12 撮っちゃった
目が覚めた。
「えっ?」
ベランダの外から雀の鳴き声がする。朝になっている。いつの間に眠ってしまっていたのか、怪訝に思いながら身体を起こした。
枕元に落ちているスマートフォンを見た瞬間、昨晩の記憶が一気に甦った。愛衣から届いた、開いてしまったDM。メッセージ本文はなく、動画ファイルのみのそれ。おそらく相手から見れば、既読マークが付いているのだろう。
大丈夫。愛衣に中身はいない。既読がついたかどうかなんて、いちいち確認しないはずだ。それでも、なぜか無性にそのことが気持ち悪かった。
ショップの予約日まで放置を決め込むつもりだったが、今ここでアカウントごと消してしまおうと決意した。たぶん昨晩通知をタップしたことで、自動でログインアカウントが切り替わっている。設定画面を操作してアカウントの削除を完了してしまえば、きっとそれで愛衣とのつながりも途切れるはずだ。あとのことはそれから考えればいい。そうだ、そうしよう。俺はスマートフォンに手を伸ばした。電源ボタンに触れて、指紋認証を通す。画面が明るくなった。
動画が始まった。
「は?」
なんだこれ。もしかして送られてきた動画ファイルか? 勝手に再生するなよ。昨晩寝る前だって、俺は何も、再生ボタンとか押してない筈だろ。それとも寝ている間に勝手に操作してしまったんだろうか。
慌てて止めようとするが、うまくいかない。直接電源ボタンを押して画面ごと消そうとしたが、スマートフォンは言う事を聞かなかった。よくわからない、気味の悪い動画が画面全体に映し出されている。がさがさ、ぼそぼそという衣擦れのような不快な音だけがずっと聞こえてくる。なんとかして再生を止めようとして、はたと気付いた。動画に映っている場所に見覚えがある。見覚えがある、というか。
俺の部屋だ。
ざあっと血の気が引いた。俺の部屋の洗面所で、俺の背中が映っている。
がさがさ、ぼそぼそ、ざあざあという、ノイズに近い衣擦れのような風のような音。映像は、洗面所で服を脱いでいる俺を背後からずっと映していた。時々画面が揺れる。手ぶれのような揺れだ。
ぼんやりと考える。これは昨日の俺だ。シャワーを浴びる前の俺だ。一人暮らしの俺の部屋なのだから今更考えるまでもなく当たり前のことだが、昨晩俺の部屋にも洗面所にも、俺以外は誰もいなかったはずだ。誰がこんな動画を撮れたと言うのだろう。不思議だな、まるで他人事のように俺は思った。
呆ける俺に構わず動画は続く。映像の中の裸の俺が、不意に「つめてっ」と声を上げた。そうだ、確か昨晩はシャワーを浴びる時、お湯になる前の水を思いっきり足にかけてしまって、でかい独り言が出たんだ。
突然、がさがさという音がしなくなった。
続けて、俺の声に答えるように、声がした。
「つえで」
男のような女のような、くぐもった声だった。抑揚がない。合成音声のような、繋がりのない音の集まりという方が近いかもしれない。その声が、俺の上げた独り言をなぞるように繰り返した。
「つえて」
「つめでっ」
「つめてー」
「つめてっ」
本当に他人事だったらよかったのにな。もはや笑うしかないような気持ちで、俺はそれを聞いていた。
その声は、明らかに俺の声を真似ていた。繰り返すごとに、だんだん人の声に近く、俺の声に近くなっていく。何度か繰り返して俺の声そのものになったそれが、何度も何度も繰り返される。
どういう仕組みなんだろう。うまいもんだ。
画面の中の動画の俺は、構わず呑気に頭を洗っている。ご機嫌に鼻歌まで歌い始めた。その声に、何かのくぐもった音が重なる。俺の真似をして、鼻歌を歌っている。
時々、くつくつと湿った笑い声も聞こえる。
動画の俺が鼻歌を中断するのと同時に、何かの声が一瞬止んだ。
それから、何かが俺の声で言った。
「だいたいわかったし、おとこのひとでも、できるんじゃないかな」
そこで、動画は終わった。
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