第2話 角の欠けた龍
声がした方向へと恐る恐る振り向く。すると角の生えた女性?のような人物が鎖に繋がれたまま、こちらを凝視していた。おそらく囚人なのだろう、黒く長い髪はひどく汚れ、衣類もボロボロ、皮膚は傷だらけ。角が生えているが、右の角は根元から折れてしまっているかのようで、左に比べて異様に短い。
ぱっと見では生きているのが不思議なくらいであったが、その蒼く澄んだ目はまだ光を失っていなかった。
「そこのお嬢さん、難しいことは言わない。この鎖をどうにかして外してくれないだろうか?もう私にはこれを外せるだけの力は残っていないのでね…………」
か細い声でその人物は言う。見たところ、かなり衰弱しきっているようだった。
私は驚きと戸惑いでまだ理解の追いつかない頭を必死に回し、質問を投げかける。
「……あなたは何故ここに?ここは少し前に半壊して、受刑者の大半は脱走、もしくは殺されたって聞いたけど……」
こんな所にまだ生きている人が居るとは思いもしなかった。となると彼女は少なくとも一ヶ月以上、飲み食いも出来ずに鎖に繋がれたままここにいることになる。普通の人間ではなく、別の種族なのだろうか。
「一年くらい前に、あるバケモノみたいに強い奴らに負けて捕まってからこのザマだ。結局、襲撃事件の時も異世界人はここまでは来なかったし、ずっとこの状態だ……」
「まさか、まだ生きている人がいるとは思わなかった……」
「私は龍人だからな、数ヶ月程度なら何も飲み食いせずとも生きれる…………まぁ今回は流石に堪え……たが……」
その言葉を聞き終わる前に気がつけば自然と手と足が動いていた。私は他人を信用しないと決めたはずなのに。何故だろう。単に見ず知らずの人だとはいえ、簡単に見殺しにできなかったからだろうか。それとも、ふとその目つきや声色が姉さんと重なってどこか懐かしいものを感じてしまったからか。
(助けるのは単に情報を聞き出すため。もし何かするようであれば、その時は────)
頭の中でそのように無理やり結論づけた私はそっと鎖に手を伸ばす。
爆発しない程度に魔力を込め、繋がれている鎖を破壊する。頑丈とはいえある程度年季が入っている鎖であれば、これくらい私でも余裕だ。
「……立てる?」
「さすがに……と言いたいところだが、どうも……体がかなり弱ってる……らしい」
間近で見ると彼女の憔悴具合は更に酷く見えた。このままでは、もって数日だろう。
「……じゃあ、はいこれ」
おもむろに腰のポーチに携帯していたパンと回復薬を差し出す。今目の前で倒れて死なれても、困るだけだ。
「いい……のか?」
少し戸惑うような声で、彼女はそう呟いた。
「……弱りに弱りきってる人を放っておけるほど、私は悪人じゃないから」
「助かる、ありがとう」
余程お腹が空いていたのだろう。彼女は一瞬にしてパンと回復薬を口の中に入れてしまった。
「そう言えば名乗ってなかったな、凍龍族のネーヴだ。助けてくれたこと、感謝しよう」
彼女は少し顔を綻ばせてお礼を言うと、よいしょと立ち上ががり、痩せこけたか細い腕で胸や足の土埃を払い始めた。身長は私よりも二十センチくらい高いだろうか。人間の女性の平均よりもかなり大きい。それにボロボロだが、翼のようなものも生えているのが窺える。彼女が龍族というのは、間違いないだろう。
「私はレネ・プラーティス、冒険者。私にはあまり過去の記憶がないから、今言えるのはそれくらい」
「記憶が……ない??」
唖然とした表情でこちらを見つめる彼女に、私は更に続ける。
「そう。原因は私にも分からない。だって記憶がないのだから」
私の記憶は、要所要所がごそっと抜け落ちてしまっている。残っているのは、姉さんに関するほんの少しの記憶と……まぁ日常生活や多少の戦闘には不自由が無い程度。
「……ところで……二つ聞きたいことがあるのだけれど……」
「なんだ?」
「この前、この収容所付近で普段とは異なる色をした雨が降ったという情報が出て……それがおそらく私の探している、桜色の雨というものなんだけど、何か知っていることはない?もしくは……異世界人についての情報なら何でもいい」
一縷の望みをかけて、私はネーヴという龍人に質問をする。彼女は少し考えた後に、こう言った。
「……お前は異世界人に恨みでもあるのか?」
「……あると言ったら、どうする?」
「別にどうもしないさ、そもそも、そんな元気もない」
予想外の角度から飛んできた逆質問に、私は一切の戸惑いなく返した。すると彼女は、少し憂鬱げな顔をして答えた。
「生憎だが、桜色の雨、というものに関しては全く見当がない。けれども、異世界人についてはちと因縁がある。…………私の故郷は、どうやら二ヶ月前、異世界人に滅ぼされたらしい」
「……!?」
……自分で聞いておいてあれなのだが、一年以上外と隔絶された世界にいたはずの人物から異世界人に関わる話が出てきたことに思わず驚愕してしまった。
「ここの収容所には以前そこそこの情報屋がいてな、よく外界の話なんかは耳にしていたさ。そんな中飛び込んできた話を、私は信じられなかった」
「その異世界人の特徴とかは、知っているの!?能力、人数、目的とかは!?」
「いや、そこまでは全く。私が知ったのは、里が滅んだという事実だけだ」
もしかすると何かしらの手がかりになるかもしれない──そう思い必死に食いついたものの、生憎外れだった。表情や仕草には出さなかったものの、内心では落胆してしまっていた。
「……じゃあ、ここを出たら仇討ちにでも行くの?」
「さぁな、そもそも出られるとすら思っていなかったからなぁ……」
頭を捻って考え出す彼女を見て、私はもうここにいる必要は無くなったと考え、帰ることにした。
「…………情報、ありがとう。それじゃあ、お元気で」
回復薬を飲んである程度元気になったことが確認できたので、体調面での心配はもう要らないだろう。結局、情報の手掛かりは何も掴めなかったので、また明日からいつものように奔走しなければならない。
出来る限り自然な笑顔を作って彼女に手を振り別れを告げる。
だが、振り返って外へ向かおうとする私の腕を、ぐっと掴まれ、その力の強さに思わず身体がよろけてしまう。
(回復薬一本とパン一切れの力じゃないでしょこれ……)
「……決めた。私は同族たちの仇討ちがしたい。だからレネ……お前と私の目的がある程度一致するならば、助けてくれたお礼として私も同行させてほしい」
驚きだった。だがどうやら面倒なことになってしまったらしい。私はもう一人で行くと決めていたのに。
その目には確固たる意志を示すかのように煌々とした輝きが灯っている。
「……お礼なら、要らない……。これは私のほんの気まぐれだから。私は私の果たさなくてはならない目的のために動いているの。無闇に他人を巻き込みたくない。それに、私と今まで組んだことのある人は、私のせいで皆、死んで────」
冷ややかな目線と突き放すような口調で放った言葉は想定外の一言に遮られた。
「じゃあ、私の仇討ちは二の次でいい。その目的のために協力させてくれないか?」
彼女は手を胸に当て、微笑みを浮かべそう告げた。
私の心に、ほんの数センチだが、ヒビが入った音がした。
目を丸くして驚くほかなかった。さっきの言葉の後半部分を全く聞いていなかったのだろうか
「私と組んだ仲間の致死率は100%。私はきっと呪われてる。だからッ────!!」
思わず声が昂ってしまう。それは誰もいない廃墟に虚しく響き渡る。別に彼女に対して言ったことで過ぎ去った事実は変わらないというのに。
「────関係ない。どのみちお前が今日ここに来なければ、私はいつかここで死んでいただろうからな。それに、恩人に協力したいと思うのは普通のことだろう?」
私の懐疑心や猜疑心の拭えない目や心と違って、彼女の目は真剣そのもので、欺こうとするような気配は微塵も感じなかった。
まるで私が彼女に対し邪推しすぎていると思えてしまうほどに。
「…………はぁ…………分かった。ならひとまず……私の目的が達成出来るまで、協力して」
私は結局折れてしまい肩を落としながらも彼女を受け入れた。
まぁ最悪何か問題が起きたらギルドに引き渡せばいい。それくらいの気持ちで私は提案を承諾した。
彼女は快く頷いた。
「私の目的は奇跡の果実……何でも願いが叶うとされる果実を手に入れる。そして────」
私がなんとしてでも叶えなければならない願い。それを想うと、不意に姉の顔が浮かぶ。霧がかっていて中々思い出せない姉との記憶。少し厳しかったけれど、妹の私に人一倍の愛情を注いでくれた。それだけははっきりと憶えている。
「姉さんを蘇らせる。そして、元凶となった異世界人に敵討ちをする」
「果実が本当に存在するかどうかは置いといて、お前のその周りは全て敵と言わんばかりの視線の原因はそれか。……まるで凍った心の持ち主だな。以前どこかで似たような目を見たような………?それに、過去の私を見ているようでもある…………」
「…………?」
「いや、何でもない、気にしないでくれ」
「……そう。たとえこの身が朽ち果てようとも、私はこの目的を果たす。もし邪魔をするなら、誰が相手だろうとあろうと────」
何と嘲られようと、馬鹿にされようと、関係ない。私は私の目的を果たすだけだから。
「とりあえず、当面の目標はそれで決まりだな」
心情なんて別に理解されなくてもいい……私はこの時本当にそう思っていた。けれども彼女は、姉が死んでから今まで出会ってきた人物たちとは少し違うような気がした。ほんの少しだけれど……。
会話がひと段落したところで、外へ出ることに。結局他に魔力の反応なども特になく、この廃墟で正真正銘生きている人物は彼女以外にはいなさそうだった。
けれど、外へ出ると、待っていたのは敵意を向けた異世界人だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます