トラウマの正体

森本 晃次

第1話 欲の善悪

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ただし、小説自体はフィクションです。ちなみに世界情勢は、令和三年八月時点のものです。それ以降は未来のお話です。またしても、世相、政府がどこかで聴いたようなお話になるかも知れませんが、皆さんのストレス解消にでも役立てていただければいいと思います。当然(あくまでも)フィクションです(笑)。さらに今回は、作者の思想も織り交ぜていますので、不快に感じた方は読み飛ばしてください。


 九州の港町から出てきた下北泰三が結婚したのは、今から五年前だった。高校時代は成績がよく、先生の推薦があったおかげで、入社後、大学卒しか採用していない会社で、異例の高卒として採用されたのは、一種のコネで会ったが、そのコネを感じさせない実力で、まだ二十歳代後半で、係長に昇進していた。

 大卒でもなかなかない抜擢であったが、まわりは、

「実力相応」

 と、考えていたことだろう。

 もちろん、それだけ妬みが強かったのは当然のことだが、だからと言って、本当に実力のある人間は、泰三の出世を認めないわけにはいかないだろう。実力のある人間には、同レベルの実力を持っている人間の存在を把握することができる。つまり、

「よきライバル」

 として、自分にとってポジティブに考えることができるのだ。

 ただ単に、妬みだけしか持っていなくて、相手の実力を認めようとしない人間は、最初から、

「しょせん、俺には太刀打ちできる人間ではないんだ」

 と諦めの境地が最初にあり、結局は、妬みに逃げるしかないという人間であり、自分の限界を自ら認めてしまうという、愚かな道しか歩めない人間である。

「出世する人間には、それだけの出世ができるだけの理由があるというもので、それは、自分というものを自分で理解できない人間だ」

 ということであろう。

 自分の限界をさっさと決めてしまうのも、その理由の一つだ。確かに、自分への評価は他人がするものであるというのも、一つの考え方だが、だからと言って、自分の能力の限界を決めてしまってはいけないだろう。

 諦めというのが、自分の限界を決めてしまうことである以上、それ以上にはいけないという人の欲を捨ててしまうことになる。

 だから、

「欲を持つことはいけない」

 という結論に至ってしまい、欲を持つことが悪だと考えてしまうのだ。

 人間には、持つべき欲と、持ちすぎてはいけない欲とがある。一口で片づけてはいけないものなのだろう。

 確かに犯罪を構成するような欲であれが、それはいけない欲であろう。しかし、人間にはその欲を悪だと考えれば、抑えるための力が備わっているのだ。

 しかし、持っていなければいけない欲というのは、継続的な欲であり、自分の成長を司るものだということを知らなければいけない。

 人間が欲を抑えることを正しいと考えるのは、昔からではないだろうか。

 宗教的な問題が絡むこともあるだろう。

 たとえば、キリスト教などでは、

「十戒」

 などという言葉があり、欲を抑えることが人間に求められる戒律であるという考えである。

 その考えから、それが政府や支配階級によって利用されることもある。特に、

「挙国一致」

 などというような、全体主義の考え方としては、プロパガンダに利用されたりする。

 大日本帝国下などでは、

「贅沢は敵だ」

 などと言って、食生活なども配給制であったりして、

「欲しがりません勝つまでは」

 などという標語も、我慢を強いるためのプロパガンダに過ぎないのである。

 それが間違っていたのか正しいのかというのは、実際には分からない。今では自由が正具のように言われているが、どこまでがそうなのか分からないだろう。

 確かに戦争のない平和な世界ではあるが、毎日のように事件は起きている。まったく何もない平和な毎日など、本当に存在するのであろうか? それこそ今の日本人は、プロパガンダによって、雁字搦めにされていて、一方向しか見えないように、操られているのではないだろうか? それこそ、洗脳、マインドコントロールというものではないだろうか?

 大日本帝国と今の日本国との間の違いは、確かに戦争のない平和な社会ということであるが、果たして、その一言で片づけられるものであろうか?

 確かに、今の世界では、戦争はしてはいけないと言われ、誰もがそう感じていて。作者も、

「その通りだ」

 と思っている。

 しかし、本当にそうなのだろうか?

 今の時代に戦争とは違い、過去にあった戦争。特に明治以降の対外戦争や、事変、事件と呼ばれるものの中で、果たして、そのすべてが、

「悪いことだったのだ」

 と理論的に説明できる人がどれだけいるだろう?

 特に当時の世界は、帝国主義世界における、職民事時代でもあった。欧米列強と呼ばれる、

「強い国」

 が、資源の豊富な発展途上国といわれる、

「弱い国」

 として侵略し、自分たちの支配権によって、統治を行っていた。

 特に、アジアや、アフリカのような土地の国々は、ほとんどが列強の植民地だった。アジアで植民地とならなかったのは、日本と、タイくらいだっただろうか。中国も植民地とまではいかないまでも、清国の時代に主要都市には、外国の租借地が作られ、不平等条約やイギリスによってもたらされたアヘンによって、メチャクチャにされてしまっていたではないか。

 国防上の問題で、日本がどうしても、ロシア(ソ連)の侵略から守らなければいけなかった朝鮮半島、満州の治安は、絶対不可欠なものであった。そのために、朝鮮を巡っての、日清、日露の戦争を経て、そこから、中国に対しての権益を得ようとしたのは、列強に遅れを取らないためというか、中国に対しての考え方は、軍内部でも、意見が割れていたりもした。

 そのため、中国に圧力をかけ、対華二十一箇条要求などというもののために、中国人の反感を買ってしまったりもしたことで、シナ事変という不幸な事変が起こることになった。

 元々、日本が満州において、中国人による反日行動での虐殺や、迫害、暗殺などの最悪な治安の中に晒されたことで、居留民保護という目的で引き起こされた満州事変が引き金になったことも大きな理由であr。

 ただ、これも、日本側にも切羽詰まった理由があった。

 一つには、満州が、仮想敵国であるソ連の南下を食い止める防波堤としての地理的な防衛線であったということ。さらにもう一つは、日本本土の人口問題があったということである。

 昭和初期に起こった不況や、東北の飢饉の影響で、日本国内で、増加傾向にある日本国民を養っていけるだけの国力は日本にはなかった。

 広大な未開の土地である満州を手に入れて、そこに日本人を移住させ、さらにはそこを開拓させて、豊富な資源を日本にもたらすという一石二鳥の考えがあったのだ。

 さすがに植民地にしてしまうと、列強からの圧力もあるということで、満州に独立国家を築いたのだが、そこは、関東軍の傀儡国家だったのだ。

 満蒙問題の解決は日本の生き残りの最重要課題であり、満州事変は、それを一挙に解決させるために必要なことではなかったか。

 その後、日本は中国大陸でも、元々は軍による衝突から次第に事態が大きくなり、収拾がつかなくなったことで、シナ事変に突入してしまった。

 欧州は戦争状態となり、アジアも、戦争に巻き込まれることになった。中国との戦争は全面戦争となり、ただ、宣戦布告を行っていないということで、あくまでも事変であった。

 盧溝橋事件からが日中戦争と言われているが、それは正確には誤りである。盧溝橋事件に端を発したシナ事変には、日中、両国とも、宣戦布告を行っていなかった。

 国際的には、

「宣戦布告を行っていない国における戦闘状態は、戦争とは言わず、事変という」

 というのが、一般的である。

 ではなぜ、宣戦布告が行われなかったのか?

 その理由は、それぞれの国の事情によるのだ。

 国際法においては、宣戦布告をして戦争状態になった場合、第三国はその戦争に対して、自国の立場をしっかりとしておかなければならない。つまり、どちらかの国に味方をする。あるいは、中立状態でいるというものだ。

 中立状態になると、どちらかの国に対して、援助をしてはいけないということになる。中国のように、米国などから武器弾薬の援助を受けていたところは、もしアメリカが、宣戦布告の段階で、中立を表明すれば、中国に対しての援助は断たれることになる。

 もし、アメリカが中国支持ということになると、アメリカは日本を敵とすることになり、必然的に戦争状態に巻き込まれることになる、

 アメリカという国は、

「モンロー主義」

 という理念があり、

「他の国や地域の紛争や戦争に積極的に介入しない」

 という考えを貫いていたのだ。

 そうなると、立場は日本も同じで、当然同じ理由から、宣戦布告をしない方がいいということになり、結局、宣戦布告なき戦いが、行われることになるのだった。

 アメリカは最初、日本に対して融和的であったが、戦線が拡大するにつれて、日本に対して辛辣になってきた。

 その理由の一つが、アメリカにおけるイギリスとの関係だった。

 ヨーロッパにおける戦争で、日本が同盟を結んでいるドイツ、イタリアと戦争をしているのが、イギリスであった。

 イギリスはアメリカに対して、戦争参戦をお願いしていたのだが、アメリカは前述のモンロー主義という考え方があり、議会を通さなければ、戦争に参戦することはできないという国であった。つまり、国民に対し、戦争をすることの意義が示されなければ、戦争ができない国だったのだ。

 特に当時、アメリカは、どこからも攻撃を受けることもなく、戦争に突入する理由はまったくなかったのだ。

 だが、大統領はイギリスからの呼びかけに戦争を行う必要に迫られていた。それによりいかにして参戦と行うための大義名分を得るかということが問題だった。

 そこで利用したのがアジア情勢だった。

 日本を追い詰めることで、中国に対しての利権や立場を強くできるということ、さらにそれによって、日本がアメリカを敵として立ちはだかってくれれば、ドイツ、イタリアに対して、宣戦布告もできるというものだった。

 ヨーロッパの国と手を結び、日本に石油などの資源や、軍事物資となる鉄などの輸出を全面禁止をしてしまうと、日本が取る行動は決まってくる。

 アメリカからの外交交渉において、

「中国からの全面撤退などの条件」

 を呑むか、あるいは、

「自給自足を行うために、南方の豊かな資源地帯に侵攻するか?」

 という二つに一つしかなかった。

 前者は、陸軍を中心に、日本が飲めるわけのない状態だった。それでも、何とか戦争回避における外交交渉を行ってきたが、アメリカの要求はさらに大きなものになってくる。

 日本は、北部仏印に進駐し、さらに南部仏印にも進駐した。

 これで日本が自給自足の道を歩むことが表明されたようで、アメリカは最後通牒をつきつける。

 それがハルノートと呼ばれるもので、日本の権益を明治維新の状態にまで戻すということだ。

 これに従えるわけもない日本は、海軍は真珠湾攻撃、そして陸軍は、マレー半島上陸という両面作戦を結構することによって、大東亜戦争が勃発することになったのだ。

 ちなみに、真珠湾攻撃を、

「宣戦布告前に攻撃したので、不意打ちだ」

 と言われていて、ほとんどの日本人がそう信じていると思うのだが、作者はそうではないと思っている。

 そもそも、最後通牒というものを出した時点で、それを宣戦布告とみなすというのは、国際的にも周知のことであったので、ハルノートが示された時点で、アメリカからの宣戦布告だと言ってもいいはずだ。それを認めるのであれば、アメリカが使った二つの核兵器攻撃、あれも、事前通告がなかったという方が、国際法違反ではないかという意見があってしかるべきではないかと思うのは、筆者だけであろうか?

 つまり、日本が第二次世界大戦に突入することになったのは、アメリカの戦争への世論の動きを高めるためのやり方として、日本に宣戦させるためだったわけである。これは、今では公然の事実であり、したがって、日本が軍部の暴走によって、世界大戦に突入することになったという通説が果たして本当なのかどうか。怪しいものだと言えるのではないだろうか。

 日本がこれにより、英米蘭に宣戦を布告したことで、今度は中国が日本に宣戦を布告することができる。援助国であるアメリカが、敵対している日本と戦争になったのだから、今度は堂々と日本に対して、連合国側から参戦することで、アメリカと同盟国になることで、物資が公然と入ってくることになるのだ。

 いよいよ日本が孤立してしまうことになるのだが、日本には戦争を行う上での大義名分があった。それが、

「アジアの解放」

 であった。

 アジアの国々は、前述のように、欧米列強から植民地となっていて、それを独立に導くことで、

「大東亜共栄圏」

 と呼ばれる、アジア各国が毒室した上で、列強からの統治のよらないアジアでの共栄を日本を中心に目指すというものであった。

 そういう意味で、満州事変において建国された満州国の理念というのが、

「五族協和と王道楽土」

 というものであった。

 五族協和の五族とは、

「日本民族・漢民族・朝鮮民族・満州民族・蒙古民族」

 の五民族をいい、その思想が、そのまま、

「大東亜共栄圏」

 に結び付くのである。

 そういう意味で、かの戦争は、一般的には、

「太平洋戦争」

 と呼ばれているが、本当は、

「大東亜戦争」

 というのが正しいのだ。

 回線当時、日本政府は閣議決定で、盧溝橋事件から始まる戦争を、

「大東亜戦争と命名する」

 と決まったのであり、日本が敗戦したことで、連合国の統治が始まるのだが、連合国による統治において、かつての大日本帝国の理念は邪魔なのだ。

 しかも、勝者としては、日本の大義名分である、

「アジアの国を解放する」

 というのは、植民地を保有している国としては実に都合の悪いものだった。

 そこで、占領国から、

「大東亜戦争という表記は使用してはならない」

 ということで、統治時代には、使用されることはなかったが、サンフランシスコ講和条約締結において、日本国の独立が承認され、統治が終わると、大東亜戦争という表記は許されるようになったはずなのに、マスゴミによる忖度名のK、その後も太平洋戦争という言葉が一般的になってしまった。

 そのせいもあるからなのか、戦争を知らない世代においては、(作者も戦争は知らないが)、

「かの戦争は、日本が犯してしまった過ち」

 ということで、日本のために戦った英霊を、戦勝国の人間が認めないというのは分からなくもないが、

「守ってもらっていた日本民族が認めないという理屈があってもいいのか?」

 という考えが少数派だということは悲しいことだと思う。

 朝鮮や中国に対しての忖度だというのであれば、あくまでも、外交上の問題であり、それを日本人としての意識から話してしまうから、今のような平和ボケの時代になるのだ。

 平和憲法が決して悪いわけではないのだろうが、その足枷になっていることで、実際に今の日本を苦しめているということも事実である。

 少なくとも、今の法律があることで、自衛隊が自分の身を自分で守れないという事実、さらに戦争でなくても、非常事態が起こるということがパンデミックによって分かったにも関わらず。憲法のために、ロックダウンや戒厳令を敷くことができないことで、国民を死に追いやっているということを、どこかでの人間が理解しているかというのも、大きな問題であろう。

 大東亜戦争であったり、シナ事変などという言葉であったり、それぞれに、本来の正式な名称を、わざと変形した形の名前が用いられていることに、違和感を持っている人が思ったよりも少ない気がする。

 果たして、正しい話をこうやってしたとことで、納得できると思う人がどれだけいるだろう。

 それはきっと、今までの教育に問題があったのではないかと思う。

 特に占領軍が、自分たちの都合のよい考え方を日本国民に植え付けるために使われた言葉を、あくまでも、それが本当のことであるかのように教育してきた。確かに占領期間中は、そのことを植え付けられてきたのだが、戦後の七年後にはサンフランシスコ講和条約ができて、日本は独立国になったのだ。だから、占領時代のような、

「大東亜扇動」

「シナ事変」

 などという言葉を使ってはいけないということにはなっていない。

 ただ、マスゴミが、占領時代からの発想をずっとそのまま引きずってきて、あれから、七十年も経っているというのに、いまだに占領時代のような発想のままというのは、果然にあの時に洗脳されたままだと言ってもいいのではないだろうか。

「洗脳」

 つまり、マインドコントロールに支配されている。

 それがマスゴミなのだ。

 作者も、学校でも、それ以外の場所での教育などで、

「日本は、やってはいけない戦争をした」

 あるいは、

「戦争は、負けると分かっていて、軍部が突き進んだ結果、突入した」

「学校では、竹槍の訓練を受けたりして、爆撃機を竹槍で、どうやってやっつけるというのか、バカバカしかった」

 などと、言われて、さぞや当時の軍部や政府は、

「揃いも揃って、バカばっかりだ」

 という発想を叩きこまれてきたという印象が多い。

 しかし、学校で習うことだけではなく、映画などで戦争中などに興味を持って、よりあの時代を勉強して見たいと思うと、今の時代は本であったり、ネットで、結構なことは調べられるものであった。

 学校では、戦争中の話などでも、ページとして一ページに感嘆に書かれている程度で、下手をすれば、事実だけが列挙されていることだろう。

 特に、明治以降の歴史というのは、世界史を知らないと、日本の歴史だけでは、とても理解のできないことが多い、しかも、世界情勢に操られる時代なので、刻々と歴史や世情は変わってくるのだ。

 教科書で箇条書きにしたとしても、どれだけの時代を要するか、つまり、十年分を勉強しようとすると、一週間以上の期間が必要になったりするというものだ。

 それだけの動乱の時代なので、逆に繋がってしまうと、見えてくるものは、これほど分かりやすいものはないだろう。

「歴史は嫌いだ」

 という人がたくさんいるが、その一つには、

「歴史という学問が、暗記の学問だ」

 ということが一番大きいのかも知れない。

 そしてもう一つは、

「目まぐるしく時代が過ぎていくので、まったく分からない」

 ということがあるだろう。

 教科書、つまり、高校などのカリキュラムで、一年間で日本の歴史を教えるなど、ほぼ不可能に近い。二年でも難しいかも知れない。

 高校によっては、教育の密度によって、江戸時代までしか教えることができなかったり、下手をすれば、戦国時代で終わってしまったりする。しかし、本当に学ぶべき歴史は明治以降であり、この百五十年くらいを、本当であれば、一。二年みっちりと時間を取るのが教育というものではないだろうか。だから、明治以降を本当に勉強するならば、学校の勉強では無理なのだ。学校で、

「歴史が一番嫌いだ」

 と思っている人に、学校を卒業してから、勉強していない時代を独学で勉強しなさいと言って、誰ができるというのか。

 それを思うと、占領軍が行ってきた、教育にどれほどの罪があるというのだろう? 教育内容が違っているとしても、大日本帝国の子供の方が、勤勉だったことだろう。ただ勉強する機会が限られてしまっただけで、今のように、いくらでも勉強ができるのに、それをしようとしない人が多く、いくら教育制度が整っているとしても、教育を受ける人間にその気がなかったり、学校教育が、本当に学ばなければいけないことを学べないという歪んだ教育方針は、政府の方としても、実はありがたいのかも知れない。どの時代であっても、国家が国民を洗脳するということは、大なり小なりあるのだった。その手っ取り早い方法として、教育が使われている。

「国民の三大義務の一つである教育」

 とは、一体何なのであろうか?


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