第97話
「よく気づいたね。あーあ、終わったと思ったのに」
つまらなそうにサーシャは唇を突き出す。数手先で早くも仕合終了となるはずだった。序盤のうちに決着を。それが作戦。終盤の読み合いになる前に。ことは順調だったはずだ。
それは負けに近付いていたシシーもわかっている。今回は時間が味方をしてくれた。反射的に動かす一〇分以下のブリッツルールだったら、終わっていただろう。
「なに? 何か手があるの?」
とはいえ、まだサーシャはここからルートを用意している。ひとつ潰されただけ。即座に切り替える。
だが、シシーは大胆不敵に断言する。
「言っただろ。読み切ったと。先に予言しておく。お前はここからは一手でも間違えたら、チェックメイトだ。頑張ってドローを狙え」
「へぇ……」
感心、というような目つきでサーシャは盤面に目を戻す。
シシーは、先陣を切って◇ナイトをd6へ。
サーシャはテイクしようと思えばポーンで簡単にできるが、先を読むとおそらく、サクリファイスになっていると気づく。テイクしたら、駒では勝っても場の状況が悪くなる。ギャンビット使いの手の上で踊ることになる。それでも取らなければ、◇ナイトに自陣を抉られる。◆ポーンで◇ナイトをテイク。
そしてシシーはさらにその◆ポーンを◇ポーンでテイクする。この瞬間、cとeの道がぽっかりと開く。
「なるほど。オープンファイルルークか。すごい破壊力だ」
チェスにおいて、縦の道のことを『ファイル』と呼び、横の道のことを『ランク』と呼ぶ。オープンファイルルークとは、縦だけであればどこまでもいけるルークの道が、完全に開いた状態をいう。cファイルには駒はなにもなく、eファイルにはサーシャのキングだけが存在する。
「ルークの槍が刺さる。だがまだ決まったわけじゃない。ちゃんと凌げ」
「……無茶言うね」
一気に対局を決める力があるオープンファイル。とはいえ、シシーの言う通り、まだ勝負はわからない。ナイトとビショップで充分に場を荒らしつつ整えることができる。
◆ポーンd6。中盤を牽制するためのサーシャの一手。cまたはeのファイルを塞ぐことに、現状では意味はない。塞いだところで、d5に設置されたシシーのポーンにテイクされるだけ。ならば、自陣のビショップと共に、中盤を制することのほうが大事だ。
(おそらく、向こうのキャスリングしたルークがe1に移動して、ファイルを使ってくるはず。なら僕は……え?)
二つ開けたオープンファイル。しかし、それすらもシシーにとっては囮でしかない。選んだものは、ルークe1ではなく、クイーンd4。
「誰も使うとは言ってないからな」
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