第3話


 コンビニの内線で最近よく聞く流行りの曲が流れていた。

 夏の終わりにあまり相応しくない陽気な曲だ。

 海に行って素敵な相手と恋の誓いを交わす約束は絶対だよ――


「アホか」


 つい口から出た悪態に自分自身が驚いて、そんなに客もいないはずなのに周りをしきりに気にしてしまった。

 ひきこもりの病気のひとつ、周りが気になるという習性だった。

 とりあえず俺は緑茶やコンビニの画一的な弁当をカゴに入れる。そのカゴにはすでにエナジードリンクが3本も入っていた。

 どんだけ好きなんだよ、藤沢さん。


「やっぱりエナドリだよ、ピ。ピも飲みなよ」


「弁当には合わないだろ……」

「めっちゃ合うよ。おすすめだよ」

 と、藤沢さんは頷いた。ところどころピンクの差し色が入っているツインテールが揺れる。

 合わないって。


 コンビニを出ると、そろそろ袖丈がおぼつかなくなっている季節が肌で感じられた。

 家出をすることに決めた最初の日の宿泊先、ビジネスホテルはコンビニの隣にあったので、移動時間はそうかからなかった。


 エントランスと受付を、ビジネスホテルの受付という職業になぜ就いたんだろうな、なんてとりとめのないことを考えながら通り過ぎる。

 305階。だから3階だ。

 エレベーターを待つ間、自室で付けっぱなしだった冷房のことを思い出したが、あまり家に帰らない父親は気にしないだろう。

 だからあのエアコンは自室に帰ってこない俺をずっと待ちながら、室外機のファンを回し続けるんだろうなぁ。

 どうでもいいけどな。


「ピと初めてのお泊りか」


 意味深なことをつぶやく藤沢さんにアダルティな雰囲気を感じる。

 こういう身なりをしているくらいだし、そういう経験が豊富だったりするのだろうか。いや、ファーストキスだとかなんとか、言っていたような気もする。


 俺も不登校とはいえ一応高校生なわけで、それなりに性欲があるためどことなくソワソワした気分になったが、俺と藤沢さんにはやるべきことがあって、今はアレやコレを考えるべきじゃない。


「というわけで、今は現状把握をしたいと思います、藤沢さん」


 ベッドに二人で座り、向かい合いながら(なんとダブルベッドだ。藤沢さんが予約していた)、現状を認識する会議を俺は始める。


「はい! ちょっと質問があります」


 元気よく手を上げる藤沢さん。「なんでしょう」


「まずはLINMERを交換しようよ、ピ」


 LINMERかあ。連絡アプリ、ね。一応やってるけどさあ。

 友達いなくて見せるの恥ずかしいんだよな……。

 俺は顔をそむけながら、スマホの友達招待コードを見せた。ピッと音がする。登録されたらしい。


「やったね、これでいつでも連絡できるね。もし既読無視とか未読無視したら殺すからね」


「ハイ」


 藤沢さんの殺すは真面目にリアリティがあった。正直ひ弱な俺が藤沢さんに抵抗したところで、あの巨大フィギュアを一撃で倒す藤沢さんには手も足も出ないだろう。

 力量差が悲惨だ。


「……現状だけど、とりあえず藤沢さんは魔法異物を二つ持ってるんだよね」

 藤沢さんは「うん」と言って素直にうなずくと、自分の腕につけてあった時計と例の小瓶を取り出した。


「この二つが見つけた魔法遺物で、行ったことのあるダンジョンは秋葉原と原宿と新宿と渋谷――その中で秋葉原と渋谷だけ隠しエリアがあったんだ。原宿と新宿は感じなかった」


 ダンジョンによって隠しエリアのアリナシという違いがあるのか、はたまたすでに見つけられていたのか、それとも藤沢さんにも発見できない隠しエリアがあるのか、判然としない。

 少なくとも秋葉原ダンジョンはメジャーなものなのに、シーカーや国家探索員が隠しエリアを見つけられなかたったから、隠しエリア自体はそう簡単に発見できるものではなさそうだけど。


「藤沢さんの能力っていつ自分で気づいたんだ?」


 藤沢さんの能力――隠しエリアを感じられる能力のことだ。

 自分は正直都市伝説含めて聞いたことがない。


「え? 先週だけど」

「すごい最近だ」


 どおりでまだ4つしか探索できてないわけだ。


「うん、ほんと先週のことだよ。渋谷ダンジョンで配信中なんかビビっときて、なんかやばそうと配信終わってからそのビビッときた場所に向かってみたら土が盛り上がって、へんな装置とボタンが出てきたんだよ。それで押したら地面に吸い込まれて、隠しエリアを見つけたってわけ」


「こわ」


 まるでダンジョン自体が藤沢さんを認識しているかのような挙動だ。

 自動的にボタン装置がせり出てきたって、そんなことがあるのか。


「たぶん私が選ばれし人間だからだよね。おそらくわたしは神だったんだ」

「違うと思う」

「えー、選ばれてるのは本当だよ。ダンジョンに選ばれし神なんだよぉ」


 藤沢さんがじゃれつくように俺の肩を押して、そのままベッドに押し倒された。

 顔と顔が近くて、吐息がこそばゆい。


 藤沢さんの息が荒いことに気づいたときはもう遅かった。そのままくちびるを押し付けられて、何かが入ってきた。

 舌だ。

 頭がカーッと熱くなって、何も考えられなくなる。

 藤沢さんのシャンプーか香水か、よくわからない甘い香りと、自分の口の中でうごめくなめらかな質感を伴った生き物に脳がやられて、


「コンビニで、買ってきたよ」


 何を、と言おうとしたのに、体が動いて藤沢さんの胸を勢いのまま触る。

 やわらかい。

 インターネットで聞いたことがある。車が高速で走っている時、窓から手を出したらその風圧が女性の胸と同じ感触だって。


 全然違うじゃねえか。

 ブラジャーの外し方がわからなかったり、コンビニで買ったアレの使い方がわからなかったり、興奮しすぎてしゃっくりが出たりしたけど、藤沢さんと俺が、どうやら一線を越えたというのが分かったのは、落ち着いた翌朝のことだった。


 ***


「気持ちよかったね。セックスって素晴らしいね」


「あの、恥ずかしいんだけど」

 セクハラ親父みたいな台詞だった。俺のほうが女の子のような事を言っていた。


 眠気眼をこすって、ベッドの隣にいる藤沢さんを見る。

 藤沢さんは裸で、その胸が朝のやわらかな日差しに当たって陰影を作っている


「お風呂入ろうぜ」


 立ち上がった藤沢さんは胸どころかすべてがあらわになっていたが、とくに恥ずかしがる素振りもなかった。

 俺のほうが恥ずかしがってるじゃん。

 ビジネスホテルによくある狭いユニットバスに二人で入って、カーテンを閉めると薄暗い中、至近距離で目が合った。

 不思議な感覚だった。

 昨日まで他人だった女の子が、妙に近しく感じられる。女の子の裸なんてインターネット越しの画像や動画でしか見たことがなかった性欲の対象なのに、やることをやったからなのか、今は自分の体を見ているかのような、妙に興奮のしない親近感があるものに変わっていた。

 賢者タイムだからかもしれないけどな。


「これで名実ともにピだね」

「……そうだね」

 そういうことになる。彼氏彼女。恋人。ピ。俺と藤沢さんの関係。


「今日は、カップル配信者として初めての日になるよ。気合い入れて頑張ろうね」


 そういえば、そうだった。配信者としてもがんばらないと。


 ビジネスホテルをチェックアウトして外に出ると、高い雲や涼しげな風が、秋がやってきたことを教えてくれる。

 どこかから金木犀キンモクセイの香りがして、藤沢さんとあんなことをしたというのに、自分がこの世界に一人で生きているのだということを再確認したかのような、そんな気分になった。


「今日も世界は平和だ」


 なんて、家出少女は笑いながら言った。

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