第31話
実際に、すでに何度も対局をしているが、シシーは一勝もできていない。勝ちのイメージがないまま、大会に臨むのは不安でしかない。強気で通ってきた人生ではあるが、あまりにも負けすぎて、初めて弱気な自分を知る。大会を引き受けた時は、かなり気分がハイになっていたが、自分の実力の現在地がわかった途端、少し怖くなる。
そんな彼女の様子を見て、マスターは安堵した。
「よかった。キミはやっぱり人間だったんだね」
「あ?」
なぜかその言い方に苛立ちを覚え、シシーは声を荒げた。
「あんなデタラメな戦い方だったからね。『鬼』だと思ったんだけど、しっかりと人間だ。それでこそ教えがいがある」
うんうん、と腕組みをして納得する。自分の死すらエサにして力を引き出す少女に恐怖を感じたマスターだったが、今、目の前にいるのは普通の女の子だ。
「……それはバカにしてんのか。それとも他のなんかか?」
弱いのは事実だが、他人に言われると腹が立つ。そして、言い返すことしかできない自分自身にさらに腹が立つ。強くなる。この男よりも。そうシシーは心に決める。
「まさか。まだ自分が強いって信じ込んでるなら、こんなことは無意味だから、金のポーンも返してもらってたよ。僕が出て優勝する。それだけ」
自信満々にマスターは言い切る。それだけの実力があると、言えるだけの度胸もある。ただ、目の前の彼女の可能性に賭けてみたいと思った。もしかしたら、なにか面白いことが起きるのではないかと。やり方は考えものだが、その一戦に命をかけるという気構えが気に入った。いい意味で、今の子らしくない。
「てなわけで、今夜時間ある?」
なにが「てなわけ」なのかはわからないが、おどけてマスターが、まだ落ち込んでいるシシーに尋ねる。
鋭い目つきの上目遣いで、シシーは見上げた。
「あるけど、なんだよ。飲みに付き合えとかは断るぞ。そんな気分じゃない」
そもそも、この老人とはチェス以外に関係を持つ予定もない。そんな仲のいいお友達ごっこをしているほど、自分は余裕のある人間でもないことは、彼女がよくわかっている。
しかし、マスターは手を振って否定した。
「違う違う。キミには今夜、僕の代わりに代打ちでチェスを指してほしい。報酬は三〇〇〇ユーロ。対局に勝てばビーネちゃん七、僕は三で報酬を分ける。負けたら僕は大損」
大損、という割には随分と楽しそうに話すマスターに、当然シシーは違和感を覚える。この老人の言葉ひとつひとつ、疑ってかからないと、どこかで痛い目を見そうだ。足を組み、深くソファーに腰掛ける。
「胡散臭いんだよ。それがまともな対局なわけあるか」
真剣師の対局にまともなものなど、そもそも存在しないことはわかっているが、はいやります、など二つ返事で返せるほどの信頼関係ではない。そもそも、お互いに信用しないことは、最初から決まっていること。利益のみの関係。
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