第5話


 シーカーには三つの階級がある。

 C級、B級、A級の三つだ。それぞれが専用機関シーカー協会の評価によってクラス分けがされ、特にA級はメディアでよく見る顔ぶれの――所謂人間離れした奴しかいない。

 あるA級シーカーは自身をドラゴンに変身させ火を噴き、べつのA級シーカーはファンタジー世界の住人のように魔法陣を描き魔法を駆使する。

 それぞれが魔法遺物をいくつも身に着け、人ならず者へと至った人たちだ。


 なお、俺はネットに漂う情報でしか彼らのことを知らないわけだが。

 しかしそれでも、横山シンザンのことだけは知っている。なぜなら、彼はA級の上に数人だけ存在している、特級シーカー。

 彼らは政治家のようにニュース番組を見れば必ず目にするくらい有名な存在であり、噂によれば国防の要と評されるくらいの武力を持っているとか、持っていないとか。


 そんな奴が、ひょっこり女子トイレの中から出てきた。

 驚くというより、あっけにとられた。


 茶色のコートに、銀色の丸眼鏡。二つ分けのクラシック音楽の指揮者みたいな髪型。顔は西洋人のように彫りが深いが、目が鋭く細い。シンザンはコートの中から何かを取り出して、


 瞬間、脳裏に浮かぶのは危険の二文字。藤沢さんの隠しエリアを見つけ出せる能力を知られたからには、何らかの接触があってしらるべきで、そこに安全の文字はない。

 彼らがどれくらい魔法遺物に入れ込んでいるのかを、俺は過去の出来事から知っている。


 ――チリン、と音がした。


 逃げろ――と声を出そうと思ったが、いつになっても体が動かない。口も開かない。

 まるで世界が静止したかのように、俺が動かない――いや、世界自体が止まっている感覚。ダンジョンの奥底から吹き抜けていく風や、ダンジョン内のどこかで奇声を上げている観光客――の音がしない。ぼんやりとあたりを照らす赤い光でさえも、揺らぎを止めて静止している。


「ここから二百メートル範囲の時間を止めていますので、動けませんよ」


 時間――を止めている?


「人の意識だけは残るんですよ。不思議でしょう? この魔法遺物時は鐘なりの力です」


 視界の端に映る魔法遺物、シンザンが右手で持っている無骨な風鈴のような形をしたそれのことか。


「まるでディオみたいだぜ」


 確かに。

 ……うん。

 えーっと。

 藤沢さん?

 なぜか、藤沢さんの声がした。

 言葉が出ないはずの、この時間の停まった空間の中で、藤沢さんは


 背後からゆったりとした歩調で藤沢さんは視界に現れ、「え、もしかしてまずいやつだよね、これ」とこちらを向いて緊張感のないコトをつぶやいた。

 相当まずいやつだ。


「えぇ……」とドン引きした声を出す、特級シーカーこと横山シンザン。


 ある意味、彼の時間も止まったと言えた。

 シンザンのレアな困った表情だった。


「さすがと言いますか、魔法遺物を一般人の学生なのに二つも所持しているだけはありますね。言わば特級女子高生ですね」

 丸眼鏡をクイッと指先で上げ、上手いこと言っている気になっているシンザンに顔をそむけたくなった。時が止まってるから無理だけどな。


「いえ、高校には入学していないので」

「ああ、そうなんですね。すみません」


 どうしてくれるんだよ、この空気。シンザン困っちゃってるぞ。


「その、逃げないでくださいね。建設的な話がしたいので」


 チリンとまた音がすると、俺の身体の拘束が解けた。吹き抜ける風の音に、俺自身の心臓の音。時が戻ったんだ。


「あのすみませんつい出来心で藤沢さんと隠しエリアに行ってちょっと黙って魔法異物を取っていったら有名になれるかななんて考えてましてそのあくまで悪意とかそういうものはないんですよ本当です信じてください」


 矢継ぎ早に俺は釈明した。特級シーカーだぞ、国家級武力なんだ。ビビらないほうがおかしい。

 そう、まったく意に介していない藤沢さんが異常なんだ。

 藤沢さんはというと、俺とシンザンを交互に見ながら「ピの知り合い?」と結論付けた。

 知り合いなわけないだろ。


「名乗らないのは確かに失礼でしたね。すみません、興奮しちゃいまして。僕は横山シンザン、しがないシーカーです」


 一礼をするシンザンに、俺は上手く言葉が出てこない。

 打って変わって藤沢さんはまるで同級生に声をかけるかのように、

「シンザンさん、ごめんなさい。このことは、ちょっと黙っていてくれますか」

 とくちびるにひとさし指を当てて、続けて言った。


「もし口外すると、ここで殺しちゃうよ」


 ピリ、と空気にひびが割れたみたいだ。

 おいおい、何言ってるんだよ。俺たちなんて瞬殺だよ、本当に。

 藤沢さんはシーカーの恐ろしさがわかってないんだ。


「美しい女性に殺されるのは歓迎ですが、まだ僕はやりたいことがあるのでね。口外しませんよ。藤沢ファンシーさんに、本山くん」


 なぜか俺たちの名前を知っていたシンザンは、ピストルを向けられた奴がする両手を上げるポーズをしてみせて、口角を上げた。


「単刀直入に言います。僕はね、ダンジョンに隠されていた場所があるという事実に心が躍っただけなんです。つまりそれを見つけ出せる、あなた達のファンです」


「え! 配信を見てくれてるんだ! こんファンシー!」


 かなり勘違いをしている藤沢さんが恐れ多くも横山シンザンに配信者として接していた。

 俺はもう逃げ出したい気分だった。


「こ、こんファンシー」


 意外とノリが良かった。シンザンのファンになりそうだった。


「つまりシンザンさんはわたしのファンで、わたしたちと協力したいってことだよな?」


 中学校の国語教育の限界が見えた。


「ええ、要するにそうですね」


 俺が勉強しなおすべきだった。不登校の影響で学力や読解力が結構下がったようだな。


「じゃあ一緒に行こうか、シンザンさん。ね、ピもいいでしょ?」


 良いも悪いも俺に拒否権があるはずもなく「ええ、ああ、うん、はい」のいずれかを発した。

 すると横山シンザンが俺の耳の横で、

「ピってなんですか?」

 と訊いてきた。


 ***


 横浜中華街ダンジョンの真の姿というのは、いくつか入る前から想像していた。たとえば古代中国の帝国を模した都市だったり、神仙が生きる崑崙山のようなものを。

 しかし想像は外れていた。


 兵馬俑、というものがある。


 始皇帝の墓と一緒に埋葬された、人間と同じ大きさの人形のことだが、それが何百、いや数千体もの人形がダンジョンの遥か先まで直立不動の体勢で存在している。


 赤く照らされた大きな空洞の中に、おびただしい人形がひしめきあってるのは不気味なんてものじゃない。


 俺たちはその兵馬俑を見下ろす形で、少し高台の上に降り立っていた。


「素晴らしい」


「わたしたちは隠しエリアって呼んでるんだ。このダンジョンの推しだよ」


「推しですか」


 未だにシンザンが隣にいるのが慣れない。藤沢さんは一切テレビを見ないのか存在すら知らないようだったけど、超有名人だぜ。

 普通だったら一般人が一生出会うことはない。

 そんな特級シーカーがピとか推しについて話しているは現実感がないよな。


 今まで何物でもなかった俺にとって、藤沢さんと出会ってからは一種の特別な存在になったような感覚があったが、シンザンとの出会いは特にそうだった。


 俺はもう一般人じゃない。ヒトカドの人間になれたんだ。


 そう思ったのに、背中から強い衝撃を受けて、高台から自分が落ちているということと、なぜ落ちたのか――シンザンが俺を見下ろしている様子から、そうか蹴り飛ばされたのかとぼんやり理解し、


 衝撃。


 地面に落ちて、何かが折れる音がした。

 足がへんな方向に曲がっていた。


 痛みはなく、ただただ違和感とショックと恐怖と驚きと吐き気に感情を押し流されて、俺の目の前にいた兵馬俑が動いて、鋭い剣で俺の腹を刺したという事実を俺は受け入れることが出来なかった。

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