第9話 健康ランド“熱海鼠”ダンジョン


 ウチらが健康ランドダンジョンに行く切っかけは、スキルのテストを終えた後のことだ。

 例の受付嬢と、ゲイの支部長からこんな話を受けた。


 「未曾有みぞうのサウナストーン不足? そないなことあるんですか?」

 「あるんですねぇそれが」


 サウナストーン。サウナで使われる、温めるとちょうどいい熱気を発する石のことらしい。文字通りのサウナの要石かなめいしで、これがなくてはサウナを名乗るのは、代替手段がない限り難しいだろう。

 そんなサウナストーンが不足しているというのは、一体どういうことだろうか。


 「実はだね、この辺のサウナではとあるダンジョンから採れる特殊な石が使われているんだ。だが、石の耐用年数がやってきてね、代え時なんだよ」

 「なるほど。でも何でウチに?」


 もっと慣れた人や、強い人を行かせればいいと思うのだが。


 「そのダンジョンは水場が多い上に蒸し暑くてね……ほら、探索者は重そうな鎧を着てたりするだろう? あれは金属だったり、革だったりするから、防具がダメになったり水に浮かずに溺れてしまうんだ」

 「軽装でやってる一部の人はもっといい狩場に出払ってるっス。それに、防具もそうですけど武器だって重いっスからねぇ」


 確かに、パーティーとか組んでいたらもっと大きくて癖のないダンジョンに行くな。ウチやったらそうするわ。

 そして、防具も武器も湿気てダメになるかもしれないし。ウチはその点、何も問題ないが。


 「今回も専用の探索者にやってもらうつもりが、ちょっとした手違いで別のダンジョンに向かっていてね……君の、軽装? なら行けると思ったんだ。それに君は探索者の試験で、水泳の項目においても優秀な成績をしてただろう。それも理由の1つだよ。ああ、泳ぐときは【シン・硬化】は解除するんだよ。溺れるかもしれないからね。大丈夫かもしれないが……」


 なるほど、そういう理由があったのか。初心者でありながらも水泳の得意なウチに頼む、と。

 しかし、専用の探索者ってなんや? サウナ専門?


 「報酬は100万円。勿論、保険料や税金を抜いた額だ」

 「やらせていただきます!」

 「ありがとう。君には専用の『マジックバッグ』を貸し出そう……君ならしないだろうが、もし借りパクなんてしようもなら一発で分かるからしないように」


 かくして、ウチは健康ランドへ向かうことになった。




 ◇




 「ここが健康ランドや。中々綺麗なとこやろ?」


 熱海鼠ねつなまこと書かれた看板が素敵なダンジョン。

 そのまんま『健康ランドダンジョン』、『熱海鼠ダンジョン』あるいは単に健康ランドと呼ばれている。

 まあ、もっぱら健康ランドと呼ばれるのだが。


 「ほれ見てみぃや、この値段」

 「ジャア?」

 「大人料金でも500円ちょいや。経営者が相当なやり手やったらしいで。でもダンジョン化でなぁ……」


 まあ、今では探索者であればタダで入れるわけだが……


 「ジャアァ」

 「おお? せやな。早いとこ行くか」


 ドンにせっつかれてしまったので、中に入ることにする。

 未だに起動している自動ドアをくぐる。ロビーはかなり綺麗であるが、普通の健康ランドといった内装だった。

 ただし、不気味なまでに人の気配がしないことを除いて。


 「ウチら以外はおらんか、奥の方におるかも分からんな」

 「ジャアァ」

 「まずは……いや、長いこと潜るのもアレやな。さっさと大浴場のロッカールーム行こうや」


 ウチらは大浴場を目指して廊下を進む。

 その先には、男湯と女湯。そして、真ん中には『混』と書かれた紫色の暖簾のれんがあった。

 ここは、ダンジョン化以前の健康ランド時代には存在しなかった、『混浴』である。


 「ダンジョン化してからはなぁ、不思議パワーで男湯も女湯も入られへんねん。この混浴を除いてな」

 「ジャア……」

 「ジェンダーレスをゴリ押しする姿勢、嫌いじゃないけど好きでもないわ」


 これは、男女パーティーが入って来た時に分断されないようにするダンジョンなりの気づかいであると考察されている。

 ダンジョンにもある程度の意思があり、それが反映されているという『ダンジョン生物説』だ。ダンジョンなどというファンタジーがある以上、与太話と切り捨てるには時期尚早じきしょうそうな話だった。


 「まあそれはええ。ここから先はモンスターが出てくる。気い付けや」

 「ジャッ!」


 ドアを開けると、そこは特に変わったところのない普通のロッカールーム。

 混浴なのはいいが、着替えまで男女共用でなくともいいのではないだろうか……微妙に融通が利かない。


 「モンスターはおらんみたいや……危なッ!?」


 警戒しつつ顔を出したウチ目掛けてヒュンッと何かが飛来し……ウチの硬化によって阻まれた。


 「こ、こいつは『飛来するロッカーキー』!」


 ぶつかった衝撃か、足元で動かなくなったそれは、ロッカーキーだった。

 『飛来するロッカーキー』。その名の通り、ひとりでに動く鍵である。動くだけならいいのだが、問題はその殺傷能力。急所に当たれば、大体死ぬような威力を持っているのだ。


 「生身で受けたらヤバかったな。もしかしたら、支部長らはこれを見越してウチらを送ったんかな?」

 「ジャアァ」

 「正直、他の探索者でも大丈夫かもしれへんけどなぁ。しかし、数はおりそうやな……せや! 確かこうやって音出すと――」


 ロッカーキーは音に反応する、という話を聞いたことがある。それで誘導できるはず。思い出したウチは、ガンガンと壁を叩いて音を鳴らす。

 すると、10本以上のロッカーキーが飛んできて、壁に突き刺さった。


 「多いなぁ!」

 「ジャッ」


 壁に刺さった鍵を、素手で叩き落とす。

 それだけで鍵は命を失い、単なるロッカーキーと化した。飛来するロッカーキーの命は、物凄くはかないのだ。


 「この残ったロッカーキーで、対応するロッカーが開けたらなぁ、中には何か入ってたり、逆に物を入れて保管することもできんねん。しかも、時間が経っても中のもんはなくならへん!」

 「ジャアア」

 「せや。だから、モンスターから剥ぎ取った素材を保管しとけるっちゅうわけや。ダンジョンで放置しとったら消えるからな普通は」


 普段ならありがたいのだが、今回は協会から借りたマジックバッグを持ち込んでいるので必要ない。

 中身を空けて、入っていたものを持って行くことにしよう。といっても、大したものは入っていなかったが。


 ちなみに、このロッカーはダンジョン謹製きんせいであり、中は見た目以上にものが入る。固定された『マジックバッグ』あるいは『マジックポーチ』と呼ばれている。ちなみに、それのスキル版が『アイテムボックス』だ。


 「よし、ロッカールームにモンスターは鍵以外おらん。お楽しみの浴槽行くで~」

 「ジャアッ!」


 水場があると聞いて、ドンのテンションも上がっているようだ。

 扉を開けると、中からは温泉特有の熱気がウチらの身を包む。それに対し、変温動物であるドンは絶望したような表情を浮かべていた。

 ドンはオーバーヒートで動けなくなるかもしれない……いや、ウチも硬化しっぱななしやったらなるかも。




 ◇




 大浴場の中はとてつもなく広かった。健康ランドの外見から推測される広さとはかけ離れており、複数の大きな浴槽――それも、1つ1つが温泉屋で目玉となる程のものが点在している始末だ。

 つまりは、一介の激安健康ランドにあっていい大きさと数、そして質ではないということである。


 「今や、これがタダで入り放題やで。信じられへんわな」

 「ジャア……」

 「熱いか? まあ、水風呂もあるから安心せぇや。その前にモンスター退治やがな」


 言ってる間にウチらの前に現れたのは、全身が湯煙でできたモンスター『ユケムリン』である。

 音もなく、声もなく、突然目の前に現れる心臓に悪いモンスターだ。


 「見ときや、こいつ……ユケムリンの対処方法をっ!」

 「ジャア?」


 ウチはユケムリンに手を突っ込み、中で手を振り回す。

 ユケムリンはそれだけで飛散し、跡形もなく消え去った。


 「はい」

 「……」


 健康ランド……いや、恐らくは全ダンジョンにおいて、ユケムリンは最弱のモンスターだ。

 赤子すら、ノミ1匹すら殺すことはできず、雑に手を振るだけで飛散してしまう。その代わり、魔石や素材は一切落とさない。

 超弱いが、旨味もない。ただそこに存在するだけのモンスターですらない現象みたいな奴らだ。


 「い、いやこんな奴らばっかりではないからな。もっとまともな奴もおるわ、ほら」

 『ザッブーン!』


 ウチがそこそこの大きさをした浴槽に近づく。すると水がひとりでに動き出し、襲いかかって来た。こいつは『超温泉水』という、奇襲しては温泉に引きずり込むという超危険なモンスターだ。

 力はそこまで強くはないが、地面が温泉特有のヌルヌルなので、金属鎧などを着ていたらほぼ確実に引き込まれておぼれ死ぬ。


 なので、今のウチみたいに軽装で対処することが推奨されているのだ。

 超温泉水の擬態を見破るのは困難だが、ここの温泉には大体超温泉水が潜んでいることは予習済み。来ると分かっているので溺れることもない。


 「ごぽごぽごぽ(そこで見とき)」

 「シャア……」


 超温泉水は一見すると実体が無いようにみるが、そんなことはない。

 その身体はスライムに近く、魔石を核としている。大きさも野球ボールくらいであり、動きも緩慢かんまんなので、これを掴んで引き抜けば倒せる。


 「ごぽっ!(そこっ!)」


 温泉としては広いが、泳ぐには狭い大きさなのですぐに捕まえることができた。

 透明な膜っぽい超温泉水に腕を突っ込み、魔石を引き抜くと、ウチを拘束していた圧迫感が消える。つまり、倒したということだ。

 魔石はマジックバッグに放り込んでおく。貸し出されている間は何を入れても自由だし、買い取りもちゃんとしてくれる。


 「プハァッ! こういうことや。結構、真面目なモンスターやろ?」

 「……」


 ドンは『言うほど真面目なモンスターだったか?』みたいな顔をしていた。

 モンスターに真面目もクソもないかもしれないが、ウチは死に至る攻撃を持っているかどうかが、真面目かどうかにつながると考えている。

 超温泉水は溺死の可能性を持っているので、その点ならかなり真面目といってもいいだろう。


 「あ、しくじったなぁ。シャワー浴びずに浴槽入ってもうたわ」

 「ジャア?」

 「ああ、本物の風呂でやるとマナー違反どころか殺されても文句言えへんから気を付けや」


 この健康ランドダンジョンでは、浴槽の汚れなど自動で浄化する機能があるらしい。

 まあ、だからといって身体を洗わずに入るのは違うのだが。ウチは超温泉水に引きずり込まれたからノーカンで。


 「っちゅうことで、次はシャワーに……?」

 『ぬわス!? パパー!!!』


 その時、ウチは奥の浴槽からドボンという音を聞いた。直前に聞こえた声からして、恐らくは他の探索者が落ちたのだろう……何やら珍妙な声だったが。


 「は、はよ助けるで!」

 「ジャア!」


 急いでそちらへ向かう。

 万が一重装備だった場合は、助からないかもしれない。


 「おいっ! 大丈夫か!?」

 「ジャアァ」

 「何やドン……なんやそれ」


 ドンがくわえてきたのは、ブロワーだった。

 これどっかで見たことあるような……などと思っていたら。


 「ごぼぼーぼ、ごーごぼ」

 「あ! あん時のあんちゃん!?」


 右手の拳を天に突き出すようにして溺れていたのは、スタニング・ベアーの時に助けた兄ちゃんだった。

 泳げない絶望と超温泉水の圧迫感で真顔になっているようだ。ウチは急いで浴槽に飛び込み、超温泉水を倒そうとするが……


 「冷たッ!? 超温泉水じゃない!? 『冷気の水風呂』や!」


 超温泉水の水風呂版である、『冷気の水風呂』だ。

 ちょっと焦ったが、冷たいだけで超温泉水とほぼ変わらないのでさっさと倒して拘束を解いた。


 「ハァァァァ……ッッッ!!! あの世に逝ったかと思ったよ」

 「生きとるよ」


 びしょ濡れになった、相変わらずのシャツとズボンという軽装。

 そしてブロワーを持って、こんな場所(健康ランド)で何してたんだろう。


 「いやマジでありがとう。このお礼は必ず……ん?」

 「何や? ウチの顔に何かついとんのか?」


 兄ちゃんは、ウチを見てキョトンとした顔をした。

 いや、格好もそうだし、前にも助けられた相手であることもあるだろうけど。


 「あ、あんたはあの時の!?」

 「奇遇やな。あん時は助かったで」

 「しかも何だその格好!?」


 目玉が飛び出んばかりに驚いた顔。目を物凄く見開いていた。表情豊かだなぁ。

 まあ、ウチもこんな格好してる奴とか見たら驚くと思うが。自分で言ってて悲しくなってきたな。


 「このカッコは……スキルの都合や」

 「スキル? ああ、なんか鉄っぽくなってたなぁ。しかし、どうしてこんなところに? 確かに、あんたにはピッタリなダンジョンだろうが」

 「協会からの依頼でなぁ。サウナストーン目当てや」


 報酬は100万円、より多くのストーンを入手すればもっと貰える。

 依頼内容を他人に喋るのは……時と場合によるとしか言いようがない。だが、この兄ちゃんなら大丈夫だと思う。人を見る目には多少、自信があるからな。


 「なるほど、依頼でサウナストーンを……なあ、オレにも手伝わせてくれねぇか? 助けてもらった礼がしたいんだ」

 「それはええけど……」

 「ロハでいい! 2度も助けられたんだ、何もしなきゃおとこが廃るってもんだ」

 「いや、さすがにタダはアカンやろ。兄ちゃんが倒した分の素材は持ってってええから」


 探索者において、パーティーメンバー間の金銭トラブルは絶えない。タダでいいなんてもっての外だ。

 後で協会でちゃんと話し合わなければ……


 「そうだ、前に助けてもらった時も忘れてた。オレはいぬい風男かぜおとこ。ブロワーマンとはオレのことさ!」

 「ウチは諸星もろぼし蛸羅そら。ソラって呼んでや。こっちはコモドドラゴンのドン」

 「シャア!」

 「ソラにドンか! よろしくな!」


 かくして、ウチらと風男ことブロワーマンの共闘が始まった。



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