その4

 この大陸に、学校はない。

 王侯貴族は学校へは行かない。

 教師は屋敷や宮殿へ呼びつけるもの。

 何故なら偉いから。


 裕福な平民も、教師は家に呼びつけるもの。

 何故なら金があるから。

 裕福ではない平民も、学校へ行かせたりはしない。

 子供は無料で使える労働力だから。

 わざわざ金を払って、労働力を失う者はいない。


 学校はなくとも、貴族の跡継ぎは厳しく躾けられる。

 勉学だけでなく、芸術も武術も戦略も。

 一族と使用人全員の命運を握る事になるので、特別厳しく学ばされる。

 一番大事な社交性は、貴族のメイン戦場、舞踏会などの社交界で学ぶ。

 学校などへ通う余裕はない。

 貴族の跡継ぎの通う学校などをつくれば、護衛がストレスで倒れていくだろう。


 学校なんてものは、国が巨額を投じなければ成立しない。

 だが、国を動かす者たち、国王以下すべてが、学校を必要だと気付いていない。

 そんな施設の可能性に気付きもしない世界。

 ここは、そんな大陸だった。


 捕らえて連れ帰るべき相手は、文武ともに厳しく躾けられた伯爵。

 護られるだけの存在ではない、個人の武も侮れない相手だ。

 ……人が相手ならば。

 厳しい修行をしてはいても、神にも悪魔にも勝てはしない。


 弱い相手ならば、正面から叩き潰す。

 強い相手ならば、どんな卑怯な手を使っても潰す。

 そんな男が相手では、人の身で鍛えた強さに意味はなかった。

 リトを連れた男が、伯爵の部屋の扉を、ゆっくりと開けた。


「お迎えに参りました伯爵閣下。どうぞ、お仕度を」

 バカにしたように丁寧な言葉で、男が伯爵に降伏を促す。

 もう、何も出来ない。

 そう侮りが、男に油断があったのか。

「おのれ~、おのれ……お、のれぇ。我らが神の力、みせてやるわぁ」

 何が悔しいのか、怒りを露わに、ちぎれそうなほどに顔を歪ませる。


 伯爵が首から下げたペンダントを、服の中から取り出した。

「あっ、またそれか」

 何度か目にした、羊の頭にも見える紋様のペンダント。

 死の神を信仰し、死と混乱を振り撒く教団の紋章。

 今回も、裏にいたのは教団だったようだ。

 意味の分からない騒動も、ただの嫌がらせだった可能性が高まる。


「神よ! この無礼な愚か者たちへ、裁きを!」

 叫ぶ伯爵を、黒いモヤが包み混んでいく。

「まずいな……逃げるぞ」

「あい」

「え?」


 伯爵の行動を危険だと判断した男。

 どうなるのか、何をするのか、確認する前に逃走を選ぶ。

 男の言葉が世界の総て、そんなリトは即座に従い駆け出す。

 男は部屋を飛び出し、廊下の窓から外へ飛び出した。


 二階の窓でも、怯みも躊躇もなく、飛び出すリト。

 一拍遅れて飛び出すマルコ。

 流石に付き合いも長くなり、意味を理解しなくても従って動いた。

 庭に手を着き、転がる男の隣に、はかったように着地するリト。

 少し離れた所へ、転がっていくマルコ。


 と、同時に、屋敷が中からはじけ飛ぶ。

 屋根が、壁が、窓が周囲に撒き散らされる。

 壁のランプからか、屋敷に火が点き燃え上がる。

 そんな炎も瓦礫も、物ともせず男を追う巨大な肉塊。


「やっぱり、あれが伯爵でしょうか」

 マルコが動く肉塊を見上げる。

「でしょうねぇ。これは困りましたねぇ。連れ帰るのは無理そうです」

「ちょっちょっと待ってください。どこへ行くんですか」

 諦めて帰ろうとする男を、マルコが慌てて止める。


「え、だって、あれを捕まえるのは無理ですよ」

「いや、そうですが、あれを野放しにしたら、町が滅びますよ」

「でしょうねぇ。とは言えあんなもの、どうにもなりませんよ」

「いやいや、どうにかして下さい。騒ぎが大きくなって、帝国に介入されるわけにはいかないんですよ。お願いしますよ~」

「はぁ……仕方ありませんねぇ」


 黒……いや濃い紫だろうか。

 屋敷ほどの大きさまで膨らんだ、ぶよぶよとした肉塊。

 伯爵の成れの果てを、男が困った顔で見上げていた。

 単純に大きすぎる。

 剣でどうにかなる大きさではない。

 さらに炎も効果がなさそうだ。


 そんな塊が、ゆっくりと男に迫って来る。

 ゆったりとした動きだが、その大きさの所為で、走るより速い。

 移動の為の足はあるのか、目のようなものは見えないが、男が見えているのか。

 何も分からない相手ではあるが、放置する訳にもいかないようだ。


 面倒くさそうな溜息を吐き、男が腰の刀に手を掛ける。

 二代目国貞、抜きはらった井上真改で、巨大な肉塊を斬りつける。

 動物の肉、脂身に近い手応えで、肉塊は切り裂かれる。

 何かドロッとした粘液が溢れた。


「斬れはしますが……効果はなさそうですねぇ。あまり斬りたくもないな」

 大事な刀が汚れるのが嫌で、男は顔を顰めて肉塊を見上げる。

 斬りつけた影響なのか、そんな肉塊に変化が現れた。


 体表に、ぼこっと穴があく。

 人の頭ほどの穴が、ぼこぼこと、幾つもあいていく。

 その丸い穴には歯のようなものも見える。

「口……なのか?」


「うっ……きゃああああああっ! ひぎぃぃいいい!」

 悲鳴のような金切り声が、無数の口のような穴から発せられる。

 さらに同じような穴が、全体に出来ていき、そちらには巨大な眼玉が浮かんだ。

 赤く血走る白目に薄紫の瞳、それらが一斉に男を見つめる。

 まぶたはないが、睨んでいるのか、恨みやら怒りやら憎しみが込められた視線だ。


「おいおい、そんなに見つめるなよ。恥ずかしいじゃないか」

 人の憎悪、怒りや憎しみの視線。

 それを浴びて育った男には、心地よさすら感じる視線だった。


「みぎゃああああああっ!」

 何が苦しいのか、肉塊が叫びをあげる。

 すると今度は、体表に突起が飛び出し、表皮を破って突き出て来た。

 痛いのなら、出さなければ良いのに、次々と皮膚を破り突き出てくる。

 悲鳴と共に伸びたのは、丸太のような腕だった。


 無数の腕は、骨がないのかウネウネと、触手のように動き出す。

 脇に生えた大木を握り、まるで小枝のように手折り、引き抜き振り回す。

「あまり汚いものを、斬りたくはないんだけどな」

 男は仕方なく、自分に迫って来る腕に、井上真改を振るう。


 たいした抵抗もなく、太い腕が切り落とされる。

 骨も筋肉もなく、ぶよぶよとした脂身のような腕だった。

 それでも膂力はすさまじく、まともに当たれば命はないだろう。

 恐怖に竦む事もなく、次々と伸びて来る腕に慌てる事もなく。

 男は淡々と井上真改を振り、太い腕を切り落としていく。


 切り落とされた腕は、暫くの間だけ蠢いた後、溶けるように崩れていった。

 紫色の毒々しい水たまりが広がっていく。

 自らの命を懸けて、町を守り、ここで足止めをする。

 そんな事を考える男ではないが、何故か退く事なく刀を振るい続ける。

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