第5話 街の商店街
商店街の一店舗、シャッターが下りた廃業した店の前に、立札が掛けてあり、そこにはまるで鮮血を模したかのような真っ赤な文字で、しかも着色はペンキであり、そこから滴り落ちる血を見せているかのような構図で、描かれた文字が、
「なかぬなら 殺してしまえ ホトトギス」
何とも、高圧で恨みが籠っている光景であろうか。
それも、分からなくもない。
伝染病が流行った時、店舗、特に飲食店が標的になり、
「人流を抑える」
という名目で、
「時短営業、アルコールの提供はしない」
ということを半分強制されたような形で、虐げられ、
「自粛に協力した店は最大二十万円までの支給」
などと言われたが、個人商店ではその半分にも満たない状況で、
「どうやって、家賃や従業員の給料を払って行けばいいんだ」
という声が聞かれた。
しかも、その協力金でさえ、実際の政府の報告からどんどん遅れてきて、半年以上も前に自粛した協力金を半年たっても貰えていないという状況が続けば、自転車操業の零細企業はひとたまりもない。
「再起不能になる前に、廃業するしかない」
ということで店を閉めた人がどれだけいたことだろう。
しかも、それらの人の恨みは、国家に対してはもちろんだが、人流を抑えるためと言って、国家が示したガイドライン。それも自分たちを締め付けておいて、一般の人にはかなりの甘めのものだが、それすら守れない連中がどんどん増えてくる。
そこには、腰抜け政府への批判や、
「もう何をやっても一緒だ」
と思っている連中がどれほどの勢いで増えているかということを示しているわけで、結局、そんな連中がマスクもなしで出歩いて、飛沫を飛ばしまくることになる。
「飛沫感染だということを分かっていて、マスクもせずに、ギャアギャア表で喚き散らすんだから。そりゃあ、感染が爆発しない方がおかしいというものだ」
という人がいたが、まさしくその通り。
つまり、あの時の爆発的な感染を招き、国家を衰退させた戦犯のベストスリーは、
「まず、最初は、自粛ができずに、好き勝手なことをやって、感染を爆発させた一部の心無い市民が一番の戦犯で、その次は、この時とばかりに、話題性になることだけを優先し、自分たちの記事が売れればいいということで、モラルがモットーである業界を最低ならしめたマスゴミが二番目であろう。そして。これはいわずと知れた、一番しっかりしなければいけない立場で正確な情報を発信し、世間を導くことができるはずの立場である政府。これが第三犯である。政府は、国民にお願いの時も、何かが起こって釈明すべき時も、まったく説明責任を果たしていない。書かれている原稿を読むだけで、しかも、それすら読み間違える。元首相だった人間は、漢字すら読めない体たらく。それが、今回のパンデミックにおいての戦犯だ」
と言われていた。
まさにその通りであろう。
そんなことを考えながら商店街を歩いていると、あの頃の悲惨な生活を思い出してしまう。
直接的な被害はなかったのだが、ワクチンや特効薬開発に駆り出されて、一時期、まともに何日も寝ていないなどという状況だったこともあった。
今から思えば、
「よく身体が持ったな」
と思うほどだが、それだけ気が張っていたというのと、形になって見えている、
「仕事へのやりがい」
がハッキリしていることがどれほど自分にとって素晴らしいことなのかということを、思い出させるというものであった。
今回のパンデミックを思い起こすと、どう考えてもマイナス部分しか目立たないが、泰三とすれば、
「特効薬を作るのに一役買った」
という自負がある分、マイナス面だけではなかった。
ただ、それも大人数の中で貢献した一人というだけで、自分一人の手柄ではないということも、少しマイナス面に作用したわけだった。
研究者なのだから、それくらいの気概があってもいいではないか。むしろそれくらいの気概がないとやっていけるものでもない。
それを思うと、自分がまだまだ研究者として半人前であるかということを思い知らされる。要するに中途半端なのだろう。
それが自己満足にしかなっていないという思いを抱かせるのだが、自分では、
「自己満足でもいい」
と思っている。
むしろ、
「自分で満足できないくらいであれば、人に勧めることなど怖くてできるはずもないだろう」
と言えるのではないか。
よく自己満足を悪くいう人がいるが、泰三はそうは思わない。自分の作ったものを自分で満足もできないというのは本当はウソで、内心は満足しているはずだ。それを世間が、「自己満足は悪いことだ」
などというように詰る連中がいることで、自分の気持ちを表に押し出せなくなってしまう。
その思いが研究者に必要な、
「思い切り」
という精神を蝕んでいるのではないだろうか。
自分の研究に自信を持てない人が開発した薬など、誰が安心して飲めるというものか。薬を欲している人間は、少なくとも心細いのである。何しろ薬を使わなければ治すことのできない病に罹っているのであり、薬に頼らなければいけないほど、自分で治すことができなくなっているのだ。
人間は基本的に自分で病気を治す本能を持っているのだが、それが効かないから、薬に頼る。その薬だって、皆には効いたのかも知れないが、本当に自分に効くとは限らない。それを思うと、
「自己満足でもいいから、自信を持っている人の作ったものであれば、利用する人は安心する」
ということを皆どうして考えないのかと思うのだ。
自虐であったり、弱い者に対して、どうしてこうも人間は弱いのだろうか?
特に日本人に言えることであるが、
「判官びいき」
という言葉がある。
これは、歴史上の人物である、源義経に対しての言葉である。
平安時代末期、武士の台頭と、貴族や皇室における勢力争いによって、京の都は治安が乱れていた。そのうちに、武士が勢力を持つようになって、平家が台頭し、源氏がそれに対して、各地で蜂起するという構図なのだが、その源氏の一人が源義経なのだ。
兄である頼朝の元にはせ参じ、兵を率いて戦へと赴いていく。数々の武功を残し、京に入ると、そこに待ち構えている後白河法皇。
頼朝は配下の者に、
「後白河の口車に乗ってはならない」
と釘を刺しておいたのに、数々の武功を挙げた義経には、それが分かっていなかった。
だから、
「せっかく法皇様が、位を授けるというものをなぜに兄はそんなに拒むのか?」
と思ったのだ。
法皇から位を授けると言われて、それを鎌倉に報告すると、
「受けてはならない」
と言われたのだ。
義経としては、源氏が再興するには、京で出世するのが一番の近道だと考えていたのだろう。そもそも、鞍馬育ちなので、京のことも分かっている。
だが、頼朝とすれば、全体を見渡して、
「平家が滅びようとしているのも、朝廷に深く入り込んで、武士としての本懐を忘れ、貴族まがいのことをしているからだ」
と思っていた。
しかも、その黒幕が後白河法皇であることを分かっているので、頼朝とすれば、義経が法皇に靡くのは恐ろしいことだと思っていた。だから、頼朝はいくら上洛を言われても、京に上ることはしなかった。そんな兄の気持ちを若い義経が分かるはずもない。若い上に武功というれっきとした事実を引き下げているので、誰がなんと言ってお、英雄であることには変わりはない。これほど扱いやすい相手も、法皇とすればいなかっただろう。
しかも、法皇の考えているのは、
「ここで教団の仲たがいをさせて、一気に源氏も滅ぼしてしまおう」
と考えていたのではないだろうか。
そんな義経が呼ばれていたのが、
「判官殿」
という呼び名であった。
法皇の計略通り、頼朝と義経は仲たがいし、まず最初に義経に頼朝追討を言い渡し、さらに、頼朝から義経追討を言われると、今度は頼朝にも同じように追討を言い渡した。
法皇とすれば、共倒れを狙っていたのだろうが、追討令を出したことで、頼朝に、守護や地頭と言った役所を各地に作らせる口実になり、その後の幕府の機関としての役割となるものを、あまつさえ認めてしまったことは、一生の不覚だったと言えるかも知れない。
結局、東北の平泉で、奥州藤原氏によって討たれるのだが、それも頼朝怖さで義経を討ってしまった藤原氏の浅はかな行動だった。
そもそも、義経を庇うという亡き父親の遺言を無にしてしまったことが招いた悲劇だったが、頼朝は容赦しない。藤原氏が討ってくれたから義経を討伐できたということで、本来であれば、功労者のはずなのに、
「義経をかくまった」
ということで、一気に藤原氏を滅ぼしてしまう。
これで、頼朝は幕府によって、武家政権を初めて樹立した男ということになるのだが、それ以後語り継がれてきたこととしては、義経を、
「悲劇のヒーロー」
として祭り上げ、それ以後は、
「敗者の美学」
のようなものが叫ばれるようになり、それが、
「判官びいき」
という言葉で言われるようになってきたのだった。
自己満足を認めることができない人は、自虐が美学であったり、敗者を美学と考える一定の考え方の人間が結構多いことで、そういう人間が増え、それが当たり前だという世界を形成している業界もあったりする。
それを思うと、義経という人物が悪いわけではないが、なぜ日本人が敗者の美学を求めるのか、誰か偉い学者に証明してもらいたいものだ。
商店街に書かれている、この立札、
「なかぬなら 殺してしまえ ホトトギス」
という言葉には、何かしら恨みのようなものがあるのではないかと思えるのだが、それ以上に何かの警告のような気もする。
その言葉を気にしていると、そこから先、忘れた頃にこの言葉を思い出すことになるのではないかと思えたのだった。
その看板の前でどれくらいの時間立ち尽くしていただろうか。
時計を見ると、五分くらいのものに感じられたが、感覚としては、もっと長かったように思う。下手をすれば一時間くらいの感覚だったような気がするくらいだ。まるで夢を見ている時のような感覚だ。
「夢というのは、どんなに長いと思っている夢であっても、目が覚める数秒間に見る者だという」
という話を聞いたことがあった。
最初は、
「そんなバカな、あんなに長い間を見ていたはずなのに」
と思ったが、夢から覚めて現実に引き戻されてから夢を思い出そうとすると、そのほとんどが記憶になかったりする。
その時に感じるのが、
「ああ、やっぱり、あっという間のことのようだな」
という思いであり、あの話がまんざらでもないということを思い知らされた気がしたのだ。
ということは、今も夢を見ていたような感覚だということだろうか?
確かに、どこでどういう発想になったのか、判官びいきから、義経の話にまで思いをはせるというのだから、
「一つのことを、幅を広げて発想するというのは、自分でもおかしな感覚になってしまう」
と考えてしまうのだった。
「それにしても、最近はよく、歴史のことに頭がいくよな」
と我ながら感心していた。
元々は理数系で、今の仕事もその延長なのだが、歴史、しかも日本史だけは昔から好きだった。
今でも、空いている時間で、歴史の本を読んだりするのが好きだった、
歴史小説、時代小説などというものを読むのが好きで、戦国時代であれば、時代小説、戦国時代を含むそれ以外の時代という幅を広げて読むのは、歴史小説にしていた。
「そもそも、歴史小説と、時代小説、何が違うのだろうか?」
と考えたことがあって、調べてみた。
泰三は、少しでも気になること、興味のあることはすぐにネットで調べるようにしている。今ではいくらでも検索すれば、自分の知りたいものの知識を得ることができる時代だ。それでも、歴史に疎いという人は、本当に歴史が嫌いで、まったく興味のない人が多いからだろう。
一時期、
「歴女」
なとというものが流行り、戦国武将や城などに興味を持つ人が増えてきた。それこそ。
「どうしてなのだろう?」
と思ったが、よく考えてみると、その一つとして考えられるのが、
「ゲームの普及なのではないだろうか」
スマホが普及し始めてからというもの、皆スマホでゲームをする人ばかりと言ってもいいくらいになってきた。
しかも、今回のパンデミックによって、
「おうち時間」
などという引きこもりに似た状況が生まれると、引きこもりがよく行うゲームが普及してくるのは当たり前のことで、その中には、結構歴史ものが人気だったりする。
戦国武将の人気といえば、三英傑である、織田信長、豊臣秀頼、徳川家康と思われるだろうが、実際には、アニメ風に作られているゲームなので、イケメンキャラに人気が集中したりするところがあったりするので、何とも言えないが、一般的な人気とすれば、真田幸村であったり、伊達政宗であったり、本多忠勝などが有名ではないだろうか。
それは、奇しくも、時代小説の中でよく出てくる武将ばかりであり、ゲームと連携しているようなウラがあるのではないかと思う人も結構いるかも知れない。
話は逸れたが、歴史小説と時代小説の違いについてであるが、
「歴史小説というのは、基本的に史実に基づいた話であり、人物であるとか、一つの事件などを中心にしたまわりの人間模様であったりを伝記のように書いたものであるのに対し、時代小説というのは、あくまでもフィクションであり、中には史実と真っ向からたがえたものもあり、例えば、関ヶ原の合戦で、東軍が負けていればどうなるか? という実験的なエピソードを、戦前夜から、戦後の人間模様など、変わっていった時代に対しての空想ストーリーを大河的に描くのが、時代小説である。これは、一種のパラレルワールドであり、そういう意味では、SF小説に近いものだと言ってもいいかも知れない」
それが、歴史小説と時代小説と言われるものの大きな違いである。
泰三は、基本的に歴史小説が好きだったのだが、一度、戦国シュミレーションと呼ばれる話を読んで感動した。
しかし、これは基本的に、史実を知ったうえで読む方が、何倍も楽しいということを知っていることで、嵌って読んだのだが、史実を知らない人でもそれなりに楽しめるシュミレーションになっているところが、作家の度量を感じる。
逆にいえば、歴史を知らない人が読んで、つまらないと思わせてしまえば、時代小説としては二流だと言われても仕方がないかも知れない。
つまり、歴史を知らない人が読んで、
「これが歴史なんだ」
というくらいに、相手を騙すくらいの話を書けることが、時代小説作家の醍醐味だと言ってもいいだろう。そういう意味で、時代小説を書けるというのは、それなりのステータスがないといけないということになるだろう。
小説には、限りないほどのジャンルがある。大きく分けるとそんなにはないものだが、大きなジャンルを細分化していくと、かなりのジャンルが存在し。そのため、大分類が被ってしまっている部分も少なくはない。
「これは、SFにも見えるがホラーにも見える。見方を変えると、ミステリーでもあるようだ」
と言われるような小説があるが、えてしてそういう小説は、本当に素晴らしいものか、あるいは、クソつまらない小説のどちらかだと言っても過言ではないと言ってもいいかも知れない。
いろいろな小説があるので、
「自分も一つくらい何か書けないか?」
と思って挑戦してみたことがあったが、なかなかうまくいかないのも事実だったのだ。
そんな商店街を不思議な気分で歩いていた。まるで、昭和にタイムスリップしたかのような感覚になってしまったのは、時代錯誤と言われるかも知れないが、暗さが、昭和を思わせたからで、なぜ昭和に暗さを感じるのかというと、どうしても、戦前の動乱から戦後の混乱までを昭和という時代の代表のように思うからではないだろうか。
父親の世代になると違っているようだ。
これは、歴史の先生が授業中に脱線して話していたことだったが、ちょうど先生もそろそろ五十歳に近づいてきた年齢で、ちょうど父親とさほど違わない年齢だった。
それなのに、先生は父親のように、偏見を持っていなかったりしたように思えたのは、
「他人だから」
という感覚があったからなのかも知れない。
だが、先生の脱線は面白かった。
特にその時の先生は、結構楽しそうで、
「何かいいことでもあったのかな?」
と思うと、こっちまで愉快な気分になってくるから不思議だった。
先生のその時の話であるが、昭和という時代についての話だった。
「先生が生まれたのは、ちょうど、前に日本の東京でオリンピックが開催された年なんだけどね。当時は高度成長時代で、新幹線や高速道路などと言ったインフラが整備された時期でね。戦後復興が一つのテーマになっていたんだよ」
と言って笑っていた。
そういえば、今回のオリンピックも、
「東北の震災からの復興」
がテーマの一つになっていたではないか。
それを考えると、
「もう二度と、日本でオリンピックを開催してほしくない」
と思う人は、他にもいるかも知れないと思った。
そもそもオリンピックというのは、本当にやってよかったと言えることなのだろうか。
精神的には、
「スポーツで感動を与えて、気持ちを一つにして、難関に立ち向かう」
ということらしいが、そんな精神論的なことで、本当にいいのだろうか?
確かに、開催前はオリンピック特需で、まるで
「値上げ前の駆け込み需要」
のように、一時的に経済は潤うかも知れないが、その反動も大きい。
値上げしてからは、誰が高いものを買うというのだ。結果として、値上げして売り上げまで落ちるということになるものがどれほど多いということか。
特にオリンピックのようなものは、その反動は計り知れない。大会のために整備したり、新たに作った競技場が、開催後にどうなっているか、リオなどでは、まったく使用されず、コンクリートの割れ目から雑草が生えているという光景を見たりしたものだ。
さらに、ギリシャなどでは、オリンピックを開催したがために、国家が破産するという悲劇をもたらした。
これは、百害あって一利なしと言えるのではないだろうか。
さらに、開催前は、
「風紀を乱すと言って、風俗営業を取り締まって、結局一つの歓楽街を廃墟にしてしまうという暴挙」
と働いたりもした。
一つの産業が衰退に追いやられ、何とか持ち直すことができたところはいいが、政府に恨みを持ったまま、廃業のところも無数にあったことだろう。
まるで、この商店街のようである。
さて、先生の話であるが、
「私は昭和を、生まれてから物心がつく前と、その後で切り離してみるようになったんだけど、これは先生だけではなく、皆にも言えることだと思うんだよね。つまり、そうやって区切ると、本当にそこから前と後ろで違う時代のような気がしてくるように思えないかい? 皆がそれを自分で勝手に決めた線だということを認識しているかどうか分からないんだけどね。だから、先生にとっての昭和の前半は、戦前戦後の動乱の時代。そして、後半は、高度成長度の公害問題や、カネと政治などと言われた時代になってくるんじゃないかと思うんだ。君たちは、どうだろう? 世紀末からの時代になるので、テロ問題だったりパソコンやインターネットが爆発的に普及してきたりした時代くらいからを平成と思っているんじゃないかな? でもその感覚は悪いことではない。時代を自分の感覚で感じるということは、時代に親しむということでいいことだと思う。だから余計に歴史を知っておかないと変な勘違いをしてしまうことになるんだよ。歴史を勉強するというのは、そういうことなんじゃないかって先生は思う」
と先生は言っていた。
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