その2

 王国東の国境にある、アングリード子爵領。

 何故か、周囲の貴族と帝国が、援軍を出してくれると思い込んでいた。

 そんな愚かな子爵は既に、領都近くまで攻め込まれていた。

 同じ王国貴族でありながら、突如攻め込んだアレン・グレイトン伯爵。

 その夜、彼は領都近くの町に居た。


 接収した屋敷の一室で、アレンは一人の男と会っていた。

 その男は王国人ではなかった。

 見た目から、帝国人でもない。

 その男は、何故か法国人だった。

 王国深くまで潜入した、遥か南の法国人の男。


「王宮に潜入させたのは一流の暗殺者だ。国王が標的でも失敗はありえない」

 ワイン片手に、静かにアレンが伝える。

「子爵領陥落も目前、姫の側近を暗殺できれば、さらに混乱でしょうな」

「そうだ。すべては我らが神の為、世に死と混乱を」

 王国の内乱や暗殺に、法国が絡んでいるのだろうか。

 彼等の信仰する光の神とやらが、何か関係しているのだろうか。


 密談を続ける二人を、窓の外から一匹の黒猫が、じっとみつめていた。


 王宮では第一王子主催のパーティーが開かれていた。

 招待客が続々と会場へ集まる。

 だが、会場内は異様な雰囲気だった。

 貴族たちが、一人の婦人……いや、幼女を遠巻きに、小声で囁き合う。


「あれは奴隷じゃないか」

「何故、王宮に獣人がいるんだ」

「誰かが連れて来たんじゃないのか」

「王子主催の宴だぞ。いったい誰がそんな……」


 王族が着ていても、おかしくない程上質の、見事な青いドレス。

 床に擦りそうな、長いスカートの裾から、チラリと覗く真紅スカーレット

 細く高く、床に刺さりそうなヒールで、優雅に歩く淑女レディ

 見た目は幼女、中身は淑女レディ、身分は奴隷の獣人。

 頭には小さなウサギ耳が生えた幼女が紛れていた。


 その手には奴隷の証、赤く染まる奴隷紋が、何故か青く澄んでいた。

 何故か奴隷の証を隠そうともせず、むしろ誇らしげに見せつけていた。

 誰が見ても、そのすべてが異様な光景だった。


 追い出そうにも、此処に居るという事は、王子の招待客の連れという事。

 こんな我儘が通るとすれば、二人の公爵のどちらかくらいか。

 今いる公爵といえば、現国王の兄と従兄弟。

 誰も口には出せないが、どちらも奇人として有名であった。

 どちらの可能性も否定できず、貴族たちは何も出来ずにいた。


「お待たせしております、リトさん。もうすぐ、姫様の準備も出来ますので」

「そろそろ帰りたいんだけど」

「ははっ、まだこれからですよ。姫様を頼みます」

 そこへ現れ、獣人の幼女に声を掛けた人物は、侯爵マークィスエミール。


 様子を見ていた貴族たちが騒めく。

 最高位の貴族が、知り合いのようだと、一層貴族たちが混乱する。

 しかも、奴隷を相手にする態度には、到底見えない。

 幼女の態度も、奴隷には見えない。


「おぅ、もう来てたのか、リト」

 幼女に声を掛ける新たな人物に、周囲の混乱は目に見える程に。

「おぅ、カリム遅い。姫も遅い。早く連れて来て」

「はっはっはっ、カミーユは、おっと……姫殿下は、もう少しかかるなぁ」


 大柄な戦士のような立派な体格に、獅子のたてがみのような黄金の髪。

 作り物かのように整った顔に、エメラルドグリーンの瞳。

 王国に二人しかいない公爵の一人、現国王の従兄弟いとこにあたるカリム公爵デュークだった。


 腰を折って、目線を下げて話す公爵閣下。

 その額をぺちぺちと叩く、奴隷の幼女。

 どうやら、公爵の奴隷でもないらしい。

 見ているものが信じられず、声もなく固まる貴族たちであった。

 そこへ追い打ちをかけに、さらに大物がやってくる。


「カリム、そちらはリトか? 見違えたな。ドレス姿も似合うではないか」

 カリム公爵にも劣らない体格、整った顔にエメラルドグリーンの瞳。

 少しクセのある、ハネた短い黄金の髪。

 第二王子レオ殿下までが獣人の幼女に、親し気に声を掛けた。


「お、レオにもわかるかぁ。マスターにも褒められた~」

 王子を呼び捨てにした奴隷が、嬉しそうにくるくると回る。

 カリム様は国王の従兄弟だが、歳は王子たちに近く、兄弟にも見える。

 そんな二人の王族に囲まれ、暇をつぶす謎の獣人がいた。


 奴隷で獣人の幼女が何者か、会場の貴族たちは混乱の極致にいた。

 さらなる追い打ち、とどめの一撃が入場する。

「お待たせして、ごめんなさい。お久リぶりですねリトさん」

「お久だねカミーユ。待ちくたびれたよ」


「ひっ……」

「なっ……」

 気の弱い御令嬢、貴族夫人たちが、混乱のあまりに気を失う。

 数人の貴族も、ふらりと眩暈めまいにふらついていた。


 最高位の貴族、侯爵で国の執政と、対等に話す幼女。

 王族である公爵の、額をぺちぺちする獣人。

 王国の第二王子、王位継承権第三位の姫を、呼び捨てにする奴隷。

 次期国王、第一王子までが声を掛けたら、死人が出そうだ。

 実際リトは国王よりも、自分のマスターの方が偉いと思っている。

 マスターである以外は、有象無象でしかなかった。


「少し、目立ち過ぎました。姫様たちは奥の部屋へ、御移りください」

「あら、ふふっ……そうですね。うっかりしておりました」

 エミールの言葉に、はにかんで見せる姫様。

 貴族たちに簡単な挨拶をすると、リトを連れて会場を出て行った。


「こちらがわたくしの友人、アリーゼですわ」

 王宮にある、カミーユ姫用の部屋で、リトにアリーゼを紹介する。

「リト様ですね。面倒をかけて申し訳ございません。宜しくお願い致します」

「マスターの命令だから、気にしないでいいよ」

 リトは興味なさそうに、ちょろっと手を挙げて挨拶を済ます。

 男の奴隷みうちでなければ、それだけでも死罪になるところだ。


「狙われる心当たりも、思いつきませんが」

「エミールも、理由が分からないと言ってましたね」

「マスターが、嫌がらせじゃないのかって言ってた」

 何故狙われるのか、はっきりとした理由は、誰にも分からなかった。


「あの人が言うのなら、そうなのかもしれませんねぇ」

 姫様も一度、誘拐された事件で、男の事は信用していた。

 事件の時、直接は会っていないが、二人の兄から聞かされたのだ。

 それ以外にも、男はエミールの為、王国の為に働いてくれたと。

 実際には王国の為、という訳でもないのだが。


「来るのが遅いと面倒だと思ってたけど、結構早く帰れそうで良かったよ」

「え?」

 椅子に腰かける間もなく、少し嬉しそうにリトがつぶやく。

 何の事か問いかけようとする姫の後ろで、部屋の扉が開く。

 そこには侍女が一人、音もなく部屋に入って来る。


「急にどうしたのです? ここは姫様の部屋ですよ」

 アリーゼが、言葉もなく入って来る侍女に、声を掛ける。

 侍女は滑るようにアリーゼに近付き、ナイフを突き出した。

 姫はもちろん、アリーゼも抵抗どころか、反応も出来なかった。


 った。

 暗殺はいつも通り成功だと、女は、暗殺者は思ったことだろう。

 その場にリトがいなければ、アリーゼの命はなかった。

 誰にも気付かれずアリーゼの前に、いつの間にか幼女がいた。

 暗殺者のナイフを握った右手、その手首をリトが蹴り上げる。


「なっ……くっ」

 蹴り上げられ、砕けた手首を庇いながら、侍女が飛び退しさる。

 折れた右手から、こぼれ落ちたナイフが床に落ちる。

 その間もなく、リトは飛び込んでいた。


 青いドレスのスカートを摘まんだ幼女が、侍女の懐へ飛び込んだ。

 右足が伸び、リトの足刀が侍女の腹を抉る。

 突き刺さった右足を軸に、リトの身体が捻りまわる。

 不意を突いたはずの暗殺者が、不意をつかれ、反応も出来ない。

 半円を描き回るリトの左足が、女の顎を突き上げた。

 止まらず回転するリトの右足が、意識のない女の首に打ち下ろされる。


 それでも幼女は止まらない。

 その足は床に着く事なく、崩れ落ちる暗殺者の身体を駆け上がる。

 膝を蹴り、肩に足を掛け、リトのスカートの中に、女の頭が埋まる。

 スカートの中では、左の膝が女の鼻に突き刺さっていた。


 飛び膝蹴りが、暗殺者の意識を完全に飛ばした。

 音もなく床に着地するリト。

 小さく音を立て、床に落ちる暗殺者のナイフ。

 返り血で深紅クリムゾンに染まった、細く高い真紅スカーレットのヒール。


 軽く、トンと床に爪先をついて、乱れたスカートの皺をさっと直す。

 そこで思い出したかのように膝から崩れ、べちゃっと尻を着く暗殺者。

 鼻血を吹き出す顔が、リトの後ろでゆっくりと床に沈んだ。


「任務完了。マスターのとこに帰る~」

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