第2話 泰三の家族
下北泰三が結婚したのは、二十五歳になってからだった。相手は会社の近くの喫茶店に勤めている女の子で、いつも笑顔の絶え合い彼女の視線が、自分に向いているのに気付いていた。
下北泰三は、都会に出てきてから、なかなか田舎者というイメージを払拭できず、いまだに、どこかダサいところがあった。
「田舎から出てきた人でも、ある程度の期間が経てば、都会の雰囲気にも慣れてきて、垢抜けしてくるものだ」
と言われているが、実際にはそうでもない。
確かに、ある一定の期間までに慣れることができた人は、都会に染まることができて、垢抜けできるようだが、逆に、ある一定期間までに慣れることができない人は、それ以降はどうやっても慣れることができず、垢抜けできないままで、田舎者だと言われるようになるだろう。
しかし、それは本人が望んだことではないだろうか。少しでも、
「都会に慣れたい」
と思っている人は、たいてい、そのある一定の期間までに慣れることができるというものだ。
一部の例外もあるだろうが、一定の期間が過ぎても、慣れることができない人は、最初から心の中に、
「慣れることなんかできないんだ」
という思いがあるからではないだろうか。
そう思うと、いつまで経っても都会に慣れない人は、そのまま田舎臭いことを自分の中で受け入れる形で生きていくことになる。
中にはそれを受け止めることができずに暮らしていると、そのうちに自分が都会人なのか、田舎者なのか分からずに生きてくることになり、都会での自分の居場所がなくなっていることに気づくだろう。
だから、一定の期間をすぎて、まだ田舎者として都会にいるような人は、そのほとんどに、都会と田舎でのジレンマに悩まされている人ではないかと思えるのだ。
泰三は、都会に染まることのなかなかできないタイプであったが、それでも、何とか一定の期間までに滑り込む形で都会に染まることができた。
実際に都会に染まってしまうと、それまでとはまわりの見る目も変わってきて、それまで、
「田舎者」
と呼ばれていたのが、いつの間にか、都会でも目立つようになっていて、自分でも気づかないうちに、結構モテるようになっていた。
「これをモテキというんだろうか?」
と、言われたりしていたが、一時期は複数の女性と付き合ってみたりして、モテキを十分に楽しんでいた。
それまで、あまり自分がモテないと思っていた泰三にとって、
「複数の女性と付き合うなんて」
という、思いが強かったのだが、それが強がりであったことに気づいた。
確かに、一人好きになった女性がいるわけでもないのに、まわりからモテるようになると、その中から、一番好きな人を探そうと思うのも無理のないことだろう。
「どうせ、田舎者だと思われている」
という感情が、モテないことへの言い訳になっていた。
最初こそ、都会に染まって、どんどんモテたいという思いがあったからこそ、早く都会に染まりたいと思っていたのだが、思った以上に染まることができず、
「どうやったら、都会に染まれるか?」
ということばかりを考えるようになっていた。
都会に染まることを最重要としてきただけに、自分が相手を見ていないという思いが、モテない最大の理由だと思っていたことに気づかない。
都会人であるかないかということが、すべてだというように思っていると、まず、見た目だけを装うようになってしまう。
確かに、見てくれも大切だろう。しかし、
「見てくれだけで好きになってくれる人なんて、しょせん、本当に自分のことが好きだというわけではないんだ」
ということなのだろうが、そもそも、自分が誰も好きになっていないことが一番の原因ではないのかということが分かっていないのだ。
これはいろいろな意見があってしかるべきなのだろうが、
「自分が誰かを好きになったわけではなく、それ以前に好かれたいというのが、最初にあって、そのために、見てくれをよくする」
という考え、あるいは、
「好きな人ができたので、その人に好かれたいという思いから、その時初めて、見てくれを考える」
というものである。
しかし、泰三は少し違った。
「誰かを好きになったわけではないが、好かれたいという思いはあるが、そのために、見てくれを気にすることが嫌だ」
というものだった。
要するに誰かに好きになってもらいたいという思いはあるが、それはあくまでも、外観ではなく、自分の内面を見てもらいたい。そのために、
「見てくれをよくするということは、相手を見てくれによって、その目をそらし、見てくれで好きにさせることで、内面もいい人だと思わせるための欺瞞なのではないだろうか?」
という思いがあった。
つまり、人を騙すことで自分を好きにさせるということであり、それは自分の翻意には値しないということであった。
泰三の父親は、田舎とはいえ、地元大手の会社に就職し、それなりに出世もしてきた。
泰三が、自分でも出世街道に乗れているのは、自分だけの努力だと思っていたが、ひょっとすると、親からの遺伝で、天性の実力が備わっているのかも知れない。
そんな父親であったが、小学生の頃まではそんなに気にすることはなかったが、中学生くらいになってから、まわりの目を気にするように言われてきた。
小学生の頃までは。父親よりも母親の方が厳しく、身だしなみなどに関しては、、結構口うるさかった。しかし、それはどこの家庭にもあることで、下北家が特別だったわけではない。
父親も小学生の頃までは何も言わなかったものだった。
しかし、中学生になってからというもの、今度は父親が率先して身だしなみに関してはうるさくなった。
それは母親の比ではなく、
「なんでそんなところまで言われなければいけないんだ?」
というところまで、いわゆるネチネチと言われるようになってきたのだ。
小学生の頃までは、そんなに身だしなみに対して気にならなかったが、中学生になると、まわりが結構気にするようになってきた。最初は、
「なぜなんだろう?」
と思うようになってきたが、その理由が思春期にあるということに気づくまでにはかなり時間がかかった。
女性を意識すると、普通なら、身だしなみを気にするようになる。それが女性にモテる最初の段階だからだ。見てくれにて好きになられたとしても、思春期であれば、それでもかまわない。自分全体を好きになってくれたと思うからで。相手の異性も、きっとそう感じているに違いないからだ。
双方とも同じ感覚で感じているのだから、それが違っていたとしても、思春期の恋愛であれば許される。いや、許されるというわけではなく、それこそが、
「思春期における恋愛」
なのだからである。
だが、自分が身だしなみに目覚める前に、父親からやかましく言われる。
「今、しようと思っていたんだけどな」
という思いが怒りとなって、自分の中に鬱積してくるようになる。
そうなると、意地でも父親のいうことなど訊かないと思うようになり、身だしなみという行為自体に嫌気がさしてくるのだった。
「他の同年代の男の子は、皆身だしなみに目覚めているというのに」
と、父親は。自分の考えに逆らう息子を嫌になってくる。
息子もそんな父親の心境が分かってくると、そこに大いなる歪が見えてくるのだ。
父親は。それでも息子に歩み寄ろうとする。それは父親としても、自分の中で妥協をしているというのを分かったうえで、
「息子のために」
という考えから、歩み寄ろうとしているだけなので、多感な息子にはそんな父親の下心が分かってくるのだった。
父親としては、身だしなみというのも、息子に歩み寄るという考えも、すべて相手に合わせているだけだった。合わせることが美徳であるとでも言いたげなそんな考えは、思春期の青年にはすぐに看過される。そうなると、息子から見れば、やり方や考え方が、見え見えに思えてきて。まわりにへりくだったり、損をするのが分かっている忖度にしか見えず、
「一番、そんな大人にはなりたくないと思える人間になってしまう」
と感じるようになってくる。
そのうちに、
「おやじのような大人になりたくない」
という思いが、今度は父親を反面教師として見るようになり、自分の目指しているものが、
「父親と、まったく正反対の人間になることだ」
という目標になり、目標を立てやすいとしか見れなくなったのだ。
だから、泰三には、父親のように、都会に憧れるような男になりたくないと思った。特に父親に感じたことは、
「平均的に、何でもこなせる人間になること」
それこそが、大人の世界を生き抜くことになるのだという考えであるかのように思い、自分が一番目指したくないものとなった。
「すべてのことが平均点以上である必要はなく、ほとんどが平均点以下でも、何か一つに関しては、誰にも負けない」
というそんな大人を目指そうと思ったのだ。
この感覚は、田舎であろうと、都会であろうと同じである。
父親のように、田舎者のくせに、田舎を抜け出したいという思いから、都会の人間に負けないという考えから、身だしなみを自分に押し付けたことにあるのだろうと感じたのである。
そのため、平均的な人間になるのではなく、何か一つに秀でた人間になりたいという思いが功を奏してか、学校では成績もよく、特に理数系に長けていたことから、先生が医薬品関係のメーカーに紹介状を書いてくれたのだった。
製薬会社というと、なかなか高卒では出世は難しいのだろうが、泰三の知識はかなりのものがあり、高校時代の恩師が化学が専攻で、高校一年生の頃から、泰三の類まれなる理解力が優れていることで、推薦をしてくれたのだが、こんなことはめったにないことだった。
特別枠での入社試験となったが、泰三は見事に合格し、都会での就職が決まった。これは、
「父親から離れて暮らせる」
という思いが強かった。
父親とすれば、
「地元の大学に入って。。地元のどこかの企業で働いてくれたらそれでいい」
と思っていたことだろう。
それに、しょせん、田舎の高校を出て、大学にも進学しないのであれば、都会で修飾など、夢のまた夢だと思っていたようだった。
ただ、息子が都会に就職したということで、嫌な気持ちはなかった。
「俺に逆らうのなら、どこへでも行ってしまえ」
という息子が自分に逆らうことに対しての嫌味な気持ちと、
「俺が果たせなかった都会での就職を息子が叶えたか」
という、息子に対して一定の尊敬の念を持っている気持ちと両方だった。
どっちの方が強かったのかというと、実際には前者の方だった。
息子といえども、父親の培ってきた生きていく知恵を否定されたと思っている気持ちは結構根強いものがあり、息子が都会に出ていくことを、最後まで祝福はしていなかった。
そのおかげか、却って、出ていくことにわだかまりの気持ちがなくなっていて、前だけを見れたことはいいことだったと思う。
「やっぱり、都会に出るというのは、正解なんだな」
と素直に思えたからだった。
そんな両親が離婚したのは、高校一年生の頃だった。父親も嫌いだったが、母親も嫌いだった。母親が嫌いな理由の一つとしては、いつも、近所の奥さん連中とつるんでいて、ほとんど母親らしいことをしなくなったからだ。母親らしいことだけではなく、家事もほとんどしない。父親が夕飯を外で済ますようになってから、母親は家にいなくなった。どうやら、近所の奥さん連中には、
「毎日が退屈で寂しいのよ」
と言っているようだった。
類は友を呼ぶというが、母親が集まっている仲間連中は、いつも同じことを言っているようだ。中には旦那が浮気をしていると言っている奥さんもいたようだが、自分の母親は、浮気をされているという意識はなかったようだ。
だが、実際には父親は浮気をしていた。ウスウス気付いていたようだが、浮気をされたことで起こっているわけではないようだった。それよりも、
「奥さん連中と一緒にいる方がいい」
と言っているようで、きっと似たような境遇の人がそばにいた方が安心だということであろうか。
まるで傷の舐めあいとしているようではないか。泰三にはその気持ちが分からなくもない。決して同じような境遇の人たちからは嫌われることはないという思いが強いからだろう。だからと言って、子供を無視していいというわけではない。完全に家庭崩壊だった。
そのうちに、両親が口汚く罵るようになった。
「一体どこに行ってきたのよ。また、あの女のところ?」
と、母親は子供がいようがどうしようが、自分の言いたいことを感情に任せて相手を罵る。
「いいじゃないか、どこ行ったって。お前には関係ないことだ」
と、父親は開き直るしかなかった。
相手がまわりをまったく意識せずにいうのだから、こちらもまともに受けてはいけないという思いが強いのだろう。
離婚までには、結構いろいろとややこしかった。お互いが、言いたい放題なので、どうしようもない。家は母親が実家に帰ってしまったことで、父親と二人きりになってしまった。
父親も母親が実家に帰ってしまってから、家に帰ってこなくなった。きっと不倫相手のところだろう。
さすがに二人だけで話し合っていても、埒が明かない。
「調停で肩をつけよう」
ということになったようで、二人は調停ということになると、そこから先は結構早かった。
二か月ほどで結審し、親権は母親ということになったので、高校を卒業するまで、母親と一緒に住んでいた。
泰三は、本当は大学に行きたかったが、特待生になるまでの成績ではなかった。
「大学に進むなら、学費は私が出すぞ」
と、父親は言ってくれたが、両親が離婚した時点で、大学に進学する気は失せてしまった。
親が、普通に仲が良ければ、大学に普通に入学して、大学生活を楽しむということを、何の疑問も感じずに行っていただろう。しかし、家族が崩壊してしまったことで、大学に行くよりも、高校を卒業して就職する方がいいような気がした。
先生が紹介してくれた製薬会社は、思ったよりも将来性のある企業のようで、
「あそこは、これから伸びるぞ」
と言っていたが、実際にそうだった。
新薬の開発に関しては、結構大手に引けを取らないようで、下請けとしての仕事よりも、新薬開発の方が主だったのだ。
特に数年前に流行った伝染病の特効薬を開発したことで、知名度はあっという間に上がり、それでもまだ大手には、少し売り上げ等で水をあけられていることで、先を見た経営方針を立てていた。
高校卒業者を雇うのも即戦力よりも、若い連中を一から育てるという意味で、他の会社であれば、半年くらいの研修期間であるが、この会社は大卒で一年、高卒なら二年間の研修期間をみっちりとこなすようになっている。
二十歳の誕生日にはまだ研修期間中で、誕生日にまだ研修期間中だというのは、珍しかった。
研修期間が終わってからの彼は、即戦力になっていた。大学卒業者が入ってくる頃には、すでに現場のチーフをやっていた。大学卒業者の研修担当を、泰三はやっていた。
泰三が二十四歳になった時、新卒で入社してきた連中の研修を彼が行ったが、それまでは毎年一人くらいは高卒も採っていたが、その年からは基本的には大卒しか採らないようになっていた。その一番の理由は、
「高卒で入社してきた連中が、研修期間という二年の間にほとんどが辞めてしまう」
というのが理由であった、
正直、高卒の普通のレベルではこの会社の二年間の研修についてこれない人が多かったということだ。
大卒の人でも、入社半年で、残るのが、三割くらいというのに、高卒であれば、なかなか残らないというのも、会社側には分かっていたことだろう。
それでも、高卒を育てたいという思いは、社長が一番感じていることのようだ。
「大卒の連中は、一年間の研修を乗り越えたとしても、この会社のような中小であれば、大手から引き抜きがあった時、ごっそりと抜かれてしまう。新薬の開発を突貫で行わなければならない時など、大手は、使い捨ての駒としての大卒の連中を引き抜かれてしまう」
という状況が最近は結構あるようだ。
せっかく育てても、大手から引っこ抜かれてしまっては、何をしていたのか分からなくなってしまう。
それどころか、
「手土産」
として、今まで開発してきたノウハウを、捧げることを条件に、大手で高額の条件で引き抜かれることになる。
本来なら、会社の機密事項を話すことは違反であるが、最近の製薬会社では、大っぴらに行われていて、
「カネがあるところが強い」
と言われるようになっていった。
それも、ここ数年で流行った伝染病が、全世界で猛威を振るい、それまでの世間の常識が通用しなくなるほど、世間は混乱していた。したがって、かつての常識は、今では非常識になってしまっていると言っても過言ではないだろう。
そんな世の中になってしまった理由の一つに、政府の迷走があった。
混乱の中で政府が確固たる姿勢を見せず、何もできないだけではなく、何も言わない。世間が知りたいことを政府は情報として掴んでいながら、国民に示そうとはしなかった。経済の低迷を招いたのは、国が理由も示さない、ある一定の企業に対する、
「一方的な攻撃」
だったのだ。
世間において、世の中すべてが、伝染病に襲われるという状況なのに、
「経済のすべてを止めてはいけない」
という理由で、一番感染の可能性のある業界を一方的に締め付けて、時短営業や、酒類の販売一時的に中止という政策を取ったりしたので、飲食店、特に、酒を提供する飲食店は大きな痛手だったのだ。
それが一つの例として、政府は保証もほとんど出すこともなく、飲食店を締め付けたため、不公平さが生じてしまい、
「生態系のバランスが崩れた時」
のような状態になっていった。
生態系というのは、循環しているので、
「風が吹けば桶屋が儲かる」
ということわざにあるように、すべての生物が連携していると言ってもいい。
ある種の動物が絶滅にひんするとすれば、その動物をえさにしている動物もえさがなくなるわけなので、死に絶えていくことになる。すると、その死に絶えた動物を主食にしている動物も……、ということになり、どんどんバランスが崩れていき、逆にある動物の数が減ったことで、彼らが主食にしていた生物が今度は増えてしまうことになる。
かたや、ある種別はどんどん減っていき、違う種別はどんどん増えてくるということになる。ただ、どんどん増えて行ったとしても、えさになるべき種族が増えていないのであれば、結局増えた種族も増えた分、餓死していくことになるだろう。
生態系というのは、うまくいくようにバランスが取れている。そのどれか一か所が崩れると、果たしてどのような生態系の変化が待っているというのか、分かる人などいるのだろうか?
そういう意味では、政府も大変であっただろうが、まったく国民に訴える声が聞こえてこない。そうなってしまうと、誰も何も言わなくなってしまい、それぞれが好き勝手に動くことになる。
誰も何も言わないので、無政府状態になって、伝染病の猛威で死んでしまうか。自分のところだけ助かろうと、出来上がった特効薬などをいち早く受けようと、弱い国を戦争で潰していくことになる。
そうなると、やはり人間のそれぞれ勝手な都合での殺し合いが引き起こされ、人類の滅亡を招くことになる。
「戦争というのも、一種の生態系のバランスが崩れることで、引き起こされるものだ」
と言えるのではないだろうか。
世間はそのせいで、業界ごと、あるいは、時には業界を跨いで、起業の存在バランスが崩れてしまった。それにより、
「今までなら、倒産するはずもなかった大企業が倒産の危機に陥ったり、中小企業による下剋上も起こるようになってきた。その始まりが、
「新人採用」
の段階であり、これまでは弱いとされた企業に優秀な人材が回ってくることになった。
そのため、企業の大小の差がほとんどなくなってしまった。
今までの大企業が大企業であるというメリットがなくなってきた。下請けでも、新薬開発ができてしまうと、大いに下剋上を果たすことができるようになった。
伝染病が流行った時、国が大企業、中小企業、すべての製薬会社に、伝染病の特効薬の開発を競わせることになった。
大企業であっても、中小企業であっても立場は同じ。しかも、開発助成金は、すべての企業が同額だったのだ。
本来なら、大企業ほど、お金がたくさんもらえるはずなのだが、一律の支給だったのだ。
それだけ、切羽詰まっていたということであるが。本来なら十万でいい中小企業であっても、一千万単位の助成金でなければ、大企業としての機能が果たせないにも関わらず、一律で数百万円。中小企業であれば、おつりがくるくらいだが、大企業ではその金額では会社の自腹になるか、最初から競争を降りることになる。
たくさんの金が貰えて開発のための人材を雇うことができることで、いち早く、中小企業が開発に成功するというものだった。
大企業は、初めから参加せず、助成金の範囲で、損をしない程度に表向きの国への協力をしていたが、真面目に赤字を覚悟で国の要請に、馬鹿正直に答えることで、経営不振に落ち込んでしまう企業もあった。
結局は大企業は、生き残ったとしても、中小企業に今までの地位を奪われ、大企業であるがゆえの経営が成り立たなくなってしまっていた。
そうなると、昔の不況の時のように、合併して生き残るしかなくなってくる。
しかし、元々、合併して大きくなってきた会社がほとんどなので、いまさらまた合併というのも最後の手段としては、終わっていると言ってもいいだろう。
大企業は衰退し、中小企業が今度は合併することで大きくなっていったりする。中には単独で立ち向かえるだけの会社もあった。新薬開発に成功した企業である。
泰三の会社は、彼が入社した時は中小企業であったが、新薬開発が成功したおかげで、合併せずとも、大企業の仲間入りを果たしていたのだ。
研修期間を終えたあたりで、その猛威を振るった伝染病の禍が流行り出した頃だった。
ちょうど大混乱であったが、新薬開発に携わるという実績を残したところで、彼は出世街道を歩むようになったのだ。
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