◇1「少女終末症候群」


 少女終末症候群しょうじょしゅうまつしょうこうぐん。それは曲名だった。Mitsuki.Uというネット上のアーティストが作った、最後の楽曲。

 それはいまどこにも無い。この世界のほとんど誰にも知られず、誰の耳にも届かないまま、ひっそりと消えてしまった。今はもう、私の耳に微かに残るフレーズだけが、その存在を証明する。だからもう、無いのと変わらないのだろう。


 二〇一五年の六月。私は十六歳の女子高生で、梅雨の湿気を全部吸ったみたいにどろどろに憂鬱だった。憂鬱な理由は、友達も恋人もいなかったからだった。そのうえ反抗期だった。精神が不安定で常にかなりイライラしていた。だから、毎日とんでもない音量で部屋のパソコンから音楽を流して、お母さんに怒られまくっていた。

 

【部屋で少女終末症候群聴いてママに怒られなう】〈しおちゃん[2015.6.14 23.01]〉


 その当時、私はツイッターにドはまりしていた。見るのも呟くのも楽しかった。だから、ママに怒られたこともツイートしていた。そういうちょっと悪っぽい言動がネットでウケる気がしていたからだ。境遇が違えば、私はコンビニのアイスの冷凍庫とかに入って、きっと記念撮影もしていただろう。

 「しおちゃん」というのは私のツイッターのアカウント名だ。本名がうしおだからしおちゃん。フォロワーは0人。だからツイートは独り言とほとんど同じ。それでも、ツイートするのは不思議と楽しかった。私は自分のツイートがいずれきっと誰かに届いてウケるはずだとなぜか確信していたし、だから私はお母さんに怒られていることなどを毎日ほぼ欠かさずツイートした。極めて、露悪的な趣味だった。私はそういう性質の女子高生だった。


【部屋小終聴きマ怒なう】〈しおちゃん[2015.6.19 22:03]〉


 報告ツイートは日ごとに文意が伝わらないくらい略式化されていった。これは、こういう略式化のユーモアが当時ツイッターで流行っていたからだった。この訳の分からないぐらい文を略するツイートの何がユーモラスか、見て分からない人も居ると思う(あなたはどうだろう)。これはつまり、元の意味が分からないほど文を崩すことで、不条理な文章の面白さと内輪のノリを醸し出すような構文なのだ。……なお、私には昔から、他人の行動や感情を昆虫みたいに観察する癖があった。自分を客観視も出来ないうちから、そんなことばかりは好きで、当時も他人のそういうツイートを見て「ああ、ユーモラスですね(笑)」と鼻で笑っていた。なのに自分もしていた。ウケたかったからだ。私のひねくれた観察癖は、これまで他人から咎められたことも一度や二度では無い。しかしそれでも、これは結局今に至るまで直っていない悪癖だ。

 さて、ある日に、隣の家の角刈りのお兄ちゃんが怒鳴り込んできてから、私はヘッドホンで音楽を聴くようになった。それから今もヘッドホンを見ると、あの角刈りの鋭利な頭頂部の断面を思い出す。これも、今に至るまで。


 六月十九日は、それまでの十六年の人生で過去最悪にツイてない一日だった。朝は天気雨に降られて濡れるし、授業中にスマホを弄ってたら没収されるし、帰ってからは先述の通り「小終聴き」でお母さんにも怒られた。そして、これら三つの重なりだけで「過去最悪」を更新できる程度には、私の人生は何もない人生でもあった。

 それで、むしゃくしゃしていた私はその日、夜を更かししてインターネットをしていた。女子高生が夜中に可能な鬱憤晴らしなどたかが知れており、知らないネットユーザーがしょうもないことで炎上してるのを見て「ばかだなあ(笑)」とニヤニヤ薄気味悪く笑って過ごすことをしていた。可処分時間をまったく甲斐の無い方法で減らしていた。

 眠くなってきた頃、ツイッターを開くと突然、塊のような文章が目に飛び込んできた。なんじゃこりゃ、としょぼくれた目をちょっと開く。

 Mitsuki.Uさんのツイートだった。あの人にしては珍しい長文ツイートだった。


【「少女終末症候群」は私にとって追憶です。私たちは誰であろうと過去からしか作品を作ることが出来ない。それならどんな詩を織ろうが、語ろうが、それは逃れようも無く、創作とは追憶に過ぎないのでは無いのでしょうか】

〈Mitsuki.U [2015.6.20 2:21]〉


 ツイートを読んで、私は「カッコよ」、と思った。「カッコよ(笑)」じゃなくて、これは純粋にカッコいいと思った方の、「カッコよ」だった。

 当時、女子高生の私は明晰なまでに、あの人に……ユウさんに夢中だった。Mitsuki.U。U(ユー)だからユウ。私がそう呼んだ。ミツキはきっと名字だから、名前のユウで読んだ方が親密な感じがすると思って、ある日からそう呼ぶことにしたのだ。ユウさんはそれを嫌がらなかった。だから、私はここでもそう記すことにする。

 ユウさんを知ったきっかけはよく覚えていない。ネットを巡回してたら、偶然見つけたとかだったはずだ。ただ気付いた時には、私はあの人の作る曲とクールな言葉遣いやツイートにのめりこんで、ドはまりしていた。ユウさんの曲はカッコイイ、儚い、心に刺さる……いろんな言葉で感動を表現しようとして、ことごとく失敗した。私はいわゆる「語彙力が無い」という状態だった。


【Mitsuki.Uさんの少女終末症候群マジ神過ぎて(語彙力)】〈しおちゃん[2015.6.15 21.01]〉


 ツイッターでもわざわざそのように呟いた。私はツイッターでよく見る構文を好いていた……そういう性質の女子高生だった。


 私がユウさんの「少女終末症候群と言う曲を好いてたのは、もはや言うまでも無いことかもしれない。さて、ここにその歌詞を掲載する。この儀式にはそれが必要であるからだ。





『少女終末症候群』

 Mitsuki.U feat 初音 ミク 


「私が死んだらそのとき

 世界は終わるのかしら」

 孤独な少女が そう言って

 摩天楼から身を投げた


 午前零時の空虚な町で

 少女は終わりに近づいていく


 永久を隔てた白い壁から

 月の光が剥がれ落ちてく

 亡骸に 残響に

 死が重なって消えてゆく

 

 時間は牢獄 記憶とは咎

 午前零時の空虚な町で

 少女は終わりに近づいていく



 暗く憂鬱な雰囲気のこの歌詞が、少女終末症候群の一番だ。二番と三番は、ある事情によってここには掲載できない……それはもうこの世のどこにも無い。

 少女終末症候群。私はこのものすごい暗い歌に、自分でも訳が分からないくらい惹かれていた。少女終末症候群は、二番・三番も含めた歌詞の全体で、一つの世界観とストーリーを表現した曲だった。

『私が死んだらそのとき世界は終わるのかしら』

 この曲の一番は、この台詞と共に一人の少女が飛び下り自殺をするところから始まる。なかなかにインパクトのある始まり方だが、それはこの曲のストーリーの始まりに過ぎない。この曲の二番は、同じような節回しで少女が首つり自殺をする内容で始まる。そして三番は、少女が入水自殺する歌詞で始まるのだ。……何度も何度も、少女が街で自殺をする。そんな不穏な歌詞がこの曲では最後まで綴られていた。

 少女たちが次々自殺するのは、理由というか設定があった。原因は曲名にもなってる「少女終末症候群」という病気のせいだ。この病気にかかったら、少女は午前零時になると、自ら自殺することを選んでしまう。「少女は終わりに近づいていく」という曲中で繰り返されるフレーズは、少女終末症候群に罹患した少女の、悲惨な運命を嘆いたものだった。

 この曲の表す世界観、ストーリーに、高校生の私はビリビリに痺れていた。暗く陰惨な世界が、自分の鬱屈を代弁してくれるような、そんな歌詞のように感じられた。音楽的には、ハイテンポな曲調がカッコいいし歌詞も詩的でカッコイイ。歌ってる初音ミクの声がキンキンしてる。それぐらいの小学生みたいな感想しか持てなかった。今の私にも同じ程度にしか表現できない。私が壊滅的に音楽センスが無いからか……少女終末症候群が客観的に見れば、実はそもそも音楽的に大して優れた曲じゃなかったからか。この真相は分からない。少女終末症候群が再生数100回にも行かない程度の不人気な曲だったことは、ともすれば後者の理屈を補強するかもしれない。

 それでもとにかく、私は少女終末症候群が好きだった。時期が違えば、あるいは、ユウさんにもっと知名度があれば、圧倒的な才能があれば。今も完全に、この世界からユウさんの曲が消えてしまうことも無かったのかもしれない。無断転載にアーカイブ化……ネット上に上げた作品が本人の意思と関係なく、後世に残ってしまうことなど珍しくない。だが、それは誰にも望まれなかった。だから少女終末症候群は、この世界から消えてしまった。


【「少女終末症候群」は私にとって追憶です(中略)創作とは追憶に過ぎないのでは無いのでしょうか】


 ユウさんは少女終末症候群を、そして創作そのものを追憶だと言った。私はツイートを読み返して、考えて、はあ、と思った。

 その晩のユウさんのツイートはクールで知的であり謎めいていた。ついおく。記憶を辿り思い出すこと。それがユウさんにとっての「少女終末症候群」だと、字面通りに解釈するならそう書いてあった。つまり、ユウさんはこの曲を、自分の過去を思い出しながら書いたと解釈することが出来た。だから、謎めいてると感じた。

 少女が死んでく病気があって、そんな街があって、そんな残酷な世界がある。それはどんな記憶を辿れば作れる歌詞なのだ。……私は想像を巡らせ、ふいに震えた。ユウさんはもしかしたら、ものすごい経験をしてこの曲を書いたのかもしれない。例えば恐ろしい死の病から生還したとか、例えば実際に人が死んでしまうのを見たとか。そんなことがあったのかもしれない(これはかなり幼稚で飛躍した推論だ。私は十六歳で数学も国語も苦手で、くだらないドラマやアニメを見すぎていた)。ユウさんは、一体何者なのだろう。ツイートと歌詞の不思議な因果関係は、私の好奇心を強く刺激した。

 私はPCディスプレイの青白い光を浴びながら、パチッ、パチッと、キーボードを叩いた。勢いに任せて弾くように文字を打ち込んでいく。バチッ、ダン、ダダダッと指を動かすたびに段々と気分が高揚してくる。してはいけないことをしてるような、いけない遊びをしてるような、そんな興奮が喉のあたりからせり上がって来る。

 その勢いのまま、私はエンターキーを押した。そして──ひとつの文章が送信される。


『私は高校一年生のしおちゃんと申します‼ 少女終末症候群の曲の意味を教えてください!』〈しおちゃん[2015.6.20 0:21]〉


 このような文章を、私はユウさんのツイッターのダイレクトメッセージに送った。うわっ、やってしまった! と、送って二秒で思った。全部の部屋の電気を消して即座に布団に潜り込む。

 私は布団の中で青い顔になって、目をギュっと瞑り、たまにニヤニヤした。不気味な七変化だった。ユウさんに送ったメッセージは、シンプルなようで実は裏に策謀も忍ばせたものだった。つまり私は、「少女終末症候群の意味を教えてください」と 、文面でこそユウさんに問いを投げかけていたが、その実このメッセージをきっかけにユウさんとお近づきになろうと言う魂胆も、その裏に強く滲ませていたのだった。

 さて、私は無礼で愚かだった。そして深夜テンションだった。更に付け加えるなら、私は意外なほどに、切実な情動に突き動かされてもいた。当時、私はLINEにしろツイッターにしろ、メッセージに「!」なんてめったにつけなかった。常に陰気な私に「!」を表現する元気はまず無く、そんな私が「‼」を使って気合いを表現するくらいには、切実にユウさんとお近付きになりたかった。私はクリエイターであるユウさんの謎めいた雰囲気にやられて、周りが見えなくなるくらいの熱に浮かされて。ユウさんのことを考えた時の、ドキドキした気持ちや想いが止められずに、気が付くとメッセージを送っていた。つまり「‼」だった。自分の学年もメッセージには添えていた。親密になるために付け加えるべき情報に思えたからだ。私は炎上してる人を笑ってる場合じゃない情報リテラシーでネットをやっていた。

 メッセージを送った晩、私はほとんど眠れなかった。興奮とか後悔とか、急にDMなんて失礼なことをしてブロックされるかもみたいな恐怖もちゃんと感じて、布団の中で冷たい汗を滲ませていた。そして、悩み疲れた頃に私は、ぐったりと眠りに落ちていた。


 翌朝。ユウさんから返事はなく、私のいつもの一日が始まった。返事がなかった落胆と後悔の感情と夜更かしの余韻で体はぐったりしていたが、学校には行くことにした。その必要があると思ったからだ。どんよりした曇りの日だった。

 私の住んでた町は日本海に面した海町だった。一年の半分ぐらいが曇りの日で、映画館も美術館も無い町。コンサートホールも無く、イオンも無ければブックオフもカラオケボックスも無い。娯楽の覇権は、港まわりの公園で大繁殖した猫との心温まる交流。それぐらい何もない場所だった。

 私の家は三車線もある大きな国道の前に立っていて、朝から家の前を車がビュンビュンと走っていた。だから家を出て初めに私を出迎えるのは、トラックのけたたましいエンジン音。最悪だった。

 玄関を出た後は、しばらく朝の空気に慣れる時間をとった。必要だったからだ。通り過ぎていく自動車をぼーーーっと眺めてみる。信号待ちをしてる、車の後部座席、スモックを着た幼稚園児が乗っている。かわいいですね。目が合う。その子が不思議そうな、なんだこいつみたいな顔で私を見ているように感じる。それは気のせいだった。軽いノイローゼかもしれない。どうしてか、私は朝になるといつも自分が世界の異物のように思えた。上手く生きれない自分を、世界が責め立ててるような不快感がどうしても拭えなかった。

 そして、そんな世界からの疎外感は……全てが気のせいかノイローゼという訳ではなかった。このとき、高校一年生の六月。入学から二カ月が経っていたが、私はクラスに友達を一人も作れていなかった。そして、それを極めて激しく気にしていた。教室と言う一日の大半を過ごす場所で居場所がどこにもない。それは、世界から疎外されているような錯覚を受けてもそれなりに仕方のない状況だった。私にとって、朝はその孤独な世界に自分から足を向けなければいけない、一日で最も辛い時間だった。

 更に言えば……私の朝の時間には、その孤独をより浮き上がらせるような存在も居た。幼馴染の奏子かなこだ。

「おは。うっしー」

 奏子は、朝出会うとそう挨拶して、いつも私の目を見てはにかんだ。地味だが整った顔立ちが人当たりの良さを見せつけるように崩れる。切り揃えられた綺麗なショートカットの髪が揺れる。背が高くてスタイルの良い体で私を少し見下ろす。私はそれを見て、あーなんでこんなキラキラしたのと学校行かなきゃならんのだと怯んで、挨拶を返すタイミングを見失った。いつもそうだった。私は無言で、奏子と隣り合わせて歩き始める。

 奏子は、小学校で学区が一緒になって仲良くなった友達だった。それから同じ中学に入って、なんとなくずっと一緒に居て、その縁が続くよう同じ高校に通った。だから、その流れで高校でも一緒に登校しようと私をいつも朝迎えに来た。私は、それが嫌だった。

 高校に入ってから、私と奏子の関係はぎくしゃくしていた。私たちは同じ高校に通っていたけれど、奏子は高校でたくさん友達を作っていて、私にはそれが羨ましかったのだ。私はたくさんの負の感情を奏子に向けていた。容貌への嫉妬、腐れ縁の執着、友人関係への嫉妬、なんでこんな奴と仲良くなってしまったんだって悔恨、シンプルな嫉妬。つまり主に……嫉妬だったが。

 高校に入る前ぐらいまで、奏子は全然陰気でどよんとした感じの子だった。超ロングヘアーで、猫背で、喋り方もボソボソしていて暗い印象。私ぐらいしか友達がいないけど、実は心が広くて底知れない優しさも秘めてる。なので、私のような性悪とも仲良くやれた。それがかつての奏子だった。

 だが──奏子は突然生まれ変わった。中学三年生の秋から春にかけて。地味な色のさなぎが綺麗な蝶に羽化するみたいに。

 ある日、奏子は秋の長期休みを使って、長かった髪をバッサリ切って、丸まってた背中を整骨院でシャッキリ矯正して学校にやって来た。革命的な大変身だった。その日はクラスメイトのみんなに一日中囲まれて、ちょっとした騒ぎになるくらいだった。見違えるぐらい小奇麗になった奏子は、最初のうちこそ見た目が明るくなっただけで、やはりオドオドして陰気な感じだった。しかし、見た目が変わったことで良くなったのは、むしろ奏子より周囲の反応だった。奏子は前より自然と人と話す機会を増やしていった。すると、もともと優しい性格が人当たりの良さとして花開いてゆき、奏子はたった半年で友達を十人近く増やして中学を卒業してしまった。

 高校に入って、奏子はすっかり人付き合いに自信がついたみたいで、六月にはもう隣のクラスの中心人物になっていた。中学校では帰宅部だったのに高校じゃバレー部にまで入って、学生生活をフルに楽しんでる感じだった。

 それで、私は奏子と居づらかった。高校に入って二カ月もたって、友達一人できない自分が比べるほどに惨めに思えたからだ。もう完璧な嫉妬だった。

 私は奏子に言いたかった。朝の迎えはもう来なくていい。そして、うっしーというあだ名はやめてほしいと。嫌だった。牛みたいで。小学校の頃からのあだ名だが、思春期の私は結構その響きの悪さを気にしていて、だけど、今の奏子にはそれも言い出すことが出来なかった。私は奏子に嫉妬して、遠慮までしていた。

 学校に行く間、二人の会話はほぼ無く、毎朝めちゃくちゃ気まずかった。「昨日友達とさ~」みたいな話を奏子から切り出されても、私は適当な相づちしか打てなかった。「昨日ネットでさ~」みたいな話を私から切り出しても……奏子は興味ありげに聞いてくれたが、それがかえって虚しかった。

 生きてる世界がズレてしまった人とは、もう話が出来ない。私と奏子の関係はそういう段階だった。うわべだけで会話が出来てるようで、その実意味は通っていない。私はそうやって過ごす二人の時間が、いつも息苦しくて仕方がなかった(それでも私たちの会話が、形の上では成り立っていたとしたら、会話と言うのは実のところ一方通行の言葉のぶつけ合いでしかないのかもしれない)(これは、この儀式のある一面に対する言い訳だ)。


『女の子ですか』〈Mitsuki.U [2015.6.20 12:09]〉


 昼休みに届いたそのメッセージは、私の世界に光速の銃弾が打ち込まれたような衝撃を与えた。

 ユウさんから返信が来ている。これは、ヤバい。ヤバい。でもなんとなく思ってた感じの内容じゃない。『女の子ですか』は、なんというか、なんかめちゃくちゃヤバい感じがする。しないか? いやする。私は、いくつかのヤバさによって戦慄し、慌てた。

 私は、自分の中で暴れるヤバさを正しく切り分けようと、努めて頑張った。要するにだが、そのヤバさは二点に切り分けが可能に思えた。まずユウさんから返信が来たこと自体のヤバさ。そして、「私は高校生です!」に対する「女の子ですか」という返信内容に感じるヤバさ。この二つのうち後者はまるで、幼い子供に「きみ、いま一人かい?」と突然聞いてるぐらいには、どこか犯罪的な台詞に思えた。この人、私が「女子高生」か「男子高校生」かをこのメッセージで判断しようとしてる。情報リテラシーが限りなく低かった私でも理解できた。これは……なにかしらの性犯罪の導入の可能性がある。私は段々と後者のヤバさの方に妙な汗を滲ませていった。

 元々、ユウさんはツイッター上でも、よく分からない人だった。普段のツイートは【曲が完成しました】[2015.4.11 2:36]とか【今日は暑い】[2015.6.2 14:09]とか、短くてしかも当たりさわりない内容ばかり。ごく稀に長文ツイートをしたら謎めいた文章。ツイートを後から自分で消したりもよくあることだった。夜中の長文ツイートなど、翌朝には百パーセント消えていた。だから私には、ユウさんのツイートはスクショして保存する癖がついていた(これはこの儀式に必要な情報の一つだ)。

 ユウさんのアカウントの自己紹介欄は空白で、プロフィール画像はただの夜空の写真。ツイートからも、ほとんど生活感が感じられないような人だった。だから、話してみたらネット犯罪者でしたってオチでも、なんら不思議では無かった。でも……それは全く信じたくないオチだった。

 戦々恐々しながら、私は返信を返す。


『女子高生です』〈しおちゃん[2015.6.20 12:11]〉


 とりあえず正直に教えてみる。メッセージのやり取りだけで、本当にヤバい事態になることは無いはず。私は多少のリスクに目を瞑ることにした。すると、また返信が返って来る。


『じゃあ分かりません』〈Mitsuki.U [2015.6.20 12:12]〉

 

 何が、と思った。何が分からないのか分かりません、と、勉強が出来ない子がよく言うが、それと全く同じ気分だった。

 私はちょっと考えた。設問と答えを整理してみる。


 Q: 少女終末症候群の曲の意味を教えてください!

 A:女子高生には分かりません


 こういう事か? と思った。のでそう聞いてみた。


『女子高生だと分からないんですか?』〈しおちゃん[2015.6.20 12:14]〉

『分かりません』〈Mitsuki.U [2015.6.20 12:16]〉


 そうなんだ、と思った。なんで? 男尊女卑?

 私は考える。なんとなく問答をしてみて……ユウさんはヤバい人かもしれないと思った。不思議な人だと前から思ってたけど、全体的に話していて怖い人のような感じが強くしてきた。あんまり、話が通じてない感じがした。


『そうですか・・・ありがとうございます!』〈しおちゃん[2015.6.20 12:18]〉


 私はもうさっさと会話を切り上げようとメッセージを送る。そして、弁当を広げてお昼ご飯を食べ始めた。一旦思考をストップさせて、のり弁当を箸でつつく。

 弁当をちょうど食べ終わって、昼休みが終わるころ。終わったと思った会話に、また返事が届いていた。


『生きてください』〈Mitsuki.U [2015.6.20 12:45]〉


 なんで急にそんなことを言うんだ、と思った。やっぱりめちゃくちゃ変な人じゃん。私は前まであんなに夢中だった気持ちが急にすっかり冷めたような、そんな感じになっていた。うん、憧れの人と話が出来て嬉しかった。これを思い出にして心の糧に生きていこう。そんな風に、私は早くも、その一日のまとめに入ろうとしていた。

 昼休みが終わる。午後の授業が始まる。それで、またいつもの一日に戻って終わるはずだった。だが、一度歪んだ一日は元の形に戻らなかった。あるいは、私にとって過去最悪にツイてない日は、その日また更新された。


 放課後。私は手痛くて、よくある失恋をした。

 当時、六月の私のクラスには、ゆるくスクールカーストの層が出来ていた。その中で王者に君臨してたのが、安浦やすうら美桜みさという女の子だった。とにかくコミュニケーションが達者な子で、陰気な空気を出してる私にすら席が隣になったらガンガン話しかけてきた。誰とでも仲良くできる子で、裏表がないと評判だった。誰とでも仲良くできる子が裏表がないというのは、なんとなく矛盾している気もした。顔もカワイイと評判だった。そこは普通にすごく羨ましかった。

 今となってみると、美桜のその美人と評判だった顔は、もうぼんやりとしか思い出せない。おそらくよく居るぐらいの、”普通”のカワイイ子だったのだろう。思い出せるのは、机の上に置いてあった白くてふわふわの筆箱と、沢山の色ペン。彼女のノートはいつも虹よりも沢山の色で彩られていた。それを見て、私はこの子は絵本みたいな世界を生きてるんだなと、どこか小馬鹿にするような、妬ましいような、そんな感情を抱いたのを覚えてる。

 その安浦美桜と、帰り道ばったり会ってしまった。会ったというか、見つけてしまった。彼女はクラスのイケメンと、私の家の裏通りでチューしていた。美桜が背伸びをして、イケメンがちょっと前にかがんで唇を合わせていた。それから、一瞬、美桜がこちらに気付いて目も合ってしまった。

 私はその場から勢いよく駆け出した。いたたまれないとか気持ち悪いとか、思うことはいろいろあったが、何より美桜とキスしてたそのイケメンは、私が当時片思いをしてた相手だった。私はそのとき、「胸が張り裂けそうな痛み」とは、どういう痛みなのかを初めて知った。

 クラスのイケメンは、顔がカッコよくて私にちょっとだけ優しい人だった。それで、私はうっすらと、自覚出来る限りうっすらとだがイケメンが好きだった。うっすらと好きな人が、クラスのカワイイ子とキスしてるのを見て、心に大きな裂け目が出来た。私はそれが失恋だと思った。私はイケメンのことが思ったより好きだった。自覚出来ない恋心も、それが静かに裂けることも、「思春期の少年少女にはよくある話」だと、当時の私には少しも気づけなかった。

 十六歳の私は、恋愛にどこか過度な期待をしてしまっていた。私は、世界が嫌いだった。自分を弾きだしてるこの世界にうんざりしていた。だけど、いつか何かのきっかけで大逆転が起こるかもしれない。それはもしかしたら、恋愛によって起こるかもしれない。白馬の王子様がいつか迎えに来る──あるいは少女漫画の王道プロット──私はどこかで、そんなフィクションじみた理想を心に描いていた。それは、恋愛に限った見え方じゃなかった。ツイッターも、友達作りにおいてもそうだった。どこかで知らない誰かが私を見つけてくれる。周りはみんな馬鹿に見えるけど、本当の私を分かってくれる素晴らしい人がきっとどこかに居る。そんな風にすぐ近くの周りの人は見下して、どこにも居はしない「自分に都合のいい理想の誰か」には期待した。だから友達が出来なかった。恋人なんてもっての外だった。

 安浦美桜とイケメンのキスは、そんな私を幻想から引きずり出して破壊する程度には、生々しく現実的な事件だった。知らない誰かは、知らない場所で、知らない人と愛を築いている。恋愛に大逆転なんて起きない。現実がひっくり返ることも無い。この先もきっと私は、独りぼっち。一人で生きていく。悲しみは胸の中で言葉にもならずに渦巻いて、溢れていった。

 失恋、あるいは理想の崩壊。どちらが相応しいのかは分からない。だが、どちらにせよ私の心は破壊された。

 私は海に向かって走っていた。六月の海は、曇天の空を映して濁った灰色をしていた。


【死にたい死にたい死にたい死にたい死にたいよもうやだここにもう居たくない】〈しおちゃん [2015.6.20 18:17]〉


 私は病んでいた。いわゆる激病みをしていた。精神がものすごく落ち込み、ツイッターで死にたいを連呼していた。だけど、それは底の抜けたバケツに水を注いでるような触感にしかならなかった。そのとき、私は世界の全部が死に近づいていくような感覚の中にいた。


 ────生きてください


 不思議だったのは、そんな状態になって初めて、ユウさんの言葉が胸に染み始めたことだった。エスパー? 予言者? 私は意味のない推論をする。私は海を見つめる。それから、真剣になぜユウさんがあんなことを言ったのかを気にし始める。

 日が暮れていく薄暗闇の浜辺で、私は気を紛らわすようにユウさんについて考え始めた。


『私は高校一年生のしおちゃんと申します‼ 少女終末症候群の曲の意味を教えてください!』

『女の子ですか』

『女子高生です』

『じゃあ分かりません』

『女子高生だと分からないんですか?』

『分かりません』

『そうですか・・・ありがとうございます!』

『生きてください』←⁉


 ユウさんとのやり取りは、やっぱりどう考えてもぶつ切りと言うか、コミュニケーションとして成立してるか怪しいように感じられた。だけど、その疑問もはひとまず、「多分ユウさんはコミュニケーションが苦手な人なんだろう」と答えが出せた。普段のツイートが【好きな偉人は柳生十兵衛やぎゅうじゅうべえです】[2015.6.4 19:51]とか訳の分からん人だし、失礼ながらそれでも問題ない気がした。

 議題は、どうしてユウさんが私が女子高生だから、少女終末症候群の意味は分からないと言ったか。どうして「生きてください」なんてことを私に言ったのか。

 女子高生じゃ分からない……じゃあ、どんな人だったら少女終末症候群の意味を分かることが出来るんだろう。

 私はふと、昨晩のユウさんのツイートを思い出す。


【少女終末症候群は追憶です】


 そのツイートと疑問が繋がって、私は一つの推理を思いつく。もしかして、ユウさんは少女終末症候群が追憶の歌だから、「女子高生」じゃ分からないと言ったんじゃないだろうか。

 少女終末症候群は、ユウさんが自分の記憶を辿って書いた歌らしい。それは「女子高生」の私には、確かにまだあまりピンと来ない感覚だ。私はまだ思い出して懐かしむほどの記憶を持ってはいない。だから、女子高生には少女終末症候群の意味は分からないと言ったのではないか。

 そこから、私は次のひらめきを得る。多分、ユウさんは「大人の女の人」なんじゃないだろうか。追憶出来るだけの記憶を持っているのは「大人」だ。大人になると何もかも懐かしく感じられると言う(その通りだ)。そして少女終末症候群は「少女」の歌だ。懐かしむ記憶に少女が出てくるなら女の人が書いたってことに……いや、それは分からないか。少女が好きだった男の人が歌を書いたってこともある。変態じゃん(それは言い過ぎている)。

 でも、私はどうしてかユウさんが「女の人」のように思えてならなかった。それを確信させる要素は無いのに。それがどうしてか、私は考える。少女、追憶、死──私は想像する。想像しながら、自分の心の中にある感情を掘り起こしていく。

 私はある瞬間一つのことに気が付く。どうして自分が「少女終末症候群」にこれほどまで惹かれているのか。その答えに行き着く。


『私、死にたかったみたいです』


 私はその答えによって、自分が少女終末症候群に対して──「共感」していることに気が付いた。少女が死んでいく歌に。少女が自ら、死を選んでいくその歌に。

 私はまた、昨夜のようにユウさんにメッセージを送る。


『ユウさん、私には分かってしまいました。どうして少女終末症候群がユウさんにとって追憶なのか。少女終末症候群がホントはどういう意味の歌かも』〈しおちゃん [2015.6.20 18:44]〉



「私が死んだらそのとき

 世界は終わるのかしら」

 孤独な少女が そう言って

 摩天楼から身を投げた


 午前零時の空虚な町で

 少女は終わりに近づいていく



『この歌に出てくる孤独な少女は、もしかしてきっとあなた自身のことなんじゃないでしょうか』〈しおちゃん [2015.6.20 18:46]〉

『ユウさんは、いま大人になってしまった少女で』〈しおちゃん [2015.6.20 18:47]〉

『この歌に出てくる少女は、自ら死を選ぶことを何度も考えた、かつてのあなたの心を写し取ったものだったんじゃないでしょうか』〈しおちゃん [2015.6.20 18:49]〉



 永久を隔てた白い壁から

 月の光が剥がれ落ちてく

 亡骸に 残響に

 死が重なって消えてゆく



『この歌の中で自ら死んでいく少女は、かつてのあなたが想像した自分の姿だったんじゃないでしょうか』〈しおちゃん [2015.6.20 18:50]〉

『死にたい気持ちにとらわれて自分の死をあらゆる形で考えてしまう。そんな少女時代を書いた歌で』〈しおちゃん [2015.6.20 18:51]〉



 時間は牢獄 記憶とは咎

 午前零時の空虚な町で

 少女は終わりに近づいていく



『だから、私はあなたの歌に共感できたんです』〈しおちゃん [2015.6.20 18:52]〉

『少女終末症候群を聴いて、私は自分の押し殺した感情を代弁して貰えるような気持ちになれました。考えないようにしてた感情を、引き出して、肯定してくれた。共感させてくれた』〈しおちゃん [2015.6.20 18:53]〉

『あなたの歌があったから、私は気付くことが出来た。私の生きてた世界は空虚すぎて。私、死にたかったみたいです』〈しおちゃん [2015.6.20 18:53]〉


 メッセージを送り終える。どうでしょう、当たってますか⁉ ……とか言えるテンションにはなってなかった。メッセージを打ちながら私は滅茶苦茶落ち込んで、泣いていた。

 死にたい、と文字で打つたび、私は自分が惨めに思えた。気付かない方が幸せな感情がある。気付いて、言葉に出来てしまうと、心はそれに引っ張られていく。心の底から死にたい人間なんて居ない。だけど、死にたいぐらい退屈で辛い現実を生きてる人間はいる……私のことだった。それを自覚するたび、気持ちが深く沈んでいった。

 私は暗く青い海を見ていた。海を見て、メッセージを打って、液晶にボタボタ涙を落していった。自分が世界でいちばん不幸な人間のように思えた。死ぬこと以外考えられないまま、ずっと泣き続けた。ホントに死のうかな、と思う瞬間、自分が海に飛び込んで沈んでいくビジョンが鮮明に頭を過った。

 しばらくして、突然スマホから通知が鳴る。私は無気力状態で、顔を上げて画面を見る。


『死ぬな!』〈Mitsuki.U [2015.6.20 19:02]〉


 心臓に電流が走ったようだった。

 私はそのメッセージに心底驚いた。涙が引っ込むくらいビックリした。

 それから……沸々と、私はムカついていった。他人にそんなことを言われる筋合いは無い、と変な怒りが湧いていた。急に強い言葉を言われて、反射でムッとしたのもあった。私はユウさんに苛立って返信を返す。


『うるさい』〈しおちゃん [2015.6.20 19:05]〉

『死んでも救われない』〈Mitsuki.U [2015.6.20 19:05]〉

『黙って』〈しおちゃん [2015.6.20 19;06]〉

『死んだら親が悲しむよ。お友達も悲む』〈Mitsuki.U [2015.6.20 19:07]〉

『知らない』〈しおちゃん [2015.6.20 19:07]〉

『まだ高校生でしょ。命を大切にしてください』〈Mitsuki.U [2015.6.20 19:08]〉

『そんなの聞きたくない』〈しおちゃん [2015.6.20 19:09]〉

『死んでも何にもならない』〈Mitsuki.U [2015.6.20 19:09]〉


 私は次々と正論をぶつけられて、顔が真っ赤になるくらい怒りを膨らませていた。どれも心に響かない、うわべだけの言葉のように思えた。


『私は死んで夏の海になる』〈しおちゃん [2015.6.20 19:10]〉


 怒りや悲しみの中から、突然そんな言葉が湧いてきた。だが、その言葉は驚くほど自分の感覚に馴染んだ。

 潮という自分の名前が好きだった。お父さんとお母さんが、私の居た町の綺麗な海にちなんでつけた名前だった。だから、私はこの世界に生まれる前からこの海と結ばれていた。私がもし死ぬのなら、そこに還って行くのが当たり前のような気がした。

 しばらくメッセージが止まった。そして、ユウさんからまた返信が返ってきた。


『死ぬなよ。頼みます。お願いです。死なないでください。お願いです』〈Mitsuki.U [2015.6.20 19:12]〉


 それは懇願だった。私は火照っていた体が急にスッと冷めて、ユウさんの言葉がその日初めて胸の奥底まで届いたのを感じられた。文字だけでも、意思が伝わってくるようなメッセージだった。

 私は、そのメッセージに心が揺れた。どうして見ず知らずの私にここまで言ってくれるのか、私には分からなかった。

 ……私は悲しくなった。憧れてた人に、こんなことを言わせてる自分が、ふいにどこまでも情けなく思えた。気分も静まって、頭の中が透き通っていく。


『ごめんなさい。死んだりしません』〈しおちゃん [2015.6.20 19:15]〉


 私はユウさんに謝った。返事は帰ってこなかった。

 私はゆっくりと立ち上がって、涙を拭いて辺りを見回した。泣きすぎて体がぐったりと重かった。私は家に向かう帰り道を歩いて行った。空っぽのようになった体の中に「夏の海になりたい」という願いと「死ぬな」という言葉の温度だけが、漠然と残っていた。


 家に帰ると、「しおちゃん」はフォロワーが1のアカウントになっていた。通知を見て驚いた。ユウさんからフォローされていたのだ。私のことが心配になったとか、そういう事かなと思った。複雑な気持ちだった。憧れの人とこんな形で距離が近付いたのは不本意だった。後悔の感情で一杯になるが、それでも起こったことは変えようがなかった。

 そうして、私のツイッターは独り言の置き場から、あの人のための手紙置き場に変わった。それだけが私の現実の中で変わっていた。

 これが六月の出来事だ。そして、七月が始まる。だが、いくつかの疑問は解消されないまま時が進んでしまった。少女終末症候群が本当に私の推理通りの意味だったのか(答えが返ってくることは無い)。ユウさんが本当は何者だったのか(それらが分かることは決してない)

(この小説は不完全に終わる。それを私は謝るべきかもしれない。この儀式は私のためだけにある。あなたにそれを付き合わせていることを、私は一つの罪だと感じている)梅雨が終わる。

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