第4話 磔にされた死体

 どうして、シンナーの臭いなんかを思い出すことになったのかというと、きっと、山岸の趣味が、プラモ作りだということを聞かされたからだろう。

 プラモには、セメダインがついている。いわゆる接着剤だ。(ちなみに、セメダインというのは会社名であり、登録商標でもある)

 接着剤にも種類があって一概には言えないが、プラモデルなどに使用される接着剤には、シンナーのような臭いがあるようで、その臭いは、かなりきついものであるが、嗅覚を擽るどころか、嗅覚をマヒさせるほどの臭いだけではなく、目が痛くなったり、喉が痛く鳴ったりする場合がある。

 シンナーには、中枢神経麻痺作用があり、酔っ払い状態、いわるる、

「トランス状態」

 であったり、

「ラリってしまう」

 などとも言われたりしていた。

 シンナーに含まれる主要成分は、トルエンである。中毒性があることで、一度吸い始めると、止まられなくなるという、麻薬中速性を帯びている。つまり、吸い続けると、依存症になってしまい、やめられなくなるということだ。これは麻薬と同じで、まだ、酒に対しての依存症と似ているとも言われている。

 今ではあまり見なくなったが、昭和の頃の不良というと、中学時代は、

「シンナーを吸っている」

 というイメージが強い。

 いわゆる、

「シンナー遊び」

 と呼ばれるものが主流で、ビニール袋の中に、シンナーを入れて、それを口に当てて、吸引する。それを俗に、

「アンパン」

 と言われていたが、この名称は、袋からシンナーw吸っている姿が、アンパンを食べているのに似ていると言われているからだということらしいが、どうも想像ができないのは自分だけではないかと、思っている人も多いような気がする。

 昔の不良というと、

「ヤンキー」

 などと呼ばれていたが、それも、

「周囲を威嚇するような強そうな恰好をして、仲間から一目置かれたい」

 という意識の表れだったという。

 元々の、北部アメリカ人を刺す言葉との違いはアクセントにあり、北部アメリカ人のアクセントは最初にあるのに対し、不良の場合は、後ろにある。これはきっと、不良をそう言い始めた元祖が関西になったことで、関西人が喋った言葉から来ているのではないだろうか。

 すでに、昭和五十年頃からその言葉があったというから、最近のものだと思っていた人には長いと感じ、昔からあったと思っている人には中途半端な出現時期と感じるだろう。

 その頃の不良の名称というと、

「ツッパリ」

 という言葉が主流だった。

 かつてのロックンロールブームにおいて、その言葉が楽曲になっていたので、広く知られているとすれば、

「ツッパリ」

 の方かも知れない。

 ちなみに、ヤンキーという言葉を使ったコミックソングもあったが、知名度からすれば、まだまだ一部の人だけだったのかも知れない。

 なぜ、敏子がこんなことを考えたのかというと、

「気が付いたら、目が覚めていた」

 と思ったからだ。

 しかも気付いたその場所は自分の部屋のベッドではない。暗いどこかの建物の中だった。

――建物、これが?

 と感じたのは、その場所がすでに人が住める場所ではなくなっている、廃墟と言ってもいい場所だからである。

 以前は、マンションだったのだろうが、老朽化からなのか、それとも他の事情による建て替えなのか分からないが、真っ暗なその場所にカンテラのような明かりがついていて、その明かりはかなりの明るさを感じさせた。一種のスポットライトと言ってもいいだろう。

 その場所には、埃が舞っていた。真っ暗なところにスポットライトが当たっているのだから、当然埃が舞っているように見えるのも無理のないことであるが、明らかに、埃の臭いも感じられた。

 目が覚めるにしたがって、頭痛が激しくなってくる。意識が戻ってくるにしたがって、戻ってくるはずの記憶が何かによって妨げられているように、意識が遠のいていくのを感じた。

「うーん」

 と言って、頭を押さえて苦しんでいると、

「大丈夫ですか?」

 と、誰か男の人の声が聞こえた。

 その人を確認しようと思ったが、その人の後ろからスポットライトが当たっている形になったので、後光が差しているようで、顔を確認することができなかった。

「ええ、大丈夫です。ここは?」

 と言って言葉をとぎると、いや、言葉を途切ったわけではなく、言葉を言おうとすると、埃が喉に入り込んでせき込んでしまったようだ。

 またしても、その男性が、

「大丈夫ですか?」

 と労ってくれたので、

「はい」

 と答えるだけだった。

「あなたは、意識不明でここで倒れていたんですが、記憶はありますか?」

 とその男性は言った。

「あの、すみません。私は、どうしてここにいるんですか? そして、あなたは誰なんですか?」

 と聞かれた敏子は、

「覚えておられないんですか?」

 と言われたので、

「ええ、一向に」

 と答えたが、正直、意識はだいぶ復活してきていて、記憶もある程度よみがえってきてはいたが、なぜここにいるのかが、正直分からなかった。

「さっき夢を見ていたような気がしたんです」

 と、記憶がないかわりに、夢の内容を話してみた。

「何か強烈な臭いがして、気を失っていくのが感じられたんですが、今から思えば、シンナーの臭いだったような気がするんです。ちょうど、会社の人と、趣味の話になって、その人がプラモデル作りが趣味だと言った時、接着剤に臭いとともに、シンナーの臭いを嗅いだというシチュエーションだったような気がしたんですが、気が付けばそれは夢の中のことで、目が覚めるにしたがって、激しい頭痛に苛まれたんです。その時、目の前にあなたがいたわけで、これが今の自分を思い出せる、この場面での記憶なんです」

 と敏子は言った。

「じゃあ、あなたは、気を失うまでのことは覚えていないということですね?」

 と聞かれて、この男が一体何を聞きたいのかが分からず、少し苛立ってしまった。

「あなたは誰なんですか?」

 と再度きくと、

「ああ、これは失礼しました。私はK警察署の桜井というものです」

 というではないか?

「刑事さん? 刑事さんがどうしてここに?」

 と聞くと、また頭痛がしてきた。

 どうやら、何かを思い出そうとすると、頭痛を催すようだ。その時一緒に、吐き気も催すので、頭痛がさらに激しさを増す。

「まるで偏頭痛のような気がする」

 と、感じていたのだった。

「どうやら、まだ、意識が朦朧とされているようですね?」

 と言われて、どうやら、自分は知らないが、この刑事が知っていることの方が多いということに、苛立ちを感じている自分がいるようだった。

「ええ、何があったんですか?」

 と聞かれた桜井刑事は、

「すべてをまともに話すと、頭が混乱するでしょうから、基本的に聞かれたことにお答えするようにしましょうね。まず、意識が朦朧としている理由は、あなたが、麻酔薬を嗅がされて、意識不明になっていたからなんですよ」

 と言われた。

「麻酔薬? 誰が何のために?」

 と聞くと、

「そこまでは分かりませんが、この状況において、あなたが麻酔薬を嗅がされたということは大きな意味があるのですが、それも順を追ってお話ししましょう。まず、ここで私たち刑事がいるということは、お察しでしょうが、事件があって、それで我々は出頭してきています。人が殺されたんです。そのそばにあなたが倒れていたということなんですが、我々はあなたも殺されているのかと思いましたが、どうやら気絶しているだけだと分かりホッとしました。でも。ここでいくつかの疑問が出てきます。あなたが、気絶させられた理由ですが、普通に考えると、犯人にとって、何か都合の悪いものを見られた場合ですね。でも、もしそうだとすれば、生かしておくのもおかしな気がします。警察に喋られれば困るわけですからね。では、そうではないとすると、犯人がわざとあなたをここに放置したという考えですね。でも、これも少し無理があります。考えられることとすれば、あなたを犯人に仕立て上げるということであれば、分かるのですが、別にあなたが凶器を持っているわけでもないし、返り血を浴びているわけでもない。そうなると、考えられるのは、あなたがここにこの犯罪とは関係のない何か別の目的でやってきて、偶然死体を見てしまい、大きな声を挙げられるのが、まずくて、応急的手段として、気を失ってもらったということですね」

 と刑事は言った。

 少し考えてから、

「じゃあ、彼らの目的は、その時、死体が発見されては困るということだったんでしょうか? アリバイの問題とかあって、もっと後で発見される必要があったということですかね?」

 と敏子がいうと、

「なかなかする語彙ですね。ここは、ずっと使われていないマンションの跡地で、今は買い手が見つかって。もうすぐここが建て替え計画に入るそうなんです。それまではあまり人が立ち寄らない場所なので、死体が見つかるまでには、結構時間はかかるんですが、確実に一か月もしないうちに誰かが見つけることになる。それを犯人は狙ったのかも知れないですね」

 と桜井がいうと、

「でも、実際に警察の方が来られているということは、事件が発覚してしまったわけですよね。となると、刑事さんの推理は違っていたということになりませんか?」

 という敏子に対して、

「ますます聡明なお嬢さんだ。そうなんですよ。一日はおろか、犯行から数時間で、事件が露呈することになった。では、誰かがここに来たということなのかというとそうではないんです。警察に通報があったということなんです。ここの跡地で人が死んでいるとね」

 と刑事が言った。

「誰が掛けてきたんでしょう?」

 と敏子が聞くと、

「ハッキリとは分かりませんが、その男の通報にてやってくると、本当に人が殺されていて、おまけにあなたが、気絶していたというわけです。聡明なあなたなら、私が考えていることが分かるかも知れませんね。はい、私は、掛けてきた人は犯人だと思うんです。そして本当は、もっと後で自然に発見されるべきものの計画が狂ってしまった……」

 と桜井が言って、そこで言葉を止めると、

「犯人にとって計算外の出来事が起こったために、計画の変更を余儀なくされた。それが、私の登場だということを、刑事さんは言いたいんじゃないですか?」

 と言われて、

「はい、ご名答です。そうでないと、通報してきた人の名前を通報を受けた人間が聞こうとすると、すぐに切ったりはしないでしょう。しかも、公衆電話からかけてきているなんて、ケイタイを持っていないわけでもないだろうに。それで、何か怪しい。この事件には裏があるような気がしたんです」

 と、桜井刑事はそう言った。

「私もそれは感じますね。でも、ただ、どうして私がここに来たのかを思い出せないのは、なぜなのか少し気にはなるますね、何か麻酔薬を嗅がされたとこで、記憶が飛んでしまったんでしょうか?」

 と、敏子は言ったが、

「いえ、それは考えにくいかも知れないですね。それよりも可能性としてですが、もっと精神的なことが影響しているのではないかと思うんです。つまり、あなたがひょっとすると犯行現場を見た。あるいは、犯人を見たなどというショッキングなことから、自分で自分の記憶に蓋をするということが往々にしてあるというのを、精神科の先生に伺ったことがあります。我々のように、犯罪捜査ばかりしていると、犯行現場を見たショックで、記憶をその瞬間だけ失ってしまったということはよくあるのを聞いたことがあります」

 と言って、すぐに、桜井刑事は、

――待てよ?

 と感じた。

 さすがに今感じたことを本人には話すわけにはいかないが、感じたこととして、彼女が犯人を見たと仮定した場合、相手も彼女に見られたと思ったことで、彼女を殺しにかからないかということもある。しかし、もし顔を見られたとすれば、その場で彼女も一緒に殺してしまうことだってできるはずだ。それをしなかったのには、二つの理由が考えられる。「彼女をその場で殺してしまって、死体が二つになることを犯人が恐れたからなのか、それとも、彼女を一緒にその場にいさせるというのが目的の一つだったのだ」

 という考え方である。

 さすがに目の前にいて、何が起こったのか分からず、しかも、半分記憶を失っている女性に対し、

「あなたは殺されていたかも知れない」

 などと言って、追い詰めるようなことをしてはいけないだろう。

 彼女には、警官のガードをつけておく必要があるのだが、刑事も貼りついていなければならないだろう。何と言っても、彼女は気を失っていたとはいえ、犯行現場にいたのだから、疑われても仕方のない立場。彼女としても、自分が疑われることくらいは、分かっているだろうと思えた。

 さて、そんな状況なので、あまり彼女を追い詰めることはできない。しかし、記憶を失っているとい状態で、見た目は勝気な女性であれば、自分の身に何が起こって、これからどのような危険があるのかということを知りたいと思っているに違いない。少なくとも、「不安は解消してあげなければいけない」

 と桜井は思った。

「ねえ、桜井さん。死体は誰だったんですか?」

 と聞かれた桜井は、一瞬どうしようかと迷ったが、彼女の知っている相手であれば、知る権利はあるだろう。

 というよりも、彼女の口から被害者のことをいずれは聞かなければいけないのだし、不安を解消させる意味でも教えるべきだと思った。

 被害者のプライバシーというのもあるのかも知れないが、事件関係者という意味では、彼女に知ってもらう必要があると感じた。

「被害者ですが、ポケットに運転免許証があったんですが、被害者の名前は、山岸幸太郎という名前です。年齢は五十三歳ということでした」

 と教えてくれた。

「山岸さんですか?」

 と、あからさまに大きな声で聴いた敏子だったが、それだけショックが大きかったということだろう。

 ここまで冷静に話をしてきた彼女が急に声を立てるのだから、これは顔見知りでしかないだろうと思ったのだ。

「お知り合いですか?」

 と聞かれて、

「ええ、山岸さんは、私の会社の非正規雇用の社員なんです。私は人事もやっていますので、面接の時からよく知っています。そして、今も同じ総務課の人間なので、面識があるどころの話ではないですね」

 と敏子は言った。

「じゃあ、友達以上ではあるけど、親密な関係というわけでもない?」

 と桜井は聞いたが。その言葉の中に、

「彼女が山岸という男と、男女の関係ということはないだろうか?」

 という思いが含まれているのではないかと思うのだった。

 男女の関係という意味では、敏子にはやましいところは何もない。それだけに警察の言い方の露骨さがよく分かったのだった。

 K警察署に捜査本部が開かれた。

 捜査本部にもたらされた情報として、まず鑑識からの報告だった。

「被害者の死因は、胸を刺されての出血多量によるショック死です。ただ、その前に麻酔薬のようなものを嗅がされていたのではないかと思うのですが、あの空間にはシンナーのよう臭いが残っていました。死亡推定時刻としては、午後五時過ぎくらいだと思います。警察に通報があって、我々が駆けつけて、調べた時が、死後四時間くらいでした。胃の内容物の消化具合から見ると、夕飯は摂っていないと思われます。ちょうど、一時くらいに食事をしたのではないかと思われるからですね。凶器についてですが、被害者と一緒に意識不明で倒れていた女性のちょうど間くらいに放置されていて、付着した血液が、被害者と一致しているので、それが狂気に間違いはないでしょう」

 ということであった。

「麻酔薬を嗅がされているということですが、それはどのようにされたんですかね?」

 と桜井刑事に聞かれた。

「たぶん、脱脂綿か、タオルハンカチのようなものにしみこませて、後ろから羽交い絞めにするような感じで、嗅がせたんだと思います。その証拠に、被害者の腕に引っかき傷のようなものがあったので、犯人と揉み合ったのではないかと思うんですよ」

 と鑑識は言った。

「でも、正面から胸を突きさしているんですよね?」

 と言われて、鑑識官は一瞬、ギョッとした様子だったが、すぐに笑みを浮かべて、桜井刑事を見ながら、さすがという表情をした。

「ええ、そうです。気絶したところを刺したのではないかと思っていたんですが、それには傷口が合わない気がしたんです」

 というので、桜井刑事も、

「というのは? 桜井刑事が何を不審に感じたのか分からないのですが、普通被害者を眠らせておいて胸を刺すという場合は、仰向けに台の上に寝かせておいて、心臓に向かって、一直線に振り下ろすと思うんですよね? だから、胸に向かって真正面から刺したような地面に水平に、そして胸に対して垂直に刺さっているだろうと思うのですが、角度としては、立っている人に刺した場合を考えると、まるで下から上に刺し貫いた感じなんですよ」

 というではないか。

「そんな傷口って、普通にあるものなんですか?」

 という桜井刑事に対して、

「正面から、子供のような背の小さい人が下から上に向かって刺すか、あるいは、被害者が何かの台の上に乗っていて、上を向いて何かをしているところをちょうどいいタイミングと見て突き刺すような場合などに考えられますね」

 と、鑑識官が答えた。

「今回の事件では、該当しますかね?」

「台の上に乗っているという考えであれば、ありえるかも知れないですが、それだと、麻酔薬を使った意味は分かりません」

「では、どう考えればいいんでしょうか?」

 と、桜井刑事に聞かれて、

「そうですね、私の考えでは、たぶんですが、被害者は、腕をつるされて宙に浮いていたんじゃないかって思うんですよ。まるでサンドバックのような感じでですね。それを下から突き刺したということではないかと感じました」

 と鑑識がいうと、

「うーん、それは私には納得できないんですよ。なぜかというと、腕をくくって、上から宙ぶらりんにしているのであれば、安定感がないわけですよね。その状態で突き刺しても、綺麗に刺さるとは思えないんですよ。避けられるという感じだといえばいいんですかね?」

 と、桜井刑事は言った。

「そうですね。私もそれは考えましたけど、でも、腕を見ると、紐でくくられたような跡が残っていたんです。少なくとも、腕を縛られていたのは間違いないと思うんですよ。そうすると、今の桜井刑事のご指摘から考えると、確かに不自然ではあります。でも、これによって別の考え方が出てくるとも言えるんですよ」

 と、鑑識が言ったのを聞いて、桜井刑事はニンマリとした表情になった。

 この表情は、桜井刑事も理解していることであり、自分が考えていることに間違いがないという意識であることを示している洋だった。

「私にも、今の考えから、一つの仮説が浮かんでいます。たぶん、鑑識さんと同じ意見ではないかと思うんですが」

「というと?」

「共犯者が足を抑えていたということではないかと思うんです。共犯者がいないとできない犯行方法ですからね。ただ、そういう殺人をしたのだとすれば、なぜ、そんなややこしいことをしたんでしょう? 普通に仰向けになっているところを、真上から突き刺せば普通に、そして簡単に殺せるはずなんですよね。それなのに、わざわざ上からつるしたりして、何の意味があるというんでしょう?」

 と、桜井は感じた。

 しばらく考えていたが、何かを思いついたように、

「これって何かの処刑を思わせるじゃないですか。まるで磔にされて、衆人の前での公開処刑のような感じですね。犯人はそれを写真に撮るか何かして、それを例えば誰かに送り付けたとしますよね。そういうことであれば、わざわざ腕をくくりつけて殺すというのも分からなくもないですよね」

 と桜井刑事が続けて発言すると、さすがに。この話を聞いて黙っておれなくなったのか、横で聞いていた柏木刑事が口を挟んだ。

「今の桜井刑事の話は、興味深いというのか、もっとその先の恐ろしいものを暗示しているような気がするんですよ。というのは、今度の殺人が、これで終わりではなく、ただの序曲に過ぎないのではないかというですね」

 と言った。

「そうなんだよ。私の懸念もそこにあるんだ。公開処刑ということであれば、誰かに見せなければいけない。となりで倒れていた女性がそれを見ているのかどうか分からないが、彼女がショックを受けて、記憶を一部喪失しているという話だったから、ひょっとすると、殺害現場を見ているのかも知れない。しかも二人は知り合いだったということで、犯人は彼女にも麻酔薬を使っている。そこまで考えると、なるほど、彼女に見せつけるためだったということもありえるのかも知れないですね」

 と桜井は言ったが、

「そう考えると、倒れていた女性が殺されなかった理由も分かるというものですよね。ただそうなると、彼女に対しての復讐のようなものではなく、彼女に見せた理由とは別に、本当に脅迫したい人がいて、その人のために、想像しているような公開処刑のような写真を撮ったのだとすれば、その写真を送りつけて、恐怖のどん底に叩きつけるという復讐に似たものが考えられますね。その目的が金銭的な脅迫なのか、それとも、相手を殺そうという意志でも持っているのか。私には、ただの金銭的な要求には思えないんですよ。もしそうであるならば、今回の犯罪が明るみに出る必要があるかということですよね。写真さえ撮ってしまえば、自分たちが怪しまれないようにすればいいわけだから、どこかに埋めるとかして、犯行をごまかせばいい。そうすれば、警察にウロウロされることもないし。犯行がスムーズにできるというものですよね」

 と、柏木刑事が言った。

「じゃあ、柏木君は、この死体を発見させるのも、犯人あるいは犯人グループにとっては、計算ずくということだと言いたいのかな?」

 と桜井刑事は言った。

「そこまで断言はできませんが、死体を敢えて隠すことはないと思っていたんだと思いますよ」

 と、いって、柏木刑事は頷いた。

「ところで、被害者は、免許証の通り、山岸という男だったんですか?」

 と、柏木刑事が続けた。

「ああ、それは間違いないだろう。実際に隣で気絶していた白鳥敏子という女性が証言していたからね」

 というと、

「それなんですが、被害者の男の指紋を照合してみると、前科者の中にこの指紋と該当する人物が出てきて、やはり名前は山岸という男でした」

 と、隅田刑事が報告した。

「ん? この被害者には前科があったのかい?」

 とビックリしたように、柏木刑事が答えた。

「ええ、詐欺のようなことをしていたんです。受け子のような感じなんですが、何度かやっているので、前科になったようですね。その時の調書を見たんですが、内容としては、最近よくある詐欺の一種で、よく分かっていない老人に電話をかけて、お金を用意させて、それを受け取りにいく役目だったんですね。最初は、分からずに受け子をやっていたということでしたが、さすがに二度目は、許されることではなかったようです。だから、前科になったんでしょうが、でも、それから二度ほど捕まったようで、さすがに三度目は、ただの受け子ではないということで、マークされるようになったそうです」

 と隅田刑事は言った。

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