十秒くらいしかたっていないのに、もう「いいね」の数が十を超えていた。いつの間に俺は人気配信者になったんだ。


「本当に覚えてないんだねー。人間てフシギダネ」


 変なイントネーションのフシギダネだった。藤沢さんはフォークに刺さった切り分けたパンケーキを口に含み、もぐもぐと咀嚼する。


「不思議だね?」


「そう。だってピって一度死んじゃったんだもん。生きてるの、不思議でしょ」


 俺の動かしているフォークが止まる。


「死んだって、俺が?」


 何かの冗談かと思って、藤沢さんを見る。その表情はあくまで軽く、その瞳の奥は黒く何の情報もない。


「よく思い出してみてよ。たぶんピはその瞬間を見てたから、思い出せると思うんだけどな。がんばって」


 パンケーキを見る。シロップと焼かれたパンケーキ生地の褐色と、添えられたイチゴソースの赤色。


 赤色――赤色。


 何か。

 何だ?


 俺の腹から赤色の液体が流れていて、目の前には人型の、土色の人形がいて、でも痛みはなくて、まるで時が止まったかのように動きがなくて、意識だけがこの世界に残っている。


「いやあ、すみません。まさかあなたに何の能力もないとは思いませんでした。こんな場所に来られる方と一緒にいるのだから、てっきりこのくらいはなんとかできるものかと」


 声がする。

 男の声だ。


 目の前には、その男が上からゆっくりと降りてきて、俺をじっと見つめている。

 丸眼鏡の男。

 この男を俺は知っている。

 横山シンザン、特級シーカーだ。

 それと隣にいるのは藤沢さん――


「そうだよ。ピは普通の男の子なんだよ。もうだめじゃん。死んじゃってるよ」


「わたしね、ピのこと不登校仲間だと思ってて、好きだったんだ。最後だから言うね。愛してたよ。泣けるシーンだ」


「大丈夫ですよ。今は時を止めていますから。死にません」


「そうなんだ。良かったね、ピ。まだ一緒にいられるね。でも足が折れてるし剣がおなかに刺さってるよ。このまま配信するの無理じゃん」


「僕に任せてください。何の考えもなくけり落したわけではありません。こう見えて特級シーカーなのでね。、すぐにわかりましたよ」


「名付けるなら始皇帝の水銀ですかね、それとも不老不死の妙薬ですか。ちょうどほら、あの大きな兵馬俑の中にあります。取ってきますよ」


「わたしも協力するよ」


「簡単でしたね。あなたもすごい力だ。ファンシーさん」


「目指せ配信者の女王! だからね」


「なぜこの男と一緒に配信業を目指されているのです?」


「いやだって、すごいイケメンでしょ。不登校仲間だし、わたしの盟友ってわけ」


「若い方の考えは分かりませんねえ。では使いますか、この魔法遺物、始皇帝の妙薬を」


「あっ、結局そういう名前にしたんだ」


「これで大丈夫なはずです。では、これからもファンシーさんと隠しエリアの探索に参加してもいいでしょうか」


「たまにならいいよ。条件があるけど」


「条件ですか」


「これからちょっとだけする配信に混ざってよ。有名人なんでしょ? ぜったいバスるって」


 ……。

 パンケーキが目の前にある。

 フォークで刺す。

 フォークで刺して、それから口に運ぶ。甘くねっとりとした感触が口に広がって、気持ちが悪くなった。


「美味しいね、ピ」

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