◇4「少女は終わりに向かっていく」


(儀式は最後の段階に移る。私はそれが成就することを祈る)


 九月十三日の夜。私はお母さんが呼んだ救急車に運ばれて、救急外来に向かった。私はその時点で、自分が死んでないことに気付いていた。庭に落ちたあと、私は痛みで庭を転げまわった。だが、私はその最中も、そして救急車で運ばれてる間も、これは絶対、骨折で済んでるなという確信があった。今感じてるのが、死ぬ人間の痛みではないと直感出来た。

 ……医者は、両足の打撲で済んでると言った。

 私は対面する医者にみるみる頬を赤らめる。だが、医者は真剣に「落ち方によっては死んでいた可能性もあった」と言った。それからなんでこんなことをしたのかとこっぴどく叱られもした。私は医者の怒気のこもった言葉に少しだけ懲りて、それから少しだけ、死について真剣に考えた──死とは、つまりとてつもなく、痛くて怖い可能性が高かった。

 九月十四日、月曜日。私は早朝に改めて整形外科に行って、ギプスを巻いて家に帰された。あっさりした治療だった。私はそれから、車で送ってもらった帰り際に、お父さんに「色々ごめん」と一言謝った。その”色々”には、本当に色々をまとめてしまっていたけれど、お父さんは「もうするな」と、たったそれだけを言った。私は、車の窓にもたれかかりながら、確かにもうしないだろうと考えていた。

 

「あなたが死んだら悲しむ人がいるんだよ」


 九月十五日。朝、奏子は私を迎えに来てそう言った。奏子は怒ったような顔をしていた。私は黙って頷いた。

 私が二階から落ちたとき。奏子は、一階にいたお母さんより早く、落ちた私のもとに駆け寄った。

 私が庭にごろごろ転がって痛い痛いと泣いてる間、奏子はそれよりもっと、もっともっとひどい顔で泣いていた。私は確かに一瞬、自分がホントに死んだら奏子はこれよりまだもっと泣くのかなと考えた。今ですらこんなにぐちゃぐちゃの顔なのに。それは、ちょっとこくすぎるような、申し訳ないような、痛みの中で妙に冷静にそんなことを考えていた。

「じゃ、学校行こうか」

 目の前の奏子が表情を崩す。私はまた黙って頷いた。その日、私は足にギプスを巻いたまま、久しぶりに制服を着てスクールバッグも背負っていた。前日の夜から、私は奏子と一緒に学校に行く約束をしていた。

 学校に行く気になったのには……大した理由は無かった。なんとなく、これを機に一度生まれ変わってみても良いかなみたいな、そんな気分になっただけ。死ぬような覚悟をして、恥ずかしくて痛い思いもして、それでなんだか、自分の中に溜まっていたものが妙に吹っ切れてしまった気がした。

 学校に行くと、私は久々に登校した上にギプスまで巻いていたから、当然かなり注目を集めた。あの安浦美桜やすうらみさには、理由とか事情を根掘り葉掘り聞き回られた。私としては、まだあのキス事件を忘れておらず根に持っていたため、終始ツンとした態度で接していた。美桜は逆に、冷たい態度を取る私に「怪我が痛むの?」などと知らない風に話した。

 さて、私に注目が集まったのは登校してからしばらくの間で、その日の終わりには美桜含めて誰も私に触れなくなっていた。教室でまた、私は一人になっていた。だけど……私はそれに不思議とホッとしていた。日常が、良いものも悪いものも含めて、何もかもを同じ流れの中に押し戻していく。それはどこか呪いのようでもあって、だけど私には少なくとも、その時はその平穏な退屈さが救いのように思えた。


【学校に行きました。意外と悪く無かったです】〈しおちゃん[2015.9.15 19:10]〉


 その日の終わり、私はツイッターでそう呟いた。一カ月勉強してなかったから授業には当然ついていけなかったし、クラスの中はやっぱり居心地悪かった。それでも、思っていたよりは悪くなかった。その気持ちを素直に呟いた。久しぶりのツイートだった。

 それは、ユウさんに向けた手紙でもあった。ユウさんは、九月に入ってツイッターに現れなくなっていた。曲の投稿もやはり無かった。生きてるのか死んでるのかもよく分からない状態だった。私は自分のツイートに、ユウさんのいいねが付くのをどこかで期待していた。だけどいつまで経ってもユウさんが私にいいねを付けてくれることは無かった。

 次の日も、私は奏子と学校に行った。その次の日も。一週間、私は毎日学校に行った。私はもう、朝の体の重たい憂鬱な感じとか、周りと自分が上手く噛み合ってないような感覚とか。そういうのをすっかり思い出していた。だけど、私は翌週も学校に行くことに決めていた。実際に、翌週からも私の登校は続いた。

 奏子はその間、毎朝私を家に迎えに来た。私と奏子の間に、相変わらず会話はほとんどなかった。だけど、前とは違って、私は何故かそれが気まずいと感じなかった。

「また前みたいに一緒に登校出来て嬉しい」

 ある朝、奏子がぽつりと零すように言った。

 私にはどうして突然、奏子がそんなことを言ったのかは分からなかった。だけど、奏子が自分との登校を嬉しいと思っていたことに驚きを感じた。ちょっと迷って、私はその驚きを直接、奏子に口に出して伝えてみることにした。

「私、ね」

「うん」

 私は考えながら、自分なりに言葉を選ぶ。

「高校になってから、奏子と登校するのちょっとやだったんだけど」

「うん」

「……私ぜんぜん友達居ないし、なんていうか陰湿だし」

「うん」

「奏子も、私と同じで嫌だと思ってた」

 奏子は、少し俯いて「うっしーと居るときが一番落ち着く」と言った。「…いっぱいの人と居るのって疲れるから」

 奏子が下を向いたまま、呟くように言う。それで私は、ふいにあんなにみんなに囲まれて楽しそうに見えた奏子が、どこかでは無理をしていたのだと気が付いた。考えてみれば……それは、中学生の頃の奏子を知っていれば、結構当たり前にも思えることだった。なのに、少し前までの私にはちっとも気づけなかったことだった。

 私は、人が目に見える一面だけで構成されていないということを知る。そうして、私は奏子と目を合わせてみる。

「私、奏子にうっしーって呼ばれるの、嫌かも」

「そうなの? ごめん」

 それだけの言葉を交わして、私たちは学校までの道を歩いた。……私たちは前よりも少しだけ、親友である時間を増やしていった。私はそこには前よりも少し、優しい自分が居ることにも気付いていた。


(今こうして、この小説は一部を破綻させた。私はいまに至るまで他人を昆虫のように見る悪辣な性質を捨てられていない。ここに生まれた矛盾をあなたは無視するべきである)


 九月が終わり、十月になる。割と何もない日々が続いていく。私には、なんとなく教室で友達のようなものが出来たりしつつあった。そのほとんどは今現在はもう疎遠な友達で、ここに名前を記す必要も感じない。だが、学校にいる間、私の暇を潰すにはちょうど良かった。

 ユウさんはずっと音沙汰が無いままだった。私は次第にあの人のことを考える時間を減らしていった。時々、思い出したように少女終末症候群を聴いてみるくらいだった。だが……私があの曲に、前のように強く惹かれる事は無くなっていた。それがどうしてか、私にはよく分からなかった。


(この儀式はほどなく最後の段階に移る。私はその前に、儀式を成し遂げるための大きな罪を犯す。あなたはそれについて知る必要が無い)


 十一月になる。そのとき起きたことは、実際のところ私にそれほど関係のないかもしれないことだった。それでも、私にはその出来事を語る必要があるのだと思う。

 十一月四日。朝、学校に行くと、安浦美桜が死んだらしい、と。クラスの誰かに告げられた。

 噂話のような語り口だった。クラス中がその話で持ちきりで、でも誰も確定的なことを言わなかった。ただ、安浦美桜の席はいつまで経っても空席のままだった。

 一限目の前に行われたホームルームで、私は安浦美桜が死んだのが、事実だと聞かされた。先生が涙を堪えるようにしてそれを告げた。それを聞いて多くの生徒が泣いた。先生もずっと泣いていた。私はどこか、ポカんと置いてかれたような気持ちでその中に居た。一限目は授業は中止で全校集会になり、校長先生からも安浦美桜が死んだことが事実だと聞かされた。体育館の中はどこか淀んだ空気が流れていた。すすり泣く声がずっと聞こえて、それが体育館のどこから聞こえてるのかずっと分からなかった。私はそれから、安浦美桜が死んだことを、ゆっくりと少しずつ理解していった。

 安浦美桜は、死因を書く意味がないくらいつまらない事故で死んだ。誰にでもある不幸な事故で、それがたまたま安浦美桜に当たった。それだけだった。人の人生には、ときどきそういうことが起こった。死は自分が思っていたよりあっさりと、私たちの現実の中に現れて、深い悲しみと絶望をありふれた形で持ってくる。私はクラスメイトとして、安浦美桜の葬儀に参列した。そこでも多くの人が泣いてるのを見た。私は安浦美桜の家にクラスメイトとして伺った。大きくて綺麗な家だった。真っ白い仏壇に美桜の遺影は飾られていた。私は、その遺影といつまでも目を合わせられなかった。私は安浦美桜のその顔が、自分の記憶の中に残るのが恐ろしかった。なぜだか、とても恐ろしかった。

 十一月が進んで行く。安浦美桜の席が空席のまま、時間が過ぎて行く。当たり前のように進んで行くその時間の中で、私は失うということは、とても怖いことなのだと知った。死ぬことは真の意味で怖いことだと知った。私はある日の晩、安浦美桜が死んだことを想って、部屋でたった一人で泣いた。


(私はただ、申し訳なく思う)

(あなたはその気持ちの源流を知る必要が無い)


(私が誰かを知る必要が無い) 

 

 十一月の終わり。それは突然のことだった。もうほとんど見てなかったツイッターに通知が届く。ユウさんからのメッセージだった。


(私はいま、到達すべき地点に辿り着いた。この儀式の目的を果たすための地点にだ)

(私はすこし緊張しつつある。不安と後悔も抱きつつある。儀式が終わる。私のためにだ)

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