第3話 おしどり夫婦
二十五歳で結婚することになったのだが、相手はかつての新薬開発の時、アルバイトとして雇っていた当時大学生の彼女だったのだが、大学を卒業してから、晴れて泰三の会社に入社してきたのだ。
そもそも、薬品開発が、何よりも楽しい。
ということで少々の無理をさせても、平気な顔で応じてくれた。
新薬の開発が終わり、アルバイト期間が終了した時、泰三がその時、彼女だけではなく、他のアルバイトの人にも同じように、
「大学を卒業したら、またここで会えればいいな」
と言って、笑っていたのだが、冗談抜きに入社してくれたのが、将来の泰三夫人であった。
彼女の顔を見て、
――まさか、本当に入社してきてくれるとは――
と思っていたので、少しビックリであった。
新薬開発のアルバイトは、お金はよかったが、結構きつかったのだ。夏でも蒸し風呂のような中での作業となったり、冬でも寒い中であったりの研究だったので、
「短い期間に辛い思いをしてでも、大金を稼げればそれでいい」
という考えの人が多く、まさかまた来てくれることになる人は皆無だろうと思っていた。
そんな中で来てくれたのが、将来の下北夫人となる、新宮ゆかりだった。
彼女は、父親を早くに亡くし、母親が一人で、彼女と妹を食べさせていたとのことである。
父親の残した生命保険が結構あったのと、姉のゆかりが優秀だったので、大学入学も特待生として、学費はタダだった。
とはいえ、妹の学費にお金が掛かるということで、アルバイトが必要だった。
きついけど、金銭的にまとまったお金がもらえた新薬開発のアルバイトはありがたかった。
そして、あの時に彼女は、
「いずれ自分も新薬を開発するような仕事に就ければいいな」
と思っていたのだ。
アルバイトは、基本的に雑用が多かったので、本当は理系がありがたかったが、突貫の様相を呈していたので、どこでも構わないという募集の仕方だった。
だが、彼女が薬学系だということは、採用に携わった総務の人は知っていたが、現場の人間は知らなかった。だから、泰三も知らなかったので、あの時は、
「今回はご苦労様でした」
と言っただけで、それが今生の別れになるのではないか? と思っていたのだった。
まさか、また会えるなんてと思うと、嬉しかった、
しかも、今度は自分が教育係になるなど、
「これは運命ではないだろうか?」
と感じたほどだった。
しかし、相手は大学で特待生であるくらいの優秀な成績を持って入社してきた相手であり、いくら自分が先輩で教育係だと言っても、自分は成績もよくなく、田舎から出てきた高卒の叩き上げでしかないのだから、最初から差がついているようなものだった。
いわゆる、
「キャリア組と、ノンキャリアの差」
と言ってもいいくらいのものである。
「いずれは、あっという間に追い抜かれて。数年もすれば、足元にも及ばない存在になってしまうだろうな」
と、感じ、自虐的になってしまうような気がするくらいだった。
そんな泰三だったが、なるべく卑屈にならないようにと思って接していた。
「最初は、運命の再会か?」
と思ったくらいだったのに、実際に同じ写真として働いてみると、相手の存在の大きさに、
「さすが特待生というだけのことはある」
とばかりに、彼女の実績は伊達ではないと感じていた。
確かに、教育係として指導をしている時は、どちらが先輩なのかと錯覚してしまうほど、しっかりしていた。そもそも優秀な人間なので、一年間の研修の間に、すっかり社会人としての風格も出てきたことで、後は配属先での知識と経験を重ねることだった。
「新宮さんは、本当に物覚えが早いので、ビックリだよ」
というと、
「そうですか? そう言ってくださるとうれしいです」
と言ってニコニコしている。
もし。ここで先輩に媚びを売るくらいの人であれば、
「それは先輩の教え方が上手いからです」
ということだろう。
しかし、泰三には、そんな言われ方をすると、あざとさを感じてしまい、その瞬間から距離を取ってしまうように思えるのだ。だが、
「嬉しいです」
という気持ちをただ著わしただけの言い方だったら、自分のプライドが傷つけられることも、あざとさを感じることもない。そういう意味で、
「さりげなく相手を持ち上げることのできる女性だ」
と感じたのだ。
「こんな、痒いところに手が届くような女性が奥さんだったらな」
と、ある一瞬感じたのだ。
その思いが通じたのか、いつの間に蚊彼女と以心伝心ができているようで、自分が彼女に慕われているという思いがあった。
ただ、彼女はキャリア組、自分はノンキャリアというれっきとした違いを感じているのも事実で、
「以前なら自分がこんな女性を意識するなどなかったはずなのに」
と思うようになったのだ。
しかし、泰三は、女性を好きになるとすれば、
「母親のような女性ではない」
という条件を考えていた。
家族のことを放っておいて、友達を大切にするような女性を母親に見てきたので、母親のことを、
「優先順位の分からないバカな女」
と思ってきた。
普通の頭であれば、家族が一番であることくらい分かりそうなもので、目先の楽しさだけを求めることがどんな結果をもたらすかという想像力がないというのも、問題であった。
そういう意味で、ゆかりは聡明な女性だった。
「頭がいい女性」
というと、
「可愛げがない」
と言って、嫌われる女性の代表例のようなものだが、頭がいいと、先読みをすることができ、少なくとも、家族を崩壊に導くことはないはずだ。
それが、母親にはなかった。そして、父親にはそれを見分けるだけの力量が自分にはなかったのだ。
父親が不倫をしたのはどうしてなのか分からない。そもそも父親も、世間体を気にしていたはずではなかったか。だから父親も許せないのだが、なぜか、それもすべての種をまいたのは母親のような気がしてならないのだ。
子供の目から見て感じたというだけのことであって、本当のところは分からない。
だが、両親が離婚し、
「お父さんかお母さんのどちらと暮らしたい?」
と聞かれると、
「お母さん」
と答えたのも事実だった。
母親との二人きりの生活は想像がつくが、父親との二人きりは想像がつかない。それなのに、母親と一緒に暮らし始めると、早い段階から、
「一刻も早く家を出たい」
と、思うようになっていた。
要するに、もう今の親とは一緒に暮らしたくないと思ったのだ。
高校を卒業し、都会での生活は、正直寂しかった。
しかし、最初の二年は研修。その後の二年は、現場でのがむしゃらに仕事を覚えること、それ以降は開発に従事してきたので、気が付けばあっという間の五年間だった。
気分的に余裕が出てくると、それまでがむしゃらだったことで忘れていた孤独感が急に襲ってきた。
その孤独感を癒してくれたのが、三年前に入社して、今年から泰三の部署に配属になったゆかりだったのだ。
しかも、彼女とは面識がないわけではない。自分も覚えていたが、それ以上に彼女が覚えていてくれた。
「私、以前ここでお世話になった下北さんのことが忘れられないんですよ」
と言ってくるではないか。
彼女には聡明なイメージしかなく、このような距離感を示してくるようなタイプではないと思っていただけに、意外だった。
だが、泰三には、母親のような、バカな女を嫌いだという明確なビジョンがあった。だからゆかりのすり寄り方には、最初警戒心を持ったのも、無理のないことであろうが、母親とは明らかに、
「土台となる頭が最初から違っている」
ということは分かっていた。
さらに両親を見て感じたのは、
「恥ずかしいという思いや、世間体ばかりを気にしていると、気持ちが表に出てくることがなくなる。だから、わざとらしいくらいに、表に仲の良さをアピールしても、ぎこちなくない相手であれば、きっと離婚することもなく、自分が感じている幸せな家庭が築けるのではないか」
ということであった。
大げさすぎるくらいでもいいから、
「好きだと思った時、遠慮などする必要はないのだ」
と、いうのが、自分にとっての結婚生活の理想だと思うようになっていた。
それを、
「おしどり夫婦」
というのだということを、いまさらながらに思い出していた。
おしどりというのは、つがいでよく一緒にいると言われていることで、
「仲のいい夫婦」
の代表のように言われているが、おしどりというのが、
「冬ごとにパートナーを変える」
ということを知っている人がどれだけいるというのか?
まるで、公認の不倫のようではないか?
そういえば、公認の不倫ということであれば、
「オープンマリッジ」
という言葉をよく聞くことがある。
「性の解放」
というべきか、夫婦間以外の性的な関係を、相互の合意の元に行うという意味で、アメリカで提唱された、一種の結婚のスタイルとも言われている。
長所においても、短所においても、それぞれ課題があるので、一長一短なのだろうが、夫婦間において、マンネリ化した性生活に刺激をもたらすという意味での長所はあるのだろうが、そのために、夫婦間で意思疎通がしっくりいっていなければ、お互いに気持ちがすれ違ってしまうことになりかねない。
つまりは、夫婦間において、お互いに確固たるルールを持っていないと、どちらかが自由にしてしまうと、気持ちがすれ違うだろう。
そうなってしまうと、修復は難しい。しかも、
「結婚している意味があるのか?」
などとどちらかが考えてしまうと、その時点で、
「夫婦は終わった」
ということになりかねない。
本来であれば、
「マンネリ化した夫婦生活を活性化させることで、再度、自分たちの結婚を見つめなおす」
というはずだったものが、違う形になって本末転倒になりかねない。
ルールとしては、
「決して相手を好きにならない」
というのを前提にして、
「家に相手を連れ込まない」
あるいは、
「相手を選ぶ時も、絶対に同じ立場の既婚者であること」
などという、お互いにオープンマリッジを実践している相手でなければダメだというようなルールである。
ルールを決めておかないと、公然な不倫だということで気が大きくなってしまい、不倫相手との立場が平等どころか、相手の方が立場が強い場合など、難しいところがある。相手が既婚者でも、オープンマリッジでなければ、相手の配偶者にバレたりすると、慰謝料を請求されることになる。
その時に、相手の配偶者に、
「オープンマリッジとして……」
などと言っても、相手は理解することすら難しいだろう。
相手が悪い相手なら、配偶者との仲がどれほどのことになっていようが、
「自分たちの夫婦関係を壊された」
と証言すれば、何とでもなる。
ホテルに入るところを撮影でもされていれば、決定的瞬間として、言い逃れはできないだろう。
まさか、美人局ということもないとは思うが、相手の夫婦がグルだったりすることもあるだろう。
それだけに、よほど安心できる相手でなければ、難しいことも間違いない。
もっとも、
「それだけのスリルがあるから、オープンマリッジが楽しい」
とも言えるのではないだろうか。
夫婦というのは、いろいろな形があるのだろうが、このような歪んだ関係は、どこまで世間に受け入れられるかというのも、難しいところだ。
道徳的な観点からいうと、許されることではない。日本では、姦通罪はないので、刑法犯ではないが、世間的には有罪であり、社会的立場が崩壊してしまい、下手をするとオープンマリッジを教えてくれた人も、裏を返して、批判してくるだろう。
「どうして、もっとうまくできなかったんだ?」
という思いが強く、こちらの失敗のせいで、その人たちにも禍が及ぶことを避けなければいけないだろう。
オープンマリッジというのは、ルール決めにおいて、いかにうまくやるかということなのだろうが、元々、マンネリ化した夫婦関係お打開が一つのきっかけになることが多いだろう。
つまりは、生理的なもの、それを精神的なものとして捉えるか、あるいは、肉体的な意味で、条件反射的な発想からのものなのかによって、取り入れてから起こるであろう各種のトラブルに対応できるかが決まってくる。
何と言っても、大前提になるのは、
「交際相手に対して、本気にならないこと」
これが、一番の理由である。
それは、自分たちに限らず、相手に本気になられる場合だってあるわけで、そうなってしまうと、精神的な部分が、理性に打ち勝つとなると、どうしようもなくなってしまうだろう。
それは男であっても、女であっても同じこと。
「女だから」
あるいは、
「男だから」
などというのは、オープンマリッジを始めた時点で関係ないのかも知れない。
しかし、相手を好きになってしまうと、どうしようもなくなるというのは、少し危険な気がする。
そもそも、配偶者と結婚したのだって、最初は、
「心身ともに、この人とは相性がいい」
と思ったからではないだろうか。
いくら、性格的なものが合うといったり、身体の相性が抜群だといっても、その両方が伴わなければ、なかなか相手との結婚に踏み切れないに違いない。
そんな状態で結婚し、結婚までがピークだったというのか、平成の頃に流行った、
「成田離婚」
などという言葉があるように、新婚旅行から帰ってきて、離婚するという夫婦に対しての言葉だったが、それは、ほとんどが、結婚する前までに感じていた相手への感情を結婚すると感じることができなくなった。
「こんなはずではなかった」
と、その人にとって、譲れない何かを新婚旅行で初めて一緒に暮らしてみて感じたということも多いだろう。
もちろん、初夜にそれまで知らなかった身体の相性の違和感を、初めて感じたという人もいるだろうが、それも果たして、どれだけの人が新婚旅行まで身体の関係がなかったと言えるかということを考えると、身体の相性は、成田離婚とはあまり関係がないような気がする。
だが、それだけ、結婚してすぐのカップルが別れるかというのは、昭和の時代では信じられないほど増えたことだろう。
結婚してから一年もしないうちに、離婚する人も多いのではないだろうか。
とにかく、身体であれ、考え方であれ、相性が合わないのであれば、仕方のないことだ。そのままズルズルと結婚生活を続けるのは苦痛ではないだろうか。
中には、
「子供ができれば、変わるかも知れない」
と思って、子供ができてしまうと、今度は奥さんの方のすべての神経が子供に行ってしまい、旦那はストレスだけを抱えることになると、どうなるだろう?
不倫に走る旦那もいるだろうし、風俗を使う人もいるだろう。どちらにしても奥さんとすれば、許せないに違いない。旦那の方は、奥さんが構ってくれないことや仕事でのストレスがたまり、奥さんは奥さんで、子供に全神経を集中させなければいけないことで、お互いに、
「交わることのない平行線」
を描くともいうべきストレスを抱えることになる。
そうなってしまうと、選択肢は離婚しかないのではないだろうか。
「子供のために、夫婦一緒で」
と言って、我慢を重ねる夫婦もいるだろうが、絶対に修復が不可能だと思えるのであれば、離婚も早い方がいい。
その家の事情にもよるのだろうが、結婚も離婚もそれほど難しいということだ。
「離婚は、結婚の数倍の疲れが残る」
と言われるが、まさにその通りだろう。
下北夫婦には、そんなわだかまりはまったくなかった。
お互いに気を遣いながら夫婦生活を送っていて、炒めは二人ともストレスがないように見える。
しかし、本人たちも今は気付いていないストレスが溜まってしまう場合も結構あるだろうから、一概に表面上だけで判断はできないだろう。
それでもおしどり夫婦と呼ばれる二人は、本当に余計なストレスを感じない。
夫婦間でストレスを感じるというのは、内面というよりも、まわりにいる人に対してストレスというものは伝染するもののようで、気が付けばまわりがぎこちなくさせられてしまうことがある。内面から醸し出されるストレスをまわりが気を遣おうとして、どうすればいいのか分からずに、自分のストレスが発散しているのだと感じられる。
そうなってくると、すべてのストレスを自分のストレスだと勘違いし、余計な気をさらに使ってしまうという悪循環が生まれるのではないだろうか。
中には分かっている人もいて、自分の中で必要以上なストレスを感じると、そのストレスが自分のまわりから受ける影響だと気付き、そして、元凶である相手と距離を置くようになる。
そうなると、それまで付き合ってくれていた友達が、さりがなくであるが、近づかなくなったことで、
「自分の何かに原因がある」
と思うのだが、そのストレスが自分の配偶者にあると感じると、配偶者を一方的に憎むようになる。
「俺と友達の関係に、割り込んできた」
と感じる。
そもそも、友達との関係と、夫婦間の関係とはまったく違うものだと思っている。それは結婚した時点で、配偶者になり、友達のような関係から家族になったからであって、家族というのは、自分にとって、いかに親密なもので、守らなければいけないものかという覚悟を示さなければいけないものなのだろう。
だが、下北夫婦には、そのようなわだかまりもなく、うまくできているのは、覚悟をしたという意識を、無意識にできたことが大きかったのではないだろうか。
覚悟というものを、責任として意識し、義務のようになってしまうと、それがストレスになり、お互いの関係のギクシャクに繋がっていく。それがないのが一番なのだろうが、なかなかそうもいかないものである。
しかも、その理屈を分かっていて、
「自分はちゃんとできている」
と思っているとしても、実際に、どこまでうまくいっているのかということを考えると、相手をその時意識していないかも知れない。
それはわざと意識しないもので、
「自分がうまくできていれば、相手も合わせてくれる」
という思い込みを感じてしまいかねない。
その思い込みが実は怖いものであって、お互いの行き違いやニアミスというものは、このあたりの思い込みからくるのではないかと思える。
離婚経験者の中で、
「途中会で、あれだけ仲が良かったのに、急にうまくいかなくなり、ギクシャクしてしまうと、離婚までに時間はかからなかった」
という人もいた。
「最初の三年間は、ずっと新婚夫婦のような仲の良さで、他人が入れないくらいの仲睦まじさだったのに、気が付けば、話もしなくなっていて、相手からいきなり、離婚を言い出された」
などという話も聞いた。
これは女性だけに限らないのかも知れないが、
「女性というのは、疑問が生まれてきても、その疑問の正体、そして、自分が最終的にどうしたいということが自分の中で決定していないと、自分から口に出すことはない。自分の妻は何も言わないから、悪い方には考えていないんだ」
と思っていた人がいたというが、
「そんな妻がいきなり離婚したいなどと言い出すから、もうどうすることもできない。理由を聞いても、俺は結局変わらないとしか言わない。こちらとすれば青天の霹靂で、もうどうしようもないところまで追いつめておいて、こちらに選択権を与えないというのは、卑怯だよな」
と言っていたが、確かにそうだ。
だが、奥さんの方とすれば、自分が苦しんでいるのに、見て見ぬふりをしていると思っていたようで、そうなると、奥さんの方は突っ走るだけだったのだろう。
つまりお互いに気を遣っているようで、遠慮がすべて相手に結論をゆだねるという逃げになってしまい、それが不信感に繋がっていくのだろう。
おしどり夫婦とはいえ、いつ何時、このようなことにならないか分からない。おしどりに見えるほど、闇は深いのかも知れないと思うと、芸能人でも、
「今話題のおしどり夫婦」
などと言われて、夫婦でテレビで共演したりしているが、気が付けば離婚騒動が持ち上がっていて、理由は、どちらかの不倫だったりする。
おしどり夫婦と言われてテレビに出ていた頃には、もうすでに、引き返せないところまで行っていたというのもよく聞く話だ。
「夫婦って何なんだろうな?」
と考える人も多いだろう。
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