第7話 聖人君子なる人物

「山崎さんとは、どのようなお知り合いなんですか?」

 と聞くと、

「僕と山崎とは、趣味で一緒になったのが最初だったんですよ」

 という意外な答えが返ってきた。

「趣味というと?」

 と、隅田刑事も興味深く聞いてみた。

「実はですね。俳句をやっているんです。年寄り臭いでしょう? でも、俳句を詠んでいる時って、嫌なことを忘れられるんですよ。僕も会社で出世頭なんて言われていますけど、その実裏で何を言われているかということも分かっているつもりです」

 というではないか。

 嫌われるのを覚悟で思い切って、

「どういう風に分かっていると?」

 と訊いてみた。

「いやあ、どうせ、気が弱いくせに、上司にうまく使われているのも知らずに、調子乗っていやがるなんて言ってるんでしょうね」

 と、本当に分かっていることに、隅田刑事はビックリした。

――一語一句間違っていないようだ。さすがに俳句をやっているというだけのことはある――

 と感じた。

 そして、俳句をやっている人間と話をする時は、相手が奥の奥まで見ることができる人間ではないかと考えるのが無難ではないかと思ったのだ。

 俳句というのは、、

「五七五」

 という十七文字の決まった形で表現する。

 それが自分の気持ちであったり、恋であったり、情景であったり、そして最終的に、季語がなければいけないという制限まであるのだった。

 自分で気が弱いと言っているだけに、意外とその裏には、人が知らない反骨精神があるのかも知れないとも思った。

 そういえば、

「自分のことを分かっている人間ほど、強いものはない」

 と言っている人がいたのを思い出した。

 それが誰だったのかまで覚えていないが、自分にとって、教訓となったのを忘れることはなかった。

「俳句って、落ち着くんですか? それとも、精神的な強さが生まれるような気がするんですか?」

 と聞かれた進藤は、

「精神的な強さに関しては分かりませんが、落ち着くのは間違いないですね。僕の場合は、自分の領分を分かっているつもりでいるので、落ち着いた気分にならないと、一点しかみることができず、全体を見ようとすると、ぼやけてしまうんです。それだけに、相手が想像以上に大きく見えて、自分には到底太刀打ちできないと思ってしまうんでしょうね。まるで壁に写し出された影絵のようなものではないでしょうか? それを思うと、気持ちを落ち着かせることができなければ、先はないと思うんです。僕にそれができるとすれば、落ち着くことしかないんですよ。俳句というのは、そういう魔力を持ったものだと思っています」

 という進藤に対して、

「じゃあ、山崎さんというのも、似たところがあるんですか?」

 と訊いてみると、

「あると思います。そのことについて一晩中語り合ったことがあるくらいなんですよ。彼と一緒にいると、会話が弾むんです。あっちが考えていることが全部分かるし、こっちの考えていることも見透かされているんですよね。普段なら見透かされると怖いと思うのですが、彼に対してだけはそうは思いません。きっと以心伝心しているんでしょうね」

 と、進藤は答えてくれた。

「ところで、進藤さんは、眞島さんや桜庭さんのことはご存じですか?」

 と聞かれた進藤は、

「いいえ、詳しくは知りません」

「どこまでご存じで?」

「殺されたんですよね? 二人とも。しかも、眞島さんの時の第一発見者が山崎だったということですよね?」

 と進藤がいうので、

「ええ、そうですね。じゃあ、それ以外にこのお二人とは面識はないということでしょうか?」

 と隅田刑事が聞くと、

「ええ、そうですね。同じ会社で部署が同じだとしても、プロジェクトが違えば、別の会社のようなものですよ。だから、話をしたこともなければ、どういう人間なのかということも知りません」

 と言って、進藤はうな垂れるように言ったが、その口調には感情がなく、冷淡さを醸し出しているかのようだった。

「そうですか。ありがとうございます」

 と隅田刑事がいうと、

「刑事さんは、どうして私にお話を聞かれたんですか? 第一発見者である山崎に何か不審なことを感じたのか、それとも、僕が殺された眞島さんや桜庭さんと何か関わりでもあるのかと思われたのですか?」

 と隅田刑事は、問い詰めるように聞いてきた。

 確かに隅田刑事の効き方から推理すれば、警察の方では、第一発見者を疑っているので、その知り合いというころで、自分を訪ねてきたのか、それとも、殺された二人が同じ会社で、その同僚ということで聞き込みの一環だということなのかが気になったのだろう。

 山崎と殺された二人を結び付けようというのは、今の段階では不可能に近い、そうなると動機は見つからないのだ。山崎が第一発見者になったのは、おそらく偶然で、ただ、警察としても、

「第一発見者を疑え」

 という推理の定石から考えれば、やはり山崎には何か疑われるというろがあったと考えてもいいのかと、進藤は思っているのだろう。

 それにしても、進藤は気が弱いと思っていたが、話を聞いているうちに、その思いがどんどん深まってくるようだった。

 なぜなら、彼は隅田刑事の聞き取りを、まるで尋問されているかのような被害妄想的な印象を得たのかも知れない。

 確かに、自分に対しての聞き取りの第一目的が、果たして山崎との関係にあるのか、それとも、口ではところでと言っていたが、殺された眞島と桜庭に関係があると思っているのかのどちらなのか分からなかったことで、進藤なりに、イライラしていたところがあったのかも知れない。

 そこで業を煮やして、つい挑発的な言葉になったのだろう。それが彼の性格なのではないだろうか。

 そう思うと、彼が気が弱いというのも分かったような気がしたのだ。苛立ったら、そのまま挑発的な態度を取らないと気が済まない。しかも、それを相手にも感じさせることで、少しでも相手に、自分への攻撃をひるませようという意図がありありで感じられるのだった。

 隅田刑事は、学生時代にも似たような性格のやつがいたのを思い出した。

 そいつを見ていると、いつも腹が立って、時々我慢できずにその気持ちをぶつけたのだったが、

「お前、もっとしっかりしろよ。そんなにオドオドしてたり、そんな態度をまわりに発散させていたりすると、そのうちに、謂れもないことに巻き込まれて、利用されないとも限らないんだぞ」

 と言ったのを思い出したのだった……。

 隅田刑事は、少し考えていたが、詰め寄ってくる進藤の質問をスルリと交わすように、

「そのどちらもですよ」

 と言って、ニヤリと笑って見せた。

 この笑いこそ、進藤に与えるイメージは、ダメージになったのではないだろうか。それ以上、進藤は隅田刑事に対して何かを言おうという意識は薄れていた。しばしの沈黙があって、

「今日は、このあたりで失礼します。また何かあったらお伺いしますので」

 と、最後に再来を予言するような言い方を残して、進藤に対しての聞き込みを終えたのだった。

 隅田刑事が帰った後に、進藤を訪ねてくる男がいた。

「刑事さんは帰ったかい?」

 と、その男が言ったので、

「うん、帰ったよ。でも、まさか刑事が僕のところに来るなんて思ってもみなかったよ」

 と進藤がいうので、

「そうか? 俺は分かっていたよ」

 とその男がいうので、

「どうして?」

 と進藤が聞くと、

「だって、警察が山崎のことを疑うところまでは想像できるだろう? そうすると、今回に被害者が、皆、Kエンタープライズの人間だということが分かれば、山崎とKエンタープライズの関係を探るはずさ。そうなると必然的に君が出てくるのも分かっていたことで、俺にとっては、想定内のことだと言ってもいいよ」

 と、その男はいう。

「だけど、朝倉さん。僕のところに警察が来たということは、君の立場が危なくなるんじゃないかい?」

 と、朝倉と呼ばれた男に対して、進藤がそういったが、

「いやいや、問題ないさ。警察には決して分かりっこないさ。というより、進藤がいてくれたおかげで助かったよ」

 と朝倉がいうと、

「そう言ってくれると嬉しいよ。本当なら朝倉にとって、僕は許せない人物のはずなのに、俺のことを信じてくれた。それが僕には嬉しいんだ」

 と、進藤は朝倉に対して、何度も礼を言って、頭を下げているようだった・

「俺だって、本当に許せる人間と許せない人間の区別くらいは分かっているつもりさ。進藤は利用されただけなんだ。本来なら君が怒ってしかるべきなんだよ。それなのに、君は怒りをあらわにしない。最初はそんな君に正直腹が立ったさ。だけどね、腹が立っても憎めないんだ。憎めないから、怒りがこみあげてこない。この気持ちがどれだけのストレスを生むか、君には分からないだろうね」

 と言って、朝倉は、虚空を睨みつけるようにしたが、進藤はその様子を黙って見ているしかなかった。

 どうやら、朝倉という男は、進藤に対して、怒りがあるのかも知れないが、憎んでいるところまでは言っていないようだ。

 むしろ、どこか同情的なところがあり、

「嫌いで怒っている相手なのだが、憎み切れない」

 というところがあるのが、この朝倉という人物の性格なのかも知れない。

 そして、この朝倉という人物がこの事件において何かの役割を持っているということを警察も今のところ、分かるわけもないだろう。

 何しろ、まだ表面上は出てきていないからである。

「朝倉は、これからどうするつもりなんだい?」

 と進藤に言われて、

「さあ、どうしようなか? このまま裏に潜んでいてもいいんだけどな」

 と言って、また虚空を睨みつけるようにして言ったが、それを聞いた進藤とすれば、

「朝倉が、中途半端な態度を取るというのは、この事件においては、都合のいいことなのかも知れないね」

 と、思ったことを言ったが、このセリフの中に見え隠れしているものは、

「決して、朝倉が表に出てくるようなことがあってはならない」

 という意味が含まれているのではないだろうか。

 朝倉というじんぶつは、最後まで裏に潜んでいて、特に警察には意識されないようにしなければいけないのではないか。

 つまりは、

「路傍の石」

 という状態を作らなければいけない。

 たとえ、目の前にいたとしても、その様子を感化されてはいけない。それが、道端に落ちていても、それが見えていたとしても、決して意識されることのない、

「路傍の石」

 ということであろう。

 路傍の石が意識されないのは、まわりにも同じようなものがあって、意識されないという河原にある石とは違った。単独でいるにも関わらず、見えているのに意識されないということは、

「そこにそれがあっても、まったく不自然ではなくて、あろうがなかろうが、自分には関係ない」

 と思われるということであろう。

 また、同じような意味でだが、ある天文学者が創造したと言われる、

「暗黒星」

 という話を思い出すこともできる。

「星というのは、自ら光を発するか、それとも、光を発する星の恩恵を得て、その光を反射させることで光を発するものである」

 と言われているのだが、ここでいう暗黒星というのは、まったく違う主旨の星だというのだ。

 つまり、

「自ら光を発するわけでもなく、光を反射させるわけでもない。逆に光を吸収させてしまう星がある。その星は、光らないので、暗黒の宇宙空間では、その存在がまったく見えない。生き物ではないので、気配を感じることもない。そのため、近くに寄ってきてもまったく誰も気付かない」

 という星が存在しているというのだ。

 これほど恐ろしいものはない。

 そばにいるのに、その存在を計り知ることができないということは、いつ接触するか分からないということだ。

 星というのは、どんなに小さなものでも、引力があるものなので、近くにあるだけで、本当は相当な距離であっても、その引力の影響で、近くの星に多大なる影響を及ぼすものである。

 そんなまったく見えない、存在を感じることもない星が宇宙に存在していて、いつどこでできるかも知れないという思いもあるのは、実に恐ろしいことだ。

 そんな星の存在は、人間界にも当てはまるのではないかと考える人もいたりする。実際に天文学だけでなく、心理学などの世界でも研究されていることなのではないだろうか。

 進藤は、この事件における朝倉という人物の存在を、この、

「暗黒星」

 にも当て嵌めて考えていた。

 しかし、前述の郎帽の石の発想と、この暗黒星では、決定的な違いがあると思うのだった。

「路傍の石は、見えているのに、その存在を認識できないような、錯覚でも見ているのではないかと思う存在だが、暗黒星に限ってはそうではなく、まったく見えないものなのだ。それだけにどのような発想になうのかというと、明らかに違うところがあるにも関わらず、どこか似たこの二つを切り離して考えることのできないというのは、暗黒星と他の星が近くにいるとしても、実際には、果てしない距離であり、それでも強い影響を与えるというところが、暗黒星の特徴だと言っていいのではないか」

 と、進藤は考えていた。

 進藤にとって、朝倉という人物は、そばにいるように感じるのだが、実際には、果てしない距離にいて、近づこうとすれば、目に見えない結界のようなものが二人の間に立ちふさがっていて、侵入を許さないようになっていた。

 その時に感じたのは、

「異次元」

 という発想であった。

「四次元の世界というのは、同じ時間に同じ場所が広がっていて、そこは次元の違うとして広がっているものである。一種のパラレルワールドではないか?」

 と言えるのではないかと思っている。

 パラレルワールドというのは、

「次の瞬間には、無限の可能性が広がっていて、さらにその先には無限の可能性がある」

 というような、末広がり的な考えが、世界には存在していて、その可能性ごとに、世界が広がっているという考え方になるのだ。

 それは、自分たちが存在している三次元の、

「縦、横、高さ」

 という立体だけでは説明できない、もう一つの線の存在が、時間であるか、パラレルワールドでいうところの可能性なのかを考えることではないかと思えるのだ。

 進藤は、パラレルワールドを信じている。

 なぜなら、タイムマシンは作ることができず、もう一つの線を時間軸だと考えることに違和感があるからだ。

 それは、よく言われる、

「タイムパラドックス」

 の存在であり、それが、タイムマシンの実現を不可能なものとしているのではないかというのであった。

 タイムパラドックスのパラドックスとは、「逆説」という意味であるが、この場合の話は、

「タイムトラベルには、理論的に無理がある」

 という発想だと言ってもいいだろう。

 例えば、

「父親を殺す話のパラドックス」

 という話がある。

 それこそ、

「タマゴが先かニワトリが先か?」

 という理屈に辿り着くのだ。

 基本的にタイムパラドックスを引き起こすのは、過去に行く事例である。未来にいく場合には当てはまらない。

 というのは、時間というのが、過去から未来に繋がっているということからである。過去に行って、今の自分に繋がっている話を変えてしまうとどうなるか? ということなのだが、自分が過去にいって、自分と関係のある人間。例えば父親を殺してしまうとどうなるのだろう?

「まず、自分は生れてこなくなる。そして、生まれてこない自分が過去に行くことはないので、父親が殺されることはない。殺されない父親は何もなかったように、母親と結婚して、自分を生むことになる」

 といういわゆる三段論法なのだが、この三段論法が崩れてしまうのが、タイムパラドックスということだ。

 未来に行く分には、未来で何が起ころうとも、過去に何らかの影響を与えることはない。問題は過去に行くことだった。

(ただ、未来に行って未来を変えてしまうということは、いいことではないのだが)

「そんなタイムパラドックスであるが、過去に行くことさえできなくしてしまえば、タイムマシンを作ることはできるのではないか?」

 と思うかも知れないが、普通であれば、思ったとしても、口にする前に、

――そんなバカバカしいこと――

 ということで、自分が考えたことを嘲笑することであろう。

 なぜなら、過去に行けないタイムマシンなどを作ってしまえば、もし、未来に行った時、過去にいけないのだから、未来から現在をみた過去にはいけないことになる。つまり、元の世界には絶対に戻ってこれないことを意味している。

 ここまで考えると、タイムトラベルというのが、どれほど危険で、発送することすら、人間にはおこがましいことなのかということを身に染みて感じさせられる。

「ひょっとすると、自分で知らないところで、未来や過去からのエージェントが来ているのかも知れない。それらは人間を凌駕するかのような高等動物で、人間にはおこがましいことができる。人間には決して見ることのできない連中なのかも知れない。それが、路傍の石であったり、暗黒星のような存在なのかも知れない」

 という、最初に考えた、自虐的な発想であった路傍の石や、暗黒星は、そうやって考えると、我々よりも進んだ連中で、特殊な能力で、特定の人間には、彼らの存在を知らしめているのかも知れない。

 というような話の小説を、進藤は読んだことがあった。

 そしてそれを朝倉に、

「この小説面白いんだぞ。お前も読んでみればいい」

 と言って進めたのを思い出した。

 実はこのお話でここが重要な部分であり、クライマックスなのだということなのだが、それを分かっているのは朝倉だけであり、進藤も分かっていなかった。

 そのことが後に起こる進藤の身に降りかかった悲劇となるのだが、

「ひょっとすると、進藤は分かっていたのかも知れない」

 と、朝倉は考えたほどだったが、朝倉にとって進藤が、どういう人物だったのかが分かっていなかったことが、朝倉にとっても悲劇だったのかも知れない。

 少なくとも、

「この物語においてのハッピーエンドなどないんだ」

 と思っているのは、朝倉である。

 ただ、その思いも、もしかすると、進藤も共有していたのかも知れない。

 桜庭に、眞島、そしてまだ表に出ていない連中と、どれもが得な人間ではないと進藤も朝倉も思っている。

 しかし、だからと言って、自分たちが聖人君子だとも思っていない。もし、そう思っていたのなら、この話はもう少し違っていて、お話として特別なものだったということはなかっただろう。

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