第10話

 ドイツの街を歩くと、頻繁に目にする文字のひとつに『アルトシュタット』というドイツ語がある。これは『古い街並み』、つまり旧市街を意味する言葉で、観光名所はここに密集する傾向がある。


 デュッセルドルフのアルトシュタットにある醸造所は、現在の主流であるラガーとは違い、アルトな方式で醸造しているビールが多く、自分の都市のビールこそがドイツで一番とプライドを持っている。ビールを注文すると基本的には赤褐色のビール、アルトが小さめのグラスで出てくる。多すぎると、飲み切る前にぬるくなってしまう、という配慮が昔から続いているのだ。


 ドイツ国内だけでもビール醸造所は一五〇〇以上あり、多くがレストランもやっている。ゆえに、人や情報はこういった場所に集まる。レンガ造りの壁に、窓は上半分がステンドグラス。テーブルの代わりに大きな酒樽。凝った内装のところが多く、ドイツにおいて酒というものは、ただ飲むものというだけでなく、雰囲気も合わせて楽しむものだ。


「ここってさぁ、いる?」


 日曜日午後のレストラン。かなり混雑してきている。満席とまではいかないが、八割近くはビールを求めているようだ。来てすぐシシーは、ウェイターにチップを握らせ、店の内部事情を聞く。賭けチェスをやっている人間はある程度店側は把握している。グレーな部分は口を出さない。どこも一緒。これまでミュンヘンもライプツィヒもハンブルクもそうだった。今、いるにはいるらしいが、やめたほうがいいという。追加でチップを渡すと、その人物を教えてくれた。


 フルーティに香るアルトビールを片手に、教えられた、酒樽に置かれたチェス盤付近に座る老人にシシーは声をかけた。この人が受けてくれるかはわからない。賭け金なしかも。だが、チェスをやっていると人はワラワラと集まるもの。初対面などおかまいなしに、指示してきたり、観客は観客でどっちが勝つか賭けたりする。その中に強くて高額を賭けてくれる人がいたら最悪それでいい。


「見ない顔だね。言っておくが、チェスのレッスンをやっているわけじゃないよ」


 そう言いながら、老人もアルトビールを口にする。チェスはフリーの対局や賭け以外にも、レッスンを行なっている者も多々いる。特にアメリカなどではそれを職業にしている者もいるくらいだ。国によっては学校の授業でチェスを習う国もあるほどで、それほどまでに各地で生活に浸透している競技なのだ。


「安心した。そっちがやりたくてデュッセルドルフまで来たから。いくらから賭ける?」


 流れるようにシシーはイスに座り、樽の縁に両肘をかけて身を乗り出す。


 老人もその気になったようで、せっせとチェス盤を準備しだした。


「五から。ルールはブリッツ。なにかあるなら付け足していいよ」


「ブリッツでいいの? ついてこれる?」


 チェスにおいて、持ち時間というのは他のボードゲームと比べて少しややこしい点がある。細かいところは違いはあれど、基本的にスタンダードと呼ばれるルールは『六〇手に六〇分以上』、ラピッドは『六〇手に一〇分以上、六〇分未満』、フィッシャーは『持ち時間に加えて、一手ごとに時間追加』。野試合において、長い時間を使うことはほぼないため、ブリッツの『六〇手で一〇分以内』というルールが採用されることが多い。


「ほっほ」


 優しい口調で老人はルールを決める。好々爺、というのが一番近い印象だろう。孫にお小遣いをあげる、というような感覚なのかもしれない。

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