第1話 『錆びた時計』-7
美弥子は足早に街灯少ない夜の道を歩いていた。習い事に熱が入りいつもより遅い時間に見通す慣れ親しんだはずの帰り道は、人影がないだけでひどく不安を駆り立てる。あと二つ角を曲がれば家に着く、安心しかけた彼女は曲がり角の先に違和感を感じ足を止めた。街灯が部分的に照らす違和感の主は赤い肌に暗闇に怪しく光る眼光、その頭には角が生えていた。異形の存在―鬼が美弥子の姿を認めると一歩踏み出す。
「ひっ……」
慌ててきた道を引き返し走る、おとぎ話の中でしか見聞きしたことのない存在が明らかにこちらを認識したという事実が美弥子を本能的にそうさせていた。恐怖から逃れようとがむしゃらに走り回り、見慣れたはずの町並みは一転して見覚えのない場所に思えてくる。どれほど曲がり角を過ぎたのだろうか、美弥子は曲がった先で立ち尽くしてしまった。その先に道はなく、後ろからはひたりひたりと鬼の足音が近づいてくる。息を整えることも忘れて後ずさり、体を縮こませて叫んだ。
「キャーーーー!」
「……食らいつけ、
二者の間に大きな影が割り込んだかと思うと鬼へと飛び掛かる。毛むくじゃらの後ろ姿が鬼とがっぷり四つに組み、力比べとばかりに押し込もうと試みる。動きがとまった鬼の背後から
「美弥子さん!大丈……ッッ」
「……おっと、護国の志士か。動くなよ?女の首を手折ることなど容易いのだからな、まずはその物騒なサルを下がらせてもらおうか。」
吉備津の視線の先では美弥子が先ほど切り捨てたモノとは違う鬼に捕まえられていた。怪力につかまれて苦悶の表情を浮かべており、目じりには涙が滲んでいる。口惜しそうにしながらも狒々を下がらせる吉備津の姿を
「なにか……なにかないか?」
「そうだ、そのまま動くなよぉ!」
「ぐっ、がはっ!」
目につく範囲には何もなく、うろたえている古道の視界を左から右へ吉備津が車に跳ね飛ばされたかのような高さで飛ばされていく。危うく叫びそうになるのを必死でこらえながら、地に伏す吉備津に近づいていく鬼をやり過ごす。震える手で時計を改めるともうほとんど中の針は12の文字を指し示しつつある、
「女と仲良く腹の中にご招待だ!死ねぇい!」
「………ッ」
いよいよ倒れた吉備津に鋭い爪が振りかぶられる、彼が覚悟を決め目を瞑ったその時、がむしゃらな叫び声と衝撃が鬼の動きを止めた。胡乱げな視線と古道の視線が交差する、その手には折れた看板が握られているが、全く意に介した様子はなくゴミを払うかのように振り回された鬼の腕が古道のほほを殴打すると、その身は紙切れのように吹き飛ばされて痛みにうずくまるしかなかった。
「何の力も持たぬ人風情に食事の水を差されるとはな、お前から前菜にしてくれるわ」
「い……いてえ。いてえ、……けどっ」
揺れる視界と口の中に広がる血の味に意識が飛びそうになりながらも、目標を変えた鬼に向かい、古道は震える手で懐中時計を操作した。
「古道様っ!とうとうこの時が来たのですね!」
「み、美弥子さん、後は吉備津さんが……やってくれますかね」
「ええ、ええ。
鬼に囚われている美弥子はそのままに、古道の隣に現れた時計の美弥子はうずくまっている彼に肩を貸しながら鬼の後ろですでに構えている吉備津に笑みを向けている。痛む体に鞭を打ち美弥子の力を借りてどうにか街灯の下まで移動ができた。そして、懐中時計の針が再び時を刻み始め止まっていたものを動かし始める。
「うむ?あの人間、どこに消え……ぐおっ」
「相手を間違えるな、俺は……ここだあっ!」
「ぐ、ぐおあああああああああ」
吉備津は鬼を背後から一刺しし、何やらつぶやいたかと思うと鬼の体が砂のように崩れて消えていく。この世界に来てから不可思議なことを見たり体感するのは何度目だろうと思いながら古道は薄れゆく意識の中、吉備津と美弥子が呼びかける声を遠くに聞いて意識を闇に落としていくのだった。
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