第2話 高原の光景
毎日のように引き起こされる交通事故で、今回、不可思議なものがあり、最初は事故だろうということで処理されるところであったが、事故調査を行った警察官が急に、
「これは何か怪しいような気がする」
と言い始めた。
まず状況として、夕方から夜にかけての通勤時間が終わって、だいぶ交通量が減ってきた午後十時近くのことであった。
都会から離れて住宅街に向かっていく、少し坂に差し掛かった、小高い山の麓に当たる部分のところで、夕方くらいから少し降り始めた雨の影響おあってか、道は少し濡れていて、アスファルトが光っているのが見える。
このあたりは近くにバス停があり、住宅街に向かっていく最初のバス停で、幹線道路から住宅街に入っていく最終バスの時間に相当した。
この住宅街は、最近整備されてきたもので、まだ、それほどたくさんの住人もいないので、こちらの路線バスも、最近になってできたのであった。
昔はというと、このあたりは、山の中腹くらいに、スーパー温泉があったり、ごみの焼却場と言ったものがあったりと、施設はあるが、ただ点在しているというだけで、店や施設が閉まってしまうと、後は近寄る人もいなかった。
そういう意味で、夜のこのあたりは、暴走族のたまり場になっていたりした。
道路は整備されていて、文句をいう住民もほとんど住んでいないだろうということで、恰好の暴走場所だったのだ。
だが、遅まきながら住宅街が出来上がってくると、バスは開通するし、住宅も増えてくる。
さらに、病院、学校、大型商業施設の建設が決まってくると、夜といえども、大型の車が走ることも多くなり、ここ、二、三年で、ほぼ暴走バイクがいなくなったと言われてきた。
だが、実は暴走バイクがいなくなったという理由は、それだけではなかったのだ。
あれは、今からちょうど三年くらい前だっただろうか、いつものように暴走バイクが走っていると、ちょうど、車が目の前を走ってきて、出会いがしたにバイクが跳ね飛ばされるという事故があったのだ。
バイクは当然一台で走っていたわけではなく、編隊を組む形で走っていたのだ。それなのに、ひっかけられるような形で巻き込まれたのは一台だけで、運転手もビックリしたのか、ハンドルを切り損ねたのか、そのままがーとレールを突き破って、そのまま谷になっているところに転落し、車は大破、そのまま炎上してしまったことで、運転手は即死、黒焦げになっていたので、ほとんど、検死もまともに行えないほどだったのだ。
これは、さすがに悲惨な交通事故として、当時の新聞は取り上げていた。バイクを運転していた人間も吹っ飛ばされて、そのまま地面にたたきつけられる形での即死だったという。
そういう意味でも、センセーショナルな事故ではあった。
だが、しょせん、交通事故のニュースはその後に事態が急変とかでもしない限り、数日で忘れられていくのが運命ではないか。どんなに悲惨な事故であっても、身内以外は、それほど気にすることはない。毎日のように、重大事件が新聞を賑わせていると、交通事故は本当に忘れ去られるものだ。
もちろん、運転手が飲酒をしていて、被害に遭った人間が、幼い子供だったりすると、話題にはなるだろう。だが、そうでもなければ、現場に花やお菓子を手向ける人がいるという程度で、局地的な話題でしかなくなるのも無理もないことで。この事件のように、状況とすれば悲惨な事故であり、爆発炎上という意味でセンセーショナルであるが、その現場をカメラがとらえていたわけでもないので、話題としては印象に残ることはないはずだ。
そんな事故も、類に漏れず、数日で世間は忘れてしまっていた。ただ、出会いがしらの事故ということもあり、しかも、このあたりはこれから開発が進む道ということで、当初は計画になかった信号機が取り付けられることになったのは、いいことだったに違いない。
少しずつ住民が増えてきて、学校もできることから、
「ここに信号があるのとないのとでは、まったく状況が違うわよね。子供たちが事故に遭ってから、やっと、このあたりが危ないと言って、信号をつけるようになることを思えば、あの時の事故がきっかけいなったということで、あの時の二人の死は無駄ではなかったということよね」
と、住宅街に引っ越してきた、子供を持つ母親たちの間で言われてようになったのだった。
ここに信号が設置されたこともあって、この時くらいから、暴走バイクがいなくなった。仲間が、事故で死んだというよりも、信号がついたことの方が、やつらにとっては、もうここで暴走行為を繰り返さないということへの警鐘になったようだった。なぜそんな心境に至ったのかは彼らでないと分からないが、暴走バイクにとって、どうやら信号一つで、自分たちのテンションが変わるもののようだった。
暴走バイクが離れたちょうど同じ頃くらいだっただろうか、急におかしな話題がこの近所で囁かれるようになった。
例の事故の件が話題になっているのであるが、
「あの時の事故は、実は車を運転していた人が何かの原因で意識を失ったことで、バイクを跳ね飛ばしたのではないか?」
という話だった。
事故処理としては、どちらが悪いというわけではなく、まったくの出会いがしらで、お互いに避けることができなかったという結論にはなったのだが、車の運転手側の遺族は、本当は納得していなかったようである。
車を運転していたのは、市役所に勤める公務員の人だった。その人は、新興住宅街に対して、市から派遣されて、現地を調査したり、業者と話をする部署にいたのだった。その日も、ちょうど、業者と現場を見ながらの検証をいろいろ行っていて、それが終わっての帰りだったという。
事故が起こった時間としては、午後八時にもなっていない時間で、同じくらいの時間に帰るのは今までで初めてではなく、何度もあったということなので、慣れている道だったはずだ。
当然、暴走バイクが若干いるということも分かっていて、大通りに出る時は、一旦停止はいつもしていたはずである。
「それを暴走するなどありえない」
というのが、奥さんの言い分だった。
奥さんは、ちょうど身重で、運転者であった男性にとって、初めての子供だったということで、
「そんな主人が、危険な運転をするはずもない」
と言って、警察には話していたが、警察としては、
「そんな、幸せな気分だったということで、余計に運転に集中できなかったのかも知れませんね。浮かれた気分の時は、いろいろと運転しながらでも想像を膨らませていると、ついついいつも一旦停止しているところも、油断して、そのまま行くこともあったりするかも知れませんよ」
というのだった。
確かにそれは言えるかも知れないと、奥さんもひるんでしまった。ここでひるんでしまうと、もう警察の話に逆らうことはできないだろう。
無念な気持ちはあるが、いくら警察に何かを言って、旦那の無罪が証明されても、旦那が帰ってくることはない。自分もこれから、小さな子供を抱えて大変な状況なので、この事故のことだけをいまさら蒸し返していいわけではない。
それを考えると、ある程度まで話をすると、その後はどんどんテンションが下がっていって、そうなると、警察も事件のことが過去になってしまう。
誰かがいうから、忘れずにいるだけで、警察としても、日々新たな事故がどんどん発生して行っているのだから、その場のことはその場で済まさないとやっていられないというのが本音だろう。
奥さんもさすがに、もう警察に異議申し立てをすることもなくなって。事故は完全に風化していった。
暴走バイクの方の家族からは、一切何も言ってこなかった。
家族も暴走バイクを走らせる息子に手を焼いていた。暴走バイクを走らせるだけではなく、喧嘩をしたり、ちょっとしたことで、警察の厄介になることもしばしば、何度母親が警察の少年課に謝りに行って、身元引受人として息子を引き取ることになったか、さすがに警察の方でも、毎回のことにウンザリしているようだった。
「死んでしまったということは、悲しい事実だけど、あの子からもう迷惑を掛けられることはないということに関しては、ホッとしている気もします」
というのが、母親としての本音だった。
だが、このことが原因で、家族は崩壊してしまったようだった。父親からすれば、
「母親のお前がしっかりしていないから、こんなことになったんだ」
と、一方的に旦那に責められて、奥さんの方もさすがにキレてしまったようだった。
二人は元々一触即発だったようで、売り言葉に買い言葉が、一気に離婚に走らせて、母親の方とすれば、この家庭崩壊は自分にとってありがたいというくらいに思えていた。
子供は、この不良息子一人だけだったので、家族三人で暮らしていたのだ。
元々、父親が不倫をしていて、奥さんも、そのことに気づくようになっていた。さすがに、たまにしか家に帰ってこなければ、いくら旦那が、
「仕事が忙しい」
とはいえ、そんな家に帰ってこれないほどのブラック企業でも、忙しい会社でもないのは分かっていた。
そこまで仕事をしているのであれば、入ってくる収入があまりにも少なすぎるというのも、旦那の浮気を疑うには十分だった。
「きっと不倫相手に貢いでいるんだわ」
と思っていた。
奥さんは、昼間のパートで家計を支えなければいけないくらいだった。息子に対しても、ほとんど相手をしてやれなくなり、いつの間にか悪い連中の仲間に入ってしまっていたようだった。
「人様に迷惑をかけてはいけない」
というのが母親の口癖で、母親に不満を持ったことで不良になったのだから、当然その言葉に逆らうのは、自然の摂理であろう。
そうなると、暴走バイクなどが一番手っ取り早い。ストレス解消と、母親に逆らうというのを両方叶えられて、それほど大きな罪になるわけでもない。彼は暴走バイクにそうやって嵌って行ったのだ。
暴走バイクの仲間も似たような境遇の連中が多かったので、仲間意識は高かった。だが、それほど深いという仲でもなく、
「楽しいからつるんでいる」
という程度で、彼が事故で死んだ時も、別に悲しさというよりも、信号がついたこともあって、
「これを機に、そろそろやめようか?」
ということで、彼らのグループは自然消滅していた。
そもそも、元々仲間だったわけではなく、個人的に、あの場所で単独で走っていた連中が、仲間意識を持ったというだけで、それ以上でもそれ以下でもなかった。
仲間意識がなければ、一緒につるむこともないだろうというのが、彼らの本音で、逆に何か亀裂があれば、あっという間に解散するということも分かっていたことのようだった。それだけ、淡白で冷静な団体だったと言ってもいいだろう。
だから、事故の後も、少しだけズルズルだったが、信号というきっかけで、走らなくなったのだった。
彼らが解散してからどうなったのかは、誰も知る者はいなかった。
暴走バイクがいたということも、時間の経過とともに、知っている人の記憶から薄れていって、あそこで事故があったということ、それから、前になかった信号がここについた李通を知っている人も少なくなってきた。
そもそも、
「信号は最初からあった」
と思っている人が主流で、途中から信号がついたということを知っている人の方が珍しい。
ただ、この事故の問題は、このあたりを開発しようとしている企業や団体からすれば、思ったよりも大きな問題だった。
ショッピングセンターを開設しようと計画を進めていた企業も、この事故がある程度方がつくまで様子を見ていた。
それほど大きな問題になっていないということが分かってから、交渉を再開したことで、実際の開発計画から、半年ほど遅れることになり、ショッピングセンターの完成は、このあたりにほとんど公共施設が出来上がってから、完成に至ったのだ。
住宅は半分近くは出来上がっていて、住民もそろそろ集まり始めたこともあった時期のことだったのだ。
それが、事故から三年が経った今ということであり、夕方も、学校が終わる三時くらいから、帰宅ラッシュの七時半くらいまでは、結構な交通量である。
片道一車線なのもあってか、バスが通る時間は、なかなか前に進まなかったりする。特に麓のあたりの、幹線道路と重なるあたりは、幹線道路に出るまでに、、信号を、数回スルーしなければいけないくらいで、億劫に感じている人も結構いることだろう。
「朝の通勤ラッシュは、しょうがない」
と皆が思っているが、夕方から晩に掛けての混み具合はさすがに閉口してしまった。
それだけ、まだまだ新興住宅で住民が少ないということを分かってのことなのだろうと、皆感じていた。
どちらにしても、事故のあった三年前とは、まったく違う様相を呈してきた、このあたりであった。
三年前と同じ場所であった。まわりはすでに車の数も少ない九時半くらいである。最終バスが最寄りの駅からやってきていて、折り返しで、駅へと向かうのだったが、乗客は二、三人くらいで、最終に乗ってきた人も十人もいなかった。
その中で、一人高校生の女の子がいた、
彼女は、いつも部活で遅くなるのか、最終に乗っていた。他にも高校生はいるが、皆予備校からの帰りで三年生であるが、部活帰りの女の子は、まだ一年生だった。
運転手と仲が良く、いつも一番前に乗って、運転手を見つめていた。運転手は、中年の男性で、運転席の近くにあネームプレートを見ると、鶴岡恒彦と書かれていた。いつも、降りる時に、
「鶴岡さん、今日もありがとう」
と言ってくれる。
それが嬉しくて、いつも最終バスの運転が鶴岡には楽しかった。
朝の通学時間は、通勤ラッシュとも重なってしまい、ほとんど会話はなかった。次から次へと降りるので、それも当然のことであり、ただそれでも、無言だけれども、頭を下げてくれるのは嬉しかった。
友達から、彼女は、
「あいり」
と呼ばれていた。
上の名前を石倉だということは、かなり後になって分かったのだが、それは彼女のカバンを見ればすぐに分かることだった。
それなのに、かなり後になって分かったというのは、鶴岡が結構な恥ずかしがり屋で、彼女と顔を合わせるのはそうでもなかったが、彼女のことをじっと見つめることができなかった。変な勘違いをされるのが嫌で、さりげなく見つめる程度だったのだ。
でも、彼女と距離がかなり縮まったと思ったのは、バレンタインデーで、チョコレートをもらった時だった。
「義理には違いないんだろうけど、俺のようなしがないバスの運転手にまでチョコレートをくれるなんて、何と優しい女の子なんだ」
と感じた。
本当であれば、娘であってもいいくらいの年齢なので、恋愛感情を持ってはいけないと思いながら、自分の中の妄想で、あいりのことを、
「自分の彼女だ」
という思いを抱いていた。
鶴岡は、まだ独身だった。
最後に彼女がいたのは、そう、もうかれこれ、十年近く前になるのか、あの頃は三十代半ばで、
「まだまだこれから」
などと思っていたが、気が付けば年齢もすでに不惑と呼ばれる四十歳を遥かに超えて、四十代も後半に差し掛かることであった。
三十代後半に入ってから、まだ先があると思ったその裏には、
「もう、人生も折り返しに差し掛かった」
と勝手に思ったからだった。
三十五歳で折り返しということになると、
「七十歳までしか生きないのか?」
と言われるが、頭の中では、
「七十歳ではまだまだかな? 八十歳くらいになると、想像がつかなくなる。本当なら八十歳くらいで、苦しまずに死ねれば、それが理想なんだろうけどな」
と思うのだった。
あまり年を取ってまで生きてしまうと、病気の問題や、お金の問題などを考えると、
「生き続けることが、本当に幸せなのか?」
と、考えさせられるのだ。
そして、どうしても不安なのが、
「老後も一人なのかな?」
という思いだった。
この年になるまで一人でいたのなら、もういまさら結婚したいとは思わない。他の人は熟年離婚などと言って、子育てが終わった段階で、お互いに自由に生きることを選択し、お互いの道を歩むために、離婚するというのも結構あると聞いている。
それなのに、いまさら結婚というのも、嫌な気がしていた。
「今は一人が気が楽だ」
と思うからであって、自分の好きなことができればそれでいいとも思うのだった。
鶴岡の趣味は、絵を描くことだった。バスの運転手をしながら、休みの日は、高原などに行って絵を描いていることが結構ある。とはいえ、真夏の暑さや、真冬の厳冬には耐えられず、春や秋に写真を撮っておいて、写真を見ながら書くことも多かった。
ネットの画像などでもいいのだろうが、せめて、自分で撮ってきた画像でなければ、自分で新しいものを作っているという感覚になれないのが嫌だった。
自分が描きたい絵は、基本的に風景画で、海の絵よりも、山や高原の絵が好きである。
「風を絵に描くことはできないが、数が吹いているように描くことはできるだろう」
という思いからか、植物をテーマに描くことが多かった。
高山植物などの図鑑も持っていて、写真を撮る時、絵を描く時には、本を参考にしていたのだ。
その植物がどういう特性を持っているかということを知っておくと、植物を描く際に、実際とは違った光景であっても、自分で想像して描くことができる、それだって、風がなくても、吹いているように描くのと同じではないか。
例えば、高原に湖が広がっていて、その波紋から、風が吹いているかのように思わせるのも、一つの手段である。
そういえば、このあたりの街には、結構植物から名前を取った地名があったりする。
例えば、
「紅葉谷、欅山、鈴蘭高原」
などと言った名前がついていたりする。
季節を表している植物もあれば、一年中を感じさせるものもある。
だが、鶴岡は、結構季節を感じさせる名前の場所が好きで、紅葉谷などという場所は、春に行くのが好きだった。
本当は秋なのだろうが、敢えて春に行くというのは、紅葉という名前を冠していながら、それ以外の草花も健気に咲いているということを感じたいからであった。
「紅葉の季節は何も俺が注目しなくても、皆がやってくるだろうから、俺は、それ以外の魅力を引き出したいんだ」
と感じたのだった。
この紅葉谷というところは、谷というだけあって、結構風が吹いてくる。紅葉谷を通りこして、少しいくと、そこには、鈴蘭高原が広がっている。鈴蘭高原の向こうには、欅山が聳えていて、この三つが、鶴岡にとっての、
「絵画スポット;
になっていた。
鈴蘭高原には、結構秋に行くことが多い。
本来鈴蘭の花というのは、春から初夏くらいに掛けて咲くものなので、本来であれば、初夏くらいにいくのが普通なので、もちろん、初夏にもよく行くが、秋に行くというのは、鈴蘭高原の奥には、ススキの高原が広がっていて、本来なら、ススキ高原というものが存在してもいいのだろうが、
「鈴蘭高原」
ということで、一元化されているのだった。
ススキの穂には、鶴岡の思い入れがあって、まずは、小学生の頃、テレビで見た奇妙な話をオムニバスでやっていたドラマでの一場面だった。
その話は、何やらSFっぽい話で、タイムスリップの話だった。
ある男が、高原に登山に来ていて、そこで何やら竜巻のようなものに巻きこまれたかと思ったその時、身体が宙に舞ったような気がしたのに、気が付けば、その場所で、意識を失っていた。
主人公が顔をあげるとその場所は、最初の場所とまったく変わらない、ススキの穂が広がった高原だった。しかし、その遥か遠くから、馬に乗った集団が走ってきた。
「誰だろう?」
と思って見ていると、頭はちょんまげを結っていて、着物を着ていて、腰からは刀を差している。いかにも武士であることは分かったのだが、何か違和感を感じさせたのは、武士というと、時代劇などに出てくる江戸の町にいるお侍さんをイメージしていたので、まったく想像とは違っていた。
テレビの設定はどうやら江戸時代ではなく、戦国時代の設定だったようだ。
小学生だったので、江戸時代しか知らず、
「何で、こんな何もないところに、お侍さんがいるんだ?」
と感じたのだが。それも無理もないことだった。
そのイメージがあるからか、それとも、寂しいというイメージを想像させるために、わざと高原のススキの穂の光景を視聴者にイメージさせようとしたのか、どちらにしても、鈴蘭高原に広がったススキの穂は、いかにも高原の代名詞でもあるかのように感じられた。
そして、風が吹いている感覚を一番感じさせる光景は、無数に生えているススキの穂が、まった同じように風に流れている光景で、しかも微妙な時間差があることで、風の力がどれほどのものかを想像させることが一番容易なのだろうと感じたのだ。
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