第13話
「これは失礼した」
「?」
老人の声にシシーが振り向くと、ゆっくりとチェス盤を直して、再戦の準備をしている。並べ終わると、笑みを浮かべてシシーに着席を促す。さらに樽には財布を丸ごと置いた。
「どうしたの? やめときなって。年金は大事にしなよ」
どれくらい入っているかはわからないが、金額では今のシシーは燃えない。遊び相手を探しているなら、他に当たってほしい、とやんわり断る。
「いやね、キミがあまりにも退屈そうにしているものだから、軽くあしらおうと思ったら、逆にやられちゃって。いやぁ、お恥ずかしい。とても失礼なことをした。すまないね。ビールもおごろう」
なぜか先ほどよりも元気になり、老人は店員にビールをさらに注文する。
奢ってくれるから、というわけではないが、仕方ないので話し相手にはなってあげようか、とシシーは再度着席する。
「で? やんないよ。弱いものいじめみたいで嫌だからね。ビールはもらっとく」
すぐに運ばれてきたビールを乾杯し、一気にジョッキ半分まで飲み干す。まぁ、特に行くあてもあったわけではないので、適当にやり過ごそう。さっき飲んだビールと少し違う。高級なやつかな。美味い。
「で、失礼って?」
足を組み、頬杖をつきながら、老人に絡む。
「あまりにも適当に指してしまったのでね。キミの退屈しのぎに一局、本気を出そう」
笑みを崩さず、老人は続けた。
早くもジョッキが空になったシシーの元に、ウェイターが新しいビールを持ってくる。
「負けず嫌いは好きだけどね。あんま無理しない方がいい。その財布なくなったらしばらくビールお預けだよ」
「それは心配ない。この財布がキミに渡ることはないからね。亡き妻からもらった大切な財布なんだよ」
「知らないけど」
一口飲んで、シシーはジョッキをゴン、と強く叩きつける。少し苛立つ。
「置いたってことは、負けたら持ってかれる覚悟ができてるってことだ。引き返すなら今のうちだ」
「ほっほ」
酔っているのか、上機嫌で老人はシシーの最後忠告を退けた。本気、と言ったが先ほどとなにか変わったように見えない。負け惜しみか、とタカをくくる。
シシーも自身の財布をテーブルに置く。
「すぐにその笑いを消してやる。そっちに白番くれてやるから、早く始めな」
脳を一瞬で戦闘モードに切り替える。やるなら手は抜かない。先ほども、退屈はしていたが、脳内はフル回転させていた。たとえ相手が始めたばかりの初心者であっても、油断などしないことを誓っていた。
老人が白のポーンを掴もうとする。
「あ、ちょっとタンマ。ほっほ」
そう言って、ポケットをまさぐり始めた。ズボンの左右ジャケットも左右探したところで、胸元の内ポケットに入っていたらしく、いそいそと取り出し、それを樽の上に置く。
「……なんだよ」
興を削がれた形で、さらに苛つきをシシーは覚えたが、すぐにリセット。余計な雑念は負けに繋がる。老人が置いたものを見ると、それは『金色のポーン』だった。
「あ? なんだこれ?」
「なに、おまじないだよ。勝てるようにね」
おまじないと老人が称したポーンを、気になったシシーは手にとって持ってみる。ただ金色にコーティングされているだけで、なんの変哲もないポーンのようだ。「なぁ、これーー」と、老人に視線を移して、背筋が凍る。
「さぁ、やろう」
老人の言葉に一瞬、心臓が鷲掴みにされたような、強烈な圧力を感じた。とっさに、イスに座りながらも後ずさる。
「どうしたの?」
老人は笑みを崩していないが、先ほどとは違い、鋭ささえ感じる。剣の鋒が無数に自分に向けられているような感覚に陥る。
(……なんだ? さっきとは別人……?)
金のポーンを置き、シシーも対局に入り込む。が、冷や汗が流れるのを感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます