第101話

 厳しい指摘だが、当のサーシャは意に介さず、ケーキをひと口食す。しっかりと味わい、甘いコーヒーで流し込む。


「いるよ、実際に。ずっと……入院してるけど。寝たきり」


 重い内容ではあるが、これも気にせずよく噛んで味わう。甘すぎないケーキと甘いコーヒー、バランスが取れてちょうどいい。ところでどのへんがロシアなんだろうか。表情を変えずにサーシャは続ける。


「マルチプルスルファターゼ欠損症っていうんだけどね」


「賭けで得た金は、その費用か」


 シシーがコーヒーをひと口すする。


「どうせ信用しないだろうけど、あるとき、声が聞こえるような気がしてね。それ以来かな。たまにあーいう格好して歩いてみたり。ま、オカルトだよ。気にしないで」


 そう言って、明るくサーシャはこの話を締める。


 マルチプルスルファターゼ欠損症。遺伝子の変異により、硫酸塩含有分子が分解されずに、細胞内に蓄積する、世界的にも稀な疾患。骨や皮膚など細胞死を引き起こす。重症新生児型・乳幼児型・若年型の三つが存在し、寝たきりとなる例が多い。


「気にするわけがない。オカルトでも幽霊でも、どうでもいい」


 他人と不幸自慢をするつもりはない。興味もない。世界を探せば、そういうやつもひとりくらいいるだろう、程度にしかシシーは考えない。


 はにかみながら頬杖をつくサーシャが、ため息をつく。


「ドライだねぇ。優勝して入院費を持つよ、くらいに言ってくれたらいいのに」


「なぜ俺が?」


 そもそもこいつと関わる気もない。シシーにとっては、ただリディアという少女が気になっただけ。関係も今日で終わり。このコーヒーを飲み終わったら、もう会うこともないだろう。


 上目遣いでねだるサーシャだが、急に汐らしくなる。


「でも、思いっきり外しちゃったからなぁ。めっちゃ攻め強いんだもん」


 行儀悪く、名残惜しそうにフォークをかじる。リディアを、自分自身を疑うわけではないが、対局したシシーからは完全に『守り』の気配を感じていたのに。妹の声すら聞き分けるセンサーに不備があったのか。


 立ち上るコーヒーの湯気を見ながら、虚ろな目をしたシシーがボソッとこぼす。


「……案外、外れてないんだがな」


「え? なにが?」


 そのサーシャの問いには無視し、湯気ごと平らげる勢いで、シシーはコーヒーを飲み干す。飲み終わると、ソーサーにカップをゆっくりと置く。


(たしかに、受けで指すほうが得意だ。だが、今日も慣れていないはずのオープンファイルやらなにやら……不思議と浮かんできた)


 こいつと同じオカルトか? と、現実的でないことを思考することをやめた。


「なんでもない。女の勘はバカにできないってことだ。それよりもこれは」


 受け取ったケース。テーブルにたてかけてあるが、見たままの形からしてヴァイオリン。そのケースを開け、シシーは中身を手に取ってみる。

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