3
小窓から溢れる柔らかい朝陽が、疲れた心を癒やした。優しいピアノの音が空気を滑り――ジョンは心地よい気分でパン・ケーキの焼けるのを待つ。機械ネズミに誘われて、ジョンは古物店の向かいに在る洒落たカフェを訪れていた。
「ご主人、電源を貸してくれるかい?」
機械ネズミが、小太りの店主に声を掛けた。其の小さな手には家電にしばしば見られるプラグコード。機械ネズミはその片方を左耳に付けていた。まるでSF映画に登場するロボットだ。
「ああ構わんとも、イーサン。」
「恩に着るよ、ご主人!」
そう言うと、機械ネズミは
「まったく、無骨でいただけない!私も君のようにフォークとナイフで食事ができたらよいのだが。」
「そうなの?とっても便利そうなのに。」
「ナンセンス!生には程よいスパイスは必要さ。例えば君の飲むホットミルク。まろやかな舌触りで甘いのだろう。その刺激がひとを豊かにする。ひとの子はその豊かさを一日活動するための栄養とするだけでなく、学問をしたり芸術をしたりするきっかけとする。其れがなければ無機質で進化のない悲しい世界となっているだろうよ!」
一体ぜんたい、誰が此のネズミを人工的に造られたものと信じようか。彼の言葉はジョンよりもずっと詩人で、哲学者だ。ジョンは意識してホットミルクを啜ってみた。いつもよりずっと、複雑で深みのある味がした。
「んまあ、イーサンじゃない。」
矢庭に、喧しい女の声が頭上から響いた。見上げると、化粧の濃い中年の女がいた。牛の乳のような垂れた胸に段々腹をした何処にでも居る女だ。機械ネズミは長い尾を片手に持ち、恭しく頭を下げた。
「おはよう、良い天気だね。ベネット夫人」
「そちらのお子さんはいったいどこの子なのかしら。こんな朝早くから、親も連れずに。」
古物屋の常連客のひとりであるベネット夫人は疑わし気な目でジョンを見た。早朝の此の時間にジョンのような小さな子供が一人で居るはずがないのだ。
機械ネズミが其の言動通り、老紳士な人間の男であれば、きっと訳あって預かっている近所の子に違いないだとか、遥々遠方から遊びに来た孫に違いないだとか思ったであろう。然し、機械ネズミは機械ネズミ。ベビーシッターの真似事をするはずもなければ娘や息子が居るはずもないのだ。
機械ネズミは落ち着いた声で答えた。
「ちょっとわけがあって預かっているのだよ。」
「まあ、そんなはずがないでしょうに!どうせ家出少年か何かでしょう。ああ、いやだいやだ!育ちの悪い子は親心も知らないで!」
きっとジョンを非行少年か何かだと決めつけているに違いない。ベネット夫人は甲高い声で頻りにジョンを謗った。ヒステリックな女の声に、ジョンは不愉快で、我慢ならなかった。
ひとの気も知らないで好き勝手な空想を言い並べる女に一言言ってやりたい気分になり――然し幼いながらに持っていた理性で其の激しい情動を抑えつけ、ジョンは卓子を叩いて勢いよく立ち上がった。
「――ぼく、先にお店へ戻ってる。」
なんて失礼な子、と罵倒を浴びせるベネット夫人の横をすり抜けて、ジョンはカフェを飛び出した。まったく、せっかくの穏やかな朝が台無しである!
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