その3

「まずは、ありがとうございました」

「簡単だったよ」


 暗殺者を捕らえ、家に戻ったリトを、エミールが訪ねて来た。

 男の膝の上で、にこにこと笑うリト。

 御褒美で膝に抱かれて、ご満悦のようだ。


「暗殺者の拷問はしなくてもいいのですか」

「城にも拷問官はいますから、貴方のは凄惨すぎるのですよ」

「そうですか、それは残念です」

「あの女はシリヌと言って、それなりに有名な暗殺者でした」

「有名なら二流ですねぇ。一流は、誰にも知られないものです」

「はぁ、そういうものですか。まぁ、取り敢えず手足の腱を切ってから、豚の群れに投げ込みました。あまり酷い事もしたくなかったので」

「喋りましたか?」

「はい。もう少し早く話してくれれば、あんな事にもならなかったのですが……」

 豚小屋で酷い目にあって、暗殺者は知る限りの情報を喋ったようだ。


「では……」

「はい。出番です」

「間違いはないのですね」

「大丈夫です。シリヌの自白はマルコの持ち帰った情報と一致します」

「そうですねぇ。エルザ、間違いはありませんね」

 男は脇に控えるマルコと、黒猫のエルザに視線を向ける。


「ええ、この耳で直接伯爵の会話を聞いて来たからね。相手の素性は謎だけど」

 マルコと共に男の奴隷エルザが、子爵を攻める伯爵の軍に潜入していた。

 獣人の存在は知っていても、窓辺を歩く猫に、警戒する人間は少ない。

 特にエルザは、喋らなければ猫と区別できない。


「目標は伯爵一人です。どこと繋がっているのか、生きたまま連れ帰って下さい」

「わかりました。護衛はどうです」

 エミールからの依頼を受けた男が、エルザに確認する。

「一人、チャドという男。あ~しと逆で、見た目はほぼ人間だけど獣人だね」


「獣人がいるとなると、めんどうですねぇ」

「お願いします。早速、明日出発してください。マルコを案内につけます」

「わかりました。じゃ、風呂でも入って、早く寝ますか。リト」

「うぃ~」

 男はリトと共に風呂へ向かう。


 城で頑張った褒美とばかりに、リトの全身を洗ってやる男。

 たっぷり泡塗れになり、わたあめか羊にでもなったかのようなリト。

「うひひっ、くすぐっちぃ、うひゃひゃっ」

「ほら、じっとしてろぉ。流すぞぉ」

「うぃ~」

 リトは、ぎゅっと目を瞑り、ざばぁっと泡を流される。


注) うさぎの洗浄

 うさぎは、耳に水が入るのを嫌がるので、頭から湯をかけたりするのは、やめておきましょう。リトは特殊な訓練を受けた兎です。

 そもそもリトは、ヒト90%ウサギ5%肉食のナニカ5%な感じです。


 体を洗った男に引っ付いたまま、たっぷりと湯を張った湯船に浸かる。

「ふはぁ~」

「ふひぃ~」

 熱い湯に、二人がとろける。

 今日はサンダルウッドに似た香りが漂う。

 手作りの日替わり入浴剤だ。

 レイネが趣味で作っている入浴剤も、身体がほぐれていくようだった。


 翌日、マルコの案内で、リトを連れた男は子爵領へ向かう。

 腰に差した二刀は、興里似の脇差と異世界から渡ってきた井上真改。

 リトが背負うのは、男の身長と変わらない、数多の魔物を斬った野太刀。

 いつもの装備で、三人は戦場へと向かった。


 いよいよ明日にも、子爵の居る領都へ攻め込もうとする夜。

 伯爵が接収した子爵領の屋敷に、三人が静かに潜入する。

 騒ぎになる前に、伯爵一人を捕らえ、王都へ戻るのが任務だ。

 こっそり潜入して、伯爵だけを捕らえて帰るつもりだった。


「やっぱり無理かぁ」

 伯爵の護衛には獣人がいた。

 気配を殺していても、獣人の鼻はごまかせなかったようだ。

 伯爵が居る筈の部屋へ続く廊下。

 そこに護衛の男が一人立ち塞がった。


「スクニミラだ。リトのナイフじゃ刺さらない。めんどうな奴」

「硬そうだな」

 まるで鉄板でも張り付けたかのように、硬い皮膚に覆われた獣人。

 スクニミラとリトが呼ぶ相手は、男の国ではサイと呼ばれていた。


「どうしたチャド」

「侵入者ですアレン様」

「大丈夫なんだろうな」

「すぐに片付けます」

 獣人の後ろ、扉の向こうから、若い男の声がする。


「どうやら、標的は部屋にいるみたいだな」

 腰の刀を抜いて、前へ出る男。

 チャドと呼ばれたサイの獣人も、ゆっくりと男へ歩き出す。

 二人の男が廊下を駆ける。


 すれ違いざま、男がサイの脇腹に斬りつける。

 まるで金属同士のような甲高い音と共に、二代目国貞がはじかれる。

 そのまま脇を駆け抜けた男が、驚いて刀を見るが、刃毀はこぼれはしていなかった。

「まじかよ……そこまで硬いのか。こりゃあ斬れないな」


 男は別に剣士ではない。

 刀の修行もしていない。

 ただ振り回しているだけだ。

 斬れないものは斬れない。

 男は、そこにはなかった。


「無駄だと理解できたか。この身体に刃物は効かぬ。諦めろ」

 振り向くチャドが、無駄な抵抗をするなと、静かに諭す。

 それを聞き入れたかのように、男は刀を鞘にしまった。

 それでもリトもマルコも、慌てず騒がず落ち着いていた。

 まるで未来を見て、先の展開を知っているかのように。


 男は剣士ではないが、戦士でもなかった。

 斬る事に拘りがないように、倒し方、戦い方にも拘りはしない。

 それが有効なら、金的でもケツの穴でも攻撃できる。

 それを、リトもマルコも経験で知っていた。


 再び二人の男が廊下を駆ける。

 そのまま圧し潰そうと、まっすぐ突進する獣人。

 男も避けようとせず、まっすぐに、突き抜けるような勢いで突っ込んだ。

 頭から突っ込む獣人の懐へ、男は足から飛んで捻じ込んだ。


「効かんっ! こっ……」

 鳩尾みぞおちに沈んだ足刀にも、獣人は怯みもしない。

 そのまま右足を軸に、男の身体が半回転する。

 下から回ってきた左足が、何かを叫ぼうとした獣人の顎を蹴り上げる。


 どんなに皮膚が硬かろうと、少し首の筋肉が足りなかったようだ。

 揺れる脳は硬い皮膚でも、どうにもならない。

 脳挫傷が意識を奪う。

 獣人は白目を剥き、崩れ落ちるが、生かしておく理由もない。

 さらに回った男の右足が、無防備な首に振り下ろされる。


 首の骨が折れる、鈍い嫌な音が響く。

 いくら硬くても、意識が無ければ、男の攻撃は防げない。

 それでも男は止まらない。

 倒れ込む獣人の身体を駆け上がる。

 膝を蹴り、肩を蹴り、意識のない獣人の顔へ。

 顔面の中心を、膝が貫く。


 ぐちゃっと湿った音を立て、男の膝が顔から離れる。

 着地した男の隣で、獣人が床へ沈んだ。

「ふぅ……自信を持つのは良い事だけどな、過信はよくないな」

 自分の身体に絶対の信頼を持っていたチャド。

 男を侮り、本来の力を出す事なく、トドメを刺された。

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