第4話 泣かぬなら

 下北夫婦の結婚三年目くらいだっただろうか。奥さんのゆかりの妹が、ゆかりを訪ねてやってくるという。なまえはちひろというらしい

「今年大学に入学したんだけど、それでこっちに出てくるらしいの。大学の近くのワンルームマンションを借りて大学に通うらしいんだけど、一度遊びに来たいと言っているので、呼んでもいいかしら?」

 と言われた。

 ゆかりに妹がいるのは知っていた。まだ高校生で田舎にいるということだったので、かなり年下だということもあって、しかも、暮らしているのが田舎だということで、あまり意識をしていなかったが、

「そうか、田舎から出てくるんだね。妹さんとはいくつ違いだっけ?」

 と、ゆかりの年齢を分かったうえで、泰三は聞いた。

「七つ違うのよ。結構離れているでしょう? 私が小学生の低学年の頃、よく妹を負ぶって、よく近所で子守をしていたのを思い出したわ。懐かしいわね」

 と、ゆかりは言った。

 ゆかりも、泰三と同じ田舎育ちだが、泰三の九州と違ってゆかりの場合は東北なので、文化も風習も違っていることだろう。

 付き合いだした時、そういう意識もあった。同郷であれば、仲間意識が芽生えたかも知れず、恋人にはなれても、結婚しようと思ったかまでは、疑問だった。

「お互いに田舎から出てきているというところには共感できたんだけど、もし同じ地方の出身だったら、お互いに結婚しようとまで思ったかな?」

 というと、

「そうね、微妙なところかも知れないわね。恋人や結婚相手というよりも、同郷の仲間という意識で、それは友達とも少し違ったものの気がするのよ。もし、同郷同士で結婚していたとすれば、長続きしたかどうか、疑問だわね」

 と、ゆかりが言った。

「俺にとっては、同郷だろうが、別の地方から出てきた相手であろうと、そんなのは関係ないような気がするんだけど、ゆかりは意識するのかい?」

 と泰三が聞くと、

「ええ、意識しないというとウソになるわ。特に結婚しようと思った時、相手をそれまでと同じに見ることができるかということから始まると思うのよ。もし、相手が変わらないと考えるなら、そのまま結婚に向かってまっしぐらなんだろうけど、でもね、変わったと感じるなら、どこが変わったのか、変わったとすれば、どこに意識を持っていけばいいのかということを考えてしまう。これが普通に結婚を考えるということなんだろうと思うのね」

 と、ゆかりがいうと、

「じゃあ、ゆかりは、僕に対して、その思いを感じたんだね?」

 と聞くと、

「ええ、いろいろ考えたわ。でも、これは結婚しようと真剣に考えたという証拠だとも思うのよ。あなたのことが好きだというのは間違いのないことだと思うんだけど、恋愛から結婚となると、それだけではダメだと思うの。いろいろな相性であったり、性格であったりね。でも、一緒に暮らしてみなければ分からないところもきっとあるはずなのよ。それを怖がっていれば、一生結婚なんかできなくなるでしょう? 結婚に惰性も必要だという人もいるけど、本当の惰性という意味は、結婚してからでしか分からない部分、つまり、結婚前では判断できないことがあるということを頭に入れて、妥協という言葉が出てくるんじゃないかって思うのよ」

 と、ゆかりは言った。

「ゆかりは、僕に対して妥協はあったかい?」

 と聞かれたゆかりは少し憮然となったが、それは、しなくてもいい質問だったからではないだろうか。

 つまりは、答えは決まっているという意味でである。

「私にもそりゃあ、あったわよ。だけどね、ほとんど結婚の障害になるものではなかったわ。それは、きっと結婚の覚悟というものを感じることなく結婚したという言葉に言い表されるんじゃないかって思うの」

 と、愚問にも近い内容の話を、百点の回答で答えてくれたゆかりは、やはり泰三にとっては最高の嫁と言ってもいいだろう。

 泰三はこの質問をしたのも、ゆかりが百点の回答を返してくれるということを分かったうえで、どんな回答をしてくれるのかということを思うと、それが楽しみだったからということになるのだろう。

「ところで、ゆかりちゃんとは結構年が離れているけど?」

 と聞くと、

「ああ、私と妹では、腹違いになるのよ。田舎のことなので、いろいろあると思ってね」

 と言われたので、それ以上は言及しなかった。

 妹のちひろとは、確か結婚式の時に紹介された気がした。あの時はまだ中学生だったので、オドオドしていたような気がする。すべてを母親に任せていたが、その母親というのが、結構サバサバしていて、ちひろを決して前に出すことがないよう、自分が盾になっているようだった。

 まさか、あの時の母親と血がつながっていなかったとは、いまさらであるがビックリさせられた。

 いろいろまわりに気を遣ったりすることが得意なゆかりなので、

「あの母親にして、この娘あり」

 と思っていたが、血がつながっていなかったとはビックリだ。

 だが、そう言われてみれば、母親のサバサバした性格は、結婚式という特殊な場面だったことでの対応かと思ったが、結婚の申し出に出向いた時も、父親に対して、母親が命令をしていたような気がしたので、ゆかりの気遣いとは少し違っているようだった。

 ゆかりの場合は、相手に対してはもちろんだが、身内に対しても敬意を表することを忘れないのに対して、母親は自分に対しては苦笑いを浮かべていたが、身内に対しては、あまり気を遣っていないようだった。それが、何となく違和感となって残っていたのを思い出したのだ。

 そもそも、苦笑いに見えたというのもおかしなところだった。そうなると、ちひろという妹に対しても、母親に感じた違和感を感じないようにしないといけないと思うのだった。

 日程の調整は、ゆかりがやってくれた。ちょうど、ちひろが引っ越しが終わって一段落ついた時期が、二人にとってもありがたかったので、その週末にちひろを招くことにしたのだった。

 ゆかりは、普段は近くのスーパーでパートをしていた。結婚三年目であったが、二人の間で最初から、

「子供はまだいらないかな? 最初の二年から三年くらいは、新婚気分でいたいもんね」

 と泰三がいうと、

「ええ、そうね。だったら、二人が新婚気分を抜けてから、子供は考えましょうよ。いつまでなんて決めるというのもちょっとね」

 とゆかりは言った。

「もし、ずっと新婚気分だったら、どうするんだ?」

 と泰三が言うと、

「だったら、ずっとそのままでいいんじゃない?」

 と、笑いながらいうので、

「いやいや、その時は、体調を見越して、ゆかりの方から言ってくれればいいんだよ。男の俺には、女性の身体は分からないからな」

 と、少し自覚がないように聞こえた泰三が、ゆかりに対して、制するような言い方をしたのだ。

「ふふふ」

 とゆかりは笑っていたが、本当に分かっているのだろうか?

 時々、

「こちらの話を聞いているのだろうか?」

 と思うことがあり、必要以上に関わってはいけないことでもあるのではないかと感じてしまうところが泰三にはあったのだ。

 結局結婚三年目に突入しても、まだまだ新婚気分の抜けない二人は、いつになったら子供ができるというのか、ただ、泰三の中では、三十歳というのが一つの境であり、

「女性の三十歳を超えてからの出産は、高齢出産と思うようにしている」

 という考え方から行けば、今のゆかりの年齢は、二十七歳だった。

「まだ少し余裕があるかな?」

 と思っていたが、実際には三十歳までというのは、期間を意識してしまうと、結構早いものであるだろう。

 まだ、二人はそのことに気づいていなかったが、出産適齢期ということに関しては、ゆかりも意識しているだろうと、泰三も感じていた。

 ちひろに対してのゆかりは、血がつながっていないということをほとんど意識していないと本人は言っていた。

 泰三も、

「ゆかりが気にしていないというのであれば、本当に気にしていないのだろう」

 と思っていた。

 ウソが嫌いで、自分もウソは絶対につかない。そして、ウソに関してはまわりの人であっても同じで、自分に対して、あるいは誰かに対しての場合であっても、ウソをつく人に対しては、決して信用しない性格だった。

 あれは、プロポーズして、承諾してもらって少ししてからだっただろうか。本当であればその時に聞いておけばよかったのだが、嬉しくてつい聞きそびれてしまったことであるが、

「俺のどこを好きになってくれたんだい?」

 と聞いたことがあった。

「全部って言いたいんだけど、それほどあなたのことを全部理解できていないと思うのよ。でもね、そんな中であなたの一番好きなところは、ウソがないところかしら? 私って、ウソが嫌いな性格なのよね。分かっているわよね?」

 と言われて、

「ああ、知っているさ。だから、俺もそんな自分にウソがない君のことを好きになったのさ。だから。僕も同じ質問を君からされたら、同じ答えを返していたと思うんだ。そういう意味でも俺たちって、気が合うのかも知れないよな」

 と泰三は答えた。

「うん、私も嬉しい」

 という話をしていた。

 しかし、ゆかりと泰三の似ているように見える性格も、ちょっとしたところで違いがあった。

 その時にはまだ理解していなかったが。ウソをつかないということをどこまで考えているかということであった。

「ウソをつかないというのは、言葉が足りなくて相手に誤解を与えるような場合、言葉が少ないのをウソというべきかどうか」

 ということであった。

 泰三の方は、言葉が足りないことは、ウソではないという、少し寛容な気持ちを持っていたが、ゆかりの方では、言葉が足りなくて誤解を与えることは、心根の中に、意図するものがあるために、ウソだと認めたくないという人の言い訳に聞こえるという意識を持っているようだった。

 普段であれば、そんなことを意識することはないのだろうが、もし、離婚問題が勃発したとして、お互いにウソについて言及すると、きっとここで引っかかって、どうして離婚問題に発展したのかということを初めて気づくというような展開になりかねないのではないだろうか。

 もちろん、仮定の話なので、想像の域を出ないが、大きな問題として立ちはだかるに違いない。

 離婚する時というのは、幾重にも問題が山積していて、一つ一つを潰していかなければ、埒が明かない。だが、一つ一つを細かく解決していっていると、肝心な最大の理由を見逃してしまったり、気付かなければいけないことに気づかなかったことで、解決の糸口を掴むこともできず、結果わだかまりを持ったまま離婚するということになるのだろう。

 離婚というのは、子供がいたりして、家族に迷惑をかけるのであれば、しない方がいいということで、復縁を探るということもあるだろうが、逆に子供や家族のためを考えると、修復が不可能な中での離婚をとどまったりすると、近い将来、またわだかまりが起こり、ずっと燻ったまま一緒に暮らしていくという羽目に陥ってしまうのではないだろうか。

 さて、言葉が足りなかったり、一言多いというのは、夫婦間だけの問題ではないだろう。友達との間のことでも、家族間でも、言った方と言われた方とで、言った方が、

「言葉が足りない」

 と思っていて、言われた方は、

「一言多い」

 と思っていることがあったりする。

 だから、お互いに話をしても噛み合うこともなく、下手をすれば、相手が何を言いたいのか、それどころか、何について言っているのかというような基本的なところから狂ってしまっている場合もあったりする。

 そんな中で、ちひろがどういう性格なのかまったく分からないので、どのように接すればいいのか、泰三には分からなかった。

 ゆかりに、

「ちひろちゃんって、どんな感じの子なのかな?」

 と聞いてみたが、

「そうね。私とは性格は違うわね。でも、比較対象であるのが自分なので、私が思っていることを答えたとしても、どこかに贔屓目であったり、屈折した見方があるかも知れないので、私の意見は当てにならないかも知れないわよ」

 とゆかりは言ったが、まさしくその通りだろうと、泰三も感じていた。

「それはそうだよね」

 というと、

「あ、でもね、一つ言えるのは、ちひろはハッキリとした性格と言っていいような気がするわ」

 とゆかりがいうので、

「それは、正直ということなのかな?」

 と、泰三は聞いたが、これはわざと、

「ウソがない」

 という聞き方をしたわけではなかった。

 あくまでも、ゆかりがいうところの、

「性格が違う」

 という言葉を信じたうえで感じたことで、

「正直というのは、ウソの正反対という意味で使ったわけではない」

 という思いが含まれていたのだ。

 つまり屁理屈になるが、

「ウソのウソが本当だ」

 という考えではないということで、

「まるで、メビウスの輪というものを考えているような感覚だ」

 と言っているようなものだった。

 週末というのは、思ったよりもアッという間にやってきた。

 だが、最初の方は一日一日がなかなか過ぎてくれないと思っていたが、目標の日が近づくにつれて、あっという間に一日が過ぎていくのだった。

 パートをその日休みにしたゆかりは、家で料理を作ったりして、その日の準備を進めていた。

 泰三は最初は休みだったはずなのだが、急遽仕事が入ってしまい、出社しなければいけなくなった。

 元々、同じ職場で働いていたゆかりなので、それくらいのことは分かっている、

「しょうがないわね、しっかりお仕事してきてくださいね」

 と、苦笑いを浮かべながら、ゆかりは見送ってくれたが、あの苦笑いは決して嫌なものに対してではなく、妹が来るということを嬉しいのだが、その思いをあまり表に出さないようにしないといけないという気持ちが溢れているのであって、それを泰三は分かっていたのである。

 人のこととなると、しっかりと理解できて、気を遣うことのできるゆかりなのだが、これが、自分のこととなると、結構分からないものである。

「自分の姿を見るには、鏡のような媒体に写さないとみることができない」

 という通り、案外自分のこととなると、誰も分からないというのが定説である。

 特にゆかりのように他人に対して気を遣うことが多いと、余計にその兆候が分かってくるというものである。

 その日の仕事は定時までで、それから家に帰ると、間違いなくちひろは来ていることだろう。

 それは別にそれでいいのだが、姉妹二人だけというのが気になったのだ。

「ゆかりのことだから、何も言わないと思うが」

 と、表向きには何もないように見える夫婦間であるが、ひょっとすると、ゆかりに少し違和感があったとすれば、妹のちひろに愚痴ることもあるかも知れない。

 しかし、考えてみると、二人は腹違いということではないか、性格も全然違うと言っているのだから、そんな相手に、簡単に悩みを打ち明けたりするだろうか?

「ゆかりには、そんなことはないだろうと思う」

 と、泰三は考えていた。

 ゆかりのことを考えていると、ちひろの性格を、ちひろの性格を考えると、ゆかりがどのように今までちはると接してきたのかが気になってくるのだ。

 本当はちひろに会う前にそのことを聞いておきたかったような気がしていた。それさえ聞いておけば、もう少しちひろに対していかに接すればいいかということを理解できたかも知れない。

 それを考えると、もう当日になってしまったからには、どうすることもできなかった。自分は出勤しなければいけないし、ゆかりも迎える準備を整えるのに、神経を集中させているようだった。

「このままなら、まともに仕事なんかできないな」

 と思っていたが、思ったよりも仕事がはかどった気がした。

 仕事からの帰り道、駅を降りてからマンションまでの途中に商店街があるのだが、普段は急いで家に帰るので、ゆっくり見て回ったことがなかったことを思い出した。

「せっかくだから、ケーキでも買って帰ってあげるか」

 と思い立ち、商店街に立ち寄った。

 最近は残業続きで、定時などに帰ってきたことはなく、すべての店がシャッターをおろしているところしか見ていなかったので、どれほど普段が賑やかなものなのかというのを味わってみたいという気持ちもあった。

 だが、実際に行ってみると、半分近くはシャッターを下ろしている。中にはただ単に本日が定休日のところもあったり、営業時間が短く早めに閉店する店もあったりするようだが、それ以外は、シャッターの前に、

「貸店舗」

 の張り紙が張られていたりした。

 張り紙が今にも剥がれかけているところもあって、長い間閉店の店舗もあるようだ。いくら、定休日の店があったり、早く店じまいをしている店があると言っても、ここまでシャッターが閉まっていれば、実に寂しいというものである。

「もう商店街などというのは、賑やかさを取り戻すことはできないものなのかなな?」

 と感じた。

 今から二十年以上前くらいから、郊外型の大型商業施設ができるようになってからというもの、駅前の商店街と言われるところは、流行らなくなり、店舗がどんどん入れ替わっていくという状況を聞いたことがある。そういえば、田舎にいる頃、学校の近くの商店街が、立ち寄るたびに、どこかの店が変わっているなどというのが日常茶飯事だったのを感じたような気がした。あまりにも当たり前の光景だっただけに、意識することもなかったのだから、忘れてしまっていたとしても、無理もないことだったのだろうか。

 しかも今は店舗が退いてしまうと、そこに入ろうという店舗もないようだ。

 数年前に起こった伝染病による経済破綻が、今なお経済を蝕んでいて、自営業は大きな痛手を被った。

 あの頃に廃業に追い込まれた店主は、伝染病が収まっても、借金に苦しめられている人がいたり、あの時の地獄を思い出すと、トラウマになってしまい、二度と店を始めようなどという気持ちにならないのも当然であろう。

 彼らからすれば、

「国家や、一部のバカな国民に苦しめられ、虐げられ、そして殺されたのだ」

 と言いたいのだろう。

 そう思いながら商店街を歩いていると、その途中の閉店になった店舗の中で、貸店舗と掛かれた張り紙のその横に、赤い文字で、大きく書かれた立札のようなものがシャッターに立てかけられていた。

 赤い文字は、書いている時に流れ落ちたのか、赤いだけに、

「血が滴り落ちているように見える」

 と思わせた。

 どうやら、使っているのは絵の具ではなさそうで、最初は何か分からなかったが、欲見てみると、いつ頃書かれたものなのか分からないが、色が褪せることはないようだった。

「ペンキだ」

 と感じた。

 そのペンキで書かれたその文字の内容は、以前にどこかで見たような気がした言葉だった。

 そう、あれは日本史の教科書に書かれていたもので、偉人を揶揄した俳句だった。

「なかぬなら殺してしまえホトトギス」

 と掛かれていた。

 そう、偉人というのは、かの三英傑の一人、織田信長を揶揄した俳句ではないか。

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