第1話 『錆びた時計』ー3

「扉ってこれ、だよな?」


 目の前には古めかしい片開きの扉が立っていた。問題は「ただそこにあるだけ」の扉なので、容易に裏を見る事ができ、古道こどうの目にはどうしてもどこかに通じているようには見えなかった。不信感から手持ち無沙汰に懐中時計の上蓋を開けてみると、蓋の淵に「美弥子みやこ」と書かれた文字が目に入る。持ち主の名前を頭で復唱した瞬間、目の前のドアが開きドアの向こうから放たれる光が古道を包み込んだ。


「わっ………ん?な、なんだ!?」


 突然の光に身を縮めて数瞬、恐る恐る目を開けた古道が見たものは夕方の街並みだった。しかし、自分がいままでいた街並みとはいささか事情が違うようで、アスファルトはなく土が剥き出しであり、電灯ではなく昔博物館で見たガス灯が街を照らしている。状況が飲み込めていない古道に荒々しく罵声が浴びせられる。


「バッキャロー!死ぬぞー!!」

「えっ、えっ、……うわっ!?」


 左右を見渡すと、もうすぐそこまで車が来ているのに気づかなかった古道は“避けられない”と反射的に体に力を入れ、身を固めた。数秒経っただろうか、来るはずの衝撃が来ないことに恐る恐る目を開けると、まさにぶつかる直前で停止していた。


「と、とまっ……いや違う、これは……」


 奇跡的にブレーキが間に合ったのかという考えはすぐに捨てた。周りの人も、喧騒も車も、何もかもが凍り付いたようにその場から動かず、荒唐無稽な話ではあるが”時が止まった”と考えるのが一番古道を納得させた。服についた土ぼこりを払いながら立ち上がると、慌てたような声がかけられる。


「そこのお方!はやくこちらへ!また動き出してしまいます!!」


 声の主は長い髪をリボンでまとめた袴姿の女性で、古道に向かって手招きをしていた。訳も分からず言われるままに女性に駆け寄ると、事態をいまだに呑み込めていない古道に言葉を続ける。


「あの、いったいなにがどうなって……」

「詳しい話はあとで、時間がないのです、夜が明けたらどこでもいいので手元の時計のボタンを押してくだ……」


 そこまで女性が言うと、それまで彼女の声しか聞こえてこなかった静寂が一気に動き出したかのように辺りの喧騒が戻ってくる。突然の音に周りを見回した後目の前の女性に詳しい話をした古道の前には、誰も立っていなかった。いよいよ化かされたかと頭を振り、状況把握のために歩き出す。町並みは一言でいうとレトロな雰囲気が漂っており、看板も随分古めかしく感じるものが多く見受けられる。そういえばレトロな街並みを売りにしたテーマパークがあったな、と思っていると遠くに人だかりができていて中心の高台には新聞を抱えた男性が周りに「号外!ごうがーい!」と叫んでいる。


「兄さん!一部ください!」

「あいよー!また殺しが出たって話だこれで同じ下手人と思われるのが3人目だ!夜は用心で歩かないように気をつけな!」

「……なんてこったよ」


 号外を手にして人だかりを抜け出すと、光量が足りないガス灯の下で古道が目にしたものは普段とは違うカタカナと漢字で書かれた逆読みの新聞、曰く『連続殺人三度現ル、警察ノ失態カ、犯人像ハ?』。見出しを信じたくない気持ちを踏みにじるかのように取り出した携帯の電波を示すアイコンは『圏外』と表示されていた。



 鳥のさえずりが意識を覚醒させる、日差しも手伝って瞼が開くと木造の天井が視界に飛び込んできた。昨日、宿を探そうとした古道は宿の受付で差し出した高額紙幣を突っ返されて、途方に暮れて尋ねた寺に事情を説明したところ一晩の宿を借りることができた。



「神様仏様住職様感謝いたします……っと、そうだ」


 感謝の念をもって手を合わせると、仕事明けから怒涛のようにここまで来てしまったが一晩寝て多少すっきりとした頭で状況を整理する。ここは大正時代によく似た世界であることと、道具の想いを遂げさせなければ元の世界に戻ることはできないということ。時刻は午前5時を回ったところで襖の向こうでは小坊主さんだろうか、敷地内を箒で掃く音が聞こえてくる。携帯を脇に置くと、懐中時計に手を伸ばし、あの女性に言われたとおりに押す。


「ああ、よかった。信じてくれてありがとうございます。私は美弥子といいます。」


 押した瞬間、それまでそこにいなかったはずの空間に昨日会った女学生が現れて気絶しそうになりながらも、「時間がないから」と美弥子は古道にこの世界のことを説明するのだった。

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