閑話 日本史の授業

*作者が日本の学校に通った事がないため用語の使い方がわからない場合、もしくは合っているか自信がない場合は (?)を付けるものとします。


加えて、作者の日本の学校に関する情報はアニメ、ドラマ、在英日本人からの話など偏った知識に頼った上で書いています。イメージは日本の学校ですが実際と違う点が多いかもしれません、ご了承ください。




1939年 6月 13日 帝都東京 東京帝国大学付属第一高校 教室




大日本帝国の力の根源とも言えるのはその圧倒的に充実した教育機関と日本本土だけで1.5億人を要する人口からもたらされる技術開発と研究である。その象徴にして根源たる東京帝国大学は1752年の創立以来、約50万人以上の学生を見送り、今年も3000人強の学生を向かい入れている。


さながら地獄の様な受験競争を争い抜いた3000年人の内、200名程度がこの東京大学付属第一高校発であり、姉妹校の第二高校、第三高校の127名、118名よりも倍近い数字を叩き出す、正真正銘の日本一の進学校である。


そんな本校であるが、倍率がもはや天文学的数字であり、なんと2560倍と言う凄まじい倍率であり、日本全国の学生が記念受験も含めてほぼ全員が毎年受験しており、一学年300人程度であることから768、000人の学生が毎年この高校に入学すべくしのぎを削る計算になる。そして脅威的な事に、この数字は毎年増え続けているのである。


ちなみに、政府関係者や軍の関係者に対する優遇措置などは一切なく、開校当時の天皇、桃園天皇直々に送られた書状には、今も内容がしっかり読める状態で保管されており、当時から政府、軍、そして侍やお坊さんと言った特権階級に一切配慮、遠慮をする必要がないと明確に書かれており。それに押されている菊花紋は天皇家が続く限り有効と示す最上位の物が使われており。今現在に至ってもこれが現存する最古の菊花紋(オリジナル)だとされている。


ここまで書いてもまだまだ書き足りない本校の歴史であるがこのままでは日本史ではなく第一高校史について語ってしまいそうである。


本校の教室は一クラス30人で構成されており、各学年に10組、一つの組につき担任の先生が2名、各科目専門の先生が2名、そして各学年に責任者の様な先生が3名と一学年に付き20−30人ほどの教師がおり、警備員などを含めると高校全体で100人以上の職員が勤務している。国内、いや世界最高の高等教育機関と胸を張って言える設備も整っていて、教育と言う括りでは間違いなく現代日本にあるすべての高校に勝っているだろう。


そんな10組の内1組から3組までは実力、正確には期末模試の順位によって決められ、一位から二十九位が1組、三十位から五十九位までが2組といった形で組み分けされる。なお八十九位以下は普通の高校同様にある程度法則はあるもののほとんどランダムで選ばれるようになっている。ちなみに男女共学。


そしてようやくたどり着きましたのは一年一組。入学試験で主席から二十九位であった者たちである。


東京ドームより若干広い校舎全体にチャイムが鳴り響く。


「起立。気を付け。礼。着席。」


当直(?)の生徒の掛け声で皆が一斉に教師に対し礼をする。


「皆さん、おはようございます。皆さんが入学してはや二ヵ月が立とうとしています。学校には慣れましたか?今日の日本史を担当する武田先生は強面ですが優しい先生ですので、皆緊張せずに励むように、特に斎藤さん、そう緊張しなくとも大丈夫ですよ。」


生徒から静かな笑いがこぼれる。


「では、ホームルームを始めます。今日のお題は今朝発表された日英同盟の復活です。これについて、歴史的観点から補足説明をできるものは?」


先生の声に素早く反応したのは女子生徒であった。凛々しくすらりと長い黒髪に、母親譲りの優しい目、そして父親譲りの高身長から繰り出される挙手は座っている状態にもかかわらず起立した日本平均男性の身長よりも高く、その原動力である父親譲り、と言うより父親に仕込まれた綺麗な座位は彼女の座高をクラスメイトより10センチは余裕で高くしている。


「はい!」


「いい返事ですね。では黒川さん、お願いします。」


先生の返事を得て女子生徒は起立しこれまた綺麗な直立を披露する。まるで軍人の様である。


「はい。歴史上はじめて日英同盟が締結されたのは1801年です。これは1750年に我が国が産業革命、いわゆる紅葉維新を達成しアジアに帝国を築き上げていた道中にヨーロッパでフランス皇帝ナポレオンが名をあげ、英国に宣戦布告を行う事を危惧したことから急遽結ばれた同盟で、実態は簡素なものであったようです。実際、この同盟だけではナポレオンを思いとどまらせることはできず、1803年にナポレオン戦争が始まります。日本は英国の貿易国となることで英国を援護、ナポレオンの大陸政策の一環としてヨーロッパから締め出された英国経済の穴を埋めるべく、英国に日本、引いてはアジアの市場を提供した形です。そして1815年にナポレオン戦争が終結すると中国利権で日英は衝突。国力差や英国の内政が火の車であったことから戦争には発展しませんでしたがそれ以降日英関係は冷え込みもせず改善もしないまま世界の反対側であると言う理由からほぼ中立国同士の様な状態で今に至ります。」


女子生徒は回答を終えると着席し、数秒だけ沈黙が流れる。


「素晴らしい回答です。流石は今年の首席入学者ですね。お父様もさぞお喜びでしょう。」


先生はそう締めくくると拍手を始め、他の生徒も拍手を返す。


「では、ここからは武田先生にご説明していただきましょう。お願いします。」


「ありがとうございます、織田先生。では皆、教科書の18ページを開きなさい。今までは建国記を学んで来たが、これからは近代の日本史についてだ。よって今日は日本史の大まかな流れについて話してから個別の時代を注意深く見ていく事にする。質問がある者は挙手をするように。」


織田先生(女性)に場を譲られ武田先生が話し出す。


「まず日本史は皆が知っているように紅葉維新(もみじいしん)の前後で別れている。1749年以前が前記、1751年以降を後記とされていてその理由は1747年に将軍となった家久(いえひさ)が行った大改革、そして同じく1747年に即位あそばされた桃園天皇 遥宮(はるのみや)様による大改革を総称して紅葉維新と呼ばれる維新が日本を当時の欧米基準の1600年相当から1850年ほどに大幅な革新を行っただけではなく、後世に多大な影響を与えており、今の大日本帝国の基盤を作ったのがこのお二人である。紅葉維新以降、日本政府などの政府機関や工業化に力を注ぎ1760年には国内総生産(GDP)で世界第10位に、1770年には第一位になっている。」


補足だが世界各国の1700年代のGDPは色々調べたがどれも情報がバラバラであったため、日本の総生産は欧州以下であろう事から1750年で大体20位前後と仮定したものである。


「そんな中お二人はアジアの平定にも取り掛かり、まずは中国より台湾と朝鮮半島を獲得、ハワイを平和的に併合しアメリカ大陸上陸も果たしている。アメリカ大陸の拠点として今も発展を続けているのはロサンゼルス、シアトル、そしてサンフランシスコだ。ここテストに出るぞ。家久将軍と遥宮天皇陛下の死後も帝国は順調に発展を続け、1850年には紅葉維新100年を記念して全国規模の祭りである大国祭を行い、翌年の1851年には中国を平定し海岸沿いと資源地帯を併合、それ以外は傀儡化するなどして中国平定が完了する。ここは大国祭の影に隠れて忘れられる事が多いから気をつけろ。


そして1860年、重要な出来事が起こる、太平洋を横断でいる大型客船、輸送船の発明と航空機の発明だ。この成果は1872年に勃発したメキシコ戦争においてスペイン艦隊を無傷で葬ったことと、難攻不落とされたメキシコ大要塞をたった二週間で突破するなどの軍事的成果だけではなく、カルフォルニアなどから大量に金が取れるゴールドラッシュ時代にその金を日本に輸送する際に役立つなどと帝国の発展に大きな影響を与えた発明であった。これもテストに出るぞ、1860年大型船、飛行機発明とメキシコ戦争1872年だ。


続いて1900年代だが1914年、欧州で大事件が起こる、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻が暗殺されたサラエボ事件だ。これは欧州で大戦が起こる危機と世界中で認識されており、実際これを受け二重帝国は主犯がセルビア人学生であることを理由にセルビアに宣戦布告、ドイツもこれに追随しようとしたが日本による仲介で抑えられた。これは授業でもっと詳しく教えるが今は日本の働きで世界大戦に発展しうる危機が二重帝国対ロシア・セルビア連合軍に激減できたと認識しておくように。この戦争でロシア・セルビア連合軍が1927年に敗戦、これを受けロシアでは同年中に共産革命が発生、ロシア帝国からソ連へと変貌した。同時期に二重帝国も内戦に突入し分裂、理由は複数あるが主な理由はハンガリー人の戦死者が圧倒的に多かった事に収束する。なおこの際にポーランドなどの中小国が誕生しているがこれも事業で詳しく教える事とする。


最後に、1928年の大恐慌だ。1928年にアメリカで発生し欧州ですさまじい影響をもたらした暗黒の金曜日、8月24日だが日本ではそこまで知られていない、単純に帝国にそこまで影響をもたらさなかったからだ。輸出経済は多少打撃を受けたが、逆にアメリカ系の会社が退場した事で結果的に良い方向に向かい、日本企業の影響力を相対的に強めた形になる。


ここまでが後記の日本史だ。前記は徳川家康公がどうやって日本を統一したかに触れつつ、主に後記についての授業を行うのが日本史だ。正直、戦国時代の者たちには申し訳ないが日本史は紅葉維新後が本命であり、それ以前は正直近代日本にほとんど影響を与えておらず、徳川将軍家以外現段階で学ぶ必要が無いからだ。もちろん、各々大学に進学するれば前記の日本史を学ぶ事ができる、その点では東大は幕府が開いた大学と言う事もあって歴史的資料が豊富であり日本最高の授業を受けることができる。皆が東大、あるいは他の帝国大学で何を学ぶも自由だが前記の日本史を学びたいものは東大を目指すと良い。では、今日の授業はここまでだ。」


武田先生がそう締めくくると、同時に校内にチャイムが鳴り響く。


「起立、気をつけ、礼。ありがとうございました。」


「うむ、ありがとう。では次の世界史の授業は10時5分からだ。遅れるなよ。」


こうして、高校生たちは新しい一日をはじめる。日本最高の、世界最高峰の教育を受けながら、日本の未来を大きく動かす子供たちを育て、日本の栄光を、永遠のものとするべく。




以下補足説明。


戦国時代には全く手を入れていないので史実通りと思ってくれて結構です。ただ作者の戦国時代に関する理解度が低く、間違った事を書いてしまう可能性があります。よって日本史前記についてはなるべく書かにようにしたいと思います。一様大河ドラマ、解説動画などを見たり、自分で調べたりしていますがやはり学校で習うより理解度に差が出るのと間違った認識を正す先生役が居ないことでこうした弊害が起きている事には目をつむっていただけると幸いです。そしてもし間違いがありましたらご指摘いただけるとありがたいです。また、ご指摘いただくさい、名前などの漢字にふりがなを振ってくれるとありがたいです。


日本以外の歴史、世界史は大体史実通りです。細かい変更や日本の産業革命により大幅に変わってしまった点は1860年の飛行機発明以降で、それまでの世界の流れは大方史実通りであり、史実と違う点は後々書くことになります。


最後に、日本史の転換点、紅葉維新について疑問点が多すぎると思いますがここに関して細かく描写(?)する回がありますのでそれまで皆さんで考察しながらお楽しみください。



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