第3話 目覚めの時

「行きましょう」


 熱風吹きすさぶ荒れ果てた展望室跡。血のように赤い光に照らされながら、アズマはミユを見下ろして言う。


「いつまでも此処にはいられない。何とかして逃げなきゃ。僕は良い。でもミユさんは」

「そんなことない」


 パンの包みとボトルを掻き抱いて座り込む幼女が、男の言葉を遮って首を横に振った。


「ミユ、ここにいる。ずっといられる。ご飯食べてお水飲んで、ずっといる」

「けどあの文章を見たでしょう?」

「見なかった。ミユ、字読めないもん」

「……そうですか。でもこの空を見て下さい。最後にどうなるかは分からないけど、離れる準備だけはしなきゃ」

「いやっ!」

「どうして!」


 これまで命を繋いでくれていた物をぎゅうっと抱き締め、幼女は駄々っ子のように首を横に振る。


「だってミユ、ちゃんとお祈りしたもん! お父さんとお母さんに言われた通りにしたんだもん! 暗くてこわかったけど、転んじゃって、いたかったけど、ちゃんとひとりで! だからここは、かみさまのおやしきなの! いつまでも、幸せで……いられる」


 立ち尽くすアズマの前で、ミユは廃墟を見回し空に開いた虚ろな穴を見上げる。紅に染まる瞳から、熱い涙が零れ落ちた。


「もう、こわいのは、いや」

「ミユさん」

「いたいのも、いや。もう、どこにも……行けない」

「ミユさん」


 泣きじゃくる幼女の前で屈みこんだ男が、華奢な肩に両手を置く。


「ここは、神様のお屋敷じゃないかもしれないですよ?」

「でも!」

「考えてもみて下さい。空がこんなで、屋根なんか無くなってるんです。幾ら美味しいパンを食べられても、ふかふかのベッドがあっても、ゆっくり出来ないでしょ?」

「でも……」

「しかもそこに僕まで来て、ミユさんが独り占めできる筈だったご飯を食べちゃったんですからね。だからここは」


 抱き締めた食料から顔を上げたミユに見つめられ、アズマは唾を飲み込んだ後、真っ直ぐに見返した。


「ここは、神様のお屋敷に行くことになった人がとりあえず暮らす、待ち合わせ場所だと思うんですよ。そう、村の……集会所、みたいな」

「広場のこと?」

「そう、それ!」


 自信なさげな幼女の前で、男は力強く頷いた。


「とにかく、ここはミユさんの居場所じゃないです」

「じゃあ、どこなの……?」

「そのうちきっと、また神様から呼ばれますよ。良い子なんだから、見捨てられるわけない。だからひとまず、この危ない場所から離れましょう。ね?」


 強張った顔をどうにか微笑ませたアズマが身を屈め、目線の高さを合わせる。そんな男を食い入るように見つめていたミユは、ゆっくりと首を縦に振って身体を起こした。


「分かった。あのね、アズマお兄ちゃん」

「何です?」

「ここを出た後も、いっしょに来てくれる?」


 立ち上がり手を握ってきた幼女に、アズマは首肯を返す。


「ミユさんが神様のお屋敷に行けるまで、お供します」






「最適な避難場所は?」

『514避難所です』

「何処にありますか?」

『320km北西です』

「単位も現実のそれを使ってるのか……まぁいい。今更夢だなんだとは言わないよ。それで、最適な移動手段は?」

『クラス3以上の飛空船であれば、空間断裂の拡大を上回る速度で離脱可能です』

「知らない単語が出てきたな……」


 展望室から2階層下った所にある、管制室というプレートがかかった部屋に、アズマの声が響く。男の声に合わせて彼の前のディスプレイが発光し、文字による返答が表示されていた。アズマと板へ交互に視線をやったミユが、ぽかんと口を開ける。


「お兄ちゃん、壁とお話しできるんだね」

「え? ああ。コンソールが反応しなかったんですけど、音声認識機能があったようなので」

「そうなんだ。すごいねえ」


 まったく分かっていなそうな、あどけない幼女の顔を見て思わず笑みを浮かべた男が、ひび割れたディスプレイに向き直る。


「……その、飛空船はどこにありますか?」

『第4格納庫です。警告! 連絡通路が破損しています』

「通路が破損か。まぁ、いざとなったら一旦外出て別の道を探せば良い。ミユさん、行きましょ」

「うんっ!」


 アズマと、彼の言葉に勢いよく頷いたミユが、途中にあった備品庫で見つけたバックパックを背負い直す。小さい揺れと共に細かな塵が落ちる廊下を歩く幼女が、男に身を寄せ顔を上げた。


「お船に乗るの?」

「はい。この先にあるらしいんですよ。廊下が崩れてるみたいだから、何とか回り込めないか探し」


 ある通路を曲がったその時、アズマは絶句した。管制室での案内に従って進んでいた2人の眼下に、幅およそ5メートルの裂け目が広がっていたのだ。抜けた床の向こうには、稲光を放つ暗雲が広がっている。


「……えっ? 真下に、雲?」

「上にも下にも、お空があるんだね」

「じゃあ此処、物凄いでかい塔ってことか? それとも、飛んで……」


 耳をつんざく破砕音に、幼女が悲鳴を上げた。頭上を仰ぐ男の目に、崩落する天井が映りこむ。


「ミユさん!」


 ぎゅっと目を閉じ蹲った小さな身体を見下ろしたアズマは残りの言葉を飲み込み、彼女へと覆いかぶさる。そして埃が舞い上がった直後、建材が次々に廊下へ落ちて轟音が響き、火花が散った。破れた天井から真紅の光が降り注ぐ。


「い……」


 もうもうたる埃の中、ミユを抱いたアズマは周囲を見回す。


「生きてる……! 柱も板も、全部外側に倒れたのか? 運が良いんだか悪いんだか……あ、ミユさん! 立ってください! 今なら通れる!」


 男に抱き起こされた幼女は涙を拭い、落ちてきた板材で出来た即席の橋を渡って裂け目の向こう側に辿り着けた。ほとんど同時に酷い揺れが廊下を揺さぶり、ついさっき2人を渡らせた建材が眼下の雲海へ落ちていった。額の汗を拭ったアズマがかぶりを振る。


「あのカウントダウン、絶対嘘ついてるだろ。この場所、70時間も保つはずないよ!」

「うっ……うぅっ」

「ああ、すみません。けど、もうすぐ格納庫に行けるはずだから」

「こ……怖かった」


 男の脚にしがみつくミユが、泣きながら右手を上げた。


「おねがい……おてて、つないで」


 無言で頷いたアズマが、小さく熱い掌に触れる。止まらない涙を左手でぬぐう幼女が、しゃくり上げながら言葉を続ける。


「お兄ちゃん、はなさないでね。ずっと、いっしょにいてね」

「勿論、ずっといますよ。ミユさんは良い子だから」


 しばらくして泣き止んだミユはアズマに手を引かれ、暗い廊下をとぼとぼと歩き出すのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る