第1話 『錆びた時計』ー6


 古道こどうが内心決意を固めた日の夜は鬼が出没せず、明かりの消えることのない真宿 -と書いてシンジュクと読むらしい -の街を日が昇るまで吉備津と見回りをするにとどまった。吉備津きびつは徹夜明けだというのに元気な様子で他の事件を追う、と懐から出したくだから大きな鳥を呼んでどこかに飛んで行ってしまったので、休んでもいいと言われた事務所のソファで徹夜明けでぼやける視界をこすりながら懐中時計を取り出す。

 美弥子に吉備津に合流できたことを伝えようと懐中時計を開いてカチリ、と時間を止めるための動作を行うと、相変わらず前触れもなく美弥子はその姿を現した。先ほどまで窓の外から中に入ってくる人々の喧騒が聞こえてこないということは、やはり時は止まっているらしい。


「ここは……よかった、古道様は三珠みたまさんに会えたのですね。」

「ええ、それにしても彼は元気ですね、ひとまずご報告までに」

「わざわざありがとうございます。……その、古道様。説明をする機会を逸しておりましたが、実はその時計が時を止められるのはその時計の短針が一度巡る間に1回だけなのです。」

「ええっ!?」


 これまで必要でなかったが漠然と何度でも使えると思っていた古道にとって美弥子の説明は寝耳に水だった。短針が巡るということは時間にして12時間に1回、吉備津が危ないときに毎度使うという方法はとれないのか、と腕を組んでいると美弥子は悲痛な面持ちで言葉を続ける


「本当は古道様から三珠さんのことをもっと聞きたいのですが、今の私は時計に残った本当の美弥子の影のようなもの……次にお話ができる時は三珠さんを助ける時でありますようお願いいたします」

「美弥子さん……」


 自分の気持ちを抑えて、でも止められない思いを目じりに浮かべながら恋人の身を案じる美弥子の姿に、古道はなんと声をかけていいかわからず、そのまま今回の時間停止の限界が来てしまったようだ。誰かがいた気配など微塵もない彼女の立っていた場所を呆然と眺めていた古道だったが、かぶりを振って気を入れなおす。手元の時計を見ると、それまでは気が付かなかったがよく見たら文字盤の内部にさらに小さな文字盤があり、それが12時の方向を目指して動いているのが見える。どうやらこの針が一周することで12時間を図るのだと直感的に理解した古道は、時刻を確認するといざというときに動くため事務所のソファに横になるのだった。


「……どの、こど…の……古道殿」

「んがっ!?」

「まったく、随分と眠りこけていたものだ。おぬし意外と大物なのかもしれんな」


 肩をゆすられて目が覚めた古道は、間抜けな声とともに体を起こすとローテーブルに座った黒猫のクロスにそういわれて時計を改める。時刻は19時を回ったところ、小さな文字盤のほうはもう少しで一周するかという位置まで来ていた。時計をそっと懐にしまうと、古道は立ち上がり吉備津とクロスに鼻息荒く声をかける。


「失礼しました、でもおかげで元気いっぱいですよ!今日はどのあたりを回りましょうか」

「おお、古道殿、やる気にあふれていますね!頼もしい限りです、今日こそ何か進展があるとよいのですが……」

「住職の話だと今晩は山の手に怪しい””がみえるらしい、二人とも油断するなよ」


 古道と吉備津は頷き合って事務所を出立した。山の手と呼ばれる高級住宅が並ぶ静かな街を見回りしていると、仕事終わりの恰幅のいいサラリーマンを乗せた自家用車や、バスから降りてくる学生たちが足早に家路についていく。女学生が家の人だろうか、迎えと一緒に歩き出すのを見て古道が口を開く


「美弥子さんの家も、この地区にあるのでしたっけ?ここに鬼が来てしまったらと思うと……ぞっとしますね」

「なに、そうさせないために我々がいるのです。古道殿、次は西のほうを見に行ってみましょう」



 見回りの時間が深くなっていくほどに人影はまばらとなる街の姿は吉備津の顔を真剣なものにしつつあり、古道もそんな雰囲気を察知して改めて気を引き締める。人影がなくなるころ、住宅街の中の公園で小休止をとっているとき今日も空振りかと落胆していると、吉備津は急に顔を上げて周囲を見渡し駆け出した。慌てて古道もそれに追従しながら声をかける


「吉備津さん!」

「鬼の気配を感じました!急ぎましょう!」

「キャー――――!!!」


 夜の街を駆け抜ける二人のいく先で、絹を裂くような悲鳴が静寂に包まれた街に響き渡った。

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