第4話 飛翔

「着きましたよ。第4格納庫」

「ここにお船があるんだよね?」

「ええ」


 建物の揺れと風鳴りが増す中、分厚い両開きの扉を見つけたアズマは傍らのミユを見下ろした。男の手をしっかり握った幼女は頷いた後、両手を胸の前で握り、精いっぱい胸を張った。


「ミユ、こぐよ!」

「ん?」

「お父さん、畑のおしごとしながら、お船に乗ってお魚もとってたの。ミユも乗せて貰ったから」


 両足を肩幅に開いた幼女はオールを動かす仕草を見せたが、建物をゆさぶる強い横揺れに飛び跳ね、男に身を寄せた。


「お兄ちゃんは道を探してくれたから……ミユもお手伝いするの」

「分かりました。アテにしてます」


 頷いたアズマが歩を進め、扉が開く。塗料の残滓と埃を踏み越えた男の前で次々と照明が灯り、廃材に囲まれ格納庫内に蹲る物体が浮かび上がった。全長30メートルものずんぐりとした直方体の四隅に、ノズルのついた平たい台形のパーツが取り付けられている。白色のそれを見上げたアズマがミユに目をやった。


「クラス3飛空船、ノーマッドです。ちゃんとあって良かった」

「……こげないかも」


 しょげかえった幼女に笑いながらかぶりを振って見せた後、男はノーマッドの後部に近付く。直後、船体上部から放たれた青い光が2人に浴びせられ、程なくして搬入口が開いてスロープが伸びた。船内に入った彼らの目にまず入ったのは、一段低い所に固定された、直径約5メートルの球体である。丸窓が付き、両脇の外装に継ぎ目が入ったそれを見て、ミユが目を丸くする。


「これ、なあに?」

「分かりません。先に、まず中を全部見ましょう」

「うん」


 壁際の工具棚と思しき設備を見つつ、アズマとミユは球体を通り過ぎた。男の目が、船体中央下部へ続くドアの上に書かれた「動力室」という言葉と扉左脇の昇降機、そして右脇の梯子を捉える。続いて高い天井を見遣った後、アズマは頷いた。


「なるほど。この船は二階建てみたいですよ。1階部分に船を動かすための場所が入ってるらしい」

「お家か、物置みたいだね」

「確かに。船の見た目も、アパートの部屋にエンジンくっ付けたみたいだしな……あ、ここ乗ってみましょうか」

「え? うん。わっ動いた!」


 昇降機に乗ったアズマがミユを手招きし、柵を閉めて背後のスイッチを入れると、僅かな震動と共に2人の身体を乗せて上がり始めた。柵を握った幼女が目を見開いて男を振り仰ぐ。


「お兄ちゃん、このお船に乗ったことあるの?」

「いえ、初めてですよ」

「じゃあ、すごい物知りなんだね! 何でも動かせちゃう!」

「そういうわけじゃ……2階が、家になってるみたいですね」


 適当に言葉を濁したアズマが、家具の置かれたスペースを指さす。椅子を見たミユが微笑んだ。


「よかった。ふたりで住めそうだね」

「そうですね。個室っぽいのも2つで。……ああ、あった」


 廊下を歩きつつ両脇の部屋を見遣った男は、一段下がった所にある、ほぼ真四角の透明なキャノピーで覆われた座席を見つけて足を速めた。ずんぐりした直方体の、いわば半二階部分に突き出すように設置されているコクピットにアズマが近付くと、操縦桿に近い1番目のシートと、それを見下ろせる場所に吊り下げられた2番目のシートが、まるで着席を促すかのように通路側へ回転する。同時に、左脇のキャノピーに長文が表示され始めた。


『ようこそ、選ばれし異世界転移者よ。旅立つ前に、この世界の成り立ちについて説明します。事の起こりは1000年前、1人の少年が』

「いや、いや、それは後で見るから、まずここから逃げ出したい。この船は動きますか?」

『着席して下さい』

「……ミユさん済みません、ちょっと」


 崩落した天井の一部がノーマッドの船体上部にぶつかって金属音が上がり、ミユがアズマにしがみつく。幼女を離れさせたアズマが下側のシートに腰掛けると、180度回転して前方にスライドし、操縦桿と隣のレバーのランプ、そして正面モニターが一斉に点灯した。立体表示される緑色の高度計とコンパスに視線を走らせながら、男は上に目をやる。


「どうにか僕に操縦できると良いんだけど。じゃあ次は格納庫の……外部扉? とにかく、ここから出られるように、道を開けて下さい」

『ハッチを開放しています』


 返答文が表示されるのとほぼ同時に、真正面のシャッターが上がっていく。今やこの建物全体を飲み込まんとする赤い光が差し込み、熱い突風がノーマッドの周囲に置かれていた廃材を吹き飛ばす。眼前の光景に深呼吸したアズマが操縦桿を握り締めた。


「70時間どころか7分も保たないんじゃないの、これ。……よし、やるぞ。エンジンを動かす方法は? ……コントローラー右横の始動スイッチを、押す」


 男が指示された場所の出っ張りを押し込む。低い唸り声が下方から聞こえ、船体の四隅に取り付けられたパーツのノズル部分が発光した。しかし船はどこにも進まない。顔を上げたアズマは、表示された説明文を睨む。


『クオーツ・ドライブ始動エラー発生。駆動結晶を定位置に設定し、保護フィールドの展開を確認して下さい』

「クオーツ・ドライブ?」

『現代の飛空船は斥力エンジンによる疑似半重力推進が一般的です。その動力を生み出し、推進力場を維持するために発明された……』

「技術的な話は良い! 問題を解決する方法を教えてくれ!」


 2度、3度と崩れた建材がノーマッドに落下し、格納庫の右側の壁が倒れるのを横目に、アズマが声を荒げる。


『テクニカルセンターに通信中……エラー。ダケン・エンジニアリングのカスタマーセンターにお繋ぎしますか? 現在、アカウント作成キャンペーンが』

「冗談だろ!?」


 怒りと焦燥に任せ、何度も始動スイッチを押し続ける男。その後ろ姿を見ながら、ミユは跪いた。悲嘆にくれる為ではない。食い入るようにスイッチを見ながら、床に耳を押し付ける。整った金属音と、何かが空回りする乾いた音が耳朶を打った。弾かれたように立ち上がった幼女がアズマの袖を握る。


「ミユ、分かったかも」

「え?」

「お兄ちゃんはそこにいて! その、かちかちっていうの、やり続けて!」

「ミユさん! 待ってください!」


 アズマの声を背に、ミユは来た道を駆け戻る。梯子に飛びついて一気に滑り降り、尻もちを突いて涙目になりながら、球体の真後ろにあった動力室へ飛び込んだ。空色の目が見開かれる。


「やっぱり!」


 青白い光で満たされた円形の小部屋。その中央には、ミユの頭ほどもある正八角形の結晶が置かれた台座があった。周囲に置かれたスピーカーから金属音が発せられ、結晶が共鳴して発光し、金色のリングで囲まれた台座の中で転がる。


「こわくないよ……こわくないんだからね……」


 自分に言い聞かせるミユが忍び足で台座に近付き、ノーマッドに命を吹き込む駆動結晶を抱え上げる。


「音の、真ん中に持ってくれば……ひゃあっ!?」


 スピーカーから音が放たれた瞬間、幼女の抱えていた駆動結晶が激しく発光、震動して小さな身体がひっくり返った。涙でぼやけた視界と酷い耳鳴りの中、ミユは転がったものを抱き締め、立ち上がる。


「かみさま……っ!」


 金属音が部屋を満たし、めまいを起こした幼女が駆動結晶を抱いたまま台座にぶつかった。


「どうかおねがいします。お兄ちゃん、を」


 腕の中で青い光が跳ね上がり、先端が柔らかな頬を掠めて焼け付く痛みが走る。それでも幼女は、震える両手で掴んだ台座の真上へ近づける。


「やさしいアズマお兄ちゃんを、たすけてっ!」


 3度目の衝撃でミユの身体が跳ね飛ばされ、小さな手から駆動結晶が離れた。しかしほんの一瞬、船の心臓部は確かに空中で静止していた。そして、それで充分だった。台座に置かれていた3つの金色のリングが結晶からの光を浴びて浮き上がり、正八角形を立体的に取り囲んで回転し始める。力強い唸り声が船体の奥から湧き上がった。






「動いた!? よし、浮いてる!」


 操縦席にいたアズマが船の駆動音に歓声を上げ、操縦桿を引いた。真紅の光が差し込む格納庫内で、ノーマッドの四隅に設置された斥力エンジンのノズルが青白い光を吐き出し、ゆっくりと船体を浮上させる。


「もっと速く……ああ、これか!?」


 前方の天井が崩れ始めたのを見た男が、レバーの脇にあった摘みを「VTOL」から「CRUISE」へ回した。ノズルの向きが一斉に切り替わり、格納庫の床に船尾を擦りつけ火花を撒き散らしつつも、ノーマッドが一気に加速。崩落する格納庫から勢いよく飛び出した。

 だがその進路を、建物からはぎ取られて舞い踊る柱と板材が塞ぐ。真四角の透明なコクピットで船を操るアズマの眼前に、障害物の進路予測を示す赤いアラートマーカーが幾つも表示された。歯を食い縛った男が操縦桿を倒し、荒れ狂う光の嵐の中で自船を懸命に操り、飛来する建材をかわす。

 そして、ノーマッドは紅い光から抜け出た。演劇の場面が切り替わるかの如く空が青一色へ変わり、ずんぐりした船体が温かくも柔らかな陽光降り注ぐ中、雲海の上を飛ぶ。


「やった……やったよな? ハハ」

「わあ。きれいなお空」

「ミユさん! 上手くいきましたよ! これで……助かる……」


 針路を北西に取った男はコクピットまで戻ってきた幼女を振り返り、笑顔を消して口を閉じた。髪を乱し頬を切ったミユが、疲れ切った表情に笑みを浮かべてアズマを見上げる。操縦席から立ち上がった男が、ふらつく幼女の背中に腕を回した。


「これ、ミユさんのおかげなんですよね。ミユさんが、何かをどうにかやってくれたんだ。そうでしょ?」

「ミユ……ちゃんとできてた?」

「有難う。命の恩人です……本当に」


 気の毒に思えるほど軽いミユを抱き上げたアズマが、小さな身体を上部のシートに座らせる。男が居た堪れなくなってそのまま離れようとした時、幼女の小さな手が彼の指を握った。2人はしばらく何も言わず、どこまでも広がる蒼穹と雲海を眺めるのだった。

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