第98話

 まさかのクイーンによる攻め。かなり奇をてらった手だが、サーシャは一気に読みの外に押し出される。


(せっかく作ったオープンを使わない……? この先になにがある? わからない、一旦、展開したビショップをc8に戻すしかないか)


 ◆ビショップc8。◇クイーンb4でポーンをテイク。◆クイーンc7。サーシャは気づいている。自身が完全に受け身になっていることと、一手遅れていることに。


「やっぱり使うか」


 シシーは◇ルークe1でチェック。


「さっき使わないって……」


「気が変わった。それに使わないとは言ってない」


 サーシャは◆キングd1で逃げる。


 しかし◇ルークc1。今度は相手クイーンをルークの槍が捉える。


(まずい! ならクイーンとクイーンの交換を——)


 ◆クイーンb3。相手が自分のクイーンをテイクすれば、自分もテイクし返し、お互いに最強の駒であるクイーンを失う。そうすれば、まだドローに持ち込める。そうしたら、次はまた違ったオープニングとディフェンスで、勝ちの芽が——


「ふっ」


 そのサーシャの思考を読み取ったかのように、シシーは鼻で笑った。そして、それを同じく嘲笑うかのように◇ナイトg5。


「あっ……」


 その手で冷静さを取り戻したサーシャは、小さく声を漏らす。少しの間静止し、天井を見て深呼吸。そして目を瞑る。


 オープンファイルルークを囮にし、クイーンの中央突破。それすらも囮にした、逆サイドからのナイトの進撃。少しでもチェスをやっている者ならわかる、次のシシーの手で詰んでいると。


「終わりだ」


 イスに深く座り、息を吐きながら同様にシシーも目を瞑る。圧倒しているように見えるが、チェスは一手で景色がガラリと変わる。もし、フィッシングポールトラップに対して、指すギリギリで気付けなければ、とっくに負けていた。これだからチェスは怖い。これだから面白い。


「負けか……リザインだ。一気にやられた」


 負けを認めるときは、公式戦では『リザインを宣言する』『握手をする』『自身のキングを倒す』など様々な種類があるが、どれも意味は同じだ。サーシャは宣言し、握手を交わす。


「こっちも一気にやられかけた。序盤の評価値で言えば、俺のほうが微不利だろう。ギャンビットで先に優位に立つはずだったんだがな」


 チェスや将棋といったボードゲームには、コンピューターがどちらが有利か不利かを判断するソフトがある。今回、この配信ライブには、画面上に出ており、視聴者は随時確認できるようになっている。もちろん、本人達は知り得ないので、指しながらどちらが有利かも常に考えながら指す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る