第6話 二匹のサソリ

 商店街を抜けて家に帰る途中、ケーキ屋を見つけた。そのケーキ屋で、アップルパイと、ショコラケーキ、いちごのショートケーキと、それぞれ別のものを買った。

 泰三は乳製品が嫌いだったので、生クリームのショートケーキ屋、チーズケーキはダメだった。アップルパイとショコラケーキは大丈夫だったので、この選択になったのだ。

「ただいま」

 と言って玄関の扉を開くと、甘い匂いがしてきた。甘辛く炊いた醤油風味の感じがしたので、泰三には今日の料理のメインが何なのかが分かった。

「おかえりなさい」

 と言って出迎えてくれたゆかりを見て笑顔になった泰三は、

「今日の料理は、ローストチキンだね?」

 というと、ゆかりは、ニンマリとした笑顔で、

「正解、よく分かったわね」

 と言ったが、その笑顔を見ていると、

――あなたなら、すぐに分かると思ったわ――

 と、言いたげであった。

「ああ、もちろんさ」

 と、泰三は答えたが、それも、ゆかりに敬意を表してのことだった。

「ちひろ、もう来てるわよ」

 と言って、ニコニコしている。

 自分の妹を紹介するのは初めてではなかったが、あの時はまだ世間の大人とあまり接したことのない、大人に対して警戒心たっぷりの、学生服を身にまとった少女だったのだ。

 その目は下を向き加減で、何とか気配を消そうという意識が働いていて、視線が自分に向いていないことを時々確認するかのように、まわりを睨みつけるような視線は、彼女に限らず、大概の女の子がそうであることで、皆スルーしていた。

 その時のちひろしか知らない泰三は、大人になった彼女を見るのが、実は楽しみで仕方がなかった。

――嫁の妹じゃないか――

 という思いはあるが、この間ゆかりから聞いた。

「腹違いの妹」

 という表現が、どこか罪悪感を薄めているような気がした。

 ちなみに、自分がロリコンであることを泰三は意識していた。特に、学生服の女の子などにはどうしても目が行ってしまう。結婚式に会った時のちひろのような、下を向き加減で、おろおろしている状態の彼女は、意識しないわけにはいかなかった。

 しかし、さすがに自分の結婚式、意識はしていたが、それ以上でもそれ以下でもないという程度で、実際に顔も覚えていないし、自分のことで精いっぱいだったと言ってもいいかも知れない。

 あれから、もう三年が経っていた。

 ちひろは大学に入学し、こちらに出てきたのだ。

 一人暮らしを始めるうえで、いくら腹違いとはいえ、姉が近くにいてくれるということはこれほどの安心はないだろう。

 ただ、泰三としては、自分が行けなかった。いや、行かなかった大学に行けるということが羨ましい気がした。嫁もそうだが、その妹までもが大学に行くというのは、それほど大学がいいところなのではないかと思えてきたのだ。

 そして、離婚した両親は、自分たちの知り合いをあまり家に連れてくることはなかった。いつも、家族三人というのが普通であり、友達の中には、

「うちは、いつもお客さんが来ていて、賑やかなものだよ」

 と言っている人がいたが、自分の家に誰も来ることがなかったことから、

――本当なんだろうか?

 という思いすらあり、信じられないくらいであった。

「そんなにいっぱい、お客さんってくるものなの?」

 と聞くと、

「来る面子は、いつも決まっているんだけどね。それだけに大家族みたいで、結構面白いものだよ」

 というではないか。

「そんな賑やかにされて、嫌じゃないの?」

 と聞くと、

「最初の頃は少し嫌な時もあったけど、慣れてくると、本当に皆家族のようで、これが結構楽しいんだよ。家に来る人は、毎回同じでも、いつも何かお土産を持ってくることは忘れない。ちゃんと冷気をわきまえた人たちばかりなので、安心もするし、楽しいんだよ」

 と言っていた。

「フーン、そんなものなんだね」

 と、遠目に見るかのように、他人事で答えた。

「だって、殺風景なのって面白くないし、時間がなかなか過ぎてくれない。一つの部屋に家族だけだと、会話にもならないし、息苦しい時間が絶えないからね」

 と言われて、その話を聞いた時、

――彼の家でも家族だけだと、殺風景で居場所がないかのような息苦しさを感じるんだ――

 と、考えると、二つのことが頭をよぎった。

 まず一つは、

「どこの家でも同じなんだ」

 という思いと、

「ぎこちなくて息苦しいと感じる時、彼の親のように、賑やかにすればいいという考えにどうしてうちの家族は思わないんだろうか?」

 と、それぞれに、全体的に見ることと、彼の家族の目から、うちの家族に目を移して見るような感覚で見ることとの両面から感じていたのだった。

 ただ、泰三の場合は、家族三人だけだったので、それぞれに好きなことをやっていた印象がある。狭い家ではあったが、自分の部屋もあって、引き込もることもできたわけで、中学生の頃から、家では一人でいることが多かった。

 小学生までの間も、家族団らんというわけではなく、ただ、そうしなければいけないという義務感のようなものから、家族で食事をすることが当たり前になっていた。

 その間に会話があるわけでもなく、息苦しくはあったが、テレビがついていたことで、気を散らせることはできた。

 さすがに、昭和後半の家族で食事をする時、テレビをつけると怒られたというようなことはなかった。

 家族の長である父親も、さすがに殺風景なのは分かっていたのだろうが、テレビがついていたとしても、家族がぎこちないことに変わりはなかった。

「テレビはついているだけで、音があるというだけのことであった」

 と言っていいだろう。

 次第にそんな生活に慣れてくると、却ってテレビの音が、今度は煩わしく感じられた。

 しかし、誰もテレビを消そうとはしなかった。いきなりの静寂を皆怖がっていたのではないだろうか?

――誰が誰を怖がっているんだろう?

 と思った。

 泰三は、父親と母親に感じている思いが一緒のわけではない。確かにどちらかに恐怖心を抱いていて、どちらかに別の感情があるのは分かっていたが、恐怖心があるのは父親に対してであって、母親にはどのような感情があるのか、すぐには分からなかったようだった。

 そして、母親も父親も、二人とも、泰三と同じような感覚だったのではないかと思っていた。そして、そのうちに感じた結論として、

――それぞれ、どちらかに対して恐怖心を抱いているんだけど、その恐怖心は、三すくみのようになっているのではないか?

 という思いだった。

 つまり、三すくみのたとえとしてよくあるのが、

「ヘビ、カエル、ナメクジ」

 の発想である。

「ヘビは、カエルを食べるが、ナメクジには溶かされる。カエルはナメクジには強いが、ヘビには飲まれる。ナメクジはヘビを溶かすが、カエルには弱い」

 というそれぞれに、力の均衡があって、

「この三つが睨み合っていれば、身動きすることはできない」

 というものでもあった。

 自分たちが家族の中で、息苦しさを感じたのは、この三すくみの状態のように、まったく動けないことで、身体から変な汗が出てくるような気がしたからだ。

「まるで、ガマの油のようだな」

 と感じていたのではないだろうか。

 まったく身動きができない状態を、どうすることもできないことで、次第に引きこもって行ったと言ってもいいのではないだろうか。

 これは、自分たち家族だけではなく。他の引きこもりのいる家族にはあり得ることなのかも知れない。

 三人のうちの一人が引きこもると、三すくみの均衡が破れて、両親の間でぎこちあくなってくる。

 子供の教育に対して、何もできていなかったくせに、その責任を相手に押し付けようとする、。それまでは保てていた近郊だったのだが、一人が抜けると力関係のバランスも崩れてしまって、本当であれば、相手に弱いはずの自分だということが分かっていたはずなのに、バランスが崩れたことで、お互いに相手に対して強いという思いと弱いという思いが同居して、お互いに敵対しながら、それ以上のことができないという、変則的な力の均衡になってしまったようだ、。

「二匹のサソリのようではないか」

 という言葉を思い出した。

 ここでいう二匹のサソリというのは、

「瓶の中に入っている二匹のサソリは、お互いに相手を確実に殺傷できるが、逆に自分も相手に殺される覚悟をしておかなければいけない」

 というものであった。

 つまり、お互いに、どちらからも仕掛けることができないものであり、この状態は、

「核兵器の抑止力に似ている」

 と言えるであろう。

 第二次世界大戦終了の時点で、アメリカは原爆という核兵器を保持した。そして世界は、

「アメリカとソ連」

 という、政策主義の違う二大超大国による睨み合いの様相を呈していた。

 お互いに、民主主義、社会主義という主義を主張し、社会主義、共産主義というイデオロギーを世界に広めようと画策するソ連の動向を、民主主義の代表であるアメリカが、

「世界に警察」

 を自認し、ソ連の世界共産化計画に危惧を示し、民主主義の世界を死守しようとして、その代表として、代理戦争と言われた、朝鮮戦争、ベトナム戦争を経験することになる。

 朝鮮戦争から、ベトナム戦争前に、中米に位置するアメリカの目と鼻の先にあるキューバによる社会主義革命が起こったことから端を発した、いわゆる、

「キューバ危機」

 というのが起こったことは、歴史上の常識と言ってもいいだろう。

 今から、約六十年くらい前のことである。

 社会主義革命に成功したフィデロカストロをアメリカ大統領の、j・F・ケネディ大統領が警戒したことから、キューバは身の危険を感じ、ソ連のニキータフルシチョフに救援を求めた。

 そこで、ソ連はキューバ国内に、核ミサイルの発射基地を作ることにして、極秘に計画を遂行していたが、アメリカの偵察機が発見したことで、アメリカが慌てた。

 ソ連とキューバにミサイル基地建設をやめてもらうような外交交渉に入ったが。ソ連は、ヨーロッパの北大西洋条約機構の配備したソ連に向かってのミサイルの撤去を要求してきた。

 それぞれの首脳によるギリギリの外交交渉であったが、これが世界に発信されると、一気に、

「全面核戦争の危機」

 ということで、大騒動へとなってしまった。

 最終的には、ギリギリのところで、核兵器の輸出をソ連が断念することになり、全面核戦争の危機は去ったのだが、ソ連をアメリカの仲は、それ以降どんどん離れていくことになった。

 それこそ、人類がやっと、核開発における軍拡競争というものが、いかに不毛で地獄と裏返しであることを知ることになった。

 それまでは、

「持っているだけで使わなくても、平和が守れる」

 という核兵器の抑止力が主流であったが、一歩間違えると、全面核戦争になり、そうなると、一瞬にして、世界が破滅することになるのは目に見えていただろう。

 それこそ、

「二匹のサソリ」

 の発想である。

 瓶の中に入っているのは、核保有国だけではない。格を持っていない。つまり毒のないサソリであったり、それ以外の弱小動物が入っているかも知れないが、その瓶の中が世界なのである。均衡が崩れると、平和などというのは、まるで絵に描いた餅のようなものであり、ちょっとした手違いで、瓶の中には誰も生存している動物がいなくなるという地獄絵図になることだろう。

 それが、

「二匹のサソリ」

 の正体であり、それが三つになると、

「三すくみ」

 になるのである。

 そんな三すくみを、家庭で感じるというのは、一種の悲劇なのだろうが、案外、大なり小なり、どこの家庭にも見られることではないだろうか。

 あるいは、実際に二匹のサソリの様相を呈しているのに、それを認めたくないという思いから、一家の長たる父親による、高圧的な態度に対して、まわりの人間は甘んじて受けているというのが、本当のところであろう。

 しかし、甘んじて受ける方も、

「自分には責任がない」

 という意味で気は楽なはずだ。

 責任を一身に背負っているよりもいいかも知れないが、我慢というのも限界がある。いきなり、奥さんがハッキリとした理由もなく、離婚を言い出すという時の理由には、こういう状況が背景にあるのかも知れない。

 奥さん自身もハッキリと口に出して言えるだけの理由を把握していないことから、

「理由もなく」

 という離婚話が存在し、、下手をすれば、主流になっているのかも知れない。

 つまり、三すくみの状態であっても、その一角が、離脱したり、いなくなってしまうと、それぞれのバランスが崩れて、そのバランスを保とうとするなら、

「二匹のサソリ」

 という、抑止力に持っていくしかないということであろう。

 そういう意味では、どちらが強い弱いではなく、相手の力に自分が合わせることができるかが問題だ。

 いくら自分の方が強いといっても、一気にやっつけることができなければ、自分もろともやられてしまうということになる。ただ、そうなってくると問題は、

「二匹のサソリに、限界はないのか?」

 ということであり。

 時間的な限界なのか、忍耐的な、あるいは精神的な限界なのか、そのどちらにしても、限界があってしまっては、どちらかが動くことになる。

 そうなると相手も動くことになり、その末路は、

「相打ち」

 にしかならないはずである。

 そのことを分かっているのかいないのか、限界を感じるまでは、動かないようにするのが、本能なのだろうと、思えたのだった。

 それは、

「好きなものを続けて食べるくせがある」

 というのと似ているかも知れない。

「好きなものであれば、何日でも続けて食べることができる」

 という人も結構いるだろう。

 泰三も実際にそういうところがあった。高校時代に、学校の食堂で、かつランチのメニューを半年間続けたことがあった。

 まったく飽きることがなかったのだが、一度、

「飽きたかな?」

 と感じると、もう後は見るのも嫌と思えるまでになるのはあっという間のことだった。

「あれから十年以上も経っているのに、もし見たら、吐き気を催すくらいになっているかも知れない」

 と感じているほどだ。

 これも、明らかな限界が存在しているわけで、それまで絶対に飽きることなんかないんだという思いが、ここまで見るのも嫌というほどになるとは思ってもいないことだったのだ。

 そういう意味で、

「二匹のサソリに限界などあるのだろうか?」

 と考える。

 本当の瓶の中のサソリであれば、いいのだが、実際の核抑止という二匹のサソリに限界が生じるとすれば、その先に待っているものは、これ以外の想像はできないというくらいに確実な、

「世界全面核戦争」

 であり、その先は、

「あっという間の、人類滅亡」

 だと言えるだろう。

 限界の恐ろしさがどれほどのものなのか、誰に分かるというものなのだろう。

 つまりは、その真理は、起こってみなければ分からないことであり、起こってしまうと、それを検証する人がいなくなるということだ。

 死なないと証明できないことは、本末転倒なことであり、それだけ、不毛な発想だということであろう。結末が笑い話でなければ、地獄しか残されていないということではないだろうか。

 そんな二匹のサソリの話を思い出したのは、やはり歴史を好きだったからであり、二匹のサソリの話を彷彿させる、歴史上の出来事を想像させるのも結構あるのではないだろうか。

 そのうちの一つが、先ほど、

「判官びいき」

 の話の中で出てきた、

「頼朝と、後白河法皇の話」

 と似ているところがあるのではないかと思っていた。

 この時代の、いわゆる「源平合戦の時代」と呼ばれていた頃には、結構今の格言になっているような逸話もあったりする。それこそ、琵琶法師が語っていた平家物語の主張であるところの、

「諸行無常」

 に値することなのかも知れない。

 平家の滅亡は、当主であった清盛が、平治の乱で破った源氏の嫡男と、そのの二人、すなわち、頼朝と義経の命を助けたことが、一番の問題だった。

 二人の父親の源義朝は討たれたが、その側室だった常盤御前が、自分の子供の命乞いを清盛にして、自分が愛人になる代わりに、子供たちを助けるということで、頼朝は、伊豆の蛭が小島に、そして義経は鞍馬に流されたのだ。

 二人が成長し、以仁王と、源頼政が平家追討令を出したことで、頼朝が挙兵。そしていずれは、義経の手によって、壇ノ浦で滅亡の憂き目にあうのだった。

 しかし、後白河法皇が、義経を自分の手の内に抱え込んだことで、頼朝との間に不和を生じさせ、義経を滅ぼすということをやってのけた。

 頼朝は、そんな法皇の魂胆を見抜いていたことで、決して上洛しようとせず、関東で足bを固めていた。

 この感覚は、秀吉と家康の関係にも言えるのであって、いくら天下人になった秀吉に対してであっても、最初の頃は上洛しようとしなかった家康に対して、あの手この手と譲歩を見せて、家康をやっと屈服させた。何と言っても、家族思いの秀吉が、母親や自分の妹を人質に出したくらいである。ただ、その背景には、家康は自分の長男と武田信玄が手を結んで、信長に反旗を翻すというウワサを聞きつけて、(築山殿という女性による密告)であったが、それを真に受けた信長が、家康に、

「長男の切腹を言い渡した」

 ということで、家康は泣く泣く長男を切腹させた経緯を持っていることで、家族に対しての思い入れは、他の人と違っていたということを、秀吉は分かっていて、巧みに利用したのかも知れない。

 家康とすれば、その時、信長と話し合いをしていた、四天王の一人である酒井忠次に対し、後年、

「お前でも、息子に対しての思い入れはあるんだな」

 と言ったという。

 それは酒井忠次が、信長を説得できんかったという恨みがあってのことであるが、まさにその時の心境を何十年も経ってから、ボソッというくらいの男なのだから、執念深さというのも、家康は、人一倍だったのだろう。

 そして、この時の清盛が助けたことで、最後は自分の首を絞めるというブーメランが帰ってきたことになるのを証明する出来事として、清盛の最後を見れば分かるのではないだろうか。

 今わの際で、

「わしが死んだら、葬儀はいらぬ、その代わり、わしの墓前に、頼朝の首を捧げよ」

 というのが、最後の言葉だったという。

 よほど、清盛はその時のことを後悔しているのだろう。

 それを知っているのちの歴史の偉人たちは、決して敵の家族を残したりはしない。一家の滅亡を意図している。その証拠が、家康が起こした、

「大阪冬・夏の陣」

 ではないだろうか。

 自分の孫娘の婿である、秀頼を滅ぼす。つまりは、豊臣家の完膚なきまでの滅亡を画策したくらいだからだ。

 しかも、戦に勝った後でも、豊臣家の謂れを残すものは、完全にこの世から抹殺するようにしていた。

 大阪城も立て替えて、伏見城も抹消する。豊臣が天下を取っていたという証拠を抹殺するほどの徹底さだったのである。

 やはりその感情は、清盛の怨念がそうさせているのではないかと思うほどのものなのだろう。

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