4
「君の家出には、家族が関係しているようだね。」
古物店の戸棚の隙間に、隠れるように丸まっていたジョンは顔を上げた。紳士の機械ネズミが積み重ねられた絵画の上で腰掛けていた。ジョンは涙を浮かべ、頬を膨らませた。
「……ネズミにぼくの気持ちなんてわかるもんかい。」
「ああ、ああ!わからないとも!そしてきっと、君の本当の気持ちは誰ひとりわかるまい。だれひとりとも、ひとの心を覗くことはできないのだからね。」
「
「落ち着きたまえよ、少年。私は君に無理強いはしない。――けれども、いつかは話さねばならんのだよ。」
ずっと此処で厄介になるわけにいかない――其のことを、ジョンはよく理解していた。いつかはあの不道徳で非道な家へ戻る日が訪れるのである。其れが酷く悲しく――そして恐ろしくあった。
誰も自分を知らぬ、何処か遠い場所でひとり穏やかに暮らしたい――そんな思いに時折苛まれるが、社会を形成して生計を立てて生きる現代の人間に、そしてその一員であるジョンに其れが難しいことも深く知っていた。
今日の飯は?明日着る服は?――其れらは全てひととの関わりの中で手に入れることのできるものである。狩猟をして営んでいた頃は異なるのかもしれぬが――其れでも矢張り、ひとは誰かと協働してか弱い自分を守ってきたに違いない。ひとは獰猛な獣のように孤高に生きていける程頑強にできていないのだ。
「君は、神さまを薄情だと思うか?」
いつの間にか来店していたらしい。見知らぬ男の客人が冷ややかな声でジョンに訊ねた。ジョンはかぶりを左右に振った。否。振らなければならなかったのだ。自分は愛する母親と同じ敬虔な信者なのだから。
然しジョンは心の何処かで、神は何と非情な試練を与えるのだろうと感じていた。逃げ場のない袋小路に、自立できぬ小さな子どもを追い込んで。愉快犯の如く愉しんでいるのではないだろうかと猜疑心に満ちた目で十字架を睨んでしまったこともある。
「それは、心の何処かで不満を感じている顔だ。」
男は言った。ジョンは肯定し難く、声を荒げた。
「そんなことあるもんか!」
「君は何故、そんなにも
「ぼくはママと同じところへ行くんだ。だから、そのためには、ぼくは良い子でなくちゃいけないんだ。」
「君のママは――もう亡くなっているんだな。」
男の言葉に、ジョンは口を噤んだ。ジョンの本当の母親は、既に天国へ旅立っていた。体の弱い、けれど心の美しいひとであった。ジョンは死後、そんな母親の元へ行くのだと誓っていたのだ。ジョンは自分に言い聞かせるように言った。「ぼくは、ママのところへ行くんだ。」
何と悲しいことか!こんな小さな子供が、終わりを焦がれて良き市民として振舞おうとしているのだ。彼は死すために生きているのだ!
「ならば、神さまを信じたくなる話をしよう。」
男は静かに言った。気がつけば機械ネズミも静かに耳を傾けている。
「おはなし?」
「ああ。……神さまはね、本当の罰を与えることはないんだ。」
「そんなことはないよ。イエスさまはひとの罪を背負って死んでしまったもの!」
「いいや。」機械ネズミが声を上げた。「彼はまだ、我々の心の中に生きているじゃあないか。」
「……え?」
「本当に罰を与えるのならば、誰ひとりの心にも留まらぬようひっそりと――そう、
「存在しない?」
男は言った。
「そうだ。誰にも認識されない、記憶にも残らない――生きているのか死んでいるのかも判らない。生命活動を止めるだけでなく、本当にすべてを抹消してしまうんだ。それこそ「本当の死」と――本当の罰と言えるだろう。」
「そんな恐ろしいことをしたら、誰もイエスさまのすばらしい偉業を知ることができなくなってしまうよ。」
「神さまはそれをお赦しになった。何故だと思うかね。」
男の問いに、ジョンはごくり、と喉を鳴らした。機械ネズミが静かに言った。
「神さまがひとを愛しているからさ。だから記憶の中では、ひとが永遠であることをお赦しになっているのだよ。」
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